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人間というもの  作者: 国見あや
9/16

ノート①

 授業の中で尊敬する先生から習ったことがある、社会人になってからの講座と言ったほうが正確かもしれない。


 カントの人間学の一部である。


 今はネットで自分の自由意思でそれらについても調べることが本などの文献から探すより一番早い、と感じる人も多いだろう。


 千夏はカントのあの言葉、その言葉と過去に書いたペーパー状のノートを探す。


 あった。一息深呼吸する。


 カント(人間学)


①わたしは何を知ることができるのだろうか(知識・認識)


②わたしは何をすべきなのであろうか、何を実現したらよいのか(倫理・道徳)


③人間とは何だろうか、人間がどうなのか、どうすればよいのか知っていれば、


実現できるーーーーー


私は何を期待していいのか、何を望むのがよいのだろうか(希望)



人間はこのように問う、少なくともカントはこう言っていたようだ。


 尊敬している先生が独自の意見を言ったものも千夏のノートには書き留めてある。


 人生のうえには何かの祝福がある。導きがあるのだ。

 そして、あなたが幸福になるのだけでなく、あなたが多くの人の幸福の源にならなくてはいけません。


 人生の態度に必要なことは「信頼」であり「期待」ではない。


 人間は経験を通して学ぶ。常に常に学ぶ。そして新しい可能性・発見を信じる。


 自分の無知を知りましょう。これはソクラテスの言葉でもあります。


 人生はその信頼でもって世界にひらく。新しい世界がひらかれる。


 心を開いて可能性を信じましょう。


 「現実」とは人間にとって可能性のありこと。ひとつひとつが人生の課題になっていく。


 


  -人間は限定されないものである!


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