居酒屋にて
その1時間後。
「でね? 卒業した途端にですよ。その元彼が私に言ったんです。『だって、社会人になったら遊びたいじゃん』って。あからさま過ぎません?」
「なるほど、そりゃあ酷えな」
「でしょう? 2年間ですよ、同棲2年。私の一番いい時代です。別れ際に思わず叫びましたよ。〝私の時を返せ〟って~」
「はは。まあ、金稼げるようになって、遊びたいって気持ちも分からんでもないけどな。にしたってもう少し言い様があるよな。月並みでも、せめて〝今は仕事に集中したい〟くらい言ってやんなきゃ」
「そうそう、それぇ!」
市内の個室居酒屋で、私たちはすっかり出来上がっていた。
自慢じゃないが、某南の地方大学の体育会系サークルで鍛え上げられた私は、かなりの酒豪だ。
大神さんもかなりイける口のようで、我々はもう10回目の乾杯を交わしたところ。
「俺だってよ、秘書課の松嶋さんと時にはデートにだって行くわけさ。ダミーの役割を果たすためにな。飯くって金払って、何? カクテルバーとかで飲んで。その後には、ホテルだって行くんだ」
「ああ。大神さんはどっちかって言うと、大衆居酒屋よりは、カクテルバーってイメージれすよねぇ」
呂律の危うい私は、すかさず話の腰を折る。
「ばーか、俺ぁどっちかって言えばこっち派だよ。金かかるしメンドクサイし。……でさ」
彼は続けた。
「ホテル行って、何もせずに寝るんだ。松嶋のババァ、俺の前で堂々と服脱いで、シャワー浴びて。〝じゃ、お休みなさーい〟って。俺はソファーでまんじりともせずに夜明かし。どうだ、なっさけないだろう」
「うわぁ、それ。カンッペキ馬鹿にしてますね。ガーっと行っちゃえばいいんですよらガーッと。『俺を舐めるな!』って」
がおーっ。
彼は一息にグラスをあおると、ジェスチャーをして見せた私を嗜めた。
「アホか社長の女だぞ。クビが飛ぶっての。あ、これオフレコな。他の奴らには絶対言うなよ」
「言いませんって。らーいじょうぶ、見てみてホラ、お口をチャック! は~い、情けないオオカミさんに乾杯っ」
チリーーーンッ。
これでもう11回目の乾杯だ。
我々は更に杯を重ねた。
会社とは打って変わって賑やかで話しやすい彼にすっかり打ち解けた私は、とっくにリミッターをふりきっている。
「あ~あ、大神さん。いっつもこんなだったら良いのになぁ」
私はグラスを卓に置くと、側面に頬をピタリとくっ付けた。氷で冷えきったグラスの結露した雫が火照った顔に心地よい。
「ふん。俺は公私混同はしない主義なの! お仕事の先輩として、お前を厳しく鍛えてやってんだよ」
私は唇を尖らせた。
「だってぇ……恐いんだもん。大神さんはオオカミさん。なーんちゃって」
「…………」
酔いのため、すっかりオヤジと化した私は性質の悪いジョークを飛ばした。
係長の呆れ顔に、にいっと笑ってひらひら掌を振る。
すると彼は、急に話題を転じた。
「そう言えば……知ってる? 『赤ずきんちゃん』って童話」
「はぁ? あったり前。超有名なグリム童話じゃないれすか」
「うん、あれってさ。元々はフランス宮廷の女性向けに書かれた寓話なんだって。元の話じゃ、悪いオオカミに騙されて、道草をした赤ずきんちゃんは、喰われてお仕舞いなんだぜ」
「えー、違いますよぉ。オオカミさんは、猟師にお腹をちょんぎられ、重たい石を詰められてお婆ちゃんにチクチクお腹を縫われたんでしょう?」
「いや、それが違うんだって。あれはな、悪いオオカミさんには騙されないで、行かないでっていう、女性に向けた教訓話なんだぞ?」
「ふーん……あ、そういえばそれ!」
得意気な顔で講釈を垂れる彼を遮り、私はケタケタと笑いながら話の腰を折った。
「私、思うんですよ。赤ずきんちゃんってば、ちょっと変装見破れなさすぎ。だってね、おばーちゃんに化けたオオカミなんて、見たらすぐに分かるでしょ。それを……。『どうしてお目目が大きいの?』な~んて」
「『お前の顔を、よく見たいから』ってか?」
目を見合わせ、互いに笑った。
「『どうしてお手てが大きいの』」
「『お前を抱き締められるから』?」
また笑う。
でもあれ、何かちょっと台詞違うような…
「『どうしてお口が大きいの』」
「『それはお前を』……食べるため」
え?




