第83話 静寂
静寂が、妙に重く感じられる。
ハヤトは荒い息を整えながら、横穴の奥の気配を探った。
だが、横穴からは何の音も聞こえず、ただ冷たい空気だけが漂っている。
(終わったのか……?)
戦闘の音が途切れたのは、良い兆候なのか、それとも最悪の結末を意味するのか――判断がつかない。
背筋にじっとりと汗が滲む。
手のひらは無意識に拳を握りしめており、指先が少し痛むほどだった。
一向にメルヴィアが戻って来る気配がないため、ハヤトは様子を見に行くことを決めた。
暗闇の中を懐中電灯に頼りながら、一歩ずつ慎重に進む。
戦闘の音は先ほどから止んだままだ。
あの不気味な唸り声も聞こえてこない。ということは、メルヴィアが倒したのだろう。
しかし、戻ってこないのは、彼女が負傷しているからかもしれない。
ハヤトは注意深く横穴を進んでいった。
メルヴィアが戦っていた空洞が近づくにつれ、気温がじわりと上昇し、焦げ臭い匂いが漂ってくる。
この先で、何かが燃えているのだろう。
空洞に着くと、ムッとする匂いと熱い空気が充満していた。
暗闇の中であちこちに赤い光が見える。地面が熱せられて発光しているようだ。
ハヤトは入り口から懐中電灯で空洞内部を照らした。
地面のあちこちには吹き飛んだ跡や穴が開いており、激しい戦いが繰り広げられた様子がうかがえる。
懐中電灯の光を動かし、さきほどまで自分たちがいた場所を照らす。
入り口から10メートルほどの開けた場所だ。
その一帯は、すっかり荒れ果てていた。
地面には何かが叩きつけられたような深い凹みが複数刻まれ、岩は粉々に砕けて散乱している。
亀裂は放射状に広がり、まるで爆発の中心地だったかのように見える。
ハヤトは足元の地面に光を移し、その焦げた跡が足先まで続いているのに気づき、息を呑んだ。
光をさらに先へ向ける。40メートルほど離れた、逆さドクロがいた場所だ。
そこは、戦場の中心地だったのだろう――より一層酷い有様だった。
地面には巨大な爪で削られたような深い溝が刻まれている。
溝の底からは赤熱した光が漏れ出し、まるで地底のマグマが覗いているかのようだ。
その周囲には、逆さドクロが動き回った際に刻まれた無数の脚跡が残されている。
大きな半円形の凹みや、岩が抉り取られた跡が、無秩序に散らばっていた。
ハヤトは懐中電灯をさっと動かし、空洞全体を照らしてみる。
だが、光が捉えるのは荒れ果てた地面と岩ばかりで、人影はどこにも見当たらない。
細かい破片や粉塵があたりを漂い、懐中電灯の光をぼんやりと反射している。
空気にはまだ焦げた匂いが充満し、戦闘の余韻が重苦しく残っていた。
ハヤトは、小さな声でメルヴィアを呼んでみる。
「おーい、大丈夫か?」
空洞は静寂に包まれており、答える声は返ってこない。
ハヤトは意を決して空洞に足を踏み入れた。
空洞に足を踏み入れた瞬間、熱気が全身を包み込む。
空気は濃密で、呼吸をするたびに喉が焼けるような感覚がした。
地面には無数の亀裂が走り、その隙間から赤々とした光が漏れ出ている。
洞窟そのものが内側で燃え盛っているかのようだ。
触れれば火傷を負うだろうと直感させるほどだった。
懐中電灯の光を頼りに周囲を見渡すが、メルヴィアも逆さドクロの姿も見当たらない。
(いったい、ここでどんな戦いが……)
冷や汗が背筋を伝う中、ハヤトは足元に注意を払いながら慎重に歩を進めた。
足を踏み出すたびに、熱せられた岩の隙間から熱気が立ち上り、足元をじりじりと焼きつけてくるように感じられた。
直径100メートルほどはあるこの空洞は、あちこちにすり鉢状の穴ができている。
その中で倒れていたら、そう簡単には見つからないだろう。
不思議なことに、あの巨大なドクロの残骸すらも見当たらなかった。
メルヴィアが焼き尽くしたということなのだろうか。
「おーい! 大丈夫か!?」
ハヤトは声を大きくしてもう一度メルヴィアを呼んでみた。
しかし、やはり返事は返ってこない。
赤く発光した地面からは焦げた石の匂いが漂っており、近づくと熱気がじんわりと肌を刺すように感じられる。
こんなところで倒れていたら、メルヴィアも無事では済まないだろう。
にわかに胸騒ぎを覚え、ハヤトの足は自然と早くなっていた。
ときおり声をかけながらメルヴィアの捜索を続けるが、一向にその姿は見えない。
念のため、最初に黒ドクロがいた長い巨大な横穴にも懐中電灯を向けてみた。
だが、そこにははるか先まで続く暗闇と、荒れ果てた地面があるだけだった。
この横穴で、迫り来る黒ドクロをメルヴィアが魔法で倒したはずだ。
しかし、いまはもうその死骸すら消えている。
やはり、あの逆さドクロが復活した黒ドクロだったのだろう。
恐るべき再生力を持つそれは、体の上半分を吹き飛ばされても瞬く間に再生していた。
倒すには、全身を一度に焼き尽くすしか方法がなかったのかもしれない。
それがいかに困難を極めたのか、周囲の惨状が何よりも雄弁に語っていた。
「おーい!!」
ハヤトは声を張り上げた。
暗闇と静寂、そして地面に点在する赤く光る亀裂。
その光景の中で、ハヤトの胸騒ぎはしだいに大きくなっていく。
考えないようにしていたが、メルヴィアは明かりの魔法をかけており、彼女の周囲10メートルは常に明るくなっているはずなのだ。
それなのに、どこを見てもその明かりが見当たらない。
その理由が頭に浮かびかけるが、そんなことはあるはずはないし、あってはならないことだ。
ハヤトは頭を振って、その考えを振り払った。
広い空洞を探し回るうちに、地面に空いたひときわ大きな穴を発見した。
それは半径10メートル以上のすり鉢型の穴で、懐中電灯で底を照らすと、何か黒い物体が見えた。
大きさは人体よりもずっと大きいが、さきほどの逆さドクロほどではない。
嫌な予感がして、ハヤトは慌ててサブマシンガンを構えようとする。
右手に持っていた懐中電灯を左手に持ち替え、なんとか黒い物体を照らしながら銃を構えた。
その物体は動いていない。音も発していない。
だが油断は禁物だった。
メルヴィアのあの強力な魔法攻撃を受けて体半分が吹き飛んだにもかかわらず、瞬時に再生していたのだ。
ハヤトは銃を構えたまま、その場を動かずに見守る。
そうしながらも、どうすべきかを考えていた。
もしこの黒い物体が再生を始めたら、果たして銃で対抗できるのだろうか。
それとも、いまのうちにメルヴィアを探して逃げるべきなのか――。
そのとき、黒い物体が震え始めた。
表面が液体のように揺らぎ、小さな波紋が次々と広がり出す。
「くそっ! 再生するのか!」
ハヤトは急いで引き金を引こうとしたが、弾は出なかった。
セーフティを外し忘れていたのだ。
その間にも、物体の表面から波紋がさらに大きく広がり、何かが溢れ出しているように見える。
焦りながらもセーフティを外し、今度こそ射撃を開始した。
フルオートで放たれた弾丸が空気を切り裂き、黒い物体に次々と叩き込まれた。
リノとの訓練で散々練習した距離だ。止まっている物体に対して外すはずがなかった。
鋭い硬質な音が響き、銃弾が次々と物体に撃ち込まれていく。
数秒後、銃弾が切れたハヤトは素早く懐から予備のマガジンを取り出す。
黒い物体は無数の穴が空き、その穴から黒い液体が溢れ出している。
しかし、それでも動きは止まらず、振動はさらに激しくなっていく。
マガジンを交換し終えたハヤトは、再びフルオートで銃弾を物体に叩き込む。
倒せないかもしれないという恐怖心を抑えながら、全弾を撃ち尽くした。
次のマガジンを取り出そうとしたそのとき、黒い物体に異変が起きた。
物体が一瞬膨れ上がったかと思うと、全身が溶解し始めたのだ。
溶解した液体は地面に吸い込まれ、最後には黒いシミだけを残して完全に消えてしまった。
「……倒せたのか?」
ハヤトは新たなマガジンを交換し、しばらく様子をうかがっていたが、それ以上何かが起こる気配はなかった。
どうやら倒せたようだ。
しかし、身体のかけらがどこかに残っていれば再生できるのかもしれない。
まだどこかに残っているかもしれず、急いだほうがよさそうだ。
ハヤトは捜索を再開した。
小走りで広い空洞を調べ回る。
ドクロの残骸は見当たらず、メルヴィアの姿も見つけられない。
ときおり声を張り上げて呼びかけるが、返事はやはりなかった。
そうして空洞の端まで来たところで、再び地面に大きな穴が空いているのを見つけた。
それはすり鉢状で、亀裂の隙間から赤い光が漏れている。
懐中電灯で底を照らすと、そこには黒いものが倒れていた。
その形状は――人型だった。
「おい……、嘘だろ……?」
ハヤトの声は震えていた。
穴の底で全身が真っ黒になった何かが横たわっている。
もしあれが人であれば、どう見ても生きているようには見えない。
ハヤトは懐中電灯を握る手に力を込めながら、穴の縁から中を覗き込んだ。
近づいて調べたい衝動に駆られるが、穴の中は高温で、降りていくことは不可能だった。
赤く光る岩肌から熱波が漂い、顔を向けるだけで肌が焼けるように感じられる。
穴の縁に立ちながら、ハヤトは声を張り上げた。
「メルヴィア! 大丈夫か!?」
返事はない。
その黒い人型は、ピクリとも動かない。
「メルヴィアァ!!」
声の限りに叫んだハヤトの言葉に応えたのは、背後からのあの不気味な唸り声だった。




