〜後編〜
……そして翌日、二人は五月に似合う誕生日プレゼントを求めて駅前を散策していたところ、運悪く偶然その場を通りかかった五月にその現場を目撃されてしまった。
浮気でもしてるんじゃないかと疑っていたことも相俟って、五月は尚好と綾里が裏で付き合っているのだと完全に誤解。
五月がまともに話せる状態じゃないと悟った綾里は、詳しいことは明日話しますとその場は一時解散し、今に至る、というわけである。
「えーと、先輩?」
「…………」
この状況を打破するため、綾里が意を決して五月に切り出す。
「とっても簡単に言ってしまいますとですね、昨日はその、尚好にちょっと買い物に付き合って欲しいと頼まれまして、あたしはそれで仕方なく付いてってやっただけで、ええと、決して先輩が思ってるようなことは何もないんですっ」
言い終えてから、これじゃ逆効果だと気付く。
尚好からも『お前そんな言い方したら余計勘違いするだろ馬鹿野郎』という意味が篭った視線が送られている。
気まずい沈黙の中、とうとう五月が重い口を開いた。
「……いいの。そんな無理に嘘吐いてくれなくても」
「いえ、ですから嘘とかそういうのじゃなくて……」
「本当はね。私、知ってたの。都野さんも、尚好のことが好きだったってこと」
「――っ!」
五月の突然の告白に、綾里の心臓がどくん、と跳ねた。
頬が紅潮していくのが、鏡を見なくても分かる。
「……え?」
尚好は、呆然としている。
「あ、ええ、えと、その、せっ先輩いきなり何言い出してんですか!」
落ち着かなければいけないと分かっているのに、うろたえてしまう。
自分の想いは、もう伝えることはないと決めていたから。
こんなところで、こんな時に、伝わってしまうとは、思っていなかったから。
動揺する綾里に構わず、五月は続ける。
「あの年の四月に尚好が入部してきて、トランペットパートで一緒になって。こんな無愛想な私にも話しかけてきてくれることが凄く嬉しかった。いつも放課後遅くまで頑張って練習してて、努力家なんだなって思った。気が付けば、そんな尚好のことが好きになってた。だけど、尚好の傍にはいつも都野さんがいた。仲良さそうな二人を見てて、私、嫉妬してた。尚好と一緒に笑ってる都野さんが、羨ましかった」
そこにいるのは、尚好が知っている、いつものクールな『美原五月』ではなかった。
恋をして、恋に悩み、恋に苦しんでいる、一人の少女がいた。
一人の恋する少女が、瞳一杯に涙を溜めて、膝の上で両の拳を握り、何かに怯えるように、震えていた。
「だから私はあの日、都野さんを誘った。都野さんが、尚好のことを好きなのか確かめたくて。私だって尚好のことが好きだってことを言いたくて」
そこまで言って、大きくしゃくりあげる。
もう店の中の雰囲気は大変なことになっている。
店内にいた誰もが、五月の独白に耳を傾けていた。
が、当事者の三人にはそんな周囲の状況に気を配っている余裕は無い。
「都野さんが尚好のこと好きなのは、訊かなくても話していたらすぐに分かった。なのに都野さん、私のこと応援するって言ってくれて。だから私、それに甘えちゃって、都野さんも尚好のこと好きだって分かってるのに……だから、こんな私はひどい女だから。私に二人のこととやかく言う資格なんて無い……」
それきり、五月は何も言わなくなった。
店内は静まりかえり、五月のすすり泣く声だけが響く。
「……」
綾里には何も言えなかった。
憤りは感じない。
あの相談がそこまで計算されていたものであったとしても。
自分が身を引いたのは、自分で考え、自分で決めたことなのだから。
それでも、そのことが、五月をここまで悩ませていたことがショックだった。
「五月……」
どうにか、尚好が言葉を紡ぐと、五月ががたん、と音を立てて、椅子から立ち上がる。
「ええと、その、ごめんなさい。だから私のことはいいから。私はもう十分幸せにしてもらったから……ね? 後は都野さんを幸せにしてあげて? 崎原君、今までありがとう。さよなら……っ」
「え、ちょっ、五月!」
一気にそう捲くし立てると、尚好の静止も訊かずに、五月は喫茶店から出て行った。
ドアノブに取り付けられたベルが、大きな音を立てて鳴り響く。
「五月……」
追いかけそびれた尚好は、呆然とその場に立ち尽くしている。
「……ねえ、さっきー」
意を決して、口を開く。
「な、何だよ?」
次の言葉を発する前に、大きく息を吸って目を閉じた。
これは、奇跡的に転がり込んできた、本当に本当の最後のチャンス。
今、ライバルはいなくなった。
出て行った彼女を追いかけようとしている彼の手を握ってでも、抱きついてでも、引き留めてしまえば。
それだけできっと、二人の立場は逆転する。
『ただの友人』は『彼女』に。
『彼女』は『ただの先輩』に。
ここを逃せば、自分の敗北は決定的なものになる。
だから、次に自分が発する一言で全てが決まる。
彼を自分のものにしたいなら。
数年越しの秘めてきた想いを、成就させたいのなら――。
「あたしね、ずっとさっきーのことが好きだった」
彼女はようやく、自分の想いを、自分の口で、カタチにした。
「え? あ、いや」
「けどね」
更に続ける。
「さっきーが先輩のこと好きなのはずっと知ってたから、言い出せなかった。だって振られるのが分かってるのに、告白するなんて馬鹿みたいじゃん?」
「綾里……」
「だからあたしは身を引いた。好きな人が好きな人同士で一緒にいることが一番幸せだと思うから」
――……ああ、結局あたしは、どこまでいってもこんな役回りなんだな。
心の中で、自嘲気味に呟く。
「だから、あたしはさっきーのことが好き"だった"」
あの時告白していたらあるいは、なんて仮定を、彼女はまた繰り返す。
「さっきーは、美原先輩のこと、好き?」
その度に、どうしようもない後悔が、ちくちくと胸を刺すのだろう。
「……ああ」
だけどそれでも、彼女は背中を押す。
「だったら何してんのさ? こんな終わり方でさっきーは納得できるの? 出来ないでしょ? 何迷ってんだか知んないけど早く追いかけなよ。絶対まだ間に合うから。あたしが保障したげる」
ずっと前から彼女が好きだった彼は、美原五月のことが好きな『崎原尚好』なんだと、分かっているから。
だから彼女は胸を張って、『後悔なんかしていない』と、精一杯の笑顔で強がれるのだ。
「……ああ!」
がたんと立ち上がり、先程の五月のように、店を出て行こうとして、
「綾里」
ドアノブに手をかけたところで立ち止まった。
「ん?」
「その……ありがとう。僕なんかのこと、好きになってくれて。それと……ごめん」
その『ごめん』には、いったいどれだけの想いがこめられていたのか。
「っ……んなこといいからさっさと行きなさいよ、馬鹿」
必死に涙を堪える。
――泣くなあたし。
――まだ泣いちゃ駄目だ。
――……もう少し、もう少し我慢しなきゃ。
「ああ!」
尚好は力強く頷くと、店のドアを開け放って外に出て行った。
「……あーあ」
嘆息して、天井のライトを見つめる。
「ほんっと、あたしってば昔っからこういう損な役回りばっかだわね」
二日前、呟いた言葉。
薄ぼんやりと輝く白色球が、涙で滲む。
「っふ……っく」
下唇を噛み締める。
温かい涙が、頬を伝う。
「はい、これサービス」
ことり、とテーブルの上に何かが置かれる。
視線をテーブルの上に戻すと、そこにはチョコレートケーキが載った白い皿。
充血した目で、いつの間にか傍らに立っていたウェイトレスを見る。
「よく我慢したわね。偉い偉い」
微笑みながら、ウェイトレスは綾里の頭をぽんぽん、と優しく撫でた。
「……っ」
何の事情も知らないはずの、彼女がどれだけ彼のことを思っていたかも知らないはずの、他人の言葉。
でもそれは、綾里が最も必要としていた言葉。
「……っふわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあん」
「うん、いっぱい泣いちゃいなさい。明日からまた笑えるように。ね?」
この日ようやく、都野綾里の恋に、本当の意味で決着がついた。
この後、二人がどうなったかに関しては、敢えて語る必要はないだろう。
恐らくそれは、誰もが予想しうる結末だから。
だから、最後にもう一つ。
これは彼女が、彼に恋心を抱いた時のお話。
◇………………◇………………◇
綾里と尚好が、まだ一年生だった頃。
その年の高校吹奏楽コンクールの結果は銅賞。
県大会への進出は、叶わなかった。
コンサートホールでの表彰式を終え、楽器類を部員の父兄の車で学校まで運んでもらった後、駐車場の隅に集まって、ミーティングが行われていた。
「えっと……今年はこういう残念な結果に終わってしまいましたが、皆は精一杯頑張ってくれてたと思います。頼りない部長だったけれど、ここまで付いてきてくれて本当にありがとうございました」
このコンクールで部活を引退する部長が、目を充血させ、涙を拭いながら掠れた声で言う。
「…………」
この時綾里は、とてもいらいらしていた。
中々終わらないミーティングに対してではない。
他の部員たちの態度に、である。
部長をはじめとした三年生は皆、不甲斐ない結果に対して涙を流し、沈痛な面持ちで部長の言葉に耳を傾けている。
しかし、こうして部長が話している間に、一、二年生の数人が、小声で下らない話をしては笑っている。
それが、綾里には許せなかった。
先輩たちの苦労を笑っているようで。
「……それじゃ、解散にします。お疲れ様でした」
部長の話、連絡事項が終わり、号令と共に解散。
部員がそれぞれの帰路につくために散らばっていく。
そんな中で、ある部員とのすれ違いざま、綾里の耳にこんな言葉が聞こえてきた。
「あー……やーっと終わったな」
「これで明日からは夏休みだ」
綾里の中で、何かが音を立てて切れた。
――……お前らみたいなのが。
――もっとちゃんと頑張っていれば……!
金賞が取れていたのかと問われれば、それは分からない。
結果として彼らは努力をせず、いい結果は残せなかったのだから。
それでも。
今の一言で、先輩達の三年間を土足で踏み躙った彼らが、許せない。
部活を辞める覚悟で顔面に一発ぶちかましてやろうと、綾里が振り返ったとき、
「ほんとっ、すいませんでした」
ぴたりと、動きが止まった。
声のした方に目をやる。
「そ、そんな謝らないで。崎原君は十分頑張ってくれてたから……」
そこにいたのは部長に頭を下げ、声を詰まらせ、涙を流す男子部員の姿だった。
「でも……僕、何か申し訳なくて……」
「大丈夫、崎原君が頑張ってたのは、私達皆知ってるから」
綾里も、その男子生徒の努力は知っていた。
いつも練習熱心で。
いつも、誰よりも遅くまで残って楽器を吹き続けていた。
だから、彼は泣けるのだろう。
先輩のために頑張ろうと。
誰よりも一生懸命だったから。
彼は先輩達と一緒に、涙を流せるんだろう。
「…………」
頬を殴ろうと握り締めていた拳から、力が抜けていくのを感じた。
――……あいつ、崎原、なんて言うんだっけか。
綾里は、そんな彼のことを、もっと知りたいと思った。
◇………………◇………………◇
散々泣き喚いた後、綾里が喫茶店を出た頃には、太陽はその半身を既に、西に見えるビル群の合間に沈めていた。
「……うん、何かすっきり」
今まで両肩にのしかかっていた荷物を、ようやく下ろせたような間隔。
同時に感じる、僅かな喪失感。
ポケットの携帯電話が震え、メールの受信を告げた。
取り出して、確認する。
差出人は、五月だった。
書いてあるのはたった一言。
『ごめんなさい。ありがとう。』
「……ふん」
何だかんだで元の鞘に収まったらしい。
両者共にお互いのことを好いているのだから、当然と言えば当然の結末ではあるが。
ぱたり、と携帯を閉じる。
「見てなさいよ。絶っっっ対、いい女になってやるんだから」
いつか、後悔させてやる。
自分を振ったあいつに、。
そしていつか、見返してやる。
クールなようでいて実は不器用な、あいつの彼女のことを。
綾里は夕暮れの空に向けて、決意を籠めた両の拳を突き出した。
……いや、もう何と言いますか、小説が全く書けなくなってました。随分とまた、お待たせしましたが、ようやくこの『不器用なあいつの彼女』も、完結です。文章のおかしな点の指摘、感想、批評、このオチは納得いかない、なんて意見でも構いませんので、最後まで目を通して下さった皆様は、ぜひメッセージでも残していただけたらな、と思います。それでは、ここまで読んでくださって、ありがとうございましたm(_ _)m