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オオカミ課長の恋煩い  作者: 佳乃こはる
第二章 オオカミさんの恋わずらい

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水も滴る

「ぅあーかーのーー」


 その日、お客様である提携先の重役、山代様が帰った後。

 音もなく赤野燈子の後ろに忍び寄った俺は、身の危険を察知して立ち上がった彼女の退路(にげみち)を絶った。


「ひゃっ、オオカミさ……いえ課長。す、すいまっせ~ん」

 小さな舌をペロッと出し、愛想笑いで誤魔化す彼女。

 誤魔化されるか。……可愛いけど。


 あんな大惨事は入社以来初めてだった。おまけに、まさか大切なお客様の面前でバケツの水をひっ被る羽目になるとは思わなかった。


 無言のまま見おろすと、彼女は調教中に叱られた仔犬のように怯えた視線を返してくる。


「ちょっと来なさい」

「ひ、ひやぁっ。や、優しくしてっ」

「やっかましいわ。人に誤解を招くような言い方は止めろ! さっさと来ぉいっ」


 イィィャアアアアァ……。


 課内に響く、うら若き女子社員の悲痛な叫び。それにもうすっかり慣れた部下達は、出張中の熊野を除けば、特段赤野を庇いたてることもない。


(大神課長ってさ、赤野さんにやたら厳しいよな~)

(な~)


 彼らの呑気なヒソヒソ声を尻目に、俺はデスクにしがみついている彼女を引っ剥がし、いつもの如く508会議室、別名『説教部屋』へと連れ込んだ。


「全く、山代様が温厚な方だから良かったものの。いつも言ってるだろうが。よそ見をせずに歩け、気をつけろって」


 備え付けのパイプ椅子に腰掛けた俺が、フーっと長い溜め息をつくと、赤野はすっかり悄気(しょげ)かえり、もじもじと指を弄んだ。


「うう、だって。あんなところにモップ入りのバケツが置いてあるとは思わなくて」

「掃除中、注意って黄色い看板が立っていただろうが。大体、前も見ないでくっ喋ってるからそうなるんだ」

「うう、だって。懐かしの同期にロビーでばったり会っちゃって」

「アホか、まだたった2年で、懐かしいも何もあったもんじゃないだろう」

「はうんっ」


 さきほど赤野が引き起こした事態とは、次のようなものだった。


 *


「ささ、山代様。こちらのお部屋でございます」

「いやあ、突然来てしまってすまないねえ」

「とんでもございません! いつも弊社をご利用いただき、ありがとうございます」

 俺は、顧客VIPである山代様を応接室へ案内している最中だった。

 長い廊下の真ん中に応接室、その向かい側にエレベーターがあり、さらにその斜め向側に、件のバケツという配置。


 その時から何かしらイヤな予感はしていたのだが……。


 ちょうどその時、向かいのエレベーターランプが光り、扉が開いた。

「あっはっは。でさぁ、昨日の会がまたケッサクで……」

 と同時に聞こえてきたのは、赤野燈子の甲高い笑い声。

 うおっ、ヤバい!


「ささ、山代様。先に中へ」

 俺の直感が危機を察知し、客人を早く部屋に入れようとしていた、まさにその瞬間だった。

「あっ……」

 お喋りに夢中な赤野が気づかず、バケツを蹴っ飛ばして——。


「危ないっ、山代様」

「あ゛ーーーーっ」


 一瞬にして、さまざまな現象が起こった。


 まず、バケツに躓いた赤野が二、三千鳥足になり、山代様側へ倒れ込む。両手が空を掻きながら、その右手が山代様の頭を掴む。

 俺は咄嗟に前に出て、バケツの水から山代様を庇おうとする。


 バケツの濁水を被る俺。

 と同時に、山代様の頭髪(ヅラ)をむしり取り、顔面から廊下へ突っ込んでゆく赤野。

 うつ伏せに倒れ込んだ赤野の右手に残された、山代様のナイスミドルな(ウイッグ)に、血走った目で赤野を見下ろす山代様。

 その視線の先には、捲れ上がったフレアミニスカートに隠されていた——。


 い、苺柄の……ヒモパンだとっ!?


 な、何だその俺の性癖ぶっ刺さりの勝負下着は! ちょっと待て、赤野に彼氏は居ないはず。まさか今夜、合コンとかじゃないだろうな。ならば速攻、邪魔してやるんだが。


 俺と山代様は、暫しの間、彼女を助け起こす事もヅラを被りなおす事も忘れ、その多幸(ラッキースケベ)に見入ってしまっていたのだった……。


「まあ、俺が被ったお陰で、山代様の高級スーツにダメージはなかったから良かったが」

 山代様もヅラバレしたのに、ずっとご機嫌だったしな。ってか、鼻の下伸び伸びだったしな、何なら鼻血も吹いてたしな、くそっ。


「あ、ですよね! 私も、叱られなくて良かったな~って。ホラ、不幸中の幸いっていうか…」


 パッと上げた嬉しそうな顔に、俺は一喝した。


「黙れ! これがもしお客様だったらどうする気だ。なあ赤野。お前ももう2年目だぞ。少しは落ち着いたらどうだ」


「うう……。気を付けます。……スミマセンでした」

 彼女はしょんぼりと肩を落として俯いた。

「ま、まあいい。次からは何もない所で転ばないようにな」

「ふぁい」

 少し声色を優しくすると、彼女は小さく返事を返した。

 説教は10分で止める主義である。


 俺は、バケツ水の染み込んだ湿ったスーツを脱ぐと、まだシュンとしている彼女に放り投げ、五千円札を渡した。


「これ、悪いけどクリーニングに出しといてくれるか。……ん? どうした」


 さっきからまじまじと俺を見ている彼女に問いかけると、少し涙目になりながらも、照れ臭そうに頬を赤らめた。


「あ、い、いえ。脱ぎっぷりが何やらセクシーで。いやぁ、まさに、水も滴るいい男ってヤツですね」

「ば、バカッ、何を言い出すんだ」

 嬉しいじゃないか。


「ところで課長。何でさっきから、ちょっと前かがみなんですか?」

「……気にするな、大人の事情だ」

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