社長夫人のお見舞いに
「うっは~、いい風! しっかしバカでっかいお屋敷ですねー、大神さん」
「ああ、何せ社長の別荘だからな」
大神係長がカフェで仕事をしている間に花束と果物かごを調達してきた私は、再び彼と合流して件の別荘へとやって来た。
海岸に面した小高い崖の上に建つ、白いスクウェア型の館。だだっ広い庭には地中海風の木々がそよそよと海風に鳴り、アラベスク調の柵から続くアプローチはさながらアクロポリスの宮殿を思わせる。
ザザァ……。
白い砂浜に打ち寄せる穏やかな波の音が耳に心地よい。
すごいな、これが本宅でなくて別荘だなんて。病気療養中の奥様って、一体どんな人なんだろう。
妙な感慨に浸っていると、前から厳しい声が飛んでくる。
「こら遅いぞ、アポに遅れる」
ふと見れば、前を行くオオカミさんとの間には、気が付けばかなりの距離ができていた。
「えー、ちょっと待ってくださいよ~」
私は足を速めると、シャラシャラと植え込みのソテツを鳴らしながら颯爽と玄関へ向かう彼の背中を追いかけた。
*
「奥様にお取り次ぎをお願いします。社長の代理で参りました、大神と申します。」
私に対するのとはまるで別人の、爽やか好青年を装うオオカミさん。私達は、応対した使用人の案内で奥の部屋に通された。
うわっはー、眩しいっ。
そこは、シャンデリアに照らされた病室とは思えないほどに豪華で明るい部屋だった。さらに、その中心にどっかり据えられた天涯付きのベッドには、これまた病身とは思えない、天女様のように美々しい夫人が半身を起こして待っている。
「あら、いらっしゃい。待っていたわ」
「御無沙汰しております」
オオカミさんは、自分を見つめて嬉しそうに微笑む奥さまに、斜め45度の完璧なお辞儀をした。
ふっくらとした色白の美人。年の頃は50代後半といったところか。
鷹揚とした話し方は、いかにも深窓のお嬢様がそのまま年をとったというイメージだ。
何だか妙に嬉しくなって、
「オリマス!」
後ろでマネをしていると、彼がしきりに目配せしてくる。口パクで何か言っている。
(立ち位置!)
ああ忘れてた。えーっと何だっけ? なるべく近くに、か。ようし、出血大サービスだ。
私は、オオカミさんの右側に寄り添うようにくっ付いた。
ぴとっ。
すると奥様が、ほんの少し眉を潜ませる。
「まあ、大神くん、その人は?」
気のせいか、声音に少し険がある。
彼はあくまで爽やかなまま、私のことを紹介した。
「ああ、済みません。今年入りました新人で、私の部下の赤野です。さ、赤野あれを」
「承知しました。 はい、どうぞ!」
ジャジャーン。
彼の合図とともに私は、後ろ手に隠していた花束と果物を効果音付きで差し出した。
「まあ、これは?」
「ええ、社長からことづかって参りました」
嘘ばっかり。
しれっと言い切る彼に鼻白むも、私はそれらを渡すべく、急いでベッドへと歩み寄った。
しかし奥様は、あからさまに不快そうに眉根を寄せた。
「そう、カサブランカ。私の一番好きな花だわ。でも……どうせなら大神くんから貰いたかったわね」
ちらっと意味深な上目遣いを夫人が見せると、彼はにこやかに微笑んだ。
「いや、これは気が利きませんで」
(はやく貸せ)
奥様には聞こえないよう声のトーンを下げ、私の手からひったくるようにブーケを奪った。
「さあ、どうぞ奥様」
彼はベッド脇に片膝を折ると、奥さまに両手でそれを差し出した。
大輪の白いリリーは、蕩けるような彼の笑顔に馬鹿馬鹿しいほどよく似合う。
それを見て、耳元まで赤く染めそれを受け取る奥様。
ホストか、あんたは。
「ちょっと、ちょっとあなた?」
「は、はい」
その光景を苦々しく見ていた私は、突然呼ばれたその声にビクッと肩を震わせた。
「これ、あれに活けてきて」
彼女はぞんざいに花束を手渡すと、窓辺にある空のガラス花瓶を指さした。
「は、はぁ」
「ふふ、ゆっくりね」
戸惑う私に(早めにな)とオオカミさんが耳打ちした。
そこで私ははっと気づいた。
そうか。
もうミッションは始まってるんだ。私はようやく、打ち合わせどおりの動きを開始した。
「お待たせしましたぁっ!」
ドンッ。
スキル、爆速。
さっきの使用人達は一体どこに消えたのか。誰も教えてくれないので、勝手の分からない邸内を走り回って何とか水場を発見した。
花鋏の代わりに女子の嗜み100均の携帯用お裁縫セットの糸切狭で茎の長さを切りそろえ、乱暴に花瓶に突っ込む。
それを手にし、元来た通路をダッシュをかけて戻ると、それを乱暴に出窓のスペースに置いた。
グッジョブ赤野。
オオカミさんが、背中の後ろでサムズアップを決めている。
一方の夫人のほうは塩対応。
「何だ早かったのね。じゃあ……次はこれね、お願い」
まだ息を切らしている私にすぐ、新たな指令が下った。
奥様が指差したのは果物のカゴ。
「あらでも残念、果物ナイフはキッチンだわ。あなた場所は……」
「フッ、ご心配なく」
キラリ。
私はすかさず持参の果物ナイフを取り出した。
『果物ナイフも買っておけ』
オオカミさんが言ったのは、この時のためだったようだ。なるほどタイムロスがない。
私は感心しながらも優雅に談笑する二人の横で、素早くリンゴをウサギにした。
「終わりましたぁ!」
「あらあ、もう?」
せっかくカラフルなピックまで刺し、美しく盛り付けたのに。夫人はフルーツに目もくれない。どころかギリギリと歯噛みをし、睨まれているようにも思える。
(よしいいぞ赤野。さあ、次の言葉を……!)
オオカミさんが、なにやらしきりに目配せしてくる。
あれえ、何かあったっけ?




