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俺より終わってる転生者はいないと思う  作者: 井坂津小津
第一章 スウィート・ホーム・メルレアン
7/18

シズレ・パターン

 とりあえず、目下の問題はあの巨大熊だ。健司が身をもってわかっていることは、あの熊には縄張りがあり、その範囲外の生物には興味を示していないという事、次にその熊には絶対かなわないという事。


(せめて、あの霧がもっかい出せれば、話が違うんだけどな……)


 健司は、あの時の霧について思いを馳せたものの、今ないものを考えても意味はないとして、今やるべき仕事に戻った。彼らがやるべきことは一つ、護衛してくれる冒険者フリーランス探しだ。


 だが、思うようにことは進まない。護衛を依頼しても、あの熊の事を話した瞬間に断られたり、熊を倒せるようなパーティーは依頼料は高すぎる。


「ああ、あの熊ですか……定期的にここを縄張りにするんですよね。一週間ほどしたら移動するのでそれまで待ってみてはいかがですか?」


 ギルドの受付嬢に来てみてもこの有様だ。しかし、自分らの財布にそんな余裕はない。


「ここらで依頼を受けるってのは無理なのか?」


 お金がないなら作ればいいと健司は考えウェイドに相談するものの、


「ないな。掲示板見てみろ、どの張り紙にもCランクって書いてあるだろ」


 と、ウェイドに言われて掲示板を確認すると、たしかに『魔物退治:Cランク」と書かれているものばかりだ。ふと、上の方を見ると、『巨大熊『グアラリル』討伐:Bランク』と書かれた張り紙があった。


「確かに、CやらBがたくさんあるな」


「それは、そこに書かれているランク以上じゃないと仕事を受けられない。なんでかわかるか?死ぬからだ」


 たしかに、Oランクと言っていたウェイドの装備を見ても、短剣一本に旅用の軽いレザー装備だ。これで魔物退治とやらは無理だろう。どこぞの勇者のようにヒノキの棒一本で戦うという前例もあるが、奴はしんだら復活できるのだ。それが一番の違いである。普通は、死んだら死ぬのだ。

 

「基本的には、メルレアンみたいな大都市にでも行かない限りOランクの仕事はない」


「でしょうなぁ」


 現代日本で東京や大阪に日雇い労働者が集まるのと同じだ。


「けどさ、ウェイド。ここで一週間も暮らすような貯蓄はないぞ」


「だから今考えてるんだよ」


 万策尽きた、といった具合にウェイドは空を仰いだ。あいにく天井のせいで空すら仰げなかったが。


「お困りですか?」


 そのとき、頭を悩ませている二人に、2人組の冒険者フリーランスパーティーが近寄ってきた。重そうな鎧を付けた男の腰には、立派な長剣がさしてある。一方、もう片方の女性は、弓使いのようだ。


「ええ、どうしても今日中にメルレアンに行きたいんです。でも、あの熊のせいで通れなくて、だから護衛をお願いしたいんですが……」


 健司はパーティーの男に、下手に出てお願いする。一方、ウェイドは、パーティーの二人を見て、何かを考えるように黙ったままだ。


 パーティーの二人は、ニコニコとして感じよさそうに口を開く。


「そういうことなら、全然かまいませんよ。僕たちもメルレアンに行くところでしたから。熊もついでに退治しておきましょう。僕たち、Bランクパーティの『ピンチベック』と申します。僕がボルフで、彼女はリゼと申します」


「本当ですか! やったぞ、ウェイド、これでメルレアンに行ける」


「ああ……」


 依然、ウェイドは何か不安そうに眉間にしわを寄せていた。


「それでは報酬の件ですが……」


「あ、はい。報酬なんですけど、僕らそんなにお金持ってなくて」


 ここからが問題だ。護衛を請け負ってくれるパーティーも報酬を聞いた途端に踵を返すのだ。


「……ふむ、いくらぐらいですか?」


「30シルバーチップなんですけど」


 ちなみに、護衛依頼の相場は1日1ゴールドチップ、つまり100シルバーチップとなる。これでは少々安い。


 ボルフとリゼはしばらくお互いに顔を見合わせている。やはりこれもダメか、と健司が思った矢先、ボルフの顔は明るくなった。


「いいでしょう、請け負います」


「あ、ありがとうございます! ほら、ウェイドもお礼!」


 ウェイドは未だに、何かを考えていた。健司は、なんでお礼を言わないんだ、とウェイドに怪訝な顔をする。


「それでは、30シルバーを全額前払いで」


 リゼが、自分のがま口を開けた。


「はい、それではよろしくお願いし――」


「――待った。報酬はメルレアンに着いてからだ」


 その時だった。ウェイドが待ったをかけたのは。ウェイドの制止に、『ピンチベック』の二人は露骨に嫌な顔をする。健司は、突然のウェイドの行動に、あたふたするばかりで使い物にならない。


「……こまりますねぇ。後払いですと、あなたたちが報酬を踏み倒すことも考えられる」


「それは、こっちだって同じだ。前払いで仕事放棄されたらたまったもんじゃない」


 ボルフは、深く息を吸い込んだ後に、考え込むように息を吐き出した。


「ならばこうしましょう、6割、つまり24シルバーを前金、残りは成功報酬ということで」


「だめだ。いくら何でもぼったくりだ。譲歩出来て五分五分、それ以上は受け入れられない」


「……わかりました、それでは前金を」


「オッケー、15シルバーだ。目の前で数えてくれ」


 『ピンチベック』の二人は、不機嫌そうな顔で15枚のシルバーチップを数える。


「たしかに、15枚受け取ったわ。それじゃあ、3時間後にニュー・クマンの正門で」


 そういうと、彼らは健司だけに礼をして、ギルドの外へ出ていった。


 健司は、ウェイドの語気の強さに萎縮した。少し礼がなさすぎるのではないかと、ウェイドをたしなめる。


「な、なあ、ウェイド。せっかく親切に請け負ってもらえるんだから」


「甘い、前金全額なんざ詐欺師の常套手段だ。健司、おまえカモだと思われてるぞ」


「……まじか」


 ウェイドは真剣な表情でうなずく、冗談でも何でもない、本気だ。おそらく口ぶりからして、ウェイドも騙されたことがあるのだろう。


「健司、記憶喪失の奴にこんなこと言うのは酷かもしれないけど、もっと気をつけろ。冒険者フリーランスなんざ、善人より悪人の方が圧倒的に多いんだ」


 たしかに、自分の思慮が足りなかったと健司は反省した。しかし、いくら相手が騙すつもりだったとはいえ、こんな形で護衛に入られたら多少なりとも心配は残る。


「にしても、こんな喧嘩別れみたいな形で護衛に入られても、後ろから刺されたりしないのか?」


「いくらむかつく奴がいるからって殺しはしないだろ……どんな修羅の世界で生きてきたらそういう発想になるんだ」


 ごもっともである。


「それに、Bランクとなると社会的地位もそれなりにある、俺たちなんかただの砂利にしか見えないだろうよ」


 確かに、いくら荒くれものが多いと言えど、Bランク冒険者フリーランスが社会的地位が約束されているというのなら、そんな危険な橋を渡るはずがない。


(考えてみれば、あの列車一族がえぐすぎただけか)


「それにな、健司。こういうのは後で誠心誠意謝っとけば、相手側の心象も変わるんだよ」


「まあ、確かにそうだけど」


「いいか、相手側の心象は変わっても、契約が変わることはないんだ。先に変わらないのを決めて置けば、後からいくらでも修正が効くんだよ」


 なるほど、このしたたかさが冒険者フリーランスの、もといこの世界で生き残るコツなのだろう、と健司はなんとなく実感した。


 §


 三時間後、やはり割高な昼食を済ませた後に、健司たちは正門で『ピンチベック』と合流した。


「さっきはすまなかった」


 ウェイドは、集合場所に着くと開口一番ボルフに頭を下げた。ボルフは、初めこそ怪訝な顔をしていたものの、ウェイドの誠心『嘘』意の謝罪により、すこし態度を軟化したようだ。その後も、ウェイドはボルフやリゼと会話を続ける。


「それでは、メルレアンまで、3時間ほどのお付き合いになりますがよろしくお願いします」


「「よろしくお願いします」」


 驚くべきことに、最終的には、ウェイドは『ピンチベック』に迎え入れられたのだ。


(俺には到底、真似できないな)


 健司は、ウェイドの手腕に、上手いと言わざるを得なかった。もっとも、ウェイドはいつもの様に、ニッと笑っているだけなのだが。


 ニュー・クマンから出発して一時間、昨日に巨大熊と遭遇したポイントに着いたが、今の所、見える範囲に熊の姿はない。


「健司さん。あのあたりからグアラリルが出没したんですね」


「ええそうです」


 『ピンチベック』たちは、周囲を警戒しながら街道の真ん中を通っていく。森は、昨日のことが嘘のように、静かなままだ。風の音と小鳥の鳴き声が、のどかに街道を走る。


「来そうにないな」


「ああ」


 健司たちも森の奥を見回すものの、あの巨大熊が出てきそうな気配はない。


「でも、どこかにいるはずなんですよねぇ」


 ボルフは、あの熊は縄張りに入ってきた獲物を隠れて監視する習性がある、といった。その情報が正しければ、今、健司たちは狙われているのだ。それも、見えない敵から。


 その時だ。再び、『森』が揺れた。気づけば、小鳥たちの鳴き声は全く聞こえない。静寂と緊迫感が健司たちを包み込み、四人は、さっき森が揺れた方向をじっと見つめる。一見、熊の姿は見えない。だが――



「――! 来るぞ!」


 ボルフがそういうや否や、巨大な影が四人を襲った。幸い、ボルフのおかげで、全員何とか熊の突進をよけることができた。


 熊は立ち上がり、再び街道の中央で健司たちの前に立ちはだかる。口からよだれを垂らし、大口を開けて、4人を威嚇した。昨日とは違う。完全に捕食に来ている。


 目の前の巨大な暴力の象徴ともいえる存在に対して、健司たちは何ができるであろうか。


「リゼ、援護しろ!」


「了解!」


 ボルフは、剣を抜き放ち、巨大熊『グアラリル』に肉薄する。グアラリルの剛腕の攻撃をひらりひらりとかわし、その隙に、リゼが弓矢を撃ち込んでいく。一方、戦力にならないことを自覚していた健司たちは、自分の身を護らんがために、必死に攻撃の余波から逃れていた。


 グアラリルは、しびれを切らしたかのように、咆哮を上げ、攻撃態勢をとる。


 それと同時に、リゼと呼ばれた女性が放った矢が、グアラリルの首に刺さった。


「やった!」


 手ごたえはあった。しかし、グアラリルは首筋に刺さった矢に意を返さず剛腕を振り上げ、リゼに突進する。死を予見したリゼの顔が、絶望に染まった。


「リゼ!」


 ボルフが叫ぶ。だが、爆音のような風切り音と共に、リゼは熊の剛腕に撃たれ、吹き飛んだ。ボルフは仲間を傷つけられた怒りと強大な敵への恐怖に突き動かされ、グアラリルに突貫する。その行為が危険だということは、素人目にも丸わかりであった。


「ボルフさん、落ち着いてくれ!」


 健司は、我を忘れて剣を振るうボルフに向かって呼びかける。しかし、ボルフは、健司の言葉が聞こえていないのか、叫び声とともに、グアラリルの右腕に剣を突き立てた。グアラリルの右腕の刺傷からは、どくどくと血が溢れかえる。獣のにおいが、健司たちの元まで届いてきた。


 獣臭さと、血のにおいが混じり合った匂い。これが、嘘偽りない、この世界での殺し合いの匂いだった。健司とウェイドは、その間に吹き飛ばされたリゼの元へ駆け寄る。


「健司、どうだ?」


「幸い、息はある。でも、長くはもちそうにない」


 確かに、息はしているものの、リゼの息は浅く、開いている眼も虚ろだ。剛腕がたたきつけられた右半身からは、腕や足から、骨折した骨が突出し、そこから血が流れ出ている。あと十分持つかどうかすらわからない。


「……健司、ボルフは置いて、メルレアンまで走るぞ」


 ウェイドは、健司の腕を引っ張り急かした。その言葉に、健司は己の耳を疑った。


「そんな、だって、おいていったらボルフさんは死ぬぞ!?」


「……っ! ふざけるな!」


 こんな状況下ですら、「甘ったれた」思考をしている健司に、ウェイドは声を荒げる。


「だからどうした、所詮は他人だ! 俺たちが死んだら何の意味もないだろうが……!」


 ウェイドが非道なのではない。この世界では、死んだら死ぬのだ。一時の感傷で危険にさらしていいほど、自分の命は安いものではない。そのことを、健司はようやく理解した。理解しただけに悔しい思いもあった。だが、まごついている時間はない、こうしているうちにも、いつグアラリルがこちらを狙ってくるかわからないのだ。


「健司、急ぐぞ!」


 健司は、もうどうすればいいのかわからず、まさしく死闘を繰り広げるボルフを見守るしかない。もたついている健司を、ウェイドは必死の思いで説得する。


「いいか、健司。お前はあいつらに罪悪感を抱いてるかもしれないけど、そんなことは気にしなくていいんだ。この護衛を受けたのはあいつらの責任。だから、俺たちは気に病む必要はないんだ……そう、ないんだよ……!」


 その言葉は、自分にも言い聞かせているようにも聞こえた。ウェイドだって人の子だ。いくら冒険者フリーランスの生き方が備わっているとはいえ、目の前で人が死ぬことに何にも思わないなんてことはない。しかし、それだからこそ、ウェイドは健司に逃げようと言っているのだ。


 健司に残された選択肢はただ一つ。ボルフを置いて逃げるしかない。口惜しさと惨めさと無力感が、健司を襲う。だが、今はそんな感傷に浸っている暇はない。


「ごめん、ボルフさん……」


 健司たちは、ボルフに背を向け、走り去ろうとする。その時だった。


 ――ドン!


 大砲の音が、健司たちの背後から聞こえた。振り返ると、騎士団の兵隊たちが、隊列を組んで、魔法を打ちながらグアラリルへと向かって言っている。大砲だと思っていたものは、魔法の着弾音であった。


 グアラリルは、魔法攻撃を振り払うかのように、再び咆哮を上げ、騎士団員の方へと向かっていく。つまり、ボルフから興味がそれたのだ。


 健司は、その隙を逃さずに、ウェイドの制止する声を振り切り、ボルフの元へと走り出す。正義感などという、崇高な精神ではない。健司は、この時、ニケの事を思い出していた。


 これ以上、自分のせいで人が死ぬことに、その責任を背負うことに、健司は耐えられなかった。そのちっぽけな、安っぽい自己欺瞞は、健司の死への恐怖心と天秤にかけられ、自己欺瞞が勝った。


「おい、健司。危ないって、いっただろ!」

 

「すまん。ウェイドは、リゼさんを頼む。俺はボルフさんを見てくる!」


「おい、待てよ健司。おい!」


 健司は、一直線に駆け抜け、倒れ伏しているボルフの前に着いた。


「ボルフさん。大丈夫ですか」


 ボルフは、目をゆっくりと開けて健司を見る。


「君か……リゼは、大丈夫なのか?」


 ボルフは、リゼ以上にボロボロの癖して、彼女の心配をしていた。その姿は、まさしく悲壮の一言に尽きる。


「ええ、いま騎士団が来ました。たぶん、僕たちは助かります」


 その言葉を聞いて、ボルフは安心したように大きく息を吐き出した。


「そうか、よかった……健司君といったね」


「はい」


「なかなか男気があるじゃないか、見殺しにされる覚悟もあったんだけどな……」


 健司は、ボルフから目をそらす。彼の目を直視することは、健司には無理だった。


「とにかく、ここで待ってて、動かないでくださいね」


「わかった。そうさせてもらう」


 健司は、ボルフを横に寝かせ、一息ついて立ち上がる。その瞬間、健司の背後に言い表せないほどの殺気が襲い掛かった。


「――健司! よけろ!」


 遠くから、ウェイドの声がする。その殺気と声につられて後ろを、振り返った時、そこには自分にむかって剛腕を振り上げるグアラリルの姿があった。


 『――健司の身体は、痛みを知覚するよりも先に、剛腕に叩き潰される』


 一瞬先の自分の姿が、健司の脳内に文字列として現れた。そして、その文字列の内容と同じように、健司へ剛腕が振り下ろされ――


「――シズレ・パターンBッッ!」


 その剛腕は、健司に振り下ろされるよりも先に、何者かの影によって蹴り刎ねられた。その影は、健司の目の前に着地し、構えをとる。


「二人とも、大丈夫!?」


 黒髪のショートカットに、、細いフレームの眼鏡をかけた少女。そう、シズレ=オースティンである。


「今助けるから、ちょっと待ってなさい」


 彼女は凛々しく飛び上がり、もう一発グアラリルを蹴りつけた。そのけりと同時に、グアラリルの身体から血が噴き出す。今度は、剣の刺し傷の比ではない、まるで噴水のように、血が噴き出ている。


 ――グォオオオオ!


 グアラリルは、一度姿勢を崩すも、最後の力を振り絞って立ち上がり、シズレに向かって攻撃態勢をとる。一瞬の静寂の後、グアラリルはシズレに向かって突進した。


 しかし――


「――シズレ・パターンA!」


 その攻撃を待ち構えていたかのように、シズレはこぶしを突き出す。健司の目には、その瞬間、何が起こっているかは分からなかった。ただ一つ分かることは、シズレのカウンターパンチをうけたグアラリルが、顔面から血を噴き出して絶命したことだけだ。


「グアラリル排除。要救護人保護をお願いします」


 そういって、シズレは、レヴィン達に振りかえった。その時、健司が目にしたものは、無数の銀色の刃に包まれたシズレの両手だった。だが、健司は、その両手の事を聞くよりも、彼女に礼を言うよりも先に、緊張の糸がプツンと切れて、意識を失ってしまった。


 §


 目を覚ますと、白色のテントの中で健司は寝かされていた。上体を起こして周囲を確認していると、白衣を着た軍医らしき男が、健司に話しかけてきた。


「まず、名前と名前を言ってただけますか?」


 おそらく、記憶喪失になっていないかのテストだろう。


「尾張健司、22歳」


「では、あなたが意識を失う前に何をしていたか、覚えていますか?」


 こんな様子で、3,4問ほどの質問に応えると、軍医は一言「よろしい」と言って、テントを出ていった。


 健司は、自分の右手をみて、グーとパーを繰り返したり、振ったりする。どうやら自分は生きていたようだ。そのことを確認して、健司は大きく息を吐いた。 

 今思い返しても、というより、今思い返すからこそ、どっと冷や汗が噴き出す。


 あまりにも無謀だった。もし、あと一秒でもシズレが遅れていたら、自分は文字通りひき肉になっていただろう。ボルフと同じように、自分もあの空気に飲まれていたのかもしれない。だが、そんな軽い言葉で水に流せるほど、あの時の自分の行動は……

 

 「許されるべきではない」、健司はそう考えて、少しためらった。あの時の行動の最適解は、ウェイドの言う通り『ピンチベック』を棄てて逃げることだった。だが、やはり、今になっても、健司はあの二人を見捨てることは出来ないと思うようになった。この行動は、偽善なのだろうか、いや、その言葉はしっくりこない。では何なのだろうか、健司はじっと左腕の線を見つめたまま、あの時の感情の理由を、自己欺瞞とした。やはり、あの列車の民族を皆殺しにしたことは――たとえ、向こうから危害を加えてきたとはいえ――、今まで平和に暮らしてきた健司の心に深い爪痕を残している。今回の無謀は、そのばつの悪さを自分なりに、無力ゆえの不器用な形で何とかしたかったのかもしれない。


 しばらくそんなことを考えていると、テントの入り口から、ウェイドとシズレの二人が入ってきた。二人はひとまず大丈夫そうな健司を見て胸をなでおろした。


 特にウェイドは、安堵だけでなく、呆れや称賛も入り混じった、複雑な心持で、健司に話しかけた。


「いや、もう、なんかお前スゲーわ。手放しには褒められないけどな」


 健司も、そんなウェイドの気持ちを察して力なく笑う。ふと、健司はピンチベックの二人の安否が気になり、シズレに問いかけた。


「何とか大丈夫よ。あなた達のおかげでね」


 その言葉を聞いて、健司はほっとした。


「ただし、そこの彼の言う通り、決して褒められた行動ではないわ。危険を顧みなさすぎよ。もっと自分の命は大事にしなさい」


「そうですよね……」


 健司は、自分の行動を思い返す。考えてみれば、死ぬのは自分だけではない、ウェイドを、ましてや自分を救ってくれたシズレも巻き込むかもしれなかったのだ。全員、無事に生き残ったのは、はっきり言って運が良かった。


 こんなことが、そう長続きするわけがない。健司は、またいつ顔を出すかわからない自己欺瞞に対して、そう言い聞かせた。


「ほら、そんな暗い顔すんなって」


 顔を上げると、またウェイドがニッと笑って、健司を起こした。


「多少……ていうか、めちゃくちゃ無茶なことしたつっても、お前のおかげでみんな助かったんだ。もっと胸を張れって、な?」


「それもそうね」


 ウェイドもシズレも、反省した様子の健司にやさしい言葉を投げかけてくれた。健司は、柔らかく微笑み、キャンプのベットから立ち上がった。


 キャンプの外にでると、日はすっかり傾いていた。何時間ぐらい寝ていたのだろうか。ゆるやかに流れる雲に、夕焼けが深い群青の影と燃えるような橙を塗っている。


「あ、シズレさん、ちょっといいですか?」


 ウェイドは、唐突にシズレに話しかける。


「私? 何か用かしら」


「いえ、ちょっと二人で話したいことがありましてね……」


 ウェイドは「ココじゃできない話」といって、シズレをキャンプ地の外へ誘った。


 健司は思う、ウェイドがまた悪い顔をしている、と。


 §


「え、賞与無し?!」


 ウェイドの目論見は完全に外れた。彼は、人命救助の御礼として騎士団から何らかの賞与をもらおうと思っていたものの、シズレに、「それは無理ね」と一蹴されてしまったのだ。せっかく、シズレをキャンプ外に呼び出したことは完全な無駄足だった。


「なんだってそんな殺生な。こっちは命を張って二人を助けたんですよ!」


「本来なら、もらえるんでしょうけどね……」


 シズレは、難しそうな顔をして、辺りを見まわす。キャンプ外には誰もいないことを確認すると、ウェイドにこう耳打ちした。


「賞与って、基本的に救助者からの御礼ってことになってるのよ」


「……あいつら金持ってないんですか? Bランクなのに」


「そこよ」


「え?」


「彼ら、『ピンチベック』の二人、Bランクじゃないの」


 ウェイドにしてみれば、二度見ならず二度聞きするほどの衝撃だった。冒険者フリーランスランクの偽証は重罪。全世界共通で冒険者フリーランスギルドから追放されると同時に、冒険者フリーランス産業の盛んなウェリス王国では、刑事罰もある。


「え、嘘でしょ? でも、あいつら結構ないい装備持ってましたよ」


「それもね、盗品なのよ。健司君の前だから、あの二人の素性は話せなかったけど、あの二人、冒険者フリーランスじゃなくてただの盗賊だったの」


「はぁ!?」


「きっと、適当にグアラリルと戦ったら、逃げるつもりだったのでしょうね。まあ、彼らが予想している以上にグアラリルが強かったから、高い授業料と一緒に、犯行は未遂に終わったのだけど」


 ウェイドの予想は、当たっていたのである。


「ってことはあれですか、救助者が塀の中に送られるから……」


「賞与は無しってことになるの」


 ウェイドは、心底残念そうに、空を仰いだ。顔に手を当てて、しばらくは現実を見たくなかった。


「えー……いや、えー? オレたち死にかけたんですよ」


「わかってるけど、騎士団がお金なんか出してくれないわよ」


 基本的に、お上はけち臭い。通商でそれなりに広い地域を渡り歩いているウェイドは、そのことについてはよくわかっていた。


「ですよねー、いや、それはわかってるんだけど……まじかよ」


 ウェイドは、本気で落ち込んでいる。その様子を見て、シズレは少しかわいそうに思ったのか、こう話を持ち掛けた。


「うーん、この街道を通ってるってことは、あなたたちもメルレアンに行くのよね?」


「ええ、そうですよ」


 ウェイドは、ようやく顔から手をどけた。


「これも個人的なお礼になるけど、一緒に駆動車に乗せてあげましょうか?」


「まじっすか!」


 ウェイドの顔が急に明るくなった。あいかわらず、いい性格しているというか、現金な奴である。急に元気になったウェイドに、シズレは思う所はあったが、それなりに快く、二人を駆動車に乗せる約束をした。


「いやー本当にありがたい!」


(これは……さっきまでのは演技だったのかしら)


 シズレは少し苦い顔をする。もっとも、ウェイドが落ち込んだのは本当で、『ピンチベック』の二人の正体にも驚いたことには変わりない。ただ、多少なりとも計算して大げさにふるまったのもこれまた事実である。


(まあ、いっか。悪いことをしているわけでもないし)


 シズレは、そうほほえましく思ってキャンプに戻る。


「ほら、急ぎなさい! 荷物まとめたらすぐに出るわよ」


 空はすでに完全な深い深い藍色に様変わりしていた。


 かくして二人は、無事メルレアンへとたどり着いたのだった。

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