エピローグ
ベースキャンプ最下層、13階層。
ほぼすべての騎士と魔術師、大半の兵士とメイドたちが、この広大な空間に集結していた。
シアは目の前の光景を静かに見つめる。
(可能な限り、集めることができましたね)
ここはベースキャンプで最も広い空間であり、多くの人を収容できる場所だ。
これから出発するゲート攻略部隊の壮行式には、まさにうってつけだった。
騎士団長ゼノンが皆の前で演説を行っており、その後ろでシアは耳を傾けていた。
「これまで数多くの困難を乗り越え、我々はここまで進んできた。そして今回の攻略には、勇者も参加する。かつて、彼の実力を疑う声もあった。しかし、彼はその行動と成果で、それを払拭してくれた。彼と共に、我々は必ず勝利を掴み取る!」
思えば、勇者を召喚したのもこの場所だった。
あまりにも頼りないハヤトを見て、召喚の術式が失敗したのかと思ったものだった。
そのことを思い返しながら、シアは気づけばハヤトを目で探していた。
ハヤトは魔術師たちの間に混ざり、ゼノンの演説を聞いている。
その姿を確認した瞬間、シアは胸が踊るような感覚に襲われた。
心臓の鼓動が強くなり、呼吸が乱れ、何かが胸の中でじわじわと広がっていく。
この感覚には、覚えがある――。
――――――不安。
それは遠い昔に慣れ親しんだ感覚だ。
心を潰したはずの自分に、湧き上がることのないはずのものだ。
きっと、ハヤトの精神とつながり過ぎた影響だろう。
彼の感情の激流に触れた余韻が、いまだ自分の中に残っているのだ。
一ヶ月が経過したいまでも、その残滓は消え去らず、ときおりシアの中で騒ぎ出すのだった。
シアは小さくため息をつき、手で胸を抑えてみるが、鼓動はなかなか収まってはくれなかった。
ゼノンの演説が終わり、次にハヤトが前に出る。
ハヤトが演説を始めた。
召喚当初の頼りなさは消え、自信に満ちた声と態度だ。
いまのところ、彼の精神状態は安定しているようだ。
この一ヶ月間、一日中戦闘訓練を施したことにより、ハヤトは戦力としても期待できるほどに成長していた。
とはいえ、伝承の勇者と比べれば、まだ大きな伸びしろがあるだろう。
メルヴィアやエイブラ率いる冒険者チームを失ったいま、勇者の力を引き出すことはますます重要になっている。
そのためには、実戦を積ませるのが最も効果的だ。
ハヤトの演説を後ろから見守りながら、シアは胸の内で決意を新たにする。
(メルヴィア。あなたの魂は回収させてもらいました。私は必ず成し遂げてみせます。あなたの――いえ、あなたと私の、この呪われた力を使って)
ハヤトの演説が終わり、兵士たちが歓声を上げた。
次は自分の番だ。
しばらくここを留守にするのだ。
その間、兵士たちの精神支配が緩まぬよう、少しきつく掌握しておいたほうがいいだろう。
表情はどうすべきか。微笑みを浮かべるより、決意を表したほうが効果が出るだろうか。
声は少し低くして、ゆっくりと話したほうがいいだろう。
効果が及ぶのには時間がかかるのだから――。
シアはマドールに促され、皆の前に立つ。
そして、これからのことを静かに語り始めるのであった。
■
太陽が沈む方向に、シアはハヤトに手を引かれながら走っていた。
数時間前、自信を持って突入したゲート攻略部隊は、壊滅していた。
突入した部隊が目の当たりにしたのは、予想を遥かに上回る虫の群れ――想像を絶する数と、見たことのない新種の猛威だった。
いま、向かっているのはベースキャンプとはまったく逆の方向だ。
だが、虫たちの追撃から逃れるためには、こうするしかなかった。
盾となるべき騎士たちを失った以上、これ以上虫と戦うのは避けたかった。
虫が湧き出すゲートの攻略は、完全に失敗だった。
突入部隊は、シアとハヤトを残して全滅してしまったのだ。
騎士たちは、自らを盾として、自分をゲートの外に逃がした。
ここですり潰して良い戦力ではなかった。
それが最善の選択――いや、正解ではないが、それしかなかった。
だが、その犠牲が意味を持つとは限らない。
(この状況で生き残る確率は――低い)
頭の中で計算を試みるが、すべての答えが現実の厳しさを示していた。
それでも、ハヤトが自分の手を引き続ける。
振り返ることもなく、ただ前だけを見て走り続けている。
背後から聞こえる虫たちの羽音が、徐々に大きくなってきた。
その音は、すぐ背中に迫っているように思える。
逃げ切れる保証はない。
だが、いまはただ走るしかなかった。
(ここで立ち止まるわけにはいかない――)
シアはそう考えながら、ハヤトの手を握り返した。
多くの騎士を犠牲にしたが、ハヤトに経験を積ませるという目的は達成された。
目的が達成された以上、いまの最優先事項はただひとつ――生き残り、戦力を再編することだ。
遠くの地平線に、赤く染まる夕陽が沈みかけていた。
その赤い光に、ハヤトとシアの影は染められ、引き伸ばされていく。
やがて、その影は闇に飲み込まれるように消えていった。
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物語はここでいったんの終了となります。




