なぜこうなったのか
「赤野。本当に間違いないんだな」
「は、はいっ、スイマッセン!」
「謝る暇があったら早く探せっ」
「ウワ~~~ンッ」
赤野燈子は今、最大のピンチを迎えている——。
*
話は約30分程前まで遡る。
赤野燈子は今朝、上司である大神秋人課長に連れられて、本社ビル最上階の社長室にやって来た。
大神課長が通算4回目の『今月のベストプラクティス 社長賞』に選ばれた為、授賞式に同伴することになったのだ。
初めて入る社長室に、燈子は相当浮かれていた。
「わー、大神課長。社長室の絨毯ってフカフカなんですね~」
「こら、みっともない真似をするな」
絨毯の上で足踏みしている燈子を、大神が小声で嗜めていたところに、三鷹社長が現れた。
「やあ、すまないね。少し遅くなってしまったかな」
白い歯を輝かせて微笑む社長。
「いえ、とんでもございません。私どもが早すぎたのです。10分には到着しておりましたので」
謎の社畜アピールをかましつつサッと立ち上がり、会釈をする大神課長の真似をしながらも、燈子は初めて間近に見る社長の姿にすっかり魅せられていた。
はあぁ、かっこええ〜。
その後。
授賞式そのものは難なく終わり、ふたりして業務課に戻るべく向かっていた最中のことだった。
興奮覚めやらぬ燈子は、長いコンパスで先をいく大神課長の背中をちょこまかと追いかけながら、嬉しそうに話し掛けた。
「課長、課長! 三鷹社長のお姿、初めて近くで拝見しましたけど、往年の俳優さんを彷彿とさせるような、ナイスミドルですね~。えーっと、ジョニー・○ップとかトム・◯ンクスとか……」
「……」
ムッツリと黙り込んだ大神課長は、無言のままスタスタと足を速める。
「あれー、課長、大神課長ってば待ってくださいよ~、足の長さ違うんですからも〜」
赤野橙子は小柄である。普段ならそれが例え自分のようなただの部下でも、性別が女子であれば気を使う人なのに……。
そう思いながら足の回転を速めて追いかけるうちに、燈子はハタと気がついた。
あれ、大神さんってば、もしかして不機嫌になってる?
そういえば。セレモニーの様子がお昼休憩に社内LANに配信されるからに違いないが、今日のスタイルは、髪の毛一本から爪先まで、いつもの五割増でキマッている……。
なるほど、そういうことか!
燈子は慌てて付け加えた。
「でも、勿論今日の主役は大神課長ですよ? いつもの二倍はセクシーでした。やっぱり若さにはかないませんよね。今日アップされた記事を見たら、社内の女子は課長の虜。奴隷間違いなしです!」
「……そうか?」
ぴたりと立ち止まった大神課長は、どことなく声を弾ませた。
しかも再び歩き始めた時には、やけにゆっくり燈子の足に合わせてくれ、何やら嬉しそうにブツブツ呟いている。
「ふふふ、そうか。分かるヤツには分かってしまうんだな……」
そんな彼の後に従いながら燈子はこっそり苦笑いした。
この人って、実は結構単純なんだよね。
「そう言えば赤野。昼からのプレゼンのデータのことなんだが」
「ああ、ご安心ください。それでしたらここに……あれ?」
「3ページ目の差し替えを頼みたいんだ。すぐに出来るか。ん? どうした赤野」
大神課長がにこやかに振り返るも、燈子はたくさんあるポケットを探り回っている。
「あれ? あれあれ? 確かにここのポケットに……ない」
燈子の顔から、血の気が引いた。
「どうしよ課長……落っことしちゃった」
「なんだ……と。まさか……」
大神の笑顔が凍りつく。
「落としちゃいましたぁっ! 社長室にぃ!!」
「ばっかやろおぉぉっ!!!!」
結局、元来た道を大疾走する事になった燈子と大神課長。
二人は、社長室につながる秘書課の前で密談を交わした。
(だだ大丈夫ですか? 忍び込むだなんて)
(大丈夫だ。俺の記憶によると、社長のスケジュール表は、9時から役員会だった。今回の議題では相当伸びるはずだから……イケる)
大神の指令により頭を低くし、泥棒のように秘書室デスク下をスッとすり抜ける。
こうして、社長室のウォルナット仕様の重たいドアをそっと開け、まんまと二人は社長室への潜入に成功したのだった。
*
で、いまに至る。




