第82話 死闘
闇の奥から聞こえる唸り声は、ときに荒々しく、ときに力強く、まるで生物が発しているとは思えないほど不気味な響きを放っていた。
ハヤトは岩のベンチに腰かけたまま、耳にこびりつくようなその音を聞いていた。
隣でメルヴィアが眉をしかめる。
「なにかしら? また新しいのが来た?」
岩のベンチから立ち上がったメルヴィアは、軽くローブの裾を払った。
「ちょっと片付けてくるから待ってなさい」
そう言って、メルヴィアは入り口に向かおうとする。
「ちょっと待て。俺を置いていくな」
ハヤトは慌てて立ち上がった。
「封印したとはいえ、危険生物が転送されてくる可能性はゼロじゃないんだろ? というか、おまえがいなくなると真っ暗になる」
その言葉に、メルヴィアは足を止め、わずかに顔を傾けて振り返った。
「それもそうね。いいわ。ついてきなさい」
メルヴィアを先頭に横穴を戻る。
唸り声が横穴に反響し、空間全体が振動している。
ハヤトたちはその声に導かれるように横穴を進んだ。
進むにつれて唸り声はさらに大きくなり、地面から伝わる振動が足裏を痺れさせる。
「うるさいわね」
横穴を抜け、再び広い空洞に戻ってきた。
暗闇は深く、メルヴィアが照らす魔法の光が届く範囲には何も見えない。
「懐中電灯で――」
ハヤトが言いかけたところで、メルヴィアが軽く手を振る。
「必要ないわ」
彼女の手の中に光が生まれる。
それは徐々に輝きを増し、彼女がそれを軽く放ると、光球となって暗闇の中を飛んでいった。
光球は空間を切り裂くように進み、暗闇の中を30メートルほど進んだところで、何かにぶつかる。
――次の瞬間、爆発が起きた。
轟音とともに空洞全体が一瞬明るく照らされる。
その光の中に浮かび上がったのは、黒く巨大な物体だった。
それは、逆さまになったドクロのような形状をしていた。
巨大な顎が天を仰ぎ、その下部――すなわち頭部には、複数の節で構成された無数の脚が蠢いている。
節は不規則に折れ曲がり、脚の鋭い爪が闇の中で鈍い光を放っていた。
「……なんだ、あれは……」
ハヤトは思わず息を呑む。
爆発の明かりは長く続かず、爆発が収まるとともに空洞は再び闇に包まれた。
「……さっきのやつか?」
「おかしいわね。潰したはずなのに」
「たしかに、ちょっと形が違う気もするな」
ハヤトが懐中電灯を取り出し、光をあてると、逆さドクロはこちらに向き直ろうとしているところだった。
唸り声を上げながら無数の脚で地面をかき、そのたびに地面が揺れる。
「まずい! 来るぞ!」
目の前の逆さドクロが、さきほどメルヴィアが倒した黒ドクロと同じものであれば、恐ろしい速度で移動してくるに違いない。
まだ加速前とはいえ、30メートルという距離は、ほんの数秒で詰められてしまう可能性があった。
「一度使うのも、二度使うのも同じようなものかしら……」
メルヴィアは淡々とした声で言うと、片手をかざした。
「――おだまりなさい!」
メルヴィアの声とともに輝く魔法陣が瞬時に現れる。
そこから発せられた光の帯が、逆さドクロに突き刺さった。
光の帯は一瞬だけ耐えられたものの、すぐにそれを貫通して反対側の壁に突き刺さる。
そして、一瞬遅れてドクロが激しく爆発した。
爆風は四方八方に広がり、猛烈な勢いで空間を埋め尽くす。
しかし、ハヤトたちの方向に向かってきた爆風は、まるで見えない壁に阻まれたかのように勢いを失い、そよ風程度の揺らぎしか届かなかった。
メルヴィアの魔法障壁がすべての衝撃を受け止めているのだろう。
爆発が収まると、黒い逆さドクロの上半分は完全に吹き飛んでいた。
逆さドクロは完全に停止し、黒煙を上げながら静かに崩れていく。
メルヴィアが首をかしげる。
「なんでいちいち爆発するのかしら? そういう魔法じゃないのに」
ハヤトは懐中電灯で向こう側の壁を照らした。
メルヴィアの魔法が命中したあたりを照らしてみると、壁には大きな穴が空いていた。
「すごい威力だな」
「火力が強すぎたかしら。それに、狙いが甘かったわね。下半分が残ってしまったわ」
そう言われて、ハヤトは再び懐中電灯を逆さドクロに向けた。
逆さまになったドクロの上半分、鼻から顎にかけては吹き飛んでいたが、赤い目と無数の脚が生えている頭頂部はそのまま残っている。
闇よりも暗いドクロに浮かぶ赤い目が、不気味な輝きを放っていた。
「念のため、全部消しておこうかしら」
メルヴィアはそう言いながら、再び腕を突き出し、残った半分を消し飛ばそうとした。
しかしその瞬間、突如ドクロが震え出す。吹き飛ばされた部分が再生するかのように盛り上がり始めたのだ。
「魔力が膨れ上がった!?」
驚いたような声を上げるメルヴィア。
彼女が術を発動させるよりも早く、再生したドクロの口から赤い光が稲妻のように放たれ、ハヤトたちに向かって飛んできた。
轟音が辺りに響き渡り、目を焼くような激しい光と耳をつんざくような衝撃がハヤトを包みこむ。
煙と塵が舞い上がり、ハヤトは空いている片腕で顔を覆った。
何が起こったのかわからなかった。
視界は煙と塵に遮られ、逆さドクロもメルヴィアも見えない。
爆音の影響で耳鳴りが響き、周囲のすべての音が遠くに感じられる。
かすかに聞こえるのは、爆発の余韻と小石が地面に落ちる乾いた音だけだった。
「大丈夫か!?」
ハヤトは声を張り上げたが、自分の声さえも遠くに聞こえる。
メルヴィアの返事を待つ間もなく、聞こえてきたのは――
地獄の底から響いてくるかのような、不気味で低い唸り声だった。
「まずい!」
もう一度、あの赤い稲妻を撃たれたら助かる気がしない。
とはいえ、視界は悪く、どう動けばいいのかわからない。
反撃すべきか、逃げるべきか。それとも、まずメルヴィアの安否を確認すべきか。
とっさに判断できず立ち尽くしていると、メルヴィアの声が煙の中から響いた。
「あんたは装置のある部屋に下がってなさい!」
姿は見えないが、声を聞いて無事だとわかり、ハヤトは胸を撫で下ろした。
「よかった。無事だったんだな!」
煙の向こうで、魔法を放とうとするメルヴィアの影がぼんやりと浮かび上がる。
次の瞬間、メルヴィアの周囲から光の帯が飛び出し、逆さドクロに向かって一直線に突き進む。
爆発の衝撃が煙や塵を吹き飛ばし、視界が一気に開けた。
メルヴィアの姿が目に入る。
彼女の着ていたローブはボロボロで、体に巻き付けていた札の帯もあちこちが破れ、力なく垂れ下がっている。
幸い目立った怪我はないようだが、その表情は見たことのないほど厳しく、彼女の目は正面の闇を鋭く睨んでいた。
ハヤトは彼女の視線を追い、懐中電灯を逆さドクロに向けた。
それは完全に再生を果たしていた。
だが、復元した口や顎は以前よりもさらに凶悪な形となり、その姿は見るものの理性をかき乱し、恐怖と不安を否応なく植え付けるものだった。
突然、逆さドクロの口の奥が赤い輝きで満ち始めた。
光は瞬時に膨れ上がり、すべてを焼き尽くすかのように鋭い赤い光線となって吐き出された。
光線は轟音を伴い、一直線にハヤトたちを目がけて進む。
しかし、メルヴィアが両手を広げると、赤い光線は彼女の周囲でピタリと止まった。
その場を中心に赤い波紋が虚空に広がり、見えない壁を挟んで、メルヴィアの力と赤い光線が激しく干渉しているのがわかる。
「この出力……侮れない!」
メルヴィアは光線を受け止めながら、地面を力強く踏みしめた。
その足元から勢いよく大地が盛り上がり、逆さドクロに向かって波のように走る。
岩の波はまるで生き物のように蠢き、ドクロの全身を覆い隠していく。
不気味な光を放っていた口も岩でふさがれ、光線は途切れた。
「いまのうちに……」
メルヴィアが両腕を交差させると、空間にまばゆい光の粒が集まり、3つの巨大な魔法陣が姿を現した。
魔法陣はそれぞれ異なる位置に浮かび上がり、中心には無数の輝きが渦を巻いている。
「――消えなさい!」
メルヴィアの合図とともに、魔法陣から放たれた光の帯が空を裂くように飛び出していった。
それぞれの光の帯が、岩で包まれたドクロに向かって一直線に突き進み、次々に直撃する。
命中した瞬間、轟音とともに爆発が巻き起こり、炎と破片が激しく舞い上がった。
濃密な黒煙が柱のように立ち昇り、ドクロの姿を飲み込んでいく。
だが、その煙の中から低く不気味な唸り声が響いた。
――グォォ……ガアア……。
赤い光が煙の中でちらつき、ドクロがなおもそこに存在していることを告げている。
「早く下がりなさい!」
鋭い声が耳に届き、ハヤトは我に返った。
瞬間、頭の中で渦巻いていた混乱が一気にかき消される。
だが、目の前の異様な光景に身体が動かず、足が地面に縫い付けられたように、その場に立ち尽くしてしまう。
そこに、再びメルヴィアの声が飛んだ。
「あんたを守って戦えるほど、余裕がないわ!」
その言葉と同時に、メルヴィアの姿がみるみる変わり始めた。
体がひとまわり膨れ上がり、髪の毛が波打つ。
目の錯覚か、肌から闇が溢れ出しているように見える。
彼女の周囲には闇と光が渦巻き、次の瞬間、空間に無数の大小さまざまな魔法陣が現れた。
それぞれが異なる色彩を放ち、輝きながら複雑に重なり合い、メルヴィアを中心に舞うように展開していく。
「早くなさい……手加減できなくなるわ」
メルヴィアは前を見据えたまま、低く静かながらも威圧感のある声で告げた。
「わ、わかった!」
ハヤトは踵を返すと、すぐに後ろの横穴へと飛び込んだ。
横穴の奥は闇に閉ざされていたが、懐中電灯を頼りにひたすら走り続ける。
背後から耳をつんざく爆音が響いてくるが、振り返ることなく装置のある部屋を目指した。
何度も爆音が洞窟内に反響する。
巨大な質量を持つ何かが落下したような重い音と、それに続く地面の激しい揺れ。手に持った懐中電灯の光が乱れ、ハヤトはつまづきそうになるが、なんとか走り続ける。
そして、また爆音が轟いた。
ハヤトは背後で起こる凄まじい戦闘の気配を感じながら、ただひたすら前へと進んだ。
音を聞いているだけで確信できる。
――あの場に残っていたら、命がいくつあっても足りなかった、と。
ようやく青白く光る装置の間に戻り、ハヤトは振り返って戦いの気配を探った。
戦いは長く続いているように感じられた。
轟音と振動が繰り返されるたびに神経がすり減り、全身が疲労で重くなっていく。
神経が麻痺しかけたころ、ひときわ大きな爆音が洞窟全体に響き渡り、地面が激しく揺れた。
その振動はあまりに強く、ハヤトは耐えきれず地面に座り込む。
揺れが収まり、気がつけば、爆発の残響音だけが洞窟内にこだましていた。
やがてその音も消え去り、洞窟は静寂に包まれる。
ハヤトは、荒い息を整えながら耳を澄ませた。
だが、いくら待っても、もう何の音も聞こえてこなかった。




