オレンジ色の光
その日の私は、何とも言えない倦怠感に襲われていた。新宿駅南口の雑踏を抜け、埼京線のホームへ向かう地下通路を歩きながら、スマートフォンの画面に映る仕事のメールの数々に辟易していた。月曜の夜、終電の一本前。蛍光灯の白い光が、疲れた人々の顔を冷たく照らし出している。
車内に滑り込むと、まだ座席には余裕があった。窓際に腰を下ろし、イヤホンを耳に押し込む。しかし音楽をかける気力もなく、ただ無音のまま、窓ガラスに映る自分の顔を眺めていた。
次の駅で、一人の外国人女性が私の隣に座った。おそらく南アジア系だろうか。褐色の肌に、鮮やかな色のスカーフを巻いている。彼女が座った瞬間、香辛料の匂いが漂ってきた。クミンか、それともターメリックか。昼食の残り香なのか、それとも衣服に染み付いた生活の匂いなのか。
池袋を過ぎた頃、彼女は突然スマートフォンを取り出し、何の躊躇もなくビデオ通話を始めた。車内に、聞き慣れない言語が響き渡る。ヒンディー語か、あるいはベンガル語か。声は大きく、抑揚が激しい。周囲の乗客が、わずかに顔をしかめる。
私はイヤホンをしているふりをしながら、苛立ちを隠せなかった。公共の場でのビデオ通話。それも大声で。こんな時間に、一体誰と話しているのか。
しかし、画面の向こうから聞こえてくる声に、私の耳は否応なく引き寄せられた。子供たちの声だ。複数の、幼い声。そして老人の声。女性の声。
彼女の表情が、みるみる柔らかくなっていく。笑顔で、時に真剣に、画面に向かって語りかけている。その言葉は理解できないが、抑揚から感情が伝わってくる。心配する声、安心させる声、励ます声。
板橋、十条と過ぎても、通話は続いている。私は思わず、横目で彼女のスマートフォンの画面を盗み見た。
そこには、薄暗い部屋に集まった家族が映っていた。幼い子供が三人、年老いた女性、そして若い男性。向こうは夜明け前なのだろう。時差を計算すれば、あちらは早朝の四時か五時か。それでも家族は、遠く離れた彼女と話すために、眠い目をこすりながら画面の前に集まっているのだ。
彼女は画面に向かって、何かを見せている。コンビニの袋だ。その中から、お菓子を取り出して見せる。子供たちが歓声を上げる。そして彼女は、自分の頬を指差し、笑顔を作ってみせた。「大丈夫」と言っているのだろう。「元気にしている」と。
老女が何かを言う。彼女は何度も頷き、胸に手を当てた。「わかってる」「気をつけてる」そんな約束をしているようだった。
赤羽に着く頃、通話は終わりに近づいていた。画面の向こうの子供たちが、小さな手を振っている。彼女も、声を詰まらせながら、何度も何度も手を振り返した。
通話が切れる。彼女はしばらくの間、スマートフォンを見つめたまま動かなかった。そして小さく息を吐き、画面を胸に抱いた。
私は、自分が何を見ていたのか理解した。彼女は迷惑な外国人などではなかった。異国の地で働き、遠く離れた家族を支える一人の女性だった。あの香辛料の匂いは、祖国の食卓の匂いだった。あの大きな声は、何千キロもの距離を越えようとする、愛情の声だった。
私は、思わず微笑み返していた。
窓の外には、相変わらず無機質な東京の夜景が流れている。しかしその光の一つ一つが、先ほどまでとは違って見えた。どの灯りの下にも、誰かの物語があり、誰かの温もりがある。
スマートフォンの画面に残っていた仕事のメールを、私は未読のまま閉じた。代わりに、久しく連絡していなかった母親に、短いメッセージを送った。
「元気にしてる。また今度帰るね」
送信ボタンを押した瞬間、何とも言えず爽やかな気持ちが、胸の中に広がっていった。
車窓に映る自分の顔は、もう先ほどのように疲れてはいなかった。
芥川龍之介の「蜜柑」を元に、現代新宿だったらどうなるだろうと思いながら。




