俺より終わってる転生者はいないと思う
「……プロメセティ?」
全く聞いたことのない言葉だ。
「ココ ノ コトダヨ!」
ニケは、地面を指さした後、水平に円を描くように腕を動かす。きっと、ここ一帯が「プロメセティ」というのだろう。
「それに、いや、なんかもう聞きたいことが多すぎてよくわからん。言葉通りに解釈すればあれか?セセーは、自由自在に手から火でも出せるのか?!」
「ウン。キカンシャ モ セセー ノ ホノオ ノ オカゲ」
「……」
彼ら住民の中に一種の民族宗教があり、その教祖、というよりそのまま信仰対象がセセーなのだろう。これで、今までの違和感に全て片が付く。もし、手品かなんかは分からないが、自由自在に火を出せるとしたら、信仰体にも支配者にでも好きになれるだろう。
「ケージ セセー ガ イウコト ハ 絶対 ダヨ」
「ああ……」
健司の背筋に嫌な汗が流れる。
そのとき、ニケは突然立ち上がり、健司のベッドに腰かけた。健司は、ニケの行動に驚き、横に飛びのいた。
「突然なんだ!」
緊張のあまり声が裏返る、そんな健司をニケは微笑むばかりだ。その顔は少女とは思えないほどに、妖艶であった。
「『ハピノス』 ヲ ツクルノ」
「ど、どうやって!?」
するとニケは、いつも通り、朗らかに答えた。
「マズ ケージ ト コドモ ツクッテ ソノアト 『セセー ニ タベテモラウノ』!」
嫌な予感がする。
「ちょっとまて、食べてもらうってまさか……!」
これ以上は聞いてはならない。
「セセー ガ タベタアトハ カゾク デ タベルノ」
健司に、猛烈な眩暈と吐き気と寒気が同時に襲い掛かる。
これ以上は聞いてはいけないと、頭の中で声が鳴り叫ぶ。なぜなら――
「――ケージ モ イッショ ニ タベタデショ?」
健司の顔から、血の気がさっと引いた。ニケは、健司の表情の変化に気付かず、健司を抱こうとする。完全な恐慌状態に陥った健司は、無理やりもがきつつ、思いっきりニケを蹴り飛ばした。甲高く短い悲鳴の後、二段ベッドの柱に頭を打ち付けられたニケは、「ナンデ……」と呟き、気絶した。
健司は、何とかここから逃げ出そうと、半ば転がるようにして、ドアを開けた。だが、部屋の外に出た瞬間、右足に一瞬の冷たさと、そのあとに来る異常なまでの熱を感じ、健司は床に倒れこんだ。視線を右足に向けると、ズボンのすそは火に包まれていた。
「うぁ、ア、あ、ああああ!!!!!」
健司は、恐怖に耐えかねて絶叫する。火は、健司の悲鳴をあざ笑うかのように燃え続ける。健司は、気が動転して火を消すことも忘れて、這いずりまわり逃げようとする。健司の後ろから、かつん、かつんと足音が響く。その足音とともに、炎は消えた。
「だめじゃないですか、逃げたら」
セセーは、薄暗い客室廊下の灯りに薄っすらと照らされた邪悪な笑みを健司に向ける。健司は、ただ悲鳴を上げて、セセーから逃れようとする。だが、腰が抜けて立ち上がることすらできそうにない。すると、セセーの背後から、あの大男たちが現れた。大男たちは、健司を担ぎ上げ、肩に乗せる。必死の思いでもがくものの、大男たちはびくともしない。
「いやだ、助けて、たすけてくれぇえ!!」
健司は、声の限り、叫び続ける。だが、セセーたちは全く意に介することなく。列車の後部へと進んでいく。食堂車を超え、客車を超え、食糧庫をも超え、健司が担ぎ込まれたのは、そう、あの秘密の部屋である。
セセーがドアを開くと、幽かに輝くろうそくの光が、小さな祭壇を照らし上げていた。健司はもう理解していた。自分は、生贄にされるのだ。
「本来なら……きちんと多様性のために、種を残してからするのですが、致し方ない。ニケには後で教育が必要だ」
健司は、大男たちに床に抑えつけられ、セセーの話を聞くしかない。
「健司、あなたは神事を汚しました。あなたは私を侮辱したのです。その意味が分かりますか?」
「……」
健司に、何かを発する余裕も勇気もない、今は只、死の恐怖に身を震わせているだけだ。
「弱い者は、強い者に支配され、奪われ、管理されるべきです。ねぇ、そう思いませんか?」
セセーは、これ見よがしに、手も触れずにろうそくに火をともしていく。やがて、全てのろうそくは煌々と燃え、祭壇はその全貌を現した。
それは、紫の布が懸けられた直方体の祭壇で、隅や中央には、金製の金具が取り付けられている。中央の瞳の形であしらわれた金具は、健司の、その恐怖におののく顔を意地悪く観察するかのように見つめている。
大男は、もがく健司をやすやすと取り押さえ、祭壇の上に置く。セセーは、祭壇の裏に取り付けてあった断頭斧を手に持ち、口が裂けるほどに口角を上げ、嗤っている。
「セセー!やめてくれ、どうか、どうか助けてくれ!」
健司は、泣き叫びながら、救いを懇願する。セセーは、むしろその叫び声を楽しむかのように、健司の前に立った。
「さあ、健司。喜びなさい、あなたは生贄になるのですから」
ろうそくの光を反射して、断頭斧が、それについた血と脂が、ギラリと光る。自ら命を絶った男は、今になって生を懇願した。
「いやだ!まだ死にたくない!!」
その時だった。健司を押さえつけていた大男の一人が、突然苦しみだしその場に倒れた。口から泡を吹き、皮膚は青紫色に変色しきっている。
同様に、残りの二人も喉を抑えて苦しみだした。健司もセセーも状況が呑み込めずあたりを見回す。ろうそくの炎が、吹き消されるようにして消えた。月の光も入らない、完全な闇、しかし、その暗闇の中、白い霧状の何かが、大男たちの喉元にまとわりついていた。残りの大男たちもまた、うめき声を上げることもできずに、その場に倒れ落ちた。
セセーは、一瞬あっけにとられたものの、すぐに我に返り再びろうそくに火をともした。そこには、床に倒れ伏し、窒息死した大男たちと、左腕から血を流している健司の姿であった。
「な、な、健司さん……貴様、いったい何を……まさか――」
健司の視線は、唐突に血を流し始めた己の左腕にそそがれていた。そう、あの自殺跡にできた黒い線、そこから、鼓動に合わせてどくどくと血が噴き出している。その血は、腕から零れ落ちるたびに霧へと変わり、健司の周囲を浮遊する。
「お、俺だって、何が何だかわからねぇよ!」
健司もまたパニックになりながら叫ぶ。霧は、乱雑な動きのまま、セセーの首元にまとわりつく。
「くそっ! 見誤った……こんなに早く変異するとは」
健司は、その隙に這う這うの体で部屋から逃げ出す。
「もっと、警戒しておくべきだった――グッ……あ、グ、……うっ、あ、あ」
健司の背後で、セセーの呻き声が聞こえる。健司は後ろを振り返らずに、一目散に食糧庫のドアを開け、客車に乗り込んだ。
その瞬間、最後尾の車両は、爆発音とともに炎を上げ、その中からセセーが飛び出した。
「あの野郎……!絶対にぶっ殺してやる」
健司は客車を見回すも、そこに隠れられそうなスペースはない。
(終わってんな、おい!行くとしたら……食堂車か!)
健司は、後ろから近づく足音を振り払うように、客車を抜け食堂車に入った。食堂車には、大きなテーブルと食器棚、バーカウンターがある。
(テーブルは、外から見えるから論外、食器棚は中に物が詰まってたら隠れられない……となると)
そのとき、また後方から木が焼ける音とにおいがする。同時に、前方からも騒ぎを聞きつけたほかの住人が迫ってくるのが分かる。
健司は、バーカウンターの裏に身を隠し、息を潜めた。当然、ドアの方は見えなくなり、月明かりが映し出す影が、ぼんやりとキッチンの壁に映るばかりだ。
そして、轟音と共に、食堂車のドアは吹き飛び、セセーが入ってきた。
「どこに逃げた……前か?それともここに隠れたか?」
健司は、もう息をしているのかしていないのかわからないほど浅く静かな呼吸を繰り返す。だが、それに比例するように鼓動は早まり、線からあふれ出る血も増えていく。
もう片方のドアからも、住人がなだれ込むようにして入ってくる。
「お前ら、そっちに尾張健司は行ったか?」
セセーの声に、住人たちがどう答えているかは分からない。健司にできることは、ただ一刻も早くこの列車から脱出することだ。しかし、セセーの足音が、ゆっくりとこちらに近づいてくるのが分かった。
――カツン、カツン、カツン、カツン
あと一歩、あと一歩で、セセーはバーカウンターの裏側にたどり着く。健司は、あふれ出る涙を抑え、もはや息を止めていた。極度の緊張と失血と無呼吸状態によって、健司の意識が一瞬遠のく。そして、健司はバーカウンターに頭をぶつけ、物音を立ててしまった。その音を聞きつけた、住人達もバーカウンターに詰め寄る。
「――見つけた」
そういって、カウンターの上から、セセーのあざ笑うかのような顔が現れたのだ。
突如、健司の服とバーカウンターに火が付く。健司はあぶりだされるように、飛び出し、逃げ出そうとするが、セセーに腕をつかまれ、食堂車の中央に引きずり出された。
「もう油断はしない、今すぐ、この場で殺してやる!!」
そういって、再びセセーは断頭斧を振り上げ――
「――ネクロテクトリア」
健司は、無意識のままに言葉を紡ぎだしていた、その言葉と同時に霧は的確に、健司に仇為す者へ襲い掛かる。形勢逆転、セセーは、まとわりつく霧を払いのけるように火を発するが、それ以上の霧がセセーを包み込む。住民たちも、霧に惑わされ、まとわりつかれ、呼吸を奪われるばかりだった。
健司は、自分が自分でなくなる感覚を覚えた。何かが自分から引きはがされるような、しかし、抗いがたい模糊とした甘美な誘惑が健司を襲う。
だが、左腕に走った激痛のおかげで、健司は我に返った。
気が付くと、食堂車にいたセセーや住人は、皆、死んでいた。殺したのだ、自分が。
健司は、状況を理解できずに、ぺたりと床に座り込んだ。座り込んだ先で、真っ青になって息絶えているのは、ムータであった。
(俺は、人を殺したのか?)
わかっている。しかし、その事実を健司の理性は拒み続けた。その時、再び食堂車のドアが開き、健司はそちらに向き直る。
「……ケージ」
そこには、ニケが立っていた。彼女の顔面には、この世の全てに絶望しきった表情が張り付けられていた。もはや死体も殺人者も虚空すら見つめることなく、ただ純粋に目の前に立ち込める死を見つめるための表情。憎悪よりも悲しみよりも先に現れる、絶望の相が、彼女の表情には確固として存在していた。
セセーが死んだことによって、機関車は動きを止める。
「ニケ。これは、せ、正当防衛なんだ。俺は殺されかけて、だから――」
「――ケージ」
ニケは、ゆらりと立ち上がり、瞬きもすることなく健司の目を見つめる。睨み付けるのではなく、ただ、健司の瞳に視線を合わせて、ニケは言葉を発した。
「絶対に ユルサナイヨ」
彼女は、怒りの表情を露わにして、健司に襲い掛かる。彼女の細腕は、外見からは信じられないほどの力を以て、健司の顔面を打った。健司も、それに抵抗し、ニケを突き飛ばそうとするが、ニケは健司の腕にかじりついてまで、離れようとしない。
噛みつかれた左腕から、再び霧が噴き出す。その霧は、ニケの鼻を塞ぎ、彼女は飛びのき、悶える。
健司のそばには、バーカウンターから落ちた酒瓶が転がっている。健司は、その瓶を手に持ち、ニケの前に立った。
ニケは、殺意のこもった視線を健司に向けるも、健司が瓶を振り上げた瞬間、その瞬間だけ、復讐者ではない、自分の死に恐れおののく、一人の少女の顔に戻った。
健司は、殺せなかった。自分に仇為す殺人者ならともかく、目の前にいる少女は、一人の人間には違いないのだ。彼女の、あの一瞬の表情を見て、それでもなお酒瓶を振り下ろすほど、健司は非道になれなかった。
だが、健司の意志に反して、霧は容赦なくニケに襲い掛かる。ニケは、激しくむせ返り、窒息に苦しみながら健司を睨み付けていた。
「もういい、やめろ……」
その言葉は、誰に対していったのだろうか?
ニケか、それとも霧か。それはわからないが、霧は健司の言うとおりに、ニケから離れた。
霧から解放されたニケは、涙を流しながら、息を吸い込む。
「絶対に 絶対に ユルサナイ……」
ニケは、今の自分が目の前の男に勝てないことをわからされた。だが、それでも、自分の家族を皆殺しにしたこの男を、許すわけにはいかない。
健司は、何も言うことなく、列車を降りた。ニケは、もう襲い掛かるという様子ではない。だが、健司に声が届くように、呪いの言葉を吐き続ける。
「イツカ イツノヒカ 絶対に コロシテヤル 絶対に 絶対に 絶対に 絶対に……!」
健司は、その言葉を背で受けて、その場を立ち去って行った。
自分の罪はよくわかっていた、自分にとっては正当防衛でも、彼女にとっては家族を皆殺しにした殺人鬼だ。
だから、健司はとどめを刺すことなく、列車を降りたのだ。
真夜中の荒野に、少女の泣き声と少年の足音だけが響き渡っていた。
§
列車の進行方向に向かって、健司は黙々と歩き続けた。その間、脳内でニケの呪詛が延々と繰り返される。やがて、荒野の端の端に着いたとき、そこには長いトンネルが健司の間の前に鎮座していた。健司は、長時間の歩行で噴き出た汗を左腕でぬぐう、その時、出血が止まっていることに気が付いた。その代り、左腕の線には、鼓動とともに青白い光が放たれていた。
健司は、しばらくその光を凝視した後、再びトンネルに向き直る。ここを抜けると、メルレアンに着くのだろう。セセーの情報が、もし本当ならば……。ふと、健司は胃の中に残る人肉のスープについて思い出す。猛烈な嫌悪感と生贄のトラウマが健司に襲い掛かるが、健司は吐き出すのをこらえ、そのままトンネルを進んでいった。
次に食事にありつけるのが、いつになるのかわからないのだから。
これで、序章は終わり。健司の冒険は、死ぬまで続く




