絆の崖
この短編は後に長編展開する予定で執筆された小説です。なので敢えて曖昧に表現した部分があります。
絆の崖とある海岸沿いの崖の上にて……。
海の波が崖にぶつかり、水飛沫が岩礁から上がって陸に打ち付けた。風は海から穏やかに吹いて崖の上に生えた雑草がゆらゆらと激しく揺れる。太陽はすでに西に傾き、空をオレンジ色に染め上げていた。雲はこの弱い風のせいかカタツムリほどののっそりとした早さで流れていき、夕日によってその存在が更に強調される。
崖の周りには木々が一切なく、開けた草原だった。所々に風によって風化した岩が唯一目立った特徴と言えよう。
そしてこの場所の太陽が沈む地平線を指すように突き出た崖の先には一人の少年が佇み、西の夕日の空を太陽と共に見つめていた。
少年は紺色のマントに身を包み、茶色いシャツと黒いズボンを着て、右手には青い金属の杖が握られていた。茶色がかった髪が揺れる中、黄緑色の瞳はじっと空からは視線を離さない。
この崖に通うこと。それが彼の日課だった。毎日ここに立ち、ひたすらに空を見つめる。もちろんそれには理由があった。
少年の目的は1つ。ある友達を待っていた。ずっと……長い間この場所で。三年前に別れた友達の帰りを待つために……。
少年と友達はかつて一緒に魔法学院に通っていた。そして現に少年は一人前の魔法使いに昇格している。だが一方でその友達は魔法使いにはなれなかった。しかも今はもう学院には友達の個人の書類はない。いわば退学、または除籍となった。
なぜそうなってしまったのか、少年は知っている。別れてしまった理由も。終わってしまったことで全てを。自分は初めは納得し、今は納得出来なくなった理由だった。
自分はとある山奥の村に生まれた。だが、母親は幼少の頃に村を襲撃してきた竜によって殺され、父親も十四の時に今度は人間の襲撃によって村人ほぼ全員と共に亡くした。突然の不幸とそれが連続し、奪われていくことに自分は深い悲しみに打ちのめされ、絶望した。
それからは生き残った仲間と村を捨て、旅に出て山を越え、海を越えて遥々魔法学院にいるという父親の親戚の魔法使いの元に身を寄せた。自分にとっては藁にもすがる思いだった。
自分には居場所がない。だからこそ少しでも父親を知る人がいて、安住出来る場所を探した。仲間は自分の居場所があると言い残し、そこから静かに去って行った。それからの行方は分からない。
するとまた自分は1人になってしまった。だがそれで良かった。この魔法学院で友達を作り直し、幸せになればいい。苦難を乗り越えてまた再び笑顔を取り戻せばそれで……。
だが現実は残酷だった。魔法学院に入学するとまず初めに立ちはだかったのは勉学という壁。自分は村育ちで書物には慣れておらず、また文字の知識も疎かった。だから他の生徒とは遅れを大きくとってしまったのだ。魔法にまつわる基礎知識から薬草学に至るまでジャンルは広く苦戦を迫られた。
友達作りももちろん同時平行で進めた。自分と気の合う生徒に声を掛けて会話を交わしていき、友達を作った。そのうち勉強の時も、ペアになる時も一緒に行動し、寮のルームメートを決める際に一緒の部屋を取り仲を深めた。
これでいい。仲間さえいれば……自分は幸せだった。家族のいない境遇の中で友達は唯一の宝物で離したくないと強く願った。
しかし、そんな夢は儚くたったの一年で崩れ去った。何故なら勉学で彼と圧倒的な差が生まれてしまったのだ。自分は彼に追い付くために必死で勉強した。だが差は開く一方でそれと同時に話が段々噛み合わなくなってしまった。
そしてある時突然、親友だと思っていた彼から一方的に絶交を言い渡された。理由は自分よりも成績が格下の生徒だからというもの。あまりに身勝手で、残酷で……自分は何も言い返せなかった。それからは何度も話掛けたが、完全に無視され心は深く傷ついた。
自分は泣いた。成績の差によって唐突に絶交を言い渡す現実に。友達は成績で決めるものなのか。自分の成績が悪いからといって簡単に縁を切るのかと境遇の悪さを呪った。
それからは自分を庇う味方がいないことをいいことに学院の教師の見えない場所でいじめを受けるようになった。教科書が消えたり、酷いときには暴力を振るわれたりと生活が段々苦痛に変わってきた。
そんな苦しい時でも両親はもう助けてはくれない。共に旅をした仲間もいない。自分を救ってくれた魔法使いに相談したいが、全くといっていい程会えず、またいじめる者から口止めを食らう。絶望的な状況下の中で自分は一人闇の底へ堕ちていった。
しかし、ある時に突然その苦しい状況が変わった。それは自分が途中から学院に入ってきた編入生の相手をして欲しい、という学院長の頼みを受諾したときだった。しかも寮の部屋は一緒という条件付きで。
毎日に苦痛を感じ、ただ勉学に励むことだけに固執していた自分は了承した。仲間ではないが、誰かと一緒にいればむやみに攻撃されることはないはず。この辛さが少しでも和らぐのなら……。
自分はその時、友情や仲間意識すらなかった。ある一つの動く存在で、自分が虐められる可能性を下げてくれる要素。暗い瞳からはそんな見方しかできなかった。
だが、その入ってきた編入生はどこか不思議な人物だった。本当に世間どころか今までの生活スタイルを疑ってしまうほどに知識に疎い。それどころか、何もかもが初めてとばかりに失敗ばかりする。特に生活の基本に至っては。まるで外見相応の年齢とは違う知識の幼さがあった。
おかしなやつ。何故当たり前のことが出来ないのだろうか?
しかも更に奇妙だったのが、何かをした訳でもないのに怯えたようにこちらを見る視線。失敗をする度に、いや一言一言話す度にチラチラとこちらの様子を気にしている。おまけに失敗して散らかったものを片付けることを頼もうともしない。
授業の際もキョロキョロと不安そうに周りをよく見回すし、いつも一人行動で自由時間でも図書館の奥、誰もいないような場所にずっと籠り、出てこない。人々との会話の輪にすら入らない。
それを目の当たりにしたとき、その姿が今の自分の姿と重なった。人間に怯え、関わりを頑なに拒む姿が。
自分と……同じ。
それをいいとは決して思わない。でも、自分は何故か彼に親近感が湧いた。同じ境遇ならば自分の気持ちを理解してくれるのではないか、と。
そして……自分は勇気を出して彼に話掛けた。反応はあった。しかし、彼は自分以上に何かを恐れていたのか、なかなか話が弾まない。
それでも声を掛け続けた。自分には友達がいない。だから友達になって欲しい、と。そんな個人的な思いもいつしか込めて。
向こうは最初こそ一緒にいることに抵抗を感じていたが、段々と日を重ねていくにつれていつしか自然と自分に話を振ってくれるようになった。
会話は自分の故郷はどんなところか、何が好きで何が嫌いなのかなどありきたりな質問から始まったが、自分にとってはそれで十分だった。会話できて、一緒にいる。ただそれだけで心の底から安心できた。
しかし、全てが合うとは言えなかった。その友達と自分との間には圧倒的な差があった。
それは勉学。彼の勉強力は学院の中でもトップクラスで、最初は自分が教えていた基礎魔法をたった一ヶ月でマスターした。終いには自分と同じ学年の進級テストをほぼ満点という成績で合格し、年単位で開いていた差がたった半年で追い付いてきたのだ。
やがてクラスも同じになり、一緒にいるようにもなったことは嬉しかった。しかし、自分は同時に恐怖を感じた。このままでは自分が彼に追い越されるのではないか?そして以前のようにまた見捨てられてしまうのではないか?と不安になった。
クラスが一緒になってからは必死で勉強した。友達に見捨てられたくない為に。友達の成長は喜ぶべきことなのに、怖いのだ。
成績が友達を決める。それはある意味で正しいが、果たしてそうだろうか?とは疑問にも思わず彼に勝つべく教科書の魔法の内容を覚え続けた。
だが、現実は酷かった。いざ試験で実践したが、成功どころか失敗してしまったのだ。友達関係を巡る恐怖と緊張と、そして極度の疲労からだった。そしてその一度の失敗は試験の全てに影響した。
試験が終わり、自分は寮の部屋でうずくまった。余りに酷い結果に血の気が引き、一時は息が乱れた。こんな筈じゃなかった。本当なら、成功して……。
そんな精神が不安定な状態のときに友達は帰ってきた。あの時程怖かった経験はなかった。彼は自分にどんな言葉を掛けるのだろう?想像したくない。
しかし、友達が口にした言葉は自分が思っていたものとは違った。
「一緒に頑張ろう。僕が教えてあげるから」
「えっ……」
最初は冗談だと思った。あんな失敗をしてこんな優しい言葉なんてかける筈がない、と。自分の経験がその事実を否定しようとする。
「だって友達でしょ?今までは君が僕を助けてくれた。だから今度は僕が君を助けるよ」
正直嬉しかった。自分の失敗を決して責めようとはせず、逆に助けようとする。その温かい想いにただ安らぎを感じ、涙を流した。
このとき、自分が親友を求めていたことに気付いた。嘘偽りなく自分の話を聞いて、理解してくれる親友を。
また彼も同じものを求めていた。辛い過去、心にずっと押し込んでいた悲痛な叫びを受け止め、痛んだ心を癒してくれる親友を。
その日以降、自分と彼はより親密な関係になった。行動を共にし、一緒に楽しんだりときには一緒に悲しんだりした。お互いに気持ちを共有したり、魔法の演習ではペアを一緒に組んだり。互いに故郷がないという境遇もあって意見が良く合った。
ただ唯一彼とは合わなかったものがあった。そしてそれが原因で自分達の関係は脆くも崩れてしまった。
合わなかったもの。それは竜の見方だった。自分はこの頃、竜とは見境なく人間を襲い財を略奪を繰り返す邪悪な生き物だという認識を持っていた。また母親が竜によって殺された恨みもあってこの世界から絶滅まで追い込んでやりたい。そう強く願い将来には優秀な魔法使いになり、竜討士になると誓っていた。
だが彼は自分とは正反対の考えだった。竜は何も理由なく襲っている訳ではない筈だ。それに全ての竜が悪い決めつけるのはおかしい。竜の中にだって人間のことを理解している者もいる、と。
自分は親友の言うことが理解出来なかった。そして、同時に疑問さえ浮かんだ。何故そんなに竜のことを擁護しようとするのか、何故竜のことをそんなに知っているのか。自分は彼に尋ねたが、図書館の本で読んでそう思ったという答えしか返してくれなかった。
それだけを除けば彼との仲は良かった。良かった……筈だった。
それからは彼と共に一年間魔法を学び、友情を深めながら自分達は進級した。今年が最後の学院生生活となる年。悔いのないように勉学に励み、親友と一緒に卒業する。自分はそれを目標にしていた。
だが、この願いは叶うことはなかった。学院生最終学年の夏に親友は自分の元を去った。学院生に突如課せられたある必修課程がその引き金を引いた。しかし原因はそれだけではない。
何故いなくなってしまったのか?本当の理由は更に自明であった。別れてしまった理由は自分のせい。そう。自分が彼のことをちゃんと理解していなかったせいだった。彼は自分を深く理解してくれた。だが自分は彼の深い所まで理解しようとしなかった。
竜の見方という意見の食い違い。その壁を越えなかったことが別れという最悪の結果を出してしまった。
彼のことを理解したとき、自分は泣いた。そしてこれまでの自分を激しく憎んだ。どうして彼のことを分かってあげなかったのか。彼はその課目を苦しみながら、それでも自分のことを考え無理して受けていたのに。復讐にばかりに拘ったせいで……。
結局彼は自分の行いを許してくれた。元々理解した上で傍にいたのだから明白と言えば明白である。しかし自分は自らを許していない。今も尚、責任を感じ続けている。
別れる間際、自分も一緒に行きたいと頼んだ。親友いわく、自分の戦いに終止符を打つ為に旅を続ける、と。ならば自分も力になりたいと懇願した。
だが彼は自分を巻き込むことを拒み、代わりにある約束をした。必ず生きて戻ってくると。そして再び戻ってきたときには自分を連れて旅を一緒にしよう、と。
その言葉を残して彼はこの崖から飛び立ち、遥かな大空の彼方へ蒼い閃光と共に消えていった。それ以来、彼の姿を見た者はいない。
今も彼は異世界との間の旅をし、どこかの世界で戦い続けているだろう。魔法か……或いは科学か、とにかく何かの異能を持つ強大な敵と。彼自身が抱えた何かを果たす為に。生命を賭して。
だが、自分は信じている。親友は必ず帰ってくると。そしてそのときには自分が彼を今度こそ助けると誓っている。
自分はここで、親友と約束を交わしたこの“絆の崖”で……待つ。自分の前に広がる大空に再び蒼い閃光が瞳に写るそのときまで……。
崖に打ち寄せる荒波はいつもと変わらずうねり、空は青く澄んだまま、平穏な時を刻み続ける。
意見、感想があれば投稿お願いします。
少年の親友は一体何者か?恐らく解る人はいるでしょう。というよりあからさまですね。
長編を期待する人がいれば気長にお待ち下さい。