第三章 トイレの森と“最初の依頼”
――訓練場での地獄みたいな屈辱的レッスンを終えた翌日、ユウはミリアに連れられて王城の外へと出ていた。王国の外には“便座林”と呼ばれる広大な森が広がっている。名前に林がついているのに森らしい。森の木々をよく見ると木の形がちょっとだけ不自然で、枝が妙に曲がっていたり、幹が縦に割れて便座みたいに見えたりする。
「絶対わざとだろこれ……」
とユウは呟くが、ミリアは平然としていた。
「勇者様、今日は初めての依頼をこなしていただきます」
「依頼って……まさかまた排泄関係の?」
と警戒するユウに、ミリアは少しだけ笑った。
「半分は当たり、半分は違います」
「いや半分当たるんかよ」
ミリアは杖で森の奥を指す。
「この森の奥に“魔窟トイレ”という洞窟があります。その中に、小さな魔物が住み着いてしまったのです」「魔物……?」
「はい。“紙魚”という魔物です。紙を食べる小さな生き物ですが、放置すると王国中のトイレットペーパーが食べ尽くされてしまいます」
「地味に致命的だな!?」
ユウはツッコミながらも、訓練場で味わった“紙片嵐の恐怖”を思い出す。――ユウがまだ右も左もわからず王猫バルサミコ三世とミリアに訓練場へ連れられて初めて武術訓練を受けた日のこと。――訓練場に入った瞬間、ミリアは真剣な顔で言った。
「勇者様、まずは……“紙片嵐”を体験していただきます」
ユウはその響きにビビった。
(紙片?嵐?なんか軽そうな名前だけど……大丈夫だよな?)
そう思ったのも束の間。ミリアが小さく杖を振った瞬間、訓練場の空気が一変した。床に積まれていた大量のトイレットペーパー束が、突然ふわりと浮かび上がり、次の瞬間には風もないのに紙が千切れ、巻かれ、裂け、渦を巻きはじめた。
「え、ちょ、待っ……!?」
ユウが言い終わるより早く、白い紙片の暴風が襲いかかる。視界は真っ白。顔面に紙が次々と張り付き、息を吸えば鼻に紙粉が入り、立てば巻き紙が足に絡み、転べば勝手にほどけた紙が縄のように腕に巻きつく。
「ひぃぃぃぃいい!!?なんだこれ!!紙ってこんな狂暴だった!??」
紙とは思えないほどの質量と勢い。紙片が頬を叩けば普通に痛い。ミリアが冷静に言う。
「勇者様、これが“紙片嵐”。敵の攻撃にも、魔力暴走にも、環境災害にも使われる、世界でもっとも一般的な“紙の暴風”です」
「一般的であっていいレベルじゃない!!?これ自然災害だろ!!?」
ユウは嵐に翻弄され、転び、紙まみれになり、ついにはトイレットペーパーの山に頭から突っ込んで沈んだ。やっと嵐が止まった時、訓練場は一面ティッシュ工場爆発後のような景色になり、ユウは白い紙の山から半分顔を出していた。バルサミコ三世が玉座のようなイスから言う。
「うむ、勇者よ。これに耐えられぬようでは、紙魚とも戦えぬ」
「最初からラスボス級にきついんですけど!!??」
こうしてユウは、紙片嵐の訓練を経験したのであった。――そんなことより、トイレットペーパーはこの世界の魔力循環の要。全部食われたら世界が終わるらしい。つまり、地味に見えて結構ヤバい敵だ。
「勇者様、これが今回の依頼書です」
ミリアが差し出した羊皮紙には、妙に気合いの入ったイラストで“ちっちゃい虫みたいなやつが紙をむしゃむしゃ食ってる姿”が描かれていた。
「いや絵うますぎるだろ……」
「副業で挿絵も描いてます」
「多才だな!!」
とにかく、ユウは森の奥へと進むことになった。歩く途中、ユウは昨日の訓練のことを思い出す。
“我慢Lv.1”“紙投擲Lv.1”“衛生魔法・手洗いLv.2”……どれもスキル名だけ聞くと弱そうだが、この世界ではマジの戦闘力になるらしい。
「ミリア、正直まだ実戦とか無理なんだけど……」
「大丈夫です。勇者様には潜在能力があります。それに、今回は私も同行しますから」
ミリアは微笑んだ。その顔があまりにも優しかったので、ユウは一瞬だけ勇気が湧いた。
(……いやでも、俺ただの腹痛で異世界に飛ばされただけなんだけど……)
と弱気になりかけたその時。森の奥から“しゅる……しゅるる……”という気味の悪い音がした。
「ミリア……これって」
「はい。紙魚の気配です」
ミリアは杖を構え、ユウの前に立った。
「では勇者様。初陣です」
「いや俺まだ心の準備が!!ーーっと来たあああ!!?」草むらから飛び出してきたのは、銀色に光る紙片のような体を持つ小さな生き物たち。目はないが、口だけは妙にでかく、トイレットペーパーの切れ端をくわえていた。
「あっ!!それ返せー!!!」
ユウは条件反射で叫びながら、訓練で習った“紙投擲”の構えをとる。ミリアが短く告げた。
「勇者様……狙うのは“口”です!」
ユウは持っていた巻き紙の端をちぎり、勢いよく投げる。
「うおおおおおお!!!食らえ!!!」
ひらり、と紙片が飛ぶ。紙魚スプライトはそれに気づき、口を大きく開けた──瞬間、ミリアが魔法を放つ。
「《清浄の印》!」
光の輪が紙片を包み、聖なる粉のように輝く。それが紙魚の口に入った瞬間、小さな悲鳴をあげて消滅した。
「……倒した!!?」
ユウは驚きで目を見開く。ミリアは微笑みながら頷いた。
「はい。勇者様の投擲スキル、しっかり発動していました。あとは私の聖浄魔法で浄化しただけです」「俺……マジで戦えた……?」
ほんの少し胸が熱くなったその時。森の奥から“ズズズズズ……ッ”という低い唸り声が響いた。木々が揺れ、地面が震える。ミリアの表情が引き締まる。
「勇者様……来ます。紙魚の“親玉”……“紙龍ワーム”です!」
「名前からして強そうなんだけど!!?」
こうして、ユウの本格的な“初ボス戦”が幕を開けるのだった。




