第六章 刺客、勇者ユウを狙う
――王都の祝賀式から二日後。ユウは王宮内の客室で、便座型勲章を枕元に置きながら深いため息をついていた。
「……重いしでかいし……絶対学校に持って帰れないだろこれ……」
ミリアは部屋の椅子に座って、いつもの穏やかな表情で微笑んでいた。
「勇者様、その勲章は王国の象徴なんです。ぜひ大切に……」
「いや大切にはするよ?するけど……これ身につけて街歩いたら、完全に変なやつでしょ……」
ミリアは少しだけ肩を揺らして笑った。そのときだった。――コンッ。客室の窓に小さな石が当たったような音がした。
「……ん?」
ミリアが眉をひそめる。
「勇者様、誰かが……」
ユウは窓の外を見る。しかし誰もいない。王宮の庭園は静まり返り、月光だけが白く地面を照らしていた。
「気のせい……?」
そう言った瞬間――シュッ!!!影が弓なりに飛んだ。気づいたときにはもう遅かった。刃のように細い黒い紙片が、ユウの頬をかすめて壁に突き刺さっていた。
「うおわあああ!?何これ!?」
「勇者様、下がって!!」
ミリアが杖を構え、魔力の光が走る。影は天井へ跳び、壁へ移り、床へ滑り、やがてユウの真正面で静止した。“そいつ”は人型だった。しかし人ではない。全身が黒い紙でできており、折り目が鋭い刃になっている。紙で作られた忍者のようなシルエット。顔の部分は空洞で、穴の奥に冷たい光だけが揺らめいていた。
「……紹介しよう。我は……折影衆・漆ノカミ」
その声はひどく乾いていた。紙が擦れる音みたいだ。
「勇者よ。貴様の“解放力”が、この世界の均衡を乱す。故に、排除する」
ユウは全力で叫ぶ。
「やめて!!俺の腹を世界の脅威みたいに扱うのやめて!!」
しかし漆ノカミは聞く耳を持たない。指先から紙の刃を何枚も生成すると、扇状に広げた。
「お前の腸が封じた瘴気……我らにとっては力の源。浄化されては困るのだ」
ミリアはユウの腕をつかみ、後方へ引っ張った。
「勇者様、戦闘になります……気をつけて!」
ユウは涙目で叫ぶ。
「気をつけても俺は戦えないって!!腹痛スキルしかないんだって!!」
ミリアは盾の魔法を展開し、迫りくる紙刃を防ぐ。バチバチッと光が弾け、床に紙片が散る。しかし漆ノカミは動きが速い。瞬間移動したかのようにミリアの背後へ回り込む。
「遅い」
鋭い蹴りが放たれ、ミリアは床を転がった。
「ミリア!!!」
ユウが駆け寄るが、漆ノカミはすでに目の前にいた。黒い紙の手がユウの首元を掴む。薄いのに、異常な力だ。
「勇者……貴様を“折り潰す”」
ユウは震える。
「ま、待って!!俺ほんとに……今日出てないから……技出ないし……!!」
しかしその言葉を聞いた漆ノカミの眼光が鋭くなった。
「……出ていない?つまり貴様の腹に……溜まりつつあるということか」
シュッ!漆ノカミの顔が近づく。
「では“溜まりきって爆ぜる前”に殺すとしよう」
ミリアが血の気の引いた声で叫んだ。
「勇者様を離れなさい!!!」
魔法の光弾が飛ぶが、漆ノカミは片手で受け止め紙屑のようにひねり潰した。
「この程度……効かぬ」
ユウは必死に手足をばたつかせるが、まるで子どもが暴れているみたいに扱われる。そのときだった。――ぐるるるるる……。客室に、重低音の腹の音が響いた。全員の動きが一瞬止まる。漆ノカミの体が震えた。
「……この波動……まさか……!!」
ミリアが青ざめる。
「勇者様……!」
「やべ……本格的に来た……!!刺客より危険なのが……」
漆ノカミが後ずさった。
「これが……勇者の……原初の“解放前兆”……!」
黒い紙の体がビリビリ震える。
「こんな近距離で……受けたら……消し飛ぶ……!」
次の瞬間、漆ノカミはユウを手放し、壁を蹴って窓から飛び去った。風が切り裂かれ、紙片が散る。残されたのはミリアとユウのみ。ミリアは急いでユウを支え、目を真剣に見つめた。
「勇者様!!いますぐ王宮の“特級トイレ室”へ!!早く!!」
「そんな部屋あるの!?」
「あります!!急いでないと……この王宮が本当に吹き飛びます!!」
「だから出力どんだけなんだよ俺の腹!!!」
こうして、勇者ユウの身に最初の刺客が迫り、そして腹痛の高まりとともに逃げ去っていった。――しかし影の忍者“折影衆”はまだ七人。漆ノカミはそのひとりに過ぎない。ユウは知らない。これが、世界を左右する“腹の戦争”の幕開けであることを……。




