ついてない……からの
「あー……ついてねぇな」
今日は今年最後の出勤日。俺は『歳末課内大掃除』の陣頭指揮を水野女史に一任し、入社して以来、初めて早退をした。
帰るなりベッドに倒れ込み、熱を測れば39度。
そのまま死んだように眠り、目を覚ました時にはもう、白のレースのカーテンがオレンジ色に染まっていた。
外はすっかり夕暮れ時。
会社はそろそろ締めの挨拶を終えた頃だろう。
クリスマス・イヴの夜、店にコートを忘れたままで真冬の夜を全力疾走した。
さらに。
理由はよく分からないが、翌日出勤すると、何故か立て続けにポット、花瓶、水差し等を持った女子社員複数人に激突された。
水浸しのまま年末の整理に終われた上、土日も休日出勤した俺は、仕事納めの今日、すっかりダウンしてしまったのだ。
ゴホッ。
咳をしても一人、か。
さっきまで、嫌な夢をみていた。
うとうとと熱に浮かされながら、自分自身の黒歴史が走馬灯のように流れる悪夢だ。
南の地方都市の片田舎で生まれ育った。
中高一貫、野球部だった6年間を坊主頭で過ごし、しかも補欠だった俺に彼女が出来たことは一度もない。
あれは高2の夏のこと。
その時、たまたま失恋したてだった野球部の華、マネージャーの先輩に誘われて、俺は初キスを体験した。
はああ〜、これがキス。や、や〜らけ〜……。
感動にうち震えていた俺に、愛らしく微笑んだマネージャーがひと言。
『ヘタね』
以降、家族が寝静まったのを見計らい、こっそり起き上がった俺は、夜毎、消防士の親父が置いてる人工呼吸練習人形『救命くん』でこっそりキスの練習をしたものだ。
ある夜、その姿をとうとう姉貴に目撃されて、散々バカにされたっけ。
恥ずかしくて死にそうになった。
その後、進学にともない晴れて上京した俺は、大学デビューとばかりに生まれて初めて髪を伸ばした。
すると驚いたことに、すぐに彼女が出来た。
手を繋ぐところから3カ月、ようやく漕ぎ着けた初体験。
終わった後、不思議な罪悪感と虚無感に襲われていた俺の背中に、その子は面倒くさそうに煙草をふかしつつ言った。
『見かけ倒しね』
その後の俺が、どんな修練を積んだかは敢えて言及しないでおこう……。
つまり何が言いたいかというと。
今の俺があるのは、仕事にしろプライベートにしろ、全身全霊をかけた弛みない努力の末のこと。
なのにだ。
たいした努力もせず、毎日をただのんべんだらり、ノホホンと生きている小娘なんかに心を掻き乱されるなんて、割に合わない。
「あ~、くそっ」
やり場のない苛立ちに、寝返りを打った時だった。
♪ピンポ~~ン♪
あー、もうっ。一体誰だよこんな時に!
ベッドから出るのもダルいってのに。
居留守を決め込もうかとも思ったが、そこは〝お気遣いの秋ちゃん〟の異名をとる俺。
少なからず怒りを覚えながらもベッドから降り、ノロノロとドアホンのモニターを覗いた。
すると!
『課長ぉ~、大神課っ長ぉ〜』
間延びした甲高い声とともに、カメラに向かってクリーニング屋の紙袋を指差し、懸命にアピールする彼女が写っていた。
ウソだろ?!
「あ、赤野!」
「あ、すいません。お休みでした…よね」
モニター越しに、赤野はペコリとお辞儀をした。
「い、いや。構わない。しかし、よくここが分かったな」
「はい、熊野センパイに聞きました」
って事は……。
俺はすぐに彼女の背後に目を移す。
「あ、あれ、アイツは?」
ぱっと見た限り、バカでかい厳つい影が見当たらない。
「ええ、それが。『残業終わるまで待ってろ』って言われてたんですけど……」
彼女はニコニコ笑っている。
「面倒臭かったんで、置いて来ちゃいました」
グッジョブ赤野!
「あの、お渡しするものがあるんですけど……、少しだけ、出られますか?」
「う、うん。上がってこいよ、5053号室な」
俺は、手早くマンションの入り口を解錠した。
きっと迷うに違いない。俺は、起き抜けのよれたパジャマ姿に、ボサボサ頭のなのも忘れ、中々上がってこない彼女のために、ドアを開いて待っていると。
「あー、あったあった!」
10分後、何やら紙袋をたくさん抱えた彼女が嬉しそうに駆けてきた。
か、可愛い。押し倒したい。
そんな心の声を噛み殺し、俺は冷静を装って、扉の前に立つ彼女に言った。
「まあ、上がれよ。そこ、寒いだろ。立ち話もなんだしさ」
「え、いいんですか? でも悪いなぁ」
「わ、悪くないっ、寧ろそうすべきだ!」
俺は赤野を玄関に引き入れ、ひったくるように荷物を奪うと、半ば強引にドアを閉じた。
「はぇ? じ、じゃあちょっとだけ」
遠慮しつつもヒールを脱ぎ始める彼女。
ちょっと、ワザとらしかっただろうか。
だがこれは絶好のチャンス、逃す手はない。
赤野にリビングのソファを勧めると、ミニテーブルの向かい側に自分用のクッションを置く。
お茶を出すつもりで、キッチンに向かおうとした俺を赤野が慌てて引き留める。
「あああ、寝ててください。そんなのいいですから! 課長ってば、顔真っ赤ですよ?」
「いいよ、気にするな。大した風邪じゃないから……ゲホッ。な、何をするっ!」
立ち上がった赤野はニュッとこちらへ手を伸ばすと、つま先立ちで、俺の額に手を充ててきた。
「嘘ばっかり。あ~、やっぱり凄い熱」
熱が上がったのは、オマエのせいだ!




