第81話 装置
洞窟に、静寂が戻ってきた。
さきほどまで轟いていた爆音はいつの間にか消え、舞い上がっていた砂埃も霧散している。
呆然と腰を抜かしたままのハヤトは、炎を背にほほ笑むメルヴィアを見上げていた。
まるで太陽の光を浴びているかのように、彼女のシルエットは神々しく輝いている。
ハヤトははっと我に返り、腰を上げながら恐る恐る彼女に尋ねた。
「……大丈夫か?」
「ええ、私なら平気よ。ちょっと破けちゃったけどね」
メルヴィアはそう言うと、破れたローブをひらひらと振ってみせた。
「その札みたいなのは、何だったんだ……?」
ハヤトは破れたローブの隙間から垂れ下がっている札の帯に目を向けながら尋ねた。
「力を抑えるものだったんだけど、壊れちゃったわね。……ここで直せるかしら……」
メルヴィアが小さく呪文を唱えると、力なく地面に垂れ下がっていた札の帯が淡い光を帯び始めた。
そして、ローブの隙間に戻っていき、あっという間にメルヴィアの体に巻き付いて元通りになる。
「なんとか応急措置はできたわね。帰るまではこれで我慢してもらうしかないわね……」
メルヴィアは小さくつぶやくと、ローブの破れた端を指先でつまみ、軽やかに結び合わせていった。
メルヴィアがローブを修復している間に、ハヤトは黒ドクロがどうなったのか確認してみることにした。
懐中電灯を黒ドクロのいた横穴に向けると、潰れたトマトのようになった黒い塊の躯が転がっている。
距離があって詳しくはわからないが、黒い塊からはいまだ黒煙が上がり、周辺は燃えているようだった。
その光景は、メルヴィアの放った魔法の威力がいかに凄まじいものであったかを物語っていた。
あの黒ドクロには高い魔法抵抗力があったようだ。
並の魔術師では倒せなかったかもしれない。
物理攻撃を得意とする騎士たちなら力を合わせて倒せたかもしれないが、無数のコローダー相手では分が悪い。
やはりゲート攻略には、騎士と魔術師の両者の力をあわせる必要があるだろう。
ハヤトはそう強く思った。
「これでよし……と」
メルヴィアの声にハヤトが振り向くと、彼女は破れたローブを器用に修復しており、ローブの下の札の帯は見えなくなっていた。
「さて、どっちに進む? この大きな横穴? それともあっちの小さな横穴?」
「……小さいほうで」
果てしなく伸びているこの巨大な横穴を進みたくなかった。
だが、それ以上に、あの黒い塊に近づきたくなかった。
闇の中でちらちらと燃えているのが見えるが、いまだに不気味な雰囲気を漂わせている。
「じゃあ、そっちに行くわよ。上に登るルートがあるといいんだけど」
メルヴィアを先頭に、小さな横穴に入る。
小さいと言っても、大人が4人は並んで歩けるほどの幅があった。
横穴は自然の洞窟らしく微妙に曲がっており、さきほどの大穴がいかに異質だったかを実感させる。
「さっきの横穴って、あの危険生物が掘ったのかな?」
「そうかもね。それだけのパワーはありそうだったわ」
洞窟を揺らしながら突進してくる黒ドクロの姿を思い出し、ハヤトは再びゾッとした。
しかし、それを無傷で葬り去ったメルヴィアの力は、それ以上ということだ。
ふと、さきほどの戦いでメルヴィアが呪文を詠唱していたことを思い出す。
メルヴィアが呪文を唱えるのは珍しい。実際、このゲートに来るまでも、入ってからも、ずっと詠唱なしに魔法を発動していた。
ミリアやラグラスは必ず呪文を唱えていたし、エルルたちメイドもそうだ。シアも奇跡の力を行使するときには詠唱していたはずだ。
メルヴィアだけが異質だった。しかし、さきほどの戦いで詠唱をしたのは、それだけ相手が強力だったからだろうか。
「さっきは珍しく呪文を唱えてたよな。やっぱり強力な魔法は、呪文詠唱が必要なのか?」
「そういうわけでもないわ。さっきのは、必要以上の火力を出さないために唱えたのよ。適当に撃つと洞窟まで壊れちゃうかもしれなかったから」
「洒落にならんな……」
呪文の詠唱が火力を抑えるためだということが、メルヴィアの規格外のパワーを物語っていた。
これほどの力を持つ彼女が、もし本気を出していたらどうなっていたのか――考えたくもない。
しばらく歩き続けると、横穴の先で小部屋のような空間に出た。
中央には青白い光を放つ巨大な石板状の岩があり、不気味な輝きが闇の中でほのかに周囲を照らしている。
「『装置』……か?」
「そうね。上に登るルートを探していたのだけど、最深部まで来ちゃったというわけね」
ベースキャンプの最下層にもあった「装置」。
それは床から生えているように見える石板で、構造こそ似ているが、こちらにはふたつの大きな違いがあった。
ひとつは、石板の上部に埋め込まれた赤い石。
もうひとつは、窪みを満たすように青く光るゼリー状の物質が充満していることだ。
「あれが転送物質というやつだな」
「そうよ」
メルヴィアはためらうことなく装置に近づき、ハヤトもその後ろを恐る恐るついていく。
装置に近づいたメルヴィアは、転送物質をしばし眺めたあと、大きくひとつうなずいた。
「うん。期待通りの量があるわ」
「期待通り……?」
メルヴィアは振り返りもせず、手のひらを装置にかざす。
青い光が彼女の指先を照らし、静かに波打つように揺れている。
「異世界へ繋ぐのに十分な量よ」
「それってつまり……」
メルヴィアが振り返り、静かな微笑を浮かべた。
「あんたは元の世界に帰れるってことよ」
元の世界に帰れる。
ずっとそう願い続けていたことだが、いまそれが実現可能だと言われると、戸惑いが湧いてくる。
なんだかあっけなくて、実感がわかない。
地震で空いた穴に落っこちて死にそうにはなったが、結局ハヤトは何もしておらず、ただメルヴィアが戦うのを見ていただけだった。
もしこれがハヤト自身の力でたどり着いた成果だったなら、喜びもひとしおだっただろう。
メルヴィアは装置の周りをぐるりと一周歩く。
「ベースキャンプにあるのとは少し大きさが違うけど、仕組みはだいたい同じね。これなら簡単に封印できそうだわ」
転送物質が燃料だとすれば、装置こそが異世界への扉を開くエンジンだ。
転送物質だけでも異世界から危険生物を召喚するらしいが、装置を封印してしまえば、その確率は大幅に下がる。
ゲートを攻略するとは、最深部にある装置を封印することでもあるのだ。
「いまから封印するから、その辺で待ってなさい」
メルヴィアは装置に近づくと、その上部に埋め込まれている赤い石に手を伸ばし、呪文の詠唱を始める。
ハヤトは少し離れた位置でそれを眺めていたが、封印中に危険生物の襲撃に備えておこうと考えた。
この空間の唯一の入り口を警戒する。
メルヴィアの明かりの魔法により、10メートル先までは照らされているが、それより先は闇に包まれている。
闇の中から突然危険生物が飛び出して来たら、反応できるだろうか。
リノの訓練では10メートルの距離で即座に対応できるよう練習していたが、遠くから見えていて10メートル先に敵が来る場合と、突然10メートル先に敵が現れる場合とではまるで状況が違う。
ハヤトは懐中電灯を取り出し、ときどき入り口の奥の闇を照らして何もいないことを確認した。
10分ほど経ったところで、メルヴィアが装置の封印を完了させた。
「はい。おしまい。これで、危険生物が転送されてくる確率は短期的にはほぼゼロになったわ。あとはこの転送物質を外に運び出してしまえば、もうこのゲートは放っておいていいわね」
装置に目をやると、上部に埋め込まれていた赤い石がくすんだ色に変わっていた。
おそらく、装置が封印されたことを示しているのだろう。
「おつかれ。じゃあ、転送物質を持って上に戻るか?」
そう言いながら、ハヤトは転送物質をどうやって運べばいいのか考えた。
だが、その心配は不要だった。
「いいえ。本隊がここに来るまで待機よ」
「それは助かるな」
本隊がここまで来るのであれば、道中の危険生物は排除してくれるだろう。
そうなれば帰路はより安全になる。また、騎士たちは転送物質を運ぶための箱を用意しているので、輸送も容易だ。
ハヤトは、本隊が来るまでの間、どこか腰を下ろして待てる場所がないかと空間を見回した。
しかし、この空間には装置があるだけで、腰かけられるようなものは見当たらない。
しかたなくその辺に座るかと思ったところで、メルヴィアが近づいてきた。
「さて、どうする? いますぐ元の世界に帰ることも可能よ? すでにつながりのある世界へ再接続するだけだから、私ひとりでも術式は発動できるわ」
「え? いますぐ?」
「そうよ」
「でもシアたちに話さなくていいのか?」
「話すわよ。もう装置を見つけて転送物質が十分な量あったことは伝えてあるわ」
そうだった。メルヴィアはマジックドールを通じてシアたちとやりとりができるのだ。
メルヴィアが続ける。
「だから、あとはあんたの決断だけ。帰還を決断すれば、シアに話して了承を得るわ」
突然降って湧いたようなこの話に、ハヤトは戸惑いを隠せなかった。
あらかじめメルヴィアから、帰還の心構えをしておくようには言われていたし、ゲート攻略後には帰還することも可能だとも聞かされていた。
だが、ハヤトはベースキャンプに戻ってから決めるつもりでいたのだ。
結論を出さないハヤトに、メルヴィアが畳みかける。
「あんたがいま帰還してしまえば『装置』は封印してあるし、『転送物質』も消費してしまうから、シアたちはここまで下りてくる必要がなくなるわ。だから近いうちに帰るつもりなら、いま帰ってくれたほうがみんな助かるのよ」
帰るかどうかをここで決めることに利点はないと思っていたが、いま帰ってしまえば本隊は助かるらしい。
ハヤトは悩んだ。いろんな人の顔が浮かんでくる。
シアやミリアたち魔術師。どこか儚げなユキナ。訓練をしてくれたリノ。憎たらしい騎士たちに気のいい兵士たち。一緒に働いたメイドたち。そして、エルル。
そうだ、エルルだ。エルルに最後の別れをまだしていない。このまま元の世界に戻ってそれっきりというのは、あまりにも寂しい。
ハヤトの心は決まった。
「俺は残る」
メルヴィアは少し驚いたような顔をした。
「本当に? 帰らないの?」
ハヤトは決意を口にしたことで、気持ちはさらに固まり、頭も冷静になってきた。
「ああ。俺が帰らなければ、あとひとつゲートを攻略すれば、シアたちも王国に帰れるんだろ? それなら、俺は帰らない」
「次のゲートも同じだけ転送物質があるとは限らないから、保証はないけどね」
「そのときはそのときさ」
最悪、そうなったら元の世界に帰るという手もある。
転送物質を入手したのだから、帰りたくなったらいつでも帰れるのだ。
「ふうん。それでいいのならいいけど」
「ああ、それでいい」
「しかたないわね。あんたが帰れば本隊もここまで下りてくる必要がなくなったのに」
「それだけど、俺が帰っても、結局おまえを回収するために本隊もここまで来る必要があるんじゃないか?」
「ないわよ。あんたが帰るなら私もついていくつもりだったから」
「は?」
思いがけないことを言うメルヴィアにハヤトは驚いた。
そういえば、以前からハヤトの世界に行ったらどうなると話していたが、まさかシアたちを置いてついてくると言い出すとは思わなかった。
「おまえまでいなくなったら、シアたちはどうなるんだよ」
「大丈夫よ。そのための手筈は整えてあるから。探索計画やゲート攻略計画、ベースキャンプ防衛計画……もろもろのことをまとめた書類を作っておいたもの。あとはマドールがうまくやってくれるでしょうね」
たとえ計画が整っていて、ほかの魔術師たちが代替できるとしても、メルヴィアという圧倒的な力を失うのは大きな戦力ダウンになるだろう。
ハヤトは、自分が帰るのをやめておいてよかったと心から思った。
「さて、立ちっぱなしもなんだし、椅子でもつくるかしらね」
メルヴィアが短く呪文を唱えて手を叩くと、地面が盛り上がり、岩のベンチのようなものができあがった。
「座り心地はよくないけど、地面に座るよりはマシでしょ」
ハヤトが腰かけてみると、意外に座り心地は悪くない。
「まあまあの座り心地だぞ」
「そう? それはよかったわ」
メルヴィアもハヤトの隣に腰かける。
本隊が順調に下りてきていることをマジックドールを通じて確認したあとは、ふたりはすることもなく、ぼんやりと装置を眺めていた。
装置表面の窪みには転送物質が神秘的な青白い光を放ち、その上の赤い石が魔法の明かりを反射して煌めいている。
「なあ、青いのが転送物質なら、あの赤い宝石は何だ? ベースキャンプの装置にもあったのか?」
ハヤトが興味深そうに指さすと、メルヴィアは軽くうなずいた。
「あったわよ。まだ十分解析できていないけど、魔法石の一種のようね」
「魔法石? 書斎にもあるよな。青いやつだけど」
ハヤトは、書斎でときどき床に転がっている青い魔法石を拾い集めて、棚に片付けていたことを思い出す。
「そうね」
「何に使うもんなんだ?」
ハヤトが問いを重ねると、メルヴィアはゆっくりと顎に手を当てた。
「いろんな用途があるわよ。魔法の触媒に使ったり、魔法石から魔力を引き出したりね」
そう言うとメルヴィアは石板の赤い石に向かって手を伸ばしてみせた。
すると、ほのかに赤い石が輝き、まるで答えるように柔らかな光を放った。
魔力が引き出されているのだろう。赤い光がゆらめき、石板の周囲を淡く照らしている。
「今回の遠征でも、魔力を切らさないようにみんなに持たせてあるわ」
「なるほど。そういうものだったのか。じゃあ、この赤いやつなら、すごい魔力を引き出せそうだな」
ハヤトが感心したように言うと、メルヴィアは少し眉をひそめて赤い石をもう一度見やり、ゆっくりと手を下ろした。
赤い石はゆらめきを弱め、その輝きは静かに消える。
「それがそうでもないのよね。普通の魔法石に比べると、一度に取り出せる魔力は微々たるもので、使い勝手が悪いわ」
彼女の表情にはどこか腑に落ちないものがあり、赤い石の表面をじっと見つめている。
しばし続いた沈黙を破ろうと、ハヤトは冗談めかして言葉を挟む。
「見かけ倒しなんだな」
メルヴィアは苦笑し、肩をすくめた。
「でも、触媒としての機能は普通の魔法石よりも驚くほど良いから、何かすごい石なのかもしれないわ」
「ゲート最下層の装置についてる石なんだから、すごい力がありそうなもんだがな」
ハヤトは腕を組んでうなった。
その考えはシンプルだ――ダンジョンの最下層にはお宝があるべきだという直感的なものだった。
「そうなのよね。マドールに解析を任せてるけど、忙しくて進んでいないみたい。いまのところ、あんまり大した石じゃないってことらしいけど」
「ふうん」
そうなると、やはり転送物質こそが宝ということなのかもしれない。
ハヤトは黙ったまま、じっと青白く光る転送物質を見つめていた。
メルヴィアも一緒にそれを眺めていたが、ふいに話を振ってきた。
「青い光は冥界につながっているという話があるわ」
「冥界? そんなものがこの世界にあるのか?」
「どうかしら。でも、不死の専門家がそう言ってたから、まったくのでたらめとも言い難いわ。それに、魂が行き着く場所がどこかにあるはずだし」
「案外、この転送物質の目撃情報がそう伝わったんじゃないか? ゾンビみたいなのが湧いてくる異世界とつながってたら、そこが冥界だと思ってもおかしくない」
「そうね。たしかに過去にこの大陸に来た人がそんな噂を残したのかもしれないわね」
やがて会話は自然と王国に帰還したあとの話へと移っていった。
メルヴィアの話によれば、ハヤトを元の世界に戻すまでの間、彼女の領地で過ごさせてくれるという。
さらに、帰還の際には「面白そうだから自分もついていく」と言い出した。
「本当に俺の世界についてくる気か?」
「そうよ。あんたの世界の話はいろいろ聞かせてもらったけど、面白そうだもの。私も見てみたいわ」
「まあ、別に危険なとこじゃないし、ちょっとくらい遊びに来るのもいいけど、帰りはどうするんだ?」
「それは考えてあるから、心配しなくていいわ」
「ふーん。じゃあ、いいぞ。俺の世界を案内してやるよ」
「やった。約束よ?」
「ああ」
メルヴィアは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、代わりに私はあんたを元の世界に戻るまで守ってあげるわ。あんた、放っておくと勝手に危険に巻き込まれるみたいだからね」
そのとき、ハヤトは地面がわずかに揺れているのに気づいた。
「なんだ……?」
揺れは少しずつ大きくなっている。
メルヴィアもその異変に気づいたようだ。
「揺れているわね」
「また、地震か?」
言葉を交わした次の瞬間――
入り口の闇の奥から、低く長い唸り声が響いた。
それは、まるで地そのものが呻いているかのような、重く湿った音だった。
響き渡る唸り声が空気を震わせ、冷たい何かが背筋をなぞる感覚がハヤトを襲う。
闇の奥で何かが目覚めたような、そんな気配を感じた。




