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〜中編〜

 その後、話題は再びお互いの近況報告へ戻り、二人が喫茶店を出る頃には、太陽はその半身を既に、西に見えるビル群の合間に沈めていた。

「本当にごめんなさい都野さん。こんな時間まで引き留めちゃって……」

「もー……だからそんな他人行儀なこと言わないで下さいよ。あたしも久々に先輩の顔見れて嬉しかったんですから」

 申し訳なさそうな五月の言葉が不満であると主張するように、唇を尖らせて頬を軽く膨らませる綾里。

「……うん、私も久しぶりに楽しい時間を過ごさせてもらったわ。ありがと都野さん」

 苦笑混じりの五月の言葉にとりあえず満足したらしく、笑顔で頷く綾里。

「それでいいんです。とりあえずさっきーの件はあたしも少し調べてみますから」

「ええ、ごめ……ありがとう」

「ふふっ、何か分かったら連絡しますねー」


 喫茶店の前で五月と別れ、自転車を停めていた駅の駐車場へと歩を進めながら、綾里は携帯電話を取り出した。

「……にしてもほんっとあたしってば昔っからこういう損な役回りばっかだわねー」

 ため息混じりに呟きながら、アドレス帳から目的の人物を探す。


 元恋敵の相談相手。更に言うなら、内容の大半が自分の好きだった男との恋愛に関するものである。

 綾里の呟きは、そんな何とも言えない立場に置かれている己が身を嘆くような口調ではなく、逆にその状況をどこか楽しんでいるような響きがあった。

「先輩の話だとこの時間につかまるか微妙かなー……ま、そん時はメッセージでも残しときゃいっか」

 目的の人物を見つけ、電話番号を表示させる。

 電話をかける目的は一つ。

 綾里の予想通りであれば、多分今頃五月とはまた違った悩みに頭を抱えているであろう彼氏に対しての、ちょっとしたアドバイス。


「よっし、それでは恋のキューピッドがまたまた一肌脱ぐといたしますかっ!」 努めて明るく言って、通話ボタンを押した。

「つ、つ、つ、つっと……あ、もしもしさっきー? 良かった良かった繋がった。綾里だけどさ、今ちょっとお話、いーい?」




 ◇………………◇………………◇




「……不満があるなら言えばいいのよ。不安があるなら聞いてみればいいんだし、そのせいで傷つけちゃったと思ったなら謝ればいいじゃない。相手が何考えてるのか分かる人間なんていないんだから。本音を口に出してぶつけ合って初めてお互いの気持ちって分かるんだよ?」

「…………」

「それが出来ないなら、自分の本音を見せるのが怖いんだったら、さっさと別れちゃうってのも選択肢だと思う。今の状態続けてくのはさっきーにも、先輩の為にもなんないだろうし」

 戸締りよろしく、と小さく呟き、右頬を押さえたまま呆然と立ち尽くす尚好に背を向けて、綾里は音楽室から出た。

 ずずっと鼻をすすり、涙で濡れた目尻を乱暴に制服の袖で拭いながら、電気が消された真っ暗な廊下を歩いていく。


 何故、尚好に手を出してしまったのか。

『自分が五月と付き合っているのか、よく分からない』

 相手が他者であって自己ではない以上、相手の心情を自己が完璧に理解することは不可能である。

 それでも人は、互いを理解し合おうと努力する。

 互いの心を共有し、少しでも自らと他者の距離を縮めようと、互いの思いを口にする。

 だがそれを、尚好は否定した。

 五月の心に踏み入ることを、自らの心に踏み入られることを恐れた。

 そんな都合のいい考え方が、綾里には許せなかった。 


 それなら何故、今自分は泣いているのだろう。

「…………」

『お前みたいなの彼女だったら楽だったのになぁ』

 その一言が、どうしようもなく悲しかった。

 そんなことを口にしてしまうほどに尚好の心が疲弊していたことが。

 自らの気持ちを押し殺してまで幸せになって欲しいと願った二人の心が、少しずつすれ違っていくのが。 

 そして何よりも、


 『お前みたいなの彼女だったら楽だったのになぁ』


 その一言に怒りを感じた一方で、ほんの一瞬だけ、ぐらりと心が揺れた。

 揺れてしまった。

 尚好以上に自分自身が許せなかった。

 ほんの少しだけ。

 そう、ほんの少しだけ、綾里の心に、尚好の発言に喜びを感じた部分が、確かにあったのだ。

 二人が両想いだと知った時点で、自らの胸に秘めた想いは、このまま伝えることなく断ち切ろうと決めた。

 それを完全なものとするために、綾里は打ち上げの日、尚好に告白するように仕向けたのだ。

 だが、それは飽くまでも断ち切った『つもり』だったのだと、心の奥底ではやはり自分は尚好を諦めきれていなかったのだと言う事実を、否応無しに目の前に突きつけられた。

「っ……ふ……」

 こみ上げる嗚咽を必死に噛み殺し、綾里は未だにじんじんと痺れている左の掌をぎゅっと握り締めた。




 ◇………………◇………………◇




 綾里が五月と久方ぶりの再会を果たしてから、二日が経った。


 空は相変わらずの快晴。

 駅前広場は今日も相変わらず、行き交う利用者達の姿で埋め尽くされている。

 そんな、見渡す限り活気で満ち溢れている光景の中、

「…………うぁー」

 綾里は二日前と同じベンチに腰かけて青空を見上げ、『あたしの人生今度こそもう終わっちまったのです』とでも言うような、恐ろしく低い声を漏らした。

「ぁー…………」

 二十秒続いた後、徐々にフェードアウトして消えていったその呻きに今回込められていたのは、これから会う人間への不安のみである。

「……何やってんのさお前?」

 突然の問いかけにも動じずに、のろのろと顔を下ろし、声の主へと視線を移す綾里。

「……や。はおはおー」

 不審者でも見るような表情を顔に浮かべ、両手を腰に当てた姿勢で綾里を見下ろしている尚好の問いかけに、綾里は片手を上げながら、誠意の欠片すらも感じさせない挨拶で返す。

「……おはようさん。それで? 何でお前そんなにテンション低いんだよ? 熱射病にでもかかった?」

「残念ながらあたしのまいてぃーぼでぃーはそんなヤワじゃねーのですよ……ってかさっきーの方こそ何でそんないつものテンションでいられんのかって方がおかしいと思うんですよ綾里ちゃんといたしましては」

「? そりゃ、昨日のは勘違いされるようなシチュエーションだったけどさ。別に後ろめたいことしてたわけじゃないんだし、ちゃんと説明すればいつ……美原先輩だって分かってくれるだろ」

「はあ……さいでございますか」

 心底呆れ果てました、とでも言わんばかりにわざとらしい大きなため息を吐き、綾里は視線を再び頭上に広がる青空へと戻した。

「む……何だよその含みのある言い方は?」

「あたしは全っ然そんなつもりないけど?」

 流石に腹も立ってくるのか、綾里の言い方は意識せずとも棘を含んでしまう。

 この話が訳の分からない方向にこじれ、今ここで綾里がブルーになっているその最たる原因が(例え本人が無自覚でも)尚好にあるというのに、当の本人がこうもあっけらかんとしているのだから。

「何だってんだよ……あ、いつ……先輩っ!」

 五月を呼ぶ尚好の声に、慌てて視線を元に戻す。

「……お早うひさ……崎原君と都野さん」

 尚好の前だからなのだろう、五月の態度は、いつもの毅然とした、冷静沈着な『美原五月』のそれだった。

 が、何も浮かんでいないはずのその表情は、疲労感と悲壮感、言うなればダウナーな雰囲気を醸し出している。

 今の五月は、放っておいたら何処かのビルの屋上から飛び降りそうなほどに危い。

「いつ……先輩、どうかしました? どっか具合悪いとか?」

 察しが悪いと言うか何と言うか、誰のせいで五月がそんな状態にあるのか、尚好は本当に気付いていないらしい。

「あんたって人はホント……」

「な、何だよ?」

「あーもーいいからっ。とにかくほら、あそこの喫茶店行きましょ。詳しい話はそっからってことで。先輩もそれでいいですよね?」

「……え? ごめんなさい、もう一度言ってくれない?」

「…………」

 綾里は無言のまま五月の手をむんずと掴み、動揺する彼女をそのまま二日前に二人で入った喫茶店へと引きずっていく。

「……あ、ちょ、ちょっ待てってば!」

 そんな二人の様子を唖然と見つめること数秒、我にかえった尚好は、慌てて後を追い始めた。




 ◇………………◇………………◇




 二日前、綾里と五月が来た喫茶店の丸テーブルに、それぞれ向かい合って座る。

 前回と違うのは、何だか落ち着かない様子の男子高校生が一人増えているのと、三人を包む雰囲気の重さ。

「ええと……その……ご注文は?」

 険悪な空気を察しているのかウェイトレスが恐る恐る、といった風に、注文をとりにやってきた。

「あ、ええと……あたしレモンティーで」

「あ、じゃあ俺も。いつ……美原先輩はどうします?」

「……え? 何か言った?」

「……レモンティー三つでお願いします」

 逃げるようにカウンターに戻るウェイトレスを視界の隅に捉えながら、綾里は小さくため息を吐いた。

 ――……さて、どう切り出したものか。

 そもそも何故このようなことになっているのか?

 それを知るには、時間を二日前――綾里が尚好に電話をかけたところまで遡る。




 ◇………………◇………………◇




「つ、つ、つ、つっと……あ、もしもしさっきー? 良かった良かった繋がった。綾里だけどさ、今ちょっとお話、いーい?」

『あー悪いけど俺今忙しいから』

「あんたと五月先輩についての大事なお話なんだけど、それでも忙しいの?」

『……ちょっと待ってろ。すぐかけ直す』

 そうして電話が切れた数分後、バイブレーションと共に、綾里の携帯のディスプレイに『さっきー』の名前が表示される。

「いやー悪いわね」

『……どうでもいいような内容だったらすぐ切るぞ』

「どうでもよくないわね。簡単に言っちゃうと、あんた先輩に疑われてるわよ? 浮気でもしてんじゃないかって」

『……はあ?』

 綾里は尚好に、今日五月に会って相談されたことを全て話した。

 半月ほど前からの態度の変化。

 途絶えたメール。

 遅い返事と、素っ気無い文面のメール。

 切られる電話。

 五月の訪問。

 そこで訊かされた尚好の謎の行動。

『……ええと、それでお前、先輩に何て?』

「そりゃあたしだって鬼じゃないからね。彼氏のこと信じなくてどうすんですか? ってちゃんと言っといたわよ」

 それを訊いて幾らか安心したのか、尚好の身の縮むようなため息が、受話器を通して聞こえてきた。

『……ひとまずさんきゅー』

「さんきゅーじゃないわよ全くもー。なんであんたの浮気の尻拭いをあたしがしてやんなきゃなんないわけ?」

『浮気じゃないよ……これには深い事情が』

「冗談よ。さっきーのことだからどうせ、先輩の誕生日が近いってんで、バイトしてお金ためて凄いもんプレゼントしようとか考えてんでしょ?」

『――っ』

 図星だったのだろう、尚好が息を呑んだのが、気配で分かった。

『お前……エスパーか何かだったの?』

「あんたとの腐れ縁も何だかんだで三年目だからね、ある程度だったら考えてることお見通しなのよ」

 五月を励ましているとき、思い出したのだ。

 夏休みが始まる直前――ちょうど五月が、尚好の異変に気付いた頃である――の部活終了後のことである。




――あ、あのさ、都野。ちょっと訊きたいことがあるんだけど。

――んー? 何さ改まっちゃって?

――いや、その……お前だったらさ、誕生日プレゼントに何もらったら嬉しいと思う?

――……はっはーん、先輩の誕生日が近くて、彼氏としては何かプレゼントしようと思ったわけだ?

――う……だってさ、僕そんな経験今までなかったから、何あげたら喜ぶのか分からなくって……だから……。

 ――んー、まああたしだったら、好きな人からのプレゼントだったら何もらっても嬉しいかな。

 ――いやそんなんじゃなくて、もっとこう具体的な返答を……。

 ――あーもーそんなん自分で考えなさいっ。あたしは五月先輩じゃないんだからっ。




 こんな内容の会話をしていたことを。

「それで? お金の方は貯まったの?」

『まあ、一応は……でも』

「でも?」

『何をプレゼントすりゃいんだか……お前に言われて色々考えたんだけどやっぱり思い浮かばなくてさ。とりあえず何でも買えるようにってお金だけは稼いだんだ』

「……そんなことだろうと思ったわよ。ま、だから電話かけたんだけどね」

『……?』

「先輩の誕生日はいつ?」

『え? あ、え、えっと……あ』

「どうしたの?」

『……明後日だ』

「……あーもーあんたはホントに何て言うか、馬鹿よね」

『う……』

「……ったく、仕方ないわね。明日、駅前集合。お昼はあんたの奢りね。それくらいの報酬はいいでしょ?」

『え?』

「だーかーらっ、あたしが誕生日プレゼント選んであげるって言ってんじゃないの!」

『あ、さ、さんきゅー! ホントに助かる!』

「さ、先に言っとくけど、あたしの好みで選ぶから。先輩の好みと違っちゃってたってあたしは知らないからねっ」


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