大人の恋はかくあるべき
「じゃあ……」
赤野が心持ち残念そうに見えるのは、俺の熱が上がったせいだろうか。
しゅんと肩を落とし、気の抜けたような様子で立ち上がった赤野に、俺は軽く手だけを振った。
「ああ、じゃあな……」
と、思いきや。
彼女は玄関には向かわずに、テーブルを回って俺の前で膝をついた。
「あ、あの! 口移しはさすがにムリなんですけど」
「は?」
彼女はさっきから握りしめていた薬瓶の蓋を開けると、〝うん〟と決意したように頷いた。
そして──。
その1錠を俺の唇の端からそっと押し込んできた。
「お……い」
彼女の指が、ホンの少しだけ唇に触れる。
「何して……」
言い終わる前にまた1錠。
羞恥に指を震わせながら、同じように挿れてくる。
こ、コイツ……!
止めろとも言えず、なすがままにされていると、
「えーっと、あと1錠か」
彼女は箱の説明書きを再確認し、小さな一粒を摘まんだ。
まるで、猛獣に餌をやるみたいに、フルフルと震える指を近づけてくる。
バカが。そんなコトされたら、俺はもう——。
彼女の指が触れた瞬間、ふと芽生えた邪心。
「ひゃっ!……やだっ」
次の瞬間、唇にかかった人指し指を、チュッと吸い上げると、小さな錠剤だけを絡めとった。
「も、もうっ、何するんですかっ」
耳まで真っ赤にして怒った顔に、悪戯っぽく微笑みかける。
「バ~カ。お前が変なコトするからだ」
全く、男の一人暮らしの家に上がり込んで、少し無防備に過ぎやしないか?
今日はこのくらいで止めてやるが、今度元気な時にナメたマネをしたら……分かってるよな?
彼女はプンスカ怒りながらも、キッチンから水を汲んできた。
それを俺に渡すと、
「ちゃんと飲んでから寝てくださいよ、ね?」
何度も何度も念を押してから帰っていった。
*
真っ暗になった部屋。
彼女の言いつけを律儀に守り、ずっと横になってはいるが、昼間寝たせいかよく眠れない。
暗がりの中、さっきまで彼女がいた場所を見ていると、不思議に頬が緩んできた。
あ~あ、惜しかったぁ〜。せっかくのチャンスだったのに。
どうやら俺はまだ少し、このどうしようもない胸苦しさに付き合わなければならないらしい。
ま、そんな気持ちすら受け入れて楽しめるのが、本物の〝大人の男〟ってやつなのかもな。
あ~、やべ。また熱が上がってきた。
*第二章 おわり*




