妻と愛人で問い詰めると、子息が泣いた
「リーシェ、お願いだ。真実の愛を証明するには、お前が必要なんだよ!共に、幾つもの夜を過ごした仲じゃないか…」
「嫌だわ。貴方が妻帯者とは聞いておりません。婚約者がいると知っていたなら…私は早い段階から身を引いていました。それを隠していた貴方が悪いのよ!」
「婚約破棄中だと言っておけばいいだろう! さあ、『オホホ』と笑って俺の隣に来い!」
「私は悪役令嬢ですか!?」
――ブルージェム公爵子息。
いくら婚約者の方が大人しくとも、公爵令嬢の私を選ぶなんて…呆れてものも言えない。彼は嬉しそうに私を教室に呼び出し、婚約破棄を行うと宣言しだした。私が悲鳴を上げて歓喜すると思っていたのだろう、手にはクラッカーまで潜んでいる。
ちなみに、今は婚約破棄の事前練習らしい。
「マリア嬢は面白味がないのだ!ブツブツと独り言を呟いたかと思えば、これといって可愛げもない。守ってやりたいとも思えんのだ!」
「ええ…だからこそ、私が出向くわけにはいかないわ。彼女が可哀想だもの。追い打ちをかけるなんて」
私はそう言い捨てると、扉を閉めた。バタン、と大きな音が響くと、廊下には取り巻きたちが控えていた。
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
翌日。
私たち――取り巻きとリーシェは、中庭を堂々と歩いていた。「ブルージェム様の愛人ですって」「最近、調子に乗っていたと思えば…」と令嬢たちが声を張る。私に聞こえるような声で。
どうせあの後、腹を立てたブルージェムが噂を広め、私の方へ刃先が向くよう仕向けたのだろう。つまらないことをする…と又々呆れた。
すると、聞き覚えのある声が学園中に響いた。白薔薇の咲き乱れる花壇の向こう側に、物静かな令嬢が佇んでいる。その隣で断罪を突きつけているのは、言わずもがな分かる。ブルージェムは高笑いを上げた。
「はっはっはっ!俺は貴様の泣き叫ぶ姿が見たかったのだ!どうだ、婚約破棄された気分は!」
私の背後に控える取り巻きたちが頷く。やはり…昨日調べた通り、婚約破棄は中庭で行われたのだ。広げていた扇子を閉じると、私は真っ先に彼の方へ近づいた。
「そうだ!泣け…もっと泣け…あっ!愛しのリーシェではないか!奇遇だな、真実の愛を語ろうじゃないか」
ブルージェムはきらきらと目を輝かせる。
奇遇ですって…?私は徹夜で、この時間を見計らっていたのよ。彼の手前に立っているのは、やはりマリア辺境伯令嬢だ。
少し涙目になっている彼女は、噂通りの生真面目な令嬢で、親の決めた政略結婚にも反抗しなさそうな印象だ。
「リーシェ、これ以上噂を広めたくないのであれば、この俺と結婚するんだ」
…真剣な顔して、何を言っているんだ、この人は。ひそひそと話していた令嬢たちも、驚いて私たちを二度見している。
不届きな発言。過剰すぎる独占欲。
ブルージェムには何時も、何かが欠けている。正直に言えば…彼に婚約者がいたことは、重々承知していた。隠し通せていたとも、とても思えない。
辺境伯主催の夜会。国境近くでのガーデンパーティー。領地経営の補講。
マリア嬢からの誘いがあるにも関わらず、彼はいつも私と遊んでいた。そのことに、ずっと罪悪感があった。公爵家の娘だからかしら。継母や屋敷のことを優先するあまり、彼女に謝る機会さえ、ついぞ設けられなかった。
私はゆっくりとマリア嬢の方を向いた。彼女もゆっくりと私の方を向いた。無言で、二人して頷く。
扇子を閉じ、私は一歩踏み出した。ブルージェムが期待に目を輝かせる。その輝きが消えるまで、そう時間はかからないでしょうね。
「ブルージェム。少し、頭を冷やして考えてみて」
「な、なんだ改まって」
「貴方の父上は、今何をなさっているかしら」
ブルージェムの表情が、僅かに揺れた。
ブルージェム公爵。社交界でも指折りの厳格な方として知られている。跡継ぎの品行には人一倍、煩いとも聞く。私の継母が、いつだったか苦笑い交じりに話していた。あの公爵だけには、息子の縁談で恥をかかせてはならない、と。
「辺境伯主催の夜会。国境近くのガーデンパーティー。領地経営の補講」
指折り数えるたびに、マリア嬢がこくりと頷く。
「婚約者の誘いを断り、他の令嬢と逢瀬を重ねる。それが社交界にどう映るか、分かっていて?」
「そ、それは……俺とリーシェは純粋な……」
「純粋かどうかは、見ている側には関係ないのよ」
中庭に集まっていた令嬢たちが、しんと静まり返った。噂話の声も、どこかへ消えている。
「不貞の噂が立てば、父上が黙っていないわ。いいえ、もう既に何処かへ届いているかもしれない。社交界は思ったより、狭いもの」
ブルージェムの顔から血の気が引いていくのが、遠目にも分かった。
「跡継ぎとしての素行。婚約者への誠実さ。それが問われるのは、今この瞬間だけじゃない。父上が次期当主の座を考え直さない、とも限らないわね」
「っ……」
「貴方には弟君がいたでしょう。確か、辺境伯家とも旧知の仲だとか」
そこで初めて、ブルージェムの顔が青を通り越した。
「婚約破棄は結構。私も望むところよ。でも、このまま何食わぬ顔で次へ進めると思っているなら」
扇子を開く。
「買い被りすぎよ」
場が、静まり返った。
するとそこへ、マリア嬢が静かに一歩を踏み出した。か細い、しかし一切の揺らぎのない声で、彼女は口を開いた。
「一つだけ、よろしいですか」
ブルージェムがびくりと肩を震わせる。
「貴方様は先ほど、私のことを可愛げがないと仰いました」
「そ、それは……」
「補講の資料を整えたのは、誰のためだったでしょう。夜会の席次を調整したのは。父が無理を言って取り付けた視察の同行許可を、誰かさんが直前に断ったあの日、先方へ頭を下げに回ったのは」
一つひとつ、静かに、丁寧に。まるで帳簿を読み上げるように。
「独り言が多いと仰いましたね。そうです、多いです。でも」
マリア嬢は少しだけ目を伏せた。
「貴方様が来ない夜会で、一人で立っている間、話しかけてくれる方は誰もいませんでした。ですから、自分に話しかけるしかなかったのです」
中庭が、水を打ったように静まり返った。
「可愛げがないのは、存じております。愛想を振りまく術も、甘える方法も、よく分かりません。ですが」
彼女はゆっくりと顔を上げた。涙が一筋、頬を伝う。それでも声は、最後まで乱れなかった。
「婚約者として、できる限りのことはいたしました。胸を張って、そう申し上げられます」
ブルージェムは、何も言えなかった。
言葉を探しているのか、口だけが虚しく開閉している。取り巻きたちは揃って目を逸らし、令嬢たちの中からは、微かに鼻を啜る音さえ聞こえた。
私はマリア嬢の隣に並び、そっと耳打ちした。
「……大したものね」
「……少し、言いすぎました」
「いいえ、丁度よかったわ」
どさり、と音がしそうな勢いで、ブルージェムがその場に膝をついた。手に握っていたクラッカーが、虚しく地面へと転がっていく。
「…………うわああああああ」
令嬢たちが一斉に顔を見合わせた。取り巻きたちが困り果てた顔で彼を囲む中、私はマリア嬢へそっと手を差し伸べた。
「行きましょうか」
「……はい」
背後で嗚咽が続いているが、振り返るつもりはない。全く。正論というのは、時に刃よりも鋭いものね。それも二本重なれば、尚のこと。
私たちは泣き崩れるブルージェムを背に、白薔薇の花壇の脇を抜けた。遠ざかるにつれ、嗚咽はいよいよ大きくなっていく。取り巻きたちの困惑した声も、どこか遠くなっていった。
しばらく歩いたところで、私はふと足を止めた。
「……ところで、マリア嬢」
「はい」
「少し、確認させてほしいのだけれど」
「なんでしょう」
「マリア・ランベルト辺境伯令嬢……で、合っているかしら」
マリア嬢がぱちりと瞬きをした。
「はい、そうですが」
「…………よかった」
私は静かに息を吐いた。
「実を言うと、ずっと半信半疑だったのよ。学園内にマリアという名の令嬢が何人いると思う? 同じ学年だけで四人はいるわ。去年は六人いたもの。貴女に手紙を出すたびに、宛先を三度確認していたわ」
マリア嬢が目を丸くした。それから、こらえきれないように口元を押さえた。
「……リーシェ様、では」
「ええ。もしかしたら全く知らないマリア嬢に向けて、あれこれ根回しをしていたかもしれないと思うと……」
「三年間、文通していましたよね、私たち」
「だから余計に怖かったのよ」
堪えきれず、マリア嬢が笑い声を零した。品のある、しかし存外に朗らかな笑い声だった。私も釣られて、扇子で口元を隠しながら笑った。
三年間。手紙のやり取りだけで育てた、少し不思議な友人関係。顔を合わせる機会はいくらでもあったはずなのに、お互いどこかで遠慮していた。そのうちに、あの男が間に挟まり、妙な遠慮はいよいよ拗れた。
全く、随分と遠回りしたものだわ。
「改めて、よろしくね。マリア」
「……はい。よろしくお願いします、リーシェ様」
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
この一件は、その日のうちに学園中へ広まった。
婚約破棄の断罪を目論んだ子息が、逆に二人の令嬢に正論で泣かされた。しかもその二人は、終始穏やかに、一度も声を荒げることなく。
噂は噂好きな貴婦人たちの口から口へと渡り、茶会の席を越え、夜会の端から端まで駆け抜け、気が付けば社交界の隅から隅まで行き渡っていた。ブルージェム公爵が血相を変えて子息を呼びつけたのは、それから三日も経たないうちのことだったという。
当の二人はその頃、学園の外れにある小さなカフェで、のんびりと紅茶を飲んでいた。




