第99話~「マラニック」6.5km地点~「からっぽの世界」
流天家も、
和歌市では、
それなりの知名度にある家柄ではあるが、
「皇家」に比べたらそれ程の事ではない。
今、
前方を軽く流して走っていらっしゃる。
「皇 承」様と比べれば。
………………
…………
……
学園に入る前から家族に言われてはいた。
「迂闊に「皇家」に近付けば、崩されるぞ」と。
その頃からそれがしは考えていた。
「崩される」とは何だ? ……何をだ?
それがしは森に試され喚ばれた時から、
まだまだ足らぬとはいえ、
生きる覚悟はしている。
森に入れば世界の見方は誰しもが変わると思える。
天休と神咲は森の奥にまで喚ばれてしまうが、
それがしは「門番」の経験しか未だにない。
しかし、
それだけの経験からでも導ける推測はある。
おそらく皇様に崩されるものは、「意志」と「心」だと。
………………
…………
……
それがしは強くなりたい。
故に畏れてはいても、
皇様に挑む覚悟をし、
皇様の後方を、同じく流して走っている。
それを皇様がお気付きにならぬはずもあるまい。
一歩一歩踏み出す毎に、
それがしの気は、
わずかずつにも荒く昂ぶってゆく。
衝動が抑えられぬ。
皇家の力量を見定めたいと……。
かようなそれがしに、
何事かを呟く。
皇様の兆しを覚えた。
………………
…………
……
「今日という縁は、
貴方と結ばれているらしいですね」
振り返りもせず、
それがしに鷹揚にお言葉を下さる。
「貴方が小生に、
どれほどの勘違いをなさっているかまで、
小生は分かりません。
ただ少々剣呑な感情まで混ざっているものですから、
小生はその解消に興味を持ちました。
なにか小生に興味があるのでしたら、
大抵の事はお応えしましょう」
その声音に込められた、
それがしの発する“気”へ対しての、
感情の起伏のなさ、
その覚えがそれがしをさらに昂ぶらせ、
喜びと怒りがないまぜになり、
感情を吐き出す。
「失礼仕る。
それがしが……、それがしの力が、
皇様に何処まで通用するものなのか、
それがしは、試しとう御座居ます」
「分かりました。
貴方の想いからは、
殺意はないようで安心しました。
「試合」なら、
いつ、どこからでもどうぞ」
このお言葉さえも、
まるで振り返らず仰る。
足を止める気配さえもなく、
打ち込まれる事を、お許しになる。
まるで気負いを覚えない、
自然なお声だ。
見下されているという感情より、
胸をお借りできる喜びがそれがしに溢れ、
瞬時に考える。
どの様な手段でそれがしを分かって頂くかを、
八百万倶楽部に怪我は御法度。
使う部位、狙う部位、
そして威力はかなり制限される。
次は技にフェイントを入れるべきかどうか……。
それがしは、皇様の背後に居る。
故に圧倒的にそれがしは有利だ。
それを分かってすら油断は禁物。
皇様の間合いが全くわからぬが、
フェイントで最も有効なのは「目線」だと、
それがしは考えている。
様々を考慮に入れて、
怪我を避ける事の遵守の為、
こじらせかねない可能性は止める。
後は己にとって有利な場を選ぶのみ。
呼吸を整えてゆき――、
………………
…………
……
仕掛けるっ!
皇様の隙だらけにしか見えぬ背中へ、
一気に踏み込み間合いを詰める。
右掌底打ちで、皇様の背中、脊椎を押す程度に通す!
それがしの掌底が確実に、
通る手応えを感じる間合いに入った!
が――、
それがしの掌は対象そのものをすり抜けて行き、
何が起こったのかすら分からぬまま、
それがしはバランスを崩し、
ゆるりと軽くいなされ、
芝生に受身を取り倒れた。
………………
…………
……
見上げる青空から、
手が差し出されている。
「何処か痛む所はありませんか?」
声音が平板で、
心配されているのかどうかが
それがしの心に届いてこない。
皇様はそれがしを如何様にもできる。
それがしは相手にさえされない……。
だが諦める事はしない。
むしろ目指すべき相手を、
周りにこれだけ増やしてくれた学園に感謝さえする。
「流天 虎頼、参りました」
皇様の瞳は、いつもの様に閉じられており、
何を思っていらっしゃるかは、
それがしでは分からなかった……。
………………
…………
……
「流天家」の「虎頼」さんは、
小生の差し出す手に、
懐疑的に手を伸ばす。
「さ……触れる……、
それがしは皇様の幻術に、
掛かっていたのでしょうか?」
師が作り出して下さった、
「糊付け」された朧月夜が脳裏を過る。
「いえ。小生は小さく生きる、普通の人間ですよ」
「虎頼」さんを助け起こしてから、
小生達は先程までの様に、
世陽緑地までを流して走り出す。
「流天家」さんとの縁を想い、
小生にしては珍しく、
会話をする事を選んだ。
………………
…………
……
それがしは、
愚かとわかってはいても口にする。
「それがしには触れず。
皇様はそれがしに触れる。
それが皇様のお力のひとつなのでしたら、
物理的な存在には絶対的ではないでしょうか」
「いえ、
先日雁野先生に負けたばかりですよ。
おかしな表現ですが、
今日はたまたま必然に小生が試し合いの
試す側だっただけです」
たまたま必然?
確かに矛盾した表現をなされる。
「小生はただの庭師「剪定者」。
たまたま必然の結果が選定されただけです」
「失礼ながら「たまたまの必然」とは?」
「「虎頼」さんは“無知の知”はご存知ですか?」
質問で返ってきてしまった。
しかして思うに、
それがしに対して、
皇様のお力の理解を、
より円滑にする為の仕方なき事なのだろうと、
敬いを忘れず答える、
「ソクラテスの、
自分は何も知らないという事は知っている、でしょうか?」
「そうです。
小生は十歳の頃に、門から選ばれてしまいました。
それ以来、神という完璧が、
傍らから離れなくなってしまったのです。
小生は普通の人間であり、
何も知らぬ不完全の身でありながらです。
人とはとかく原因を探求してしまいますが、
小生の思う縁に、原因はありません。
人とは常に勘違いを縁起にしているのです。
どうしても原因を突き止めたいのでしたら、
それは、
完璧な世界に自意識を持つ本人の責任です」
それは……?
「皇様の神気から得た、
『宿命論』的なお力の発露から、
それがしは負けるべくして負けたという事でしょうか?
……質問ばかりですみません」
「気にしないでください。
問題は小生の器は、
決して全知でも全能でもないという事です。
神はあまねくものに宿っていますが、
小生の小さき器には過剰なのです。
ですから今回の「試合」は、
不完全の小生が、
必然的な神の御業により、
有利な立場になってしまっただけです」
そ……れでは、
それがしは、誰と、何と試合おうとしていたのかすら……、
見失ってしまう様な……お言葉ではありませんか……。
偶然であり必然。
縁起とは、原因によっての結果と憶えている。
だが皇様は原因などそもそも無いと仰る。
「結果とは、
あらゆる存在が原因となって起こっています。
ひとりの問題は、みんなの問題です。
小生は、小生自身を敗北させた師が居たからこそ、
普通学園に育まれてゆこうという、
森羅万象の流れに、身を委ねている今があるのです」
我が意を得たり!
「雁野先生からの敗北が、
皇様の原因となって起きた、
それがしの敗北の縁起では御座居ませんでしょうか!?」
「微小ではそう捉える事もできるでしょう。
限るならそこに責任も生まれるでしょう。
それでも大局的には原因はなく、
あるがままがあるがままにあるだけと、
小生は思っています」
「それでは皇様は、
人間に向上心や努力は必要ないと申されるのでしょうか!?」
「それらも「あるがまま」の内」
「それがしは強くなりたいです!
ですから努力を怠りたくはありません」
「「強さ」……ですか……。
「虎頼」さんは「コンピュータゲーム」に興味をお持ちでしたね?」
「っ? ……はい」
「「コンピュータゲーム」には、
RPGというものがあり、
大抵、「強さ」に段階というものがあるそうです」
「それぐらいは承知致しております」
「それでは貴方はその世界のレベルの上限に達した時、
一体何を楽しむのですか?」
「人生はゲームではありません!
それにそれがしより強い方達は、
この世界にいくらでもいらっしゃる」
「その通りです。「流天 虎頼」さん。
ですから普通学園の流儀でゆくとしたら、
「普通」でいいじゃないですか」
それがしの心にとても不愉快な違和感を覚える。
皇様は、ご自身のお力に誇りを持っておられぬ。
それがしには、
ただ諦めた弱者に説得されている様な不快さだ。
それがしを相手にもせぬ、
勝者の弱音など、
それがしは聴きたくはない。
苦渋の中、
ほんの少しだけの会釈をし、
それがしは世陽緑地までのペースを上げた。
それは確かに「崩された」のかも知れぬが、
それがしには、
皇様こそ歪んで見えた。
あいすみません。
それがしは貴方様を認めません。
………………
…………
……
「また気分を悪くさせてしまいましたか……」
小生は小さく生きる者。
拒まれれば普通に傷つく。
他者に拒否される痛みに慣れる程、
習熟できてはいない。
「虎頼」さんが距離を取りたいのなら、
小生は少し立ち止まろう。
世陽緑地までの地面の何処からか、
ミツバが香る。
花が咲くにはまだ早いが……、
そう……、
花言葉は確か……、
「意地っ張り」
「虎頼」さんの背中を見送りながら、
小生は小さく呟く。
「御神よ、それはいったい誰の事でしょうか?」
わたしはみたされている
わたしにはひつようありません
だからそれはむいみです
歌 ジャックス 作詞・作曲 早川義夫