第77話 参謀長室
小綺麗な部屋の中央で、マドールは書類を読んでいた。
彼の執務室はメルヴィアの書斎とは対照的に、あらゆるものが整然と並んでいる。
書類を読むマドールの表情は険しい。
いつも笑みを絶やさない彼のこんな顔を見れば、誰もが驚くだろう。
マドールは余裕のない姿を、心を許していない相手には決して見せなかった。
他国出身の彼が異例の出世を遂げていることを妬むものは多い。
権謀術数の渦巻く王宮では、自らを強者として示さなければ、自分の配下にすら足元をすくわれかねない。
マドールはどんな状況でも平静を保ち、的確に対処することで信頼と実績を築いてきた。
信頼――彼の能力は疑われていない。しかし、それでも足を引っ張ろうとするものはあとを絶たない。
遠征団においても同じだ。騎士たちはもちろん、魔術師たちの中にも、彼を快く思っていないものがいるだろうことは想像に難くない。
騎士団と魔術師団の仲が悪いだけでも問題なのに、魔術師団内ですら一枚岩とは言いがたいのだ。
そもそも、魔術師は徒党を組むことを好まない。
そのため、魔術師団は個人主義者の集まりである。
長年軍属として活動している魔術師ならまだしも、今回の遠征に参加している魔術師の大半は民間出身の研究者たちだ。
彼らはこの大陸で観測された事象に対し、それぞれが独自の解釈や仮説を立て、喧々諤々と議論を繰り広げている。
その結果、対立する説を唱えるもの同士の諍いも少なくなく、マドールはその調整に追われることもしばしばだった。
魔術師団は未知の大地の探索においては大いに役立っているが、集団行動に関しては苦手なものが多すぎる。
騎士たちが遠征に魔術師を連れて行きたがらない理由も、マドールにはよく理解できた。
魔術師は何かと問題を起こしやすい。
いまマドールが読んでいる書類も、ベースキャンプ内で魔術師が引き起こした問題に対する苦情だ。
それによれば、ある魔術師が入浴中に新しい仮説を思いつき、そのまま服を着ずに裸のままベースキャンプ内を徘徊したというのだ。
処分案としては、当該魔術師への教育的指導と義務的奉仕活動を課すというところだろう。
「いや、余計な奉仕活動を課して、ただでさえ滞っている仕事をさらに遅らせるのは得策ではないか……」
マドールはペンを止め、思案する。
もしメルヴィアなら、どう裁いただろうか。
たぶん同じ裁定を下しただろうとは思うが、自信はない。
とはいえ、ひとつの案件に時間をかけ続ける余裕もない。
結局、最初の案通り、教育的指導と奉仕活動の処分を下すことに決めた。
書類をひとつ片付けたタイミングで、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
「レスリーせんぱーい!」
入ってきたのは、強気な笑みを浮かべた少女――エレオだった。
ミリアの代わりに新参謀としてマドールが選んだ魔術師であり、今回の遠征のために、何年も前に故郷から呼び寄せた腹心でもある。
魔術師学院をわずか3年で主席卒業した優秀な魔術師――という触れ込みだ。
だがその実態は、マドールが研究を手伝い、なんとか主席を取らせた結果にすぎない。
この遠征に他国出身の魔術師を参加させるには、目に見える実績がどうしても必要だったのだ。
そうして苦労して引き入れたというのに、エレオはマドールの期待に応えているとは言いがたい。
「ノックくらいしてくれませんかね。それと、その名で呼ぶのはやめてください」
マドールは渋い顔を浮かべながら言った。
「わかりましたー」
そう言いながら、開けっ放しの扉をノックするエレオ。
その姿に、マドールは思わず呆れた顔をする。
「開ける前にして欲しいということですよ」
「今度からそうしますよー」
扉を閉めると、エレオは飄々とした様子でマドールの机に近づいてきた。
「まーた面白い顔してますね」
なぜか嬉しそうな顔をするエレオに、マドールは深いため息をついた。
この女はいつも笑顔を浮かべている。
それは、マドールが仮面として浮かべる笑顔とは違い、心の底から楽しそうな笑顔だ。
この状況でも笑っていられる彼女は頼もしいとも言えるが、才能だけで選んだのは間違いだったのではないか――そんな考えがふと頭をよぎる。
「解決しなければならない問題が山積みですからね」
「大変ですねー」
エレオはまるで他人事のように言った。
「エレオさん。あなたにも手伝って欲しいんですがね」
「私は忙しいのです。ミリアさんにでも回したらいいんじゃないですか?」
「何のためにあなたを参謀にしたと思っているんですか。会議でもまったく発言しないし」
「会議に出てわかりましたけど、私には無理ですね。あの場で発言なんて」
エレオは両手を広げ、おどけた仕草をしてみせる。
「騎士団のものたちだって発言できているんです。あなたにできないなんてことはないでしょう」
「あの方たちは鈍感なんですよ。私は繊細だから無理。というか、あのやたら威勢のいい騎士、内心ビビってるから逆にあんな態度なんじゃないですかー?」
「……そうかもしれませんが……」
「参謀はミリアさんの謹慎が解けたら戻したらいいと思います。他国出身の私たちふたりが魔術師団の代表というのは、騎士団にもあまり覚えが良くないことでしょうし。それより――」
エレオはマドールの机に手をついて身を乗り出した。
「勇者くんのこと、どう思いますか?」
急に何を言い出すのかと、マドールは怪訝な表情を浮かべる。それでも真面目に答えた。
「我々が期待していたものとは違いますが、あれはあれで良かったのだとも――」
「そういうことじゃなくてー」
エレオは机を軽く叩いて、話を遮った。
「勇者くん、ちょっと冴えないけど、歳も近いし、いいと思うんですよねー」
両手をぎゅっと握りしめ、胸の前で力強く抱えるようなポーズをとるエレオ。
体は前のめりになり、足先が小刻みに跳ねているように見える。
その表情は満面の笑みを浮かべ、瞳には星が瞬くような輝きが宿っていた。
まるで背後の空気がキラキラと色づいて見えるかのような熱意だ。
「……何を言ってるのですか、あなたは」
最近、勇者に近づいて何かしていると思ったら、こんな浮かれたことを考えていたのか――
マドールは呆れた表情でため息をつき、続けた。
「それに、彼は21ですよ」
「え、そうだったんですか!」
エレオは大きな目をさらに見開き、驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔を取り戻す。
「思ったより大人だったんですねー。ま、それはそれとしてー」
そう言うと、エレオは机に手をつき、さらに身を乗り出してきた。
「うまいことメルヴィア様がゲート攻略に乗り出してくれましたね」
エレオの言葉に、マドールは眉をひそめた。
「何がうまいことなんですか」
「だってそうじゃないですかー? 騎士たちにゲート攻略をやらせるより、あのお方にやっていただいたほうがずっと効率的ですよね」
エレオは、まるで当然と言わんばかりに笑顔を浮かべる。
「効率の問題じゃないでしょう」
「いいえ、効率の問題ですよ。メルヴィア様に単身突入してもらうのが一番いいはずです。だってあのお方、向かうところ敵なしなんですよね」
その一言で、マドールの眉間の皺がさらに深くなった。
そんな単純な話ではないことは、エレオにだってわかっているはずだ。
「いくらメルヴィア様が強いといっても、休憩は必要です。休憩中には護衛が必要ですし、戦闘中も背後を守る人がいたほうがいい。でも、それを実現するには――」
「そのための勇者くんじゃないですか!」
エレオは机に置いていた手を振り上げ、軽く机を叩いた。
「メルヴィア様に勇者くんをつけて、ゲートに突入していただく。これが最もリスクの低い戦術ですよ!」
鼻息荒いエレオに対して、マドールは目を細めて静かに言い返す。
「総司令にろくに護衛もつけずに突撃させることの、どこが戦術なんですか」
「そんなこと言ったら、王女を突入させてる現状のほうがよっぽど問題じゃないですかー? シア様が万が一倒れでもしたら、この軍団は崩壊ですよ。シア様の代わりにメルヴィア様に行っていただくほうが合理的じゃないですか」
シアを攻略部隊に連れていく現状は確かに好ましいものではない。
しかし、メルヴィアの力に頼るのは、できるだけ避けたかった。
「言い分はわかりますが……私は反対です」
「なんでですか?」
「メルヴィア様には、このベースキャンプの防衛をしてもらうべきです。長期の遠征で留守にされると、情報の分析や作戦の立案に支障をきたします。さらに、書類の処理も滞ります。今日一日いないだけで、すでに私の手には余る状態ですよ」
そう言って、マドールは机の上に積まれた書類の山を指差した。
本来なら午前中に片付けられるはずだったが、昼食も取らずに処理を続けているにもかかわらず、まだ終わっていない。
この分では、攻略部隊が帰還するまでに終わるかどうかも怪しい。
「書類? 書類なんてどうでもいいじゃないですか」
エレオは机の上にあった書類の束を掴むと、これ見よがしにひらひらと振ってみせた。
マドールはすかさずエレオの手から書類を取り返し、冷静に言葉を続けた。
「あなたはわかっていないようですが、書類の処理が滞れば、ベースキャンプの運営に支障をきたすのですよ。数百人もいれば、さまざまな軋轢や問題が発生します。それを迅速かつ公平に、そして誰もが納得できる形で解決していかなければ、不満が積み重なっていくのです」
マドールは書類を丁寧に机の上に戻しながら、内心で肩を落とした。
メルヴィアにゲート攻略を任せたくない本当の理由――それを口に出す気にはなれない。その理由はエレオにもわかっているはずだが、彼女は気にしないのだろう。
違う角度から説得を試みるしかなかった。
「――それに、メルヴィア様に勇者をつけてゲートに送り込めば、勇者に危険が及びますがいいんですか?」
「え?」
エレオはピタリと動きを止めた。
予想外の指摘に、彼女は一瞬戸惑った表情を浮かべる。
頭の中で必死に考えを巡らせているようだったが、次の瞬間には再び笑顔を取り戻し、軽い調子で答えた。
「メルヴィア様は強いから大丈夫ですよね?」
「メルヴィア様は大丈夫でしょうが、勇者が戦闘の余波で消し飛んでしまうこともあるかもしれませんね。力の加減を間違えたとかで」
「えー! 却下! 却下! 却下でーす! メルヴィア様には、ここで大人しくしてもらいます!」
エレオは机を軽く叩きながら、大げさな仕草で反論した。
「わかりました。それでは、攻略はいままで通りということで」
マドールは冷静を装いながらも、話を元に戻せたことに心の中で少しだけ安堵した。
エレオの提案は最終手段として考慮する余地はある。
だが、いまはそのときではない。最終手段を発動させれば、もう後戻りはできなくなるのだから。
ちらりと机の上に置かれた魔力時計に目をやる。
食事の時間はとうに過ぎており、自分の部屋に届けられているはずの昼食は、もう下げられてしまったかもしれない。
夕食まで我慢するしかないが、そう思うと腹が急に空いてきた。
それでも書類を進めなければ、夕食を取る時間すらなくなるだろう。
早いところエレオを仕事に戻らせ、自分も作業を進めなければならない。
深く息をついたマドールは、エレオに尋ねた。
「さて、頼んでいた新たな食料調達計画の進捗ですが、どうなっていますか?」
エレオは一瞬だけ目を泳がせると、口元に愛想笑いを浮かべた。
まるでその質問自体が空耳だったかのように、肩をすくめながら視線をどこか遠くへ飛ばす。
「えーっと、食料調達計画……? あー、あれはですね……」
言葉を濁しながら、机に置かれたペンを手に取ると、指先で器用にくるくると回し始めた。
一見無邪気で遊び心があるようにも見えるが、話題から逃れたいという意図が透けて見える。
だが、そのペンは思わぬ方向に飛び、カランと音を立てて床に落ちた。
「あーっ」
エレオは軽く声を上げたが、それ以上気にする様子もなく顔を上げると、話題を強引に変えた。
「それよりも――!」
机を勢いよく叩き、その音が部屋に響いた。
彼女は身を乗り出し、マドールをじっと見つめる。
「探索が当初計画よりも進んでないですよ!」
マドールは深く息をつき、静かに椅子の背もたれに身を預けた。
彼の視線はエレオをじっと捉えているが、そこには苛立ちよりも呆れとわずかな諦めが混ざっている。
だが、エレオの指摘が的を射ていることは否定できなかった。
だからこそ、彼は反論ではなく答えを導き出す責務を感じていた。
マドールは机の上で手を組むと、重い息をついて言葉を選んだ。
「想定以上に、この大地は厳しいですからね。それに、この暗黒大陸にたどり着けなかった船もあり、人員も計画より少なくなってしまいました」
それだけではない。当初計画では、大陸の探索は主に兵士たちが行う予定だった。
しかし、この大陸の危険性は、精鋭を揃えた兵士たちでさえ対応するには無謀と言えるほどだった。
結果として、探索は騎士たちに頼らざるを得ず、事前に立てた計画は破綻してしまっていたのだ。
説明をするマドールを、エレオは鋭い目つきでじっと睨みつけていた。
「すべてが想定通りに行くわけではないことなんて、想定済みじゃないですか。どう計画を修正するのか、それが問われてるんですよ」
エレオは小柄な体をさらに前のめりにし、力強い視線をマドールに向ける。
その目には珍しく笑顔のかけらもなく、彼女なりの真剣さが宿っている。
マドールもまた、その視線を真正面から受け止めたが、やがて少しだけ肩を落とし、疲れたように目を伏せた。
「ゲート2の調査部隊のひとつを探索に回すよう、メルヴィア様に進言してみます。ですが、受け入れられるかどうかは……」
「そこをなんとか通してください。本来ならあなたが総指揮を取るはずだったのに、メルヴィア様を連れてくるからこんなことになるんです」
エレオの顔から笑顔が消えていた。
その言葉は硬く、静かだったが、かえってその静けさが怒りを際立たせている。
マドールは言い返す。
「メルヴィア様なしでは、この遠征はすでに全滅していてもおかしくありませんでしたよ。帯同していただけたのは幸いでした」
「連れてきてしまったのは仕方ありません。戦力としては申し分ないのだから、最大限活用するべきです」
メルヴィアに対してなんという言い様だ、とマドールは半ば呆れながらも、エレオの勢いに押されて言葉を飲み込んだ。
彼女の鋭い目は、これ以上の追及を許さないとでも言いたげだった。
「メルヴィア様がいくら強くても、探索はできませんよ。それができるのは騎士団だけです。その騎士団をゲート攻略で消耗させるようなことは得策ではありません」
エレオの言葉には一切のためらいがなく、その理屈の鋭さにマドールは少したじろいだ。
しかし、すぐに考え込むような表情を浮かべ、反論を口にした。
「探索なら冒険者たちでもできます」
その一言に、エレオの顔にはっきりと不満の色が浮かぶ。
肩をすくめながら、机に手をつき、皮肉めいた口調で言い返す。
「冒険者? もう全滅したじゃないですか」
マドールの表情が一瞬険しくなる。
その言葉が聞き捨てならなかったのだろう。声を少し張り上げて反論する。
「帰りが遅れているだけです」
「まだそんなこと言ってるんですか? とっくに全滅しているに決まってるじゃないですか」
エレオは語気を強めながら、マドールの言葉を切り捨てた。
「彼らはそんなヤワじゃありませんよ」
その言葉に、マドールは不快感をあらわにして言い返したが、エレオは全く動じる様子を見せない。
「大陸一とも言われる冒険者なんでしょうけど、この大陸はそれ以上に危険だった。それだけのことです」
エレオは冷静だが冷たさを感じさせる口調で続けた。
その態度には理屈ではなく、現実を突きつける厳しさが宿っている。
「冒険者はリスクを取らなければ成功しない。けれど、そのリスクの代償として命を散らすものが多いのも事実。今回、彼らがそうなったということでしょう」
マドールは不満そうな表情を浮かべながらも、言い返すことはなかった。
エレオの言葉に含まれる真実を否定できなかったからだ。
「いい加減、冒険者は帰還の見込みなしとして作戦を立てるべきです」
エレオは肩をすくめ、淡々とした口調で言い放った。
「帰還した場合としない場合の両方で作戦を考案していますよ」
「そんなことしてるから、仕事が片付かないんじゃないですか。さっさと死亡宣言を出してください」
エレオは机の上の書類を指差しながら言う。
「メルヴィア様を説得してくれるのなら、そうしますけどね」
マドールは投げやり気味に返した。
「そう。じゃ、仕方ないですね。あなたにお任せしますよ」
エレオはあっさりと引き下がった。メルヴィアに直接意見するつもりは最初からなかったのだ。
冒険者がまだ生存していると主張しているのは、もはやひとりだけになっていた。
しかし、そのひとりがメルヴィアなのだから、表立って反論するものは誰もいない。
マドール自身も、冒険者の帰還の見込みが薄いことはわかっていたが、メルヴィアを説得する自信はまったくなかった。
冒険者の生存は、彼らが帰還すれば証明できる。
しかし、全滅したことを証明するには、死体が発見されなければならない。
調査隊には冒険者たちの探索も依頼しているが、これまで何の成果も得られていない。
装備の一部でも見つかればと思っているが、痕跡すら見つかっていないのが現状だ。
おそらく、調査予定地よりもさらに遠くへ進んでいったのだろう。そして、そこで全滅した可能性が高い。
だが、生存している可能性が完全にゼロになることはない。それがいくら低い確率であってもだ。
マドールは、いずれメルヴィアも「作戦上、冒険者は生存していない」と判断を下すだろうと思っている。
だが、それを認めるにはまだ時期尚早だと感じていた。
「でも、騎士たちには探索を優先させるべきです」
机から離れたエレオが、マドールの横を回り込みながら言った。
そして、彼の耳元で低い声でささやく。
「困りますよね? もっとゲートをたくさん見つけてもらわないと。たくさんアレを手に入れるためには――」
「エレオさん!」
マドールの強い声が部屋に響き、エレオは口を閉じた。
「滅多なことは言わないように。どこに耳があるかわかりません」
「はーい。すみません」
エレオは笑みを浮かべて答えたが、その軽い口調に本当に反省している様子はない。
「戻りますねー。次の探索計画書は明日にでも持ってきまーす。探索部隊がひとつ増えている計画書をね」
そう言って退室していくエレオの背中を、マドールはしばらく睨みつけていた。
やがて彼は深いため息をつくと、再び机に向かい、書類の処理に戻った。
しかし、その顔は、エレオが来る前よりも険しくなっていた。




