オオカミさんの無茶振り
「分かったよ。じゃあ少しだけ……すまん」
他人に、ましてや部下に弱った姿など見せたくないが。高熱の上にオンされた熱の影響か、思った以上に身体がフラつく。
バクバクしはじめた胸を押さえながら、諦めて俺はソファに寄りかかった。
すると、替わりに座蒲団にチョコンと座った彼女が、嬉しそうに荷物を拡げ、店開きをし始める。
「これと、それからこれ、出来上がっていたのを持ってきました。病気の時にご迷惑かとも思ったんですけど。ほら、今から長い休みに入るでしょ?」
赤野はクリーニング屋から戻ってきたスーツと、俺が店に忘れて帰ったコートをテーブルに置いた。
「ああ、ありがと」
「それからこれ。こないだのワンホールのささやかなお返しです」
「あれ、全部食ったのか。……ひとりでか?」
「はい! 美味しかったです」
スゲエな。
呆れつつも、あの後彼女がひとりだったことに気を良くした俺は、少し声を弾ませた。
「そっかあ。……にしてもソレ、ちょっと多くないか?」
このコ、どこに隠し持っていたんだろう。
さっきから俺と話している間に、嬉しそうな様子で次々とテーブルに並べている栄養ドリンクと薬の量に、顔がひきつった。
四次元に繋がるポケットでも持っているのか?
「いえいえ、体質によってどれが効くか分かりませんから。えーっとオロナミンPにモンスタアに、バッファリンエース……、よーし、これで最後です!」
「イヤ無理だってコレ、ひとりで消費しきれない……赤野?」
「あの、課長」
最後の栄養ドリンクを並べ終えた彼女が、急にモジモジと俯いた。
何か様子がおかしい。
「その、あの日、課長が仰いましたよね? 『鈍さは罪だ』って」
「え」
んなこと言ったっけ?
その時のことを思い出そうとしていると、赤野は決然と顔を上げた。
「課長、私……その『意味』がやっと分かった気がします」
「なっ……」
ま、まさか、ここにきて愛の告白とか?
いつかの夢は正夢か!?
「私……」
「う、うん」
赤野がすうっと深呼吸をした。
あわせて俺も息を吸う。
「す、すみませんっ、課長の風邪、私のせいだと思うんです! 私が総務のコ達の前で、メチャクチャ自慢したから!」
……は?
「あの次の日。課長が酷い水責めに遭ってましたよね。 実はアレ、私の話に尾ヒレや葉ヒレがついちゃって総務界隈に、『派手に濡らすと、大神さんに誘って貰えるらしい』というデマが広まったせいらしくって。……本当にスミマセンでした!」
45度に頭を下げ、ピタッと留まった彼女に、俺は震えが止まらなかった。
なんかおかしいと思っていたら赤野、またしてもオマエかあ!
本来なら、ここは怒鳴るところだが……。
今日はもう気力がない。
「まあ、いいよ」
シニカルに笑うと、俺は再びソファに寝そべった。
景色がボンヤリ霞んでいる。
ようやく頭を上げた赤野が、心配そうにこちらを見ているのが分かった。
「課長、ちゃんと病院行きました? お薬って飲んでます?」
「……キライなんだよ、病院も薬も。ろくな思い出がない」
「そんなのダメですよ! 子どもじゃないんだから……。そうだ、せめて薬だけでも」
赤野は慌てて卓上の薬を選び始めた。
「いいって。さ、暗くなるからもう帰れ」
デカブツに邪魔されない千載一遇のこのチャンス、逃すのは癪だが……。
仮にも俺は管理職。
部下の帰路の安全には、細心の注意を払わねばならん。
「ダメですって。あ、あった。はいどうぞ」
「要らねって」
「ダメ!!」
フン、オカンかよテメーは。
きっと、熱のせいなのだろう。
珍しく眉を吊り上げた彼女が、ひどく愛しくって——。
俺は少しだけ、困らせてやりたくなった。
「じゃあ、お前が飲ませてみろよ。口移しで」
「は……はい?」
ハハ、予想通り。円い目をもっと円くして、『聞き違いか?』って、困った顔してる。
やっと言葉を呑み込んで、本気で困りはじめた姿に、俺はうっすら微笑んだ。
「冗談だ。さ、風邪がうつるから早く帰れ。明日は実家に帰るんだろ。……送って行ってはやれないけど」




