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四月の向日葵 後編

 揺月はポケットの深くに隠していた兄から貰った水晶のお守りを取り出した。

 びろうどの巾着の中には、透き通った水晶の結晶が入っていて、いつも柚木を励ましてくれた。水晶は魔を払ってくれるものなんだよ、という亡き兄の言葉と共に。

 

 その、水晶が。

 無数にひび割れていた。


 どうにか袋から出した柚木の手の中で、水晶は粉々に砕けて、ぬるい風に吹かれて消えていった。


 ふと目の前を見ると、一台の椅子があった。


 その椅子の向こうに、先端をちょうど人ひとりぶんの首を括れる輪に結んだロープが、輪を下にして揺れていた。


 向日葵たちが一斉に喋った。


『さあ、どうぞ』

『お好きなように』

『お好きなように』

『お好きなように』


『どうぞ』


 揺月はふらふらとそちらに歩き出そうとして――


『揺月っ!!』


 不意に世界を聾するような声がこだました。

『それ以上行っちゃいけない、それは、絵の中の世界だ!!』


 櫻の声だった。揺月はぼんやりと顔を上げた。

「絵の中……?」

『そうだ、絵の中の世界だ。その向日葵たちは全部偽物だ!!」

 柚木は周りの向日葵たちの顔を見上げた。向日葵はみな顔を植物に戻してじっとしている。

「そこは現実じゃないんだ。引っ張り上げるから手を伸ばして!!」

 櫻の声がふと鮮明さを増した。その声を頼りに上に手を伸ばした。その手が誰かに掴まれ、揺月もその手を掴んだ。


「……つかまえた!」

 と同時にどん、と身体になにかがぶつかるような感覚を覚えた。うつろに目を開けると、元の学校の廊下が目に入った。

「……よかった!戻って来た!」

 櫻の感極まったような声を聞いて、さっきの身体にぶつかるような感覚は、現実に戻って来た時の衝撃だったのだと悟った。



 *



 現実に戻った揺月が最初に感じたのは寒さだった。

 もう四月だというのに、酷く寒い。体が震えてたまらない。

 歯の根が合わない程震える揺月の身体を、櫻は薄手の毛布で包んでくれた。

「大丈夫、大丈夫だからね。ほらこれ。白湯だから。むせないようにゆっくりのんで」

 声をかけられながら、水筒から貰った白湯を飲んだ。温い感覚が喉をゆっくりと下って、少し気分を落ち着けてくれる。

「ちょっと怪異に触られちゃったみたいだね。大丈夫、すぐ元に戻るから」

 ぽんぽんと背中を叩く手が、小さい頃、夜中悪夢を見て泣いている揺月を慰めてくれた兄の手を思い出させた。揺月はゆっくりと握っていた手を開いた。


「……水晶が……」

 手の中には僅かな水晶のかけらがあった。それも音もなく手を滑ってどこかに散って行く。

「お守り?」

 櫻が揺月の手の中を覗き込む。もう手の中には何もない。柚木は子供のようにこっくりと頷いた。

「……小さい頃、兄さんが買ってくれて……」

「……大事だったんだね」

 櫻の声の温かさに視界に少し涙がにじんだ。涙を白湯で飲み込んで、目を瞬いてごまかす。体に温もりが戻りつつあった。


「あの後、すぐ絵の世界からは抜けたんだけど、本体の居場所探ってたら救出が遅くなっちゃって。ごめん」

 すまなそうに言った櫻の言葉に、自分は絵の世界にまんまと捕まってしまったのだと悟った。自分が情けない。

「……俺こそすみません。櫻さん。俺、絵の中だって気づけなくて……」

 悄然と言った揺月の肩を櫻がぽんと叩いた。

「そういうの察知して回避するのがサポーターの仕事だから。今回は俺が下手打った。でも、本体の居場所は大体分かったから」

「本体? 怪異の本体がいるんですか?」

 そういえばさっきもそんなことを言っていた。あの絵の世界を操っている怪異がいるのだろうか。

 揺月が回復してきたのを見て取った櫻は、横に置いていたナップザックの中の計器類を見ながら言った。


「あの向日葵畑は怪異だけど夕暮れじゃなかっただろ? ここもまだ夕暮れになってない。でもたぶん美術室の中は夕暮れになってて、そこに本体がいる。向日葵の絵もそこにある」

 櫻は今は戸が閉められている美術室を指しながらそう言った。

 ここは美術室の前の廊下だ。たしかにまだ夕暮れは訪れていない。

「……それを始末すれば事件は解決なんですね、行きましょう」

 腰に刀があるのを確認しながら立ち上がる。少し足元がふらついたが気持ちはしっかりしていた。

 櫻は揺月の顔を少し心配そうに見上げたが、すぐに頷くと立ち上がった。

「よし。俺がバックアップするから揺月は怪異を斬ることに集中して」

「はい」


 二人は美術室の扉の前に立つと、目で頷き合って揺月、櫻の順に中に飛び込む。美術室の中は一面の朱。夕暮れだった。

 二人連れだって美術室の中を調べる。怪異らしき影はない。

「……ここじゃない。あっちだ」

 櫻が美術室とドアで繋がっている準備室の方を指さした。

 気配を消してじりじりと扉に近づく。目で合図すると櫻が扉を開け放った。


 刀を構えて飛び込んだ狭い準備室の中には、セーラー服の少女が地べたに座り込んでいた。

おかっぱにした黒髪で俯いていて顔は見えない。一見すると夕暮れに迷い込んだ普通の人間のように見える。

 しかし、その細い腕の中には向日葵畑が描かれた絵が、しっかりと抱きしめられていた。

 揺月は無言で少女に歩み寄ると、その姿を抱きしめられた絵ごと切り捨てた。ぐにゃりとした手応えがして、少女の姿が跡形も無く消え失せる。

 エレベーターで上昇した時の様な感覚がして、夕暮れが開けた。


 後には斜めに裂かれた向日葵畑の絵だけが落ちていた。



 *



「……結局なんだったんだろうね、あの子」

 現場の後始末を終えて帰りの車を運転しながら、ぽつりと櫻が言った。

「……なんだった、って。怪異だったんじゃないですか」

 助手席で、まだ少し気分が優れない揺月はそう返した。いくら普通の人間に見えようと、怪異は怪異だ。人間を絵の世界に引きずり込んで自殺に導く化け物にすぎない。


「んー……でもあの子……異界の生き物って感じしなかったんだよね。ひょっとしたら元々はこの世界の」

 そこまで言って櫻は言葉を切った。

「なんですか?この世界の」

 櫻は思案顔で少し黙っていたが、やがて口を開いた。


「揺月ちゃん、年近いんだしタメ語で良いよ」

「??」

 急に話が飛ぶ。思わずクエスチョンマークが出る。

「や、敬語の方が話しやすいんならぜんぜん敬語でいいけど」

 揺月は少し考えて答えた。

「……じゃあ敬語でお願いします」

「えぇータメ語じゃないの?」

 櫻が不満そうな声を上げる。

「俺全方位に敬語なんで。タメ語だとしゃべりにくいんで」

「えーじゃーいいけど」

 不満そうな顔のまま櫻が黙る。揺月は思わず少し笑った。


 まったくこの人の思考回路は分からない。しかし仕事のパートナーとして信頼がおけるのは確かだ。



 助手席から見える窓の外は既に紺色に染まり、空には白い月が昇っていた。

最終話まで毎日更新します。

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