メルレアンまで三千里(嘘)
「なるほど、じゃあ、あなたは本当に香取信明じゃないのね?」
「初めからずっとそういってたじゃないですか」
取り調べは、想像を絶するほどあっけなく終わった。というのも、簡単な話で、シズレ達――彼女らは騎士団だそうな――の用意していた「香取信明」の身体データが、健司とはあからさまに違うのだ。体重だけならともかく、身長は健司の方が7cmほど低い。身長が伸びることこそあれ、縮むことはないとの理由で、健司の疑いは晴れた。
シズレは、分厚くまとめられた紙の資料をまとめて、椅子から立ち上がる。
「長時間拘束して悪かったわね。ウェリス王国騎士団中隊長として、謝罪するわ。」
「いえ……」
ふざけんな、と悪態をつきたい気持ちもある。その場で調べればわかるようなものを、やれ拘束だの留置所にぶち込むだのと。だが、ここで噛みついても意味はないのだろう。健司は、胸のむかつきを抑えて席を立った。今までの出来事を思えば、このくらいは楽な部類だ、と自分に言い聞かせる。
それに、なんとなく泣き顔を見られたのが気恥ずかしくもあり、早くこのシズレという少女の前を離れたかった。
シズレに連れられて詰所の受付に出ると、彼女から小さい二つの麻袋を渡された。何かと思って中を確認すると、片方には干し肉、もう片方には緑色や青銅のチップがジャラジャラと入っていた。この世界の硬貨だろうか?
「これは……?」
「本来は駄目なんだけど、まあ、迷惑料ってことで」
シズレは、申し訳なさそうに目尻を下げた。
「本当はね、その場の人相確認でいいんでしょうけど、プロメセティからくる人間は全員拘束の末に調べろって、本部から指示があったのよ」
(なるほど、本部の指示か)
確かに、そうだとしたらシズレに怒りを向ける必要はない。……と頭では納得した。
「この迷惑料は、騎士団員というよりは、私個人の御詫びよ。許してちょうだい」
「そういうことなら。いえいえ、僕は大丈夫です」
この世界の住人もそんなに悪い人ばかりじゃないのかもしれない。
§
詰所の玄関をでると、ウェイドが誰かを待っている様子でそこにいた。
「誰か待ってるのか?」
「いや、実はお前待ちだった」
ウェイドは、目を細め口角を挙げてニッと笑う。これはあくどいことを考えている時の顔だ。
「さっき、騎士団の奴からなんかもらってたろ」
「……やらんぞ」
「貰いやしねぇよ。シェアだよシェア。こっからメルレアンに行くのは長いからな。ほら困ったときはお互いさまだって」
ウェイドは健司の手を取って、強引に握手をする。かなりなれなれしい行動にいい気分はしないが、メルレアンへの道を知っておくなら聞いておくべきだと考えた。
「メルレアンまで、どうやって行けばいいのかわかるのか?」
「ああ。オレも今から行くからな。ついてくるか?」
なるほど、これは渡りに船だ。
「ありがとう」
「じゃあ、袋の中身を……」
「ちょっと待て、それは話が別だ。第一、シェアってんならお前は何を持ってるんだよ」
「麻薬」
(……こいつは今なんて言った?)
健司は自分の耳を疑い、もう一回同じ質問をした。
「麻薬」
「いらんわ!! 第一なんでそんなもん持ってんだよ」
「いったろ、闇商人もとい冒険者だって。あ、あと水もあるぞ」
ウェイドは、やけに自慢げだ。やっぱりこの世界の人間は悪い奴の方が多いのかもしれない。
「まてよ……そういえばさ、ウェイドはなんでここにいるんだ?」
「え、存在否定までしなくてもいいだろ!?」
「そうじゃねぇよ! 俺は冤罪だったけど、お前は現に麻薬持ってたんだよな?」
「勿論、使うつもりはないけどな」
「じゃあ、なんでこんなにすぐ釈放してもらったんだ」
「…………」
「あ、わかった。言わなくてもいい。オッケー、大丈夫。もう何も言うな」
「ヤク渡せば、取り調べなんか五秒で終わるぜ」
「言わなくていいって言ったろ!」
ウェイドは、健司の突っ込みを笑ってごまかす。いや、ごまかしてなどいない、たぶん素で笑っているのだ。
「ところで、メルレアンまで行くんだろ?」
健司は、自身の目的を思い出す。そうだった、ここで漫才してる場合じゃない。
「そうだ」
とはいえ、メルレアンに着いてそこからやるべきことは何もない。曲がりなりにも目的のある今ならともかく、健司は先行きへの漠然とした不安を抱く。
「そうか。メルレアンに、誰か知り合いでもいるのか?」
「いや……実は、き、記憶喪失でな」
勿論、真っ赤な嘘だが、死んだらここにやって来たと言っても信じてもらえないだろう。
「まじか……」
ウェイドはしばらく考えた後に、
「だったら、俺の仕事を手伝ってくれないか?」
といった。
「いいのか?」
健司としては、全く当てのない現状、仕事の当てがあるというのは都合がいい。
「いいぜ、オレ、ずっと一人でやってたから。そろそろ仲間がほしいと思ってたからな」
ウェイドは、再び健司に健司に手を差し出す。その手を健司は固く握った。
「じゃあ、よろしくな」
「ああ、よろしく」
§
ウェイドの案では、詰所からメルレアンまで、ノンストップで歩いて8時間。詰所を出発したのが、大体11時頃であったから、休憩時間もろもろ含めても、一応今日中に着くことになる。
出発から今は5時間ほど、健司の足は棒のようになって、もう歩くのが嫌になっていた。ちょうどその時、健司は、街道沿いに、ニュー・クマンという小都市があるのを見つけた。
「ウェイド、今日はいったん休まないか?」
「いや、やめよう」
「宿とかが割高なのか?」
「そういうこった。あそこは、飯も宿も全部バカ高い。俺たちの財布じゃ、一晩休めても、メルレアンに着くころには文無しになっちまう」
「そうか……」
正直、もう歩きたくないのだが、たしかに懐は心もとない。結局、ウェイドの言うことに従い、そこには立ち寄らずに、まっすぐに街道を歩くことにした。
健司は、せめてもの気紛らわせに、周りの風景を見ながら街道の端をぶらぶらと歩く。すると、その行動は、ウェイドにとがめられた。
「健司。あまり街道を離れるな」
「そうか、わかった」
健司は、大人しく街道の中央に戻る。先人の言うことに異議を唱えるものではない。
「でもなんでだ?」
「魔物が出てくるからな」
(……魔物?)
ゲームかなんかかと思ったが、今、健司がいるのは紛れもない現実だ。そこの住人が出ると言えば、出るのだろう。
「じゃあ、一応聞いておくけど、出てきたらどうすんだ?」
「そりゃあ、お前」
ウェイドは、腰にぶら下げた短剣を引き抜く。
「短剣でグサーッ!とやってやるまでよ。Oランクと言っても俺は冒険者。ここいらで出てくる魔物なんて、瞬殺だ瞬殺」
ウェイドは、余裕な感じではっはっは、と笑った。こんだけ歩いているのに、疲れている様子はない。冒険者は伊達じゃないということだろう。
しかし、その時、街道脇の森が、ガサリと揺れた。木の枝が揺れたのではない。文字通り、『森』が揺れたのだ。
――ズシャアアッ!
直後、猛々しい足音をたて、健司たちの目の前に現れたのは、見上げるほどの巨大な熊であった。誰がどう見ても、理解できる。このデカさはやばい。
「お、おい、ウェイド。こ、こいつも短剣で行けるのか?」
「は、はは、は、そんなもん……」
ウェイドの短剣を持つ手ががくがくと震える。巨大熊は、そんな二人を一瞥して、吠えた。
「撤収ーーー! 健司、撤収ーーー!」
二人は、わき目も振らずに一目散に、さっき通り過ぎたニュー・クマンへと逃げていった。
§
ニュー・クマンには、割高な民宿と、割高な飲食店と、官制の冒険者ギルドが存在する。あの巨大熊の遭遇地点から、30分走り続け、ようやく健司たちはニュー・クマンの門へとたどり着いた。
「「に、逃げ切ったー……」」
どうやら、あの熊は縄張り外の物には興味を示さないらしく。ここまで追ってくるということはなかった。ようやく落ち着いて、辺りを見回すと、日は傾き、ポツポツと町に電灯が付き始めていた。
健司もウェイドも、もう歩く気力をなくしている。
「今日は、もうやめよう」
「ああ、オレもこれ以上は歩きたくない……」
その時、急に緊張の糸が切れたこともあり、二人の腹がぐぅ、となった。思えば、出発直後に昼飯としてもらった干し肉を食べたきり、何も食べていない。時間的にはちょうど夕食時なのだ。
「ウェイド。飯、どうする?」
「しょうがねぇだろ、高い金払って飯食うしか」
そういって、ウェイドは健司を連れてニュー・クマンの中へと入っていった。しばらく、街の大通りを歩くと、その突き当りにある大きな木製の建物の前に着いた。ウェリス王国官制の冒険者ギルドだ。依頼斡旋などのギルド業だけでなく、食堂も経営しているらしい。
「たぶん、ここが一番良心的な値段してるな」
「じゃあ、早く入ろう」
木製のドアを開けると、目の前に依頼掲示板とカウンター。そして、すぐわきには食堂の入り口が見えた。食堂からは、食欲をそそるバターのいいにおいがする。
食堂に入ってメニューを開くと、一般的な洋食のほかに、チーズやミルクが割といい値段で載っている。
一番高いチーズは、一切れで2シルバーチップ。
道中、10グリーンチップが1ブロンズチップ、100ブロンズチップで1シルバーチップ、100シルバーチップで1ゴールドチップと上がり、その上からは紙の手形で計算される、とウェイドに教えてもらった。それを思えば、このチーズは、2000グリーンチップということになる。健司とウェイドの全財産の半分以上だ。
「ずいぶん、高いチーズだな」
「いや、値段だけ見れば高いけど、このチーズはかなりの高級品でな。ニュー・クマンじゃ珍しく割安なんだ。ここはもともと畜産業が生業だったんだよ」
ウェイドによると、メルレアンとプロメセティの中継地点になったのは、鉄道ができたここ50年くらいだそうな。
「まあ、生で街の発展を見てきたわけじゃないから知らないけどさ」
(そりゃそうだ)
ちなみに、さっきのチーズをメルレアンで買おうとしたら、値段は二倍に跳ね上がるらしい。
「お待たせしました~」
そうこう雑談しているうちに、健司たちのテーブルにウェイトレスがきた。
「オレは、塩ハンバーグと野菜焼き、健司は?」
「じゃあ、俺はオムレツで」
「ご一緒に、特産ミルクはいかがでしょうか~」
「「いりません」」
安いと言っても高いものは高いのだ。
ウェイトレスがしょぼんとした顔で去った後、健司は改まってウェイドに頭を下げた。
「ウェイド、ありがとうな。本当に助かったよ」
「え、い、いや。いいってそんなこと。気にすんなって、な?」
ウェイドは、改まってお礼を言われたのが少し照れくさかった。だが、健司は率直に感謝の言葉を述べる。
「たぶん俺、お前がいなかったら死んでたよ。命の恩人だ」
「まあ、確かにここらでも魔物はいるし、記憶喪失じゃこの先つらいだろうしな……」
「本当に、ありがとう」
「おっけーおっけー。わかったよ、貸しだかんな」
ウェイドはそういうと、健司に頭を上げるよう言った。健司が頭を上げると、晴れ晴れとした顔で、ニッと笑うウェイドの顔が、そこにあった。
やっぱり、この世界の住人もそんなに悪い人ばかりじゃないのかもしれない。