出世と恋
ちっくしょおおおおっ。
社長のバカ、俺のバカ!
ゆるせ赤野。
俺は、俺の出世を失うわけにはいかないんだ。
止めどなく溢れる涙もそのままに、俺は賑やかな街道をひた走った。
イルミネーションの溢れる光が、幸せそうなカップル達の笑い声が、はるか後方へ流れてゆく。
これでも高校時代は野球部で、ランニング10キロは日課だった。
……補欠だったけど。
全力疾走すること10分。
息を切らしながらホテルのエントランスに到着した俺は、エレベーターで最上階スゥイートへと向かった。
オベリスク調に設えられた鏡に向かって乱れた服装とヘアを直し、汗を拭いて深呼吸、息を整えるまでに30秒。
社長の前に出た時は、まるで何事もなかったように優雅な表情を取り繕った。
「遅くなりまして」
「やあ、すまないね大神君。お楽しみのところを呼び出してしまって」
彼はエレベーターのすぐ目の前の廊下で待っていた。
「いえ、ちょうど暇を持て余していたところです」
「またまた、大神君ともあろうものが。イブだというのに、そんなワケないだろう。聞いているよ、かなり派手にやってるみたいじゃないか」
「いや、ははは……」
全くこの御方ときたら。
こんな時でも、50も半ばを超えるというのに、そうとは思えないほど精力的に白い歯を輝かせて笑う。
「いえ、とんでもございません。それよりも社長」
俺は努めて冷静な風を装うと、サッと社長の耳に近づいた。声を落として嗜める。
(デートのダブルブッキングなんかするからですよ!)
(いやあ、まさか鉢合わせするとは思わなくてね。待ち合わせ時間はずらしたつもりだったんだが)
(いや想像つくでしょーが! フツー)
「……で、優能な大神君、キミの出番というわけだよ」
バツが悪そうに俯いていた社長は、パッと明るく表情を変えると、俺に808号室《《の鍵》》を手渡した。
「その部屋で、凶暴化した松嶋くんが待っている。私はスゥイートルームの原口くんの方を宥めに行ってくるから。くれぐれもよろしく頼むよ? じゃ」
ハハハハハ……。
仕事はおろか、こと女性に関しては年齢が20程若返ってしまう社長。
彼は、意味不明の笑いと不気味な瘴気を放つ鍵を俺の手に残し、颯爽とスゥイートルームへ消えていった。
今宵は聖夜、クリスマス・イブ
恋人逹の甘い夜。
「厶ッキーッ、悔し~いっ。何であの女がスィートで、私がツインなのよ~っ! ちょっと聞いてる? 聞きなさい大神くん」
「聞いてます、聞いてますとも」
「じゃあ、何とかいいなさいよっ」
「ふげっ」
最高級ホテルの一室で、社内一の美女とふたりきり。
「あ、あの……原口さんとは10日前に始まったばっかりだから。ホラ社長、子供みたいなとこあるでしょ。今は新しい玩具が珍しいだけ、社長の本命は貴女に変わりないですって」
「ホント? 大神君」
「ホントホント!」
襟首掴まれ、ガクガクと首を振りながら頷く俺。
それを上目遣いに睨み上げる美女、松嶋。
「………。ウソよ、ウソだわやっぱり。だって大神君ってば社長の犬だもん。社長、私にはもう飽きちゃったのよ。ウワーンッ」
「そ、そんなことはないっ……松嶋さっ……苦ひっ」
それに一切手を触れることなく、ひたすら宥め、一方的にサンドバックにされる俺。
悲しい哉、それが俺に課せられた『主命』だ。




