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オオカミ課長の恋煩い  作者: 佳乃こはる
第一章 オオカミさんとクマさん

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ミッション失敗


 と、憎々しげな様子で黙り込んでいた夫人が、思い出したように顔を上げた。

「あら! そういえば、ティータイム用のお菓子が無かったわ」

「そ、それは……あの、しかしそろそろ」


 ベッドサイドに立つ大神さんが、心なしか狼狽えて、私に熱い視線を向けてくる。


 うーん、何か忘れている気がするんだけれどなあ。確か、時間がナントカって……。

 だが、何かを思い出しかけた刹那、奥様が新たな指令を下してきた。

「ねえお嬢ちゃん、悪いんだけど……ちょっと買ってきて下さらない? とても美味しいケーキのお店があるのよ。私、是非あなた方とご一緒に頂きたいわ」


 紅い唇が、艶やかに微笑む。

「お願いね。ここから真っ直ぐ下ったところ、白い屋根のカフェなのよ」

「は、はあ」


 躊躇いながらもチラリと大神(オオカミ)さんを見ると、ひどく苦々しい顔で、顎だけ動かし『行け』の合図。


「は、はい。(わっ)かりましたあっ」

 言われるままに茶封筒を受け取り、スタートダッシュを切った私に、彼女は念を押すようにつけ足した。


「ゆっくりでいいのよ、ゆっくりね」

 (高速でだ!)

 すれ違い様、明らかに焦った声の大神さんが囁いた。



「はあっ、はあっ……。う、嘘つき」

 玄関脇の壁に片手を突き、私はようやっと息を整えた。

 くそう、あんなに涼しい顔で社長夫人(あのひと)、何がすぐそこよ。

 片道2キロの急な坂道、全然近くなんかないじゃないか。


 だがしかし!

 息を切らし、ようやく部屋の前に到着した私は妙な達成感に浸っていた。


 フフフフフ、ご覧ください大神(オオカミ)さん。


 何とこの赤野燈子、片道2キロの道のりを、待ち時間あわせてたった38分で往復しました。

 ええ、無論社長夫人がお求めの『特製ガトーショコラ』もゲットして参りましたとも!


 フフッ、さすがは大学時代の長距離のスプリンター(補欠だったけど)。

 もしかしたら今日のタイムは現役時代に匹敵するかもしれない。


『よーし赤野。よくやってくれた』


「やだぁ、何のこれしき、大したことないですよぉ」

 大神さんのお褒めの言葉と、たまにしてくれる頭ナデナデを妄想し、独り言とともに得意満面に門をくぐった私だったが――。


 それは、致命的な失敗だった。


 そう。

 やりきった感半端なく、つい調子に乗りすぎた私は、後になって一番肝心な部分をど忘れしていたことに気が付いたのだ。


(うふふ……ダ~メ! 逃がさない)

(で、でも……。あ、い、いけませんっ)


 おや?


 弾んだ足取りで扉の前に立った私は、中の奇妙な雰囲気にピタリと歩みを止めた。


 耳を済ませば、フザけたようなクスクス笑いに何やら艶やかな(ささや)き。

 私はそっとドアを開け、その隙間から中の様子を伺った。

 そして――。


 全てが遅すぎたことを理解した。


 うっそ。

 キス、してる。


 大神(オオカミ)さんと、社長の奥様が。それも、したことも見たこともないような熱烈なキスを。


 声をかけることも忘れて、私はついその光景に見入ってしまった。


 奥様がヘッドのボードに身を預け、彼の背中に両腕を回す。彼は壁に左肘をついて、啄むように幾度も唇を吸う。


「ん…くっ」

 堪えきれない奥様が、彼の後頭部に右手を押し付け、深く舌を浸入させた。彼はそれを受け入れて、更に相手の口腔に己のそれを押し入れてゆく。


 ふわあぁ、スッゴい。

 舌入っちゃってるよアレ。


 唾液を溜飲する彼の喉仏の動き。


 なるほど、あれが本場のディープキッスというものか。

 エッ……ロ。

 私は言うべき台詞も忘れ、食い入るようにその光景を見つめ続けていた。 


 と、急に彼の顔の角度が変わり、ドアの隙間から目が合った。


 マズイ! 

 お邪魔しましたとばかりに、慌ててドアを閉じようとした私だが……。


 白い太めの腕に、ガッチリとホールドされている頭を懸命に横に振っているのが分かり、思い止まった。


 よく見ると、さっきから振り回している腕が何か一定の動きを描いている。


 ん、ナニナニ?

 SOS。

 ギブギブ、タオル、何だそれ?



 意味が分からず、人差し指で小さく〝バツ〟をつくると、彼は涙目になりながら、何かを必死に訴えかけている。


 え、違う?

 早くしろ?


 一体何を……。


 あああ!


 その段になって、私はようやく気がついた。


 慌てて一度ドアを閉じると、ドンドンと乱暴にノックしつつ、打ち合わせ通りの台詞を吐く。


「お、大神さん大変、タイヘンッ。そろそろ時間が迫ってます!」


 部屋の中で、二人が体を離した気配がした。


 *


「それではこれで。失礼します」

「また来てね」


 足を悪くしているらしい奥様だったが、よろめきながらも私達を玄関まで見送りに来てくれた。


 私といえば、その切なげな表情に、苦々しさと不思議な罪悪感を覚えながら、たった一人で暮らすには、広すぎるその館を後にした。

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