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妻と愛人で問い詰めると、子息が泣いた

作者: 夜明け前
掲載日:2026/03/03

「リーシェ、お願いだ。真実の愛を証明するには、お前が必要なんだよ!共に、幾つもの夜を過ごした仲じゃないか…」

「嫌だわ。貴方が妻帯者とは聞いておりません。婚約者がいると知っていたなら…私は早い段階から身を引いていました。それを隠していた貴方が悪いのよ!」

「婚約破棄中だと言っておけばいいだろう! さあ、『オホホ』と笑って俺の隣に来い!」

「私は悪役令嬢ですか!?」



――ブルージェム公爵子息。

いくら婚約者の方が大人しくとも、公爵令嬢の私を選ぶなんて…呆れてものも言えない。彼は嬉しそうに私を教室に呼び出し、婚約破棄を行うと宣言しだした。私が悲鳴を上げて歓喜すると思っていたのだろう、手にはクラッカーまで潜んでいる。


ちなみに、今は婚約破棄の事前練習らしい。



「マリア嬢は面白味がないのだ!ブツブツと独り言を呟いたかと思えば、これといって可愛げもない。守ってやりたいとも思えんのだ!」

「ええ…だからこそ、私が出向くわけにはいかないわ。彼女が可哀想だもの。追い打ちをかけるなんて」



私はそう言い捨てると、扉を閉めた。バタン、と大きな音が響くと、廊下には取り巻きたちが控えていた。





◆◆◆◇◆◇◆◆◆




翌日。

私たち――取り巻きとリーシェは、中庭を堂々と歩いていた。「ブルージェム様の愛人ですって」「最近、調子に乗っていたと思えば…」と令嬢たちが声を張る。私に聞こえるような声で。


どうせあの後、腹を立てたブルージェムが噂を広め、私の方へ刃先が向くよう仕向けたのだろう。つまらないことをする…と又々呆れた。


すると、聞き覚えのある声が学園中に響いた。白薔薇の咲き乱れる花壇の向こう側に、物静かな令嬢が佇んでいる。その隣で断罪を突きつけているのは、言わずもがな分かる。ブルージェムは高笑いを上げた。



「はっはっはっ!俺は貴様の泣き叫ぶ姿が見たかったのだ!どうだ、婚約破棄された気分は!」



私の背後に控える取り巻きたちが頷く。やはり…昨日調べた通り、婚約破棄は中庭で行われたのだ。広げていた扇子を閉じると、私は真っ先に彼の方へ近づいた。



「そうだ!泣け…もっと泣け…あっ!愛しのリーシェではないか!奇遇だな、真実の愛を語ろうじゃないか」



ブルージェムはきらきらと目を輝かせる。

奇遇ですって…?私は徹夜で、この時間を見計らっていたのよ。彼の手前に立っているのは、やはりマリア辺境伯令嬢だ。


少し涙目になっている彼女は、噂通りの生真面目な令嬢で、親の決めた政略結婚にも反抗しなさそうな印象だ。



「リーシェ、これ以上噂を広めたくないのであれば、この俺と結婚するんだ」



…真剣な顔して、何を言っているんだ、この人は。ひそひそと話していた令嬢たちも、驚いて私たちを二度見している。


不届きな発言。過剰すぎる独占欲。


ブルージェムには何時も、何かが欠けている。正直に言えば…彼に婚約者がいたことは、重々承知していた。隠し通せていたとも、とても思えない。


辺境伯主催の夜会。国境近くでのガーデンパーティー。領地経営の補講。


マリア嬢からの誘いがあるにも関わらず、彼はいつも私と遊んでいた。そのことに、ずっと罪悪感があった。公爵家の娘だからかしら。継母や屋敷のことを優先するあまり、彼女に謝る機会さえ、ついぞ設けられなかった。


私はゆっくりとマリア嬢の方を向いた。彼女もゆっくりと私の方を向いた。無言で、二人して頷く。

扇子を閉じ、私は一歩踏み出した。ブルージェムが期待に目を輝かせる。その輝きが消えるまで、そう時間はかからないでしょうね。



「ブルージェム。少し、頭を冷やして考えてみて」

「な、なんだ改まって」

「貴方の父上は、今何をなさっているかしら」



ブルージェムの表情が、僅かに揺れた。

ブルージェム公爵。社交界でも指折りの厳格な方として知られている。跡継ぎの品行には人一倍、煩いとも聞く。私の継母が、いつだったか苦笑い交じりに話していた。あの公爵だけには、息子の縁談で恥をかかせてはならない、と。



「辺境伯主催の夜会。国境近くのガーデンパーティー。領地経営の補講」


指折り数えるたびに、マリア嬢がこくりと頷く。


「婚約者の誘いを断り、他の令嬢と逢瀬を重ねる。それが社交界にどう映るか、分かっていて?」

「そ、それは……俺とリーシェは純粋な……」

「純粋かどうかは、見ている側には関係ないのよ」


中庭に集まっていた令嬢たちが、しんと静まり返った。噂話の声も、どこかへ消えている。


「不貞の噂が立てば、父上が黙っていないわ。いいえ、もう既に何処かへ届いているかもしれない。社交界は思ったより、狭いもの」


ブルージェムの顔から血の気が引いていくのが、遠目にも分かった。


「跡継ぎとしての素行。婚約者への誠実さ。それが問われるのは、今この瞬間だけじゃない。父上が次期当主の座を考え直さない、とも限らないわね」

「っ……」

「貴方には弟君がいたでしょう。確か、辺境伯家とも旧知の仲だとか」



そこで初めて、ブルージェムの顔が青を通り越した。



「婚約破棄は結構。私も望むところよ。でも、このまま何食わぬ顔で次へ進めると思っているなら」


扇子を開く。


「買い被りすぎよ」


場が、静まり返った。


するとそこへ、マリア嬢が静かに一歩を踏み出した。か細い、しかし一切の揺らぎのない声で、彼女は口を開いた。


「一つだけ、よろしいですか」


ブルージェムがびくりと肩を震わせる。


「貴方様は先ほど、私のことを可愛げがないと仰いました」

「そ、それは……」

「補講の資料を整えたのは、誰のためだったでしょう。夜会の席次を調整したのは。父が無理を言って取り付けた視察の同行許可を、誰かさんが直前に断ったあの日、先方へ頭を下げに回ったのは」


一つひとつ、静かに、丁寧に。まるで帳簿を読み上げるように。


「独り言が多いと仰いましたね。そうです、多いです。でも」


マリア嬢は少しだけ目を伏せた。


「貴方様が来ない夜会で、一人で立っている間、話しかけてくれる方は誰もいませんでした。ですから、自分に話しかけるしかなかったのです」


中庭が、水を打ったように静まり返った。


「可愛げがないのは、存じております。愛想を振りまく術も、甘える方法も、よく分かりません。ですが」


彼女はゆっくりと顔を上げた。涙が一筋、頬を伝う。それでも声は、最後まで乱れなかった。


「婚約者として、できる限りのことはいたしました。胸を張って、そう申し上げられます」


ブルージェムは、何も言えなかった。

言葉を探しているのか、口だけが虚しく開閉している。取り巻きたちは揃って目を逸らし、令嬢たちの中からは、微かに鼻を啜る音さえ聞こえた。


私はマリア嬢の隣に並び、そっと耳打ちした。


「……大したものね」

「……少し、言いすぎました」

「いいえ、丁度よかったわ」


どさり、と音がしそうな勢いで、ブルージェムがその場に膝をついた。手に握っていたクラッカーが、虚しく地面へと転がっていく。


「…………うわああああああ」


令嬢たちが一斉に顔を見合わせた。取り巻きたちが困り果てた顔で彼を囲む中、私はマリア嬢へそっと手を差し伸べた。


「行きましょうか」

「……はい」



背後で嗚咽が続いているが、振り返るつもりはない。全く。正論というのは、時に刃よりも鋭いものね。それも二本重なれば、尚のこと。


私たちは泣き崩れるブルージェムを背に、白薔薇の花壇の脇を抜けた。遠ざかるにつれ、嗚咽はいよいよ大きくなっていく。取り巻きたちの困惑した声も、どこか遠くなっていった。


しばらく歩いたところで、私はふと足を止めた。



「……ところで、マリア嬢」

「はい」

「少し、確認させてほしいのだけれど」

「なんでしょう」

「マリア・ランベルト辺境伯令嬢……で、合っているかしら」


マリア嬢がぱちりと瞬きをした。


「はい、そうですが」

「…………よかった」


私は静かに息を吐いた。


「実を言うと、ずっと半信半疑だったのよ。学園内にマリアという名の令嬢が何人いると思う? 同じ学年だけで四人はいるわ。去年は六人いたもの。貴女に手紙を出すたびに、宛先を三度確認していたわ」


マリア嬢が目を丸くした。それから、こらえきれないように口元を押さえた。


「……リーシェ様、では」

「ええ。もしかしたら全く知らないマリア嬢に向けて、あれこれ根回しをしていたかもしれないと思うと……」


「三年間、文通していましたよね、私たち」

「だから余計に怖かったのよ」


堪えきれず、マリア嬢が笑い声を零した。品のある、しかし存外に朗らかな笑い声だった。私も釣られて、扇子で口元を隠しながら笑った。


三年間。手紙のやり取りだけで育てた、少し不思議な友人関係。顔を合わせる機会はいくらでもあったはずなのに、お互いどこかで遠慮していた。そのうちに、あの男が間に挟まり、妙な遠慮はいよいよ拗れた。


全く、随分と遠回りしたものだわ。


「改めて、よろしくね。マリア」

「……はい。よろしくお願いします、リーシェ様」



◆◆◆◇◆◇◆◆◆



この一件は、その日のうちに学園中へ広まった。

婚約破棄の断罪を目論んだ子息が、逆に二人の令嬢に正論で泣かされた。しかもその二人は、終始穏やかに、一度も声を荒げることなく。


噂は噂好きな貴婦人たちの口から口へと渡り、茶会の席を越え、夜会の端から端まで駆け抜け、気が付けば社交界の隅から隅まで行き渡っていた。ブルージェム公爵が血相を変えて子息を呼びつけたのは、それから三日も経たないうちのことだったという。


当の二人はその頃、学園の外れにある小さなカフェで、のんびりと紅茶を飲んでいた。

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