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第85話 回収

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 気がつくと、ハヤトは魔法の明かりに照らされていた。

 複数の全身鎧の騎士たちが、輝く鞘を掲げて周囲に佇んでいる。

 そして、ハヤトの目の前では、誰かが膝をつき、地面に座り込んでいるハヤトに向かって何か声をかけていた。


「――さん。気をしっかり持ってください。ハヤトさん」


 落ち着いた声で呼びかけているのは、革鎧を身にまとい、黒髪を後ろで束ねた女性――シアだった。


「…………シア?」


 ハヤトがようやく反応を見せると、シアは安堵の表情を浮かべた。


「ハヤトさん。ご無事でいてくれてよかった」


「シア……。メルヴィアが動かないんだ。治してくれないか?」


 そう言ってハヤトは大事に抱えていたものをシアに差し出す。

 シアは一瞬目を伏せて、ハヤトを諭すように言葉をかける。


「ハヤトさん。それはマジックドールです。メルヴィアの体はどこですか?」


「メルヴィアの体……?」


 ハヤトは言葉の意味がすぐにはわからず、頭の中で繰り返し反芻する。

 しかし、すぐにその意味を理解し、立ち上がった。


「そうだ! メルヴィアが大変なんだ! シア、メルヴィアを治してくれ!」


 そう言いながら、シアの手を引き、メルヴィアが倒れている穴の縁まで急いで連れて行く。

 穴の中はすでに冷え切り、完全に暗闇に包まれていた。


「この穴の底にメルヴィアが倒れているんだ。早く治療してやって欲しい」


 騎士のひとりが照明魔法をかけた鞘を穴にかざす。

 光が差し込むと、底に人の形をした影が見えた。

 

 その光景を確認すると、シアは静かにうなずき、ハヤトの方を向いてゆっくりと告げる。


「メルヴィアは亡くなりました。私は死者を蘇生させることはできません」


 その言葉に、ハヤトは呆然と立ち尽くした。

 シアは何も言わず、ハヤトを残して穴の底へと降りていく。

 ハヤトはただその背中を見つめるしかなかった。

 

 シアはメルヴィアの遺体の前に膝をつくと、静かに何かをささやき始めた。


(ああ。回復呪文をかけてくれている。やっぱり治療してくれるんだ)


 そう思いたかった。けれど、頭の片隅では違うことに気づいていた。

 シアが唱えているのはただの祈りの言葉だということを。

 だが、そう思いたくなかった。


 シアはしばらくメルヴィアの前でひざまずいていたが、やがて静かに立ち上がり、穴を登ってきた。

 ハヤトは、マジックドールを抱えたままシアに声をかける。


「メルヴィアの治療はまだ終わってないんじゃないか?」


 問いかけた声は震えていた。

 だが、返ってきた答えはハヤトの胸に重くのしかかるものだった。


「ハヤトさん。メルヴィアは死んだのです」


 シアにはっきりと告げられ、ハヤトはただ呆然と彼女を見つめるしかなかった。

 その間にシアは何かを取り出し、ハヤトの前に差し出した。

 銀色に光るそれは、懐中電灯だった。


「これはハヤトさんのですか」


 ハヤトはその問いかけに反応することもできず、じっと懐中電灯を見つめていた。

 シアは少しの間待っていたが、やがてそれを腰のポーチにしまい込んだ。


 シアは振り返ると、近くにいた騎士たちに何か指示を出す。

 しかし、ハヤトにはもう聞こえていなかった。

 

 ハヤトはただマジックドールを抱えたまま立ち尽くしていた。

 その間、騎士たちは周囲で何か作業をしているようだったが、ハヤトにはそれが何なのか考える余裕もなかった。


 しばらくして、ひとりの騎士がシアに近づき、何かを報告している声が聞こえた。


「回収がすべて完了しました」


 その言葉に、シアは短くうなずき、周囲に向かって静かに宣言した。

 

「ゲートの攻略は完了しました。これより撤収します」


 騎士たちがその言葉を受けて慌ただしく動き始める中、ハヤトがぼんやりと立ち尽くしていると、シアがそっとその手を取った。


「帰りましょう。ハヤトさん」



 


 そのあとのことは、よく覚えていない。

 気がつけば、ハヤトはベースキャンプの自分の部屋で、ベッドに腰かけていた。

 ぼんやりとした記憶の中には、帰還時に兵士たちが盛大に出迎えてくれた光景がある。

 エルルたちメイドも迎えに来てくれていた。

 だが、何を言われたのかは全く思い出せない。たぶん、そのときの言葉は耳に入っていなかったのだろう。

 いま、頭の片隅に残っているのは、風呂の順番を待っているということだけだ。


 耳を澄ますと、遠くから賑やかな声が聞こえる。

 ゲート攻略成功の祝勝会が行われているのだ。

 誰かに「出席するように」と言われた記憶も、かすかにある。

 だが、出向く気力はなかった。今日の出来事が、まだ心の中で整理できていないのだ。


「あー、まだお風呂入っていなかったんですか?」


 不意に聞こえた声に、ハヤトは顔を上げる。

 部屋の入口に垂らした布をかき分けて入ってきたのは、エルルだった。

 彼女はいつものように穏やかな笑顔を浮かべ、ハヤトの方に近づいてくる。


「さっき声をかけたら、すぐ入るって言ってたのに。疲れてると思いますけど、お風呂に入ってから寝たほうがいいですよ。ハヤトさん」


(さっき……?)


 そんな覚えはなかった。だが、どうやらエルルに声をかけられていたらしい。

 ハヤトがぼんやりとそう考えていると、エルルはそっとハヤトの前まで来て、右手を両手で包むように握った。


「ハヤトさん。おつかれさまです。大変だったみたいですね」


「ああ……」


「ハヤトさんも頑張りましたね」

 

 エルルの言葉に、ハヤトは一瞬だけ顔を伏せる。その後、小さな声でつぶやいた。


「……いや、俺は何もしなかった。……できなかった」


「ハヤトさんが無事に帰ってきてくれただけでも、私はうれしいですよ」


 エルルは優しく微笑む。


「さあ、お風呂に入りましょう? それとも祝勝会に出ますか?」


「……風呂に入る」


「じゃあ、途中まで一緒に行きましょう。私も祝勝会で給仕をしないといけませんから」


 エルルに手を引かれるまま、ハヤトは部屋を出た。

 エルルの小柄な後ろ姿を見ながら歩いていると、彼女が立ち止まり、振り返る。


「私はこちらなので。ハヤトさん。ゆっくりお風呂につかってきてくださいね」


「うん。ありがとう。エルちゃん」


 ハヤトはエルルに軽くうなずき、彼女と別れたあと、階段に向かって歩き出した。



 

 階段を登れば、6階層にある温泉だ。だが、気がつくとハヤトは階段を下りていた。

 無意識のうちに11階層まで下りていき、メルヴィアの書斎へ向かって歩いている。

 どうしてこっちに来たのだろうと思ったが、すぐに考えるのをやめた。


 薄暗く、誰も通らない長い通路を進むと、前方に明かりが見えた。

 それはメルヴィアの書斎から漏れている明かりだった。


(書斎に誰かいる!?)


 ハヤトは思わず足を速め、気がつけば走り出していた。

 書斎にいるのは誰なのか――決まっているではないか。


 勢いよく書斎に飛び込んだハヤトの目に入ったのは、部屋の中央でこちらに背を向ける人影だった。

 その背中に向かって、ハヤトは声を張り上げた。

 

「メルヴィア!」


 その言葉に振り向いた人物は――マドールだった。

 

 彼はいつものようにさわやかな笑顔を浮かべる。


「おや。ハヤトくん。どうしたんだい?」


 ハヤトは肩を落とし、失望を隠しきれない声で返した。


「マドールか……。おまえこそ、こんなところで何してるんだ」


 マドールがメルヴィアの書斎にいるところなど見たことがなかった。

 それがどうして今日に限ってここにいるのか。

 期待を裏切られた思いが、少しばかりの苛立ちとなって胸に湧く。


「いやー、メルヴィア様の生前は来ることができなかったから、いまこうしてね」


 マドールは周囲を見回しながら、穏やかな声で言う。

 

「なかなかいい部屋だね。君が掃除してくれてたんだろう? さぞかし大変だっただろうね。さすが勇者といったところかな」


 そんな皮肉に、ハヤトは反応する気力もなかった。

 それよりも、どうしても言いたいことがあった。


「祝勝会なんてやってる場合じゃないだろ……」


 ハヤトの声には怒りが滲んでいたが、マドールは肩をすくめるだけだった。


「まったくその通りだよね。僕は忙しくてまったく参加できないよ。これからはさらに忙しくなるだろうし、それを思うとめまいがするね」


 その軽い返答に、ハヤトの苛立ちはさらに募る。


「そんな話をしてるんじゃない。メルヴィアが死んだというのに、祝ってる場合なんかじゃないだろ!」


 ハヤトの言葉に、マドールは笑みを消し、真顔になった。そして静かに答える。

 

「そうだね。メルヴィア様がいなくなったのは、戦力的にも、軍団の運営的にも大きな損失だ」


 彼は目を閉じ、メルヴィアを偲ぶように黙った。やがて目を開け、言葉を続ける。


「ただ、ゲートを攻略できたことは間違いなく喜ばしいことだ。皆が祝いたくなるのも無理はない。彼らにも息抜きが必要だからね」


 その理屈は理解できた。だが、感情的にはどうしても納得できない。

 ハヤトはメルヴィアの死をもっと深く悼んで欲しかったのだ。

 そんな思いを胸に、睨むような視線をマドールに向ける。


 そのとき、不意に背後から声がかかった。


「レスリーせんぱーい。会議が始まりますよー」


 軽快な声が部屋に響く。

 マドールは入り口の方に視線を向けると、軽くため息をついた。


「その名で呼ばないでください」


 ハヤトが振り向くと、部屋の入口にはエレオが立っていた。

 彼女は何が楽しいのか、満面の笑みを浮かべている。

 ハヤトに気づいたエレオは、片手をぶんぶんと振った。


「勇者くんも来てたんですね!」


「……ああ」


 ハヤトはエレオの明るい声に、力なくうなずくのが精一杯だった。

 その高いテンションに付き合う余裕など、いまのハヤトにはなかった。


「エレオさん。少し待っててください。まだ書類を回収していないのです」


 そう言うと、マドールはメルヴィアの机の上に積まれた書類の山を漁り始める。

 その間、エレオは部屋の中を興味深そうに見回し、感心したように口を開いた。


「へー、こんな部屋だったんですね」


 しばらく部屋を見渡したあと、エレオはハヤトに視線を向ける。


「ここでメルヴィア様と一緒にいたなんて、勇者くんって本当にすごいですね」


 その言葉に、ハヤトは眉をひそめた。何が「すごい」のかまるでわからない。

 エレオは気恥ずかしそうに肩をすくめながら続けた。


「私はメルヴィア様のマジックドールが同じ部屋にいるだけで、何も喋れなくなっちゃいました」


 その発言の意図が読めず、ハヤトは困惑した。

 エレオの言葉は唐突で、疲れた頭では意味をつかみきれない。

 そんなハヤトをよそに、書類を抱えたマドールが会話に割って入ってきた。


「参謀がそれでは困るんですがね」


 その言葉に、エレオは顔をしかめる。


「なんですか。マドールだって、この部屋に近づくことすらできなかったくせに」


 エレオの言葉に、マドールは苦笑を浮かべながら肩をすくめた。


 ハヤトには、彼らが話していることがよくわからなかった。

 曖昧な言葉が飛び交う中、疑問が胸に湧き上がる。


「近づけないって、どういうことだ?」


 思わず尋ねると、マドールは驚いたように目を見開いた。


「え? やだなあ。ほら、メルヴィア様のあの溢れる魔力ですよ。勇者であるハヤトくんには耐えられるんでしょうけど、私にとっては極寒の真冬に裸で来るようなものでしたからね。とても近づけませんでしたよ」


 マドールは苦笑しながら答える。その様子を見て、エレオが楽しそうに続けた。


「聖王国の悪魔の名は伊達じゃなかったですよね。あの暴力的な魔力に近づけるのは、聖女たるシア様くらいでしたからね」


「魔力……?」

 

 ハヤトは返された言葉の意味を咀嚼しきれないままつぶやく。

 すると、エレオは驚いたように顔を覗き込んできた。


「勇者くん、何も感じてなかったんですか?」


 魔力などハヤトに感じるわけがなかった。

 きょとんとするハヤトをよそに、エレオは目を輝かせながらさらに盛り上がる。


「すごい魔力耐性ですよ! 勇者くんになら、賢者の石を――」


 その瞬間、マドールがエレオの耳を引っ張った。


「あ、いたた……!」


「エレオさん。滅多なことを言わないように」


 厳しい顔でエレオを睨みつけるマドールは、しばらく彼女を無言で押さえつけていたが、やがてふうっと小さく息を吐いてハヤトに向き直った。

 

「では、我々はこれで。ごきげんよう、ハヤトくん」


 そう言うと、マドールは歩き出した。エレオもそのあとを追いかけながら、ハヤトに手を振る。


「待たね。勇者くん……って、あれ? なんか様子が?」


 立ち止まりかけたエレオの腕を、マドールが素早く掴む。


「ほら、行きますよ。新体制最初の会議です。遅刻するわけにはいきませんよ」


 そう言ってマドールはエレオを引っ張って部屋を出ていこうとする。

 だが、エレオはなおも振り返り、必死に訴えた。


「待って! 勇者くんが何か変!」


 その声もむなしく、マドールは構わず彼女を引きずるようにして書斎から出ていった。

 静まり返った部屋には、呆然と立ち尽くすハヤトだけが残された。






 

 ハヤトは、さきほどマドールたちが話していたことを反芻する。


「メルヴィアの魔力のせいで、近づけなかっただと……?」


 頭の中で繰り返すその言葉は、しだいに別の記憶を呼び起こした。

 ユキナもこの部屋に来ていたではないか。

 だが、彼女がいつも具合が悪そうにしていたことを思い出す。


「体が弱いのだと思っていたが、メルヴィアの魔力のせいだった……?」


 思い返せば、ユキナの体調はこの部屋から離れるとすぐによくなっていた。

 ほかにも思い至ることがある。何の能力もない自分が、皆に「勇者」として認められていた理由――。

 それは、メルヴィアに近づくことができたからなのか?

 

 これまで「メルヴィアの相手をしているだけで凄い」と言われ続けてきた理由が、いま初めてわかった。


 ハヤトは力が抜けたように、その場に崩れ落ち、床に手をついた。


 メルヴィアは言っていた――「私たち」ではなく、「私」を救う勇者を願ったと。

 その言葉が脳裏に蘇るたび、胸が締めつけられるような痛みに襲われる。


 自分は、メルヴィアを救うためにこの世界に呼ばれた。だが、救えなかった――。


 頭の奥が激しく締めつけられるように痛み出す。

 視界が滲み、揺らぎ、やがて暗闇へと沈んでいく。それが涙のせいなのか、別の原因なのかはわからなかった。


 ただ、何かが崩れる音が、自分の内側から聞こえた気がした。

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