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牛になる

 食事の後、すぐ横になると牛になる。今まで何度も聞かされてきた言葉だ。だが人類史上本当に牛になった者が、果たして存在しただろうか。古今東西例を挙げるまでもなく、そんなことがニュースになったためしはない。

 しかしである。こんな言い伝えを聞いたことはないだろうか?

「食事の後、嫁に剥いてもらった一本のリンゴの皮をソバの要領で食べ、水風呂に浸かり、そのまま三千メートル級の高山に入山届を出さずに一人でアタックし頂上でフラッシュダンスを踊り、帰った足で喫茶店を二十件ハシゴした後、一升炊いたご飯を鼻から食べ、すぐ横になると牛になる」

 今回ある研究所が「言い伝えは真実」と確信するに足る、古い文献を入手した。

 ここに『人間は牛になれるか? ――限りなき挑戦――』と銘打たれたプロジェクトが始動することとなった。

 プロジェクトチームを任された大原泰蔵は、じつに憂鬱な日々を送っていた。

 何だ、このかぐや姫並みの無理難題は。こんなことで本当に牛になれるものなのか。いや実証してみなければ、何もわからない。

「大原隊長! ここに嫁とありますが、嫁でないといけないのでありましょうか?」

「嫁っていうんだから、嫁でないとダメだろ。彼女とか妹とかではいかん」

「隊員はみな独身で、嫁などおりません」

 仕方ないので、大原は自分の嫁を研究所に急遽呼び出し、リンゴを剥かせた。

 嫁の剥いたリンゴはあいかわらずジャガイモみたいだった。結婚して二十年になる。なのにこのザマだ。身の少なくなったリンゴを無理やり頬張る。

 そうではない、皮だ皮。一応一本につながっている皮をモクモクモク。次は何だ。水風呂だ。次は何だ。登山だ。服は着てもいいんだろうな。しかし、五十になるというのに高山というのは堪えるよ。

 大原はなんとか言い伝え通りにやり遂げた。その後で大原はピクリとも動かなくなった。「これは横になると言っていいのでしょうか?」

 隊員は疑問を感じたが、そのまま隊長の頭を北に向け合掌し、その挑戦者魂をたたえた。

 いやいやいや。まだ生きてる。横になってるだけだ。

隊長の奥さんも涙ながらに語った。

「志半ばで倒れはしましたが、このプロジェクトに関われて主人も本望だと思います」

 待て待て待て。もう喪服着てるのか、早いなー。本望でもなんでもない。まだ死んでないから!

 意識が薄れはじめる。

 あ、これヤバいかも。

 その時である。体全体がホタルのような淡い光りに包まれたかと思うと、まばゆい光へと変化した。金箔で覆われた蝶の幼虫状の姿になり、すぐに羽化が始まった。

「究極変態! 文献通りだ。新たなる生命体の誕生だ」

 興奮気味に叫びだす隊員。

 プスコン。羽化に急に勢いがなくなった。

「何が起こったのか、全くわかりません。実証は完璧だったはず。山には登ったし、フラッシュダンスも踊った。喫茶店をハシゴしたし、鼻から飯を食べた。何がいけなかったんだ……。あ」

 たった一つのケアレスミス。

「しまった! ソバだ。うどんと違い、ソバは噛まずに飲み込むんだ……」

 隊員はしばし悔やんだが、実験台になるのは自分ではない。

「やってしまったものはどうしようもない。隊長、もう一回ですね!」

「えーっ、また! ちょ、勘弁してよー。これで何回目ー」

 大原はぐったりとした表情を浮かべ、蛹の中からいそいそと這い出てきた。全裸に金箔を塗りたくった姿のままで。


「久しぶりにいい肉食ったな」

「あなたが早く帰ってくるなんて珍しいわね。それにこのお肉。どうしたの?」

「研究所でもらったんだ。ちょっとしたボーナスみたいなもんだよ」

 隊員は満腹感で眠気を催した。

「また、すぐ横になる! 牛になるわよ!」

「そう簡単にはならないよ」

 人が牛になることはない。あの無茶な文献を実行に移そうとしない限り。

 どうやら、人間から牛へと至る道も長く険しい、らしい。

                                     〈了〉


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