遭遇
翌日も、「夕暮れ」の予報はなかった。
だが、夕刻を前に窓の外を見つめる揺月の心は、何故かざわついていた。今日も「夕暮れ」が訪れる、そんな気がしてならなかったのだ。
「夕暮れ」は何日も続いて起きることもあれば、何ヶ月も起きない事もあった。
今日も早朝からアルバイトをして身体が重い。昼休憩明けの身体を引きずって玄関から出る時、ふと心によぎった。
――もしこのまま、自分が戻らなかったら、母はどうなるだろう。
そんな思いを振り切るように外へ出た。
母の為にも、父と兄の敵を討つ。
そう決めたのだ。
表へ出ると空は、まだ鈍い白色をしていた。
*
揺月は鈍い白色に光る夕刻の空を睨みながら歩き続けた。
辺りに人の姿は無い。
国の出す夕暮れの警報が頻繁に外れるようになってから、夕方に外出をする人は居なくなった。
いるとすれば、危険だと分かっていながら呼び出す場末のアルバイト先くらいだ。
また「夕暮れ」が来る。その予感が今日は当たった。
瞬きをする間に視界が朱く染まった。
足元の水たまりも、アスファルトも、近くの街並も、遠くの山々もどす黒い朱にどぶりと浸かったように朱くなった。
「夕暮れ現象」が来た。
揺月は喜びを覚えながら歩き出した。ここは自分のフィールドだ。自分が復讐をするべく調えられた空間だ。
狙う標的は一つ。
父と兄を奪った、あの白いワンピースの少女だ。
*
幾つか、街を歩いた。
もうずいぶんと歩いている筈なのに、一向に夕暮れは明けず世界は朱いままで通り過ぎた。それでかまわなかった。その方が楽だった。ここは現実とは隔絶された場所だ。
幾つかの街の果てでその少女を見つけた。
白いワンピースを着ている。麦わら帽を被っている。長い黒髪をしている。
その特徴を見て取ったとたん身体が動いた。ナイフを腰だめに構えて走り出す。
その時。
一台の黒い車が揺月と怪異の間に割り込むように滑り込むと、急ブレーキで止まった。
車の中から怒鳴る男女の声がする。
「危ないでしょう!! 轢いたらどうするの!!」
「怪異に殺されるよりましですって!」
ひとしきりがたごとと言って車は黙った。と同時に若い男女が中から走り出てくる。男女はあっという間に揺月が追い詰めていたワンピースの女を前後から取り囲んだ。
「こいつ怪異!? 怪異だよね!」
小柄な身体を黒いレザージャケットとスリムジーンズで包み、ウェーブした黒髪をショートボブにした女がもう一人の若い男に叫ぶ。
「怪異です!!こいつは怪異!!」
叫び返した若い男は女性とは対照的にだぼっとしたスプリングコートとパンツ、髪は夕暮れでよく分からないが明るい色に染めたセミショートだ。手にはハンドガンらしき物を携えている。
「よぉぉぉし!!」
女は気合いを入れるように叫ぶと一気に怪異との距離を詰めた。
「でぇいッ!!」
女の気合いが一閃するや否やワンピース姿の怪異が派手に倒れた。ショートボブの女はゆっくりと手にした日本刀を腰の鞘に納めた。
女が刀の一撃で怪異を消したのだ、と理解するまで数秒かかった。そして今退治された怪異は揺月の標的でなかったことも。
父と兄を奪った怪異はもっと幼かった。今の怪異では無い。
取りあえず心を落ち着かせた揺月は、目の前に先ほどの若い男が立っているのに気付いた。男は揺月と目が合うと笑った。
「怪異対策葉山支部の櫻です。怪我はないですか?」
揺月はあっけにとられて見つめる。年の頃は二十台前半くらい、長身だが身体のラインは細く、色白の女顔に柔和な笑みを浮かべている。
「怪異……対策葉山支部」
聞いた事がある。というより有名だ。
国が各地に置いている、夕暮れに巻き込まれた人の救助や、怪異の討伐を目的とした組織だ。最近揺月の住む地方都市葉山にも支部が設置されたと知ってはいたが。
「ほんとに……怪異対策組織の人?」
もっと軍人のようなイメージがあったのだが。目の前の、櫻と名乗った青年はどうもイメージと合わない。
「だめだよ君、一人で狩りなんかしたら。おっと待って、夕暮れから抜ける」
櫻が腕にはめた大ぶりなデジタル時計のようなものを見てそう言うと、身体にエレベーターで上昇した時のような負荷が一瞬かかって、気付けば辺りは見慣れた暗い夜になっていた。
揺月は驚いて櫻を見た。あれで夕暮れから抜けるのがわかるのか。
揺月の視線に気付いた櫻が人懐っこく笑った。
「あ、これ? これはね、時空のずれを数値化して――」
「はーいそこまでそこまで」
そこに早足で歩いてきたショートボブの女性が割り込んだ。さっき怪異を刀で切り伏せた人だ。
最終話まで毎日更新します。