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第76話 落下

 重力に引っ張られ、ハヤトの体は暗闇の中を回転しながら落ちていた。

 頭が下を向いたかと思えば、次には視界がぐるりと反転し、何が上で何が下なのかもわからなくなる。


 頭の中は混乱と恐怖でいっぱいだった。

 視界の端に、遠く離れていく光がちらりと映る――ユーリのいた場所の光だろうか。

 だが、その光も次の瞬間には完全に闇に飲まれ、消えてしまった。


 いまにも硬い地面に叩きつけられるような感覚に襲われ、ハヤトはとっさに両腕で頭をかばった。


(ここで終わりか……!)


 だが、そうはならなかった。

 体は冷たい風を切りながら、さらに落ち続ける。

 

 時間が異様に長く感じられる。何秒経ったのかさえわからない。

 冷たい風が頬を打ちつけ、耳には轟音が響き渡る。

 回転し続ける視界はもはや混乱の極致に達し、思考は恐怖に塗りつぶされていた――そのときだった。


 突然、眩い光が暗闇を切り裂いた。


「……え?」


 暗闇に溶け込んでいたハヤトの体が、一瞬にして柔らかな光の中に包まれる。

 次の瞬間、何かがハヤトの肩に触れた。


「捕まえたわよ!」


 落下の速度が急激に緩まる。

 続いて誰かに後ろから抱きしめられた感覚――それがメルヴィアだと気づくのに、時間はかからなかった。

 彼女が横から飛び込んできて、しっかりとハヤトを抱きしめていた。

 

「ふぅ……何とか間に合ったわね」


 風の渦がふたりを包み込み、落下の速度を徐々に削いでいく。

 いつのまにか、体の回転も止まっていた。


「た、助かった……」


 ハヤトは安堵のため息をついた。

 5階層を制圧中のマジックドールだろう。うまく落下するハヤトを拾ってくれたらしい。

 完全には勢いが止まらないが、速度が抑えられたことで、少なくとも大惨事には至らなかった。

 あのまま落ち続けていたらどうなっていたのか――考えるだけで背筋が冷たくなる。


「落下速度を遅くするだけで、登るのはやっぱり無理ね……」


 メルヴィアの淡々とした声が耳元で聞こえた。

 

 ハヤトたちはどうやら深い縦穴を落ちているようだった。

 光に包まれたふたりの周囲には、柔らかな風の渦が絶え間なく流れている。

 メルヴィアの魔法が生み出す光は、半径10メートルほどの範囲を照らし出していた。

 その光に浮かび上がる縦穴の側壁は、風化した岩肌がむき出しになり、砂が静かに舞い上がっている。


 だが、その側壁が常に見えるわけではなかった。

 しばらく落下を続けると、側壁は再び暗闇に飲み込まれ、光の届かない領域へと消えていく。


「……広い穴だな」


 ハヤトはごくりと息を飲み、遠ざかる闇を見つめた。

 光の届かない空間は、縦穴が無限に広がっているかのような錯覚を抱かせる。

 

 ふいに、光の中に再び側壁が現れた。

 今度は滑らかな岩肌ではなく、鋭い突起が顔を覗かせている。

 もしも落下の軌道が少しでもずれていれば、岩に激突していたかもしれない――そんな思考が脳裏をよぎり、ハヤトは息を呑んだ。


 上を見上げると、はるか遠くに明かりが見える。あそこから落ちてきたのだ。

 一方で、下を見下ろせば闇が広がるばかりで、どこまで続いているのかまったくわからない。

 再び恐怖心が募り、ハヤトは無意識に後ろから抱きかかえるメルヴィアの手を掴んでいた。


「大丈夫よ。私がついてるんだから」


 メルヴィアの優しい声が耳に届く。その言葉に、暗闇の中でも不安が少し和らいだ。

 

 ふと、明かりに照らされる側壁の動きが視界に入る。

 ふたりの落下速度はそれほど速くないようだ。

 この調子なら、地面についても無事に着地できるかもしれない――そんな希望が胸をよぎる。


 しかし、暗闇の中を延々と落ち続けるのは、決して気持ちのいいものではなかった。

 もしも底が湖だったら――そんな想像が頭をよぎり、ハヤトの胸には新たな不安が広がる。

 

「私から離れたら即落ちるから、何があっても暴れたりしないでよ」


 メルヴィアが淡々とそう言うと、ハヤトの体を抱えていた右手を離し、底の方に向かって腕を振った。

 その指先から光球が飛び出していく。


「何を!?」


 ハヤトが驚く間もなく、光球は下方の壁に向かい、そこにぶつかる寸前、照らされた壁に人影が映った。

 その光球が人影に直撃すると、閃光とともに爆発を起こす。


「コローダーか!?」


「壁に張り付いているみたいね」


 メルヴィアは冷静に答えながら再び右手を振った。

 今度はふたつの光球が弧を描きながら下方へ飛んでいく。

 それぞれが目標を正確に捉え、次々と爆発を巻き起こした。

 爆発で砕けた壁の一部が底へと落ちていくのが見える。


 やがて、その破片が底にぶつかったらしい音が響いてきた。


「どうやら底が近いようだわ」


 暗闇に包まれてまだ見えないが、音の感じからすると底まで数十メートルといったところだろう。

 だが、底には危険生物が潜んでいるかもしれない――そう考えると、気が抜けない。

 ハヤトは首にぶら下がっていた銃を握りしめた。

 肩にかけていたスリングがなければ、銃はとうの昔に落としてしまっていただろう。

 リノが用意してくれたこのスリングに、ハヤトは感謝の念を抱いた。


 そのとき、風を切る音がして、何かがハヤトたちの横をかすめていった。


「下にいっぱいいるわね」


 メルヴィアは短く言うと、手を下に向け、大きな火の玉を生み出して投げ込んだ。

 火の玉は周囲を照らしながら縦穴を落ちていき、底に達すると一気に爆発し、周囲を火の海に変えた。

 燃え盛る炎の中でもがく複数のコローダーたちの姿が浮かび上がる。


「お、おい。この火の海に降りるのか!?」


 ハヤトの声は焦りを隠せない。

 このままでは自分たちもコローダーたちと一緒に焼き尽くされるのではないか――そう思わずにはいられない。

 

「大丈夫よ」


 メルヴィアは自信たっぷりにそう言い切った。

 すると不思議なことに、ハヤトたちが降下するにつれて、燃え盛る炎がふたりを避けるように動き始めた。

 いや、正確には、ハヤトたちが近づくと炎が勢いを失い、まるで下火になるかのように弱まっていくのだ。


 やがて、ハヤトたちはふわりと地面に降り立った。

 周囲は依然として炎の海が広がっていたが、不思議なことに、ふたりの周囲だけは火がすっかり消えていた。


「魔法障壁を展開してるから、魔力の炎は近づけないわ」


 メルヴィアがさらりと言うその声には、余裕が感じられる。


 そのとき、再び風を切る音がして、何かが炎の向こう側から飛んできた。

 しかし、それは硬質な音を立てて見えない壁に跳ね返り、地面に転がる。

 転がった物体を見ると、それは松葉のような形をした針だった。

 折れてしまっているが、刺されば痛いどころでは済まなそうだ。


「硬質化させた皮膚の一部を飛ばしてくるのよね」

 

 メルヴィアの説明が終わる前に、無数の針が次々と飛んできた。

 だが、それらもすべて見えない壁に弾かれ、音を立てて地面に落ちていく。


「こんなのはフルプレートを着た騎士たちには脅威にならないんだけど――」


 次の瞬間、飛来した何かが見えない壁に当たり、水風船を割ったような音を立てた。

 同時に、地面に嫌な音を立てながら液体が流れ落ちる。


「この酸性の液体が厄介なのよね」


 メルヴィアは余裕そうな様子で言葉を続ける。

 流れ落ちた酸は土と反応して、じゅうじゅうと音を立てている。


「これが強力な酸でね、魔力を帯びた剣や鎧まで溶かすんだから、接近戦なんかできたもんじゃないわ」


 無数の酸が飛んできて、次々と魔法障壁にぶつかる。


「だ、大丈夫なのか、これ?」


 ハヤトは思わず声を漏らした。


「これくらい大丈夫よ。でも――」


 メルヴィアは複数の光球を宙に生み出すと、それを次々と炎の向こう側へ投げ込んだ。

 立て続けに爆発音が響き、えんえんと飛んできていた酸の攻撃が止む。


「これ以上、酸を巻き散らかされると歩くのも大変になるから、さっさと片付けたわ」


「……おまえ、むちゃくちゃ強いな」


 その凄まじい光景に、ハヤトはただ呆然とし、つい言葉が漏れた。


「当然じゃない。いまさらわかったの?」


 メルヴィアは得意げに言い放つ。


 自称戦闘力53万の魔術師。普段の書斎でのふざけた姿からは想像もつかない力だ。

 これまでも危険な生物を瞬く間に処理してきたことから、彼女の実力はわかっていたつもりだった。

 だが、今回の戦いで見せた力は想像を超えていた。

 敵の攻撃をすべて障壁で防ぎ、炎の壁越しの目視できない相手を正確に撃破していく。

 その姿は、まさに圧巻だった。


 以前、ミリアと共に似たような状況で戦ったことがある。

 そのときは炎の壁の向こうにいたたった一匹の危険生物にすら苦戦し、ハヤト自身が援護のため近づきすぎたことで命を落としかけたのだった。

 このゲートに潜む危険生物は、あのときのものよりもランクが高い。

 それが複数いるにもかかわらず、メルヴィアは一方的に蹂躙している。


 その圧倒的な力に、ハヤトは驚きを超えて、もはや呆れすら感じていた。


「もう全部おまえひとりでいいんじゃないかな」


 魔術師は接近されると弱いというけれど、メルヴィアの展開する魔法障壁は物理攻撃も防いでいる。

 接近される隙すらなさそうだ。


 ハヤトの率直すぎる言葉に、メルヴィアは肩をすくめた。


「あのね。魔力は無尽蔵じゃないのよ?」


 そうだった。魔術師は魔力が尽きればただの人になる。

 ミリアも魔力を使い果たして、何もできなくなったことがあった。

 あのときは運良く騎士団の別働隊に遭遇し、ゴルドーを護衛につけてもらえたが、いまここでメルヴィアの魔力が尽きたら、本隊に合流するまで誰の支援も望めない。


「つかぬことを聞くけど……」


「ん。なあに?」


「魔力が切れたら、マジックドールはどうなるんだ?」


「そうね。魔力が切れると素体に戻るわね。一度そうなると、遠隔操作では再起動できないの。直接魔力を注ぎ込む必要があるわ」


「なんということだ……」


 ハヤトは頭を抱えた。

 もし魔力を使いすぎてマジックドールが素体に戻ったら、ハヤトはひとりになってしまう。

 そんなことになれば、この奈落の底のような場所で、暗闇に取り残されるのは避けられない。

 

「そうだ。いまのうちに、俺の銃に灯りの魔法をかけておいてくれ」


 ハヤトは銃を軽く持ち上げながらメルヴィアに頼んだ。


「なんで? 私のそばにいれば灯りは必要ないわよ」


「魔力が切れてからじゃ遅いだろ!」


「心配しなくても、そう簡単に魔力が切れたりしないわよ」


 メルヴィアは小さく笑みを浮かべて、余裕たっぷりの態度を崩さない。


「さっき無尽蔵じゃないって言っただろ」


「そうよ。だから補助魔力源をたくさん用意したの」


「補助魔力源?」


 そんなものがあるとは思いもしなかったハヤトは、メルヴィアを訝しげに見る。

 彼女の荷物は最小限だ。バックパックの中身も、弁当くらいしか入っていなかったはずだ。

 騎士たちに持たせた可能性もあるが……。


「――――まさか」


 ハヤトの脳裏にひらめくものがあった。


「ほかの魔術師が魔力源……か?」


「あら。よくわかったわね」


「もしかすると、すでに彼らの魔力を使っているのか?」


「そうよ。ここまで使った魔法はすべて彼らの魔力よ」


「それでか……」


 ハヤトはようやく合点がいった。

 どうりでユーナやほかの魔術師たちが消耗していたわけだ。

 これまで、ゲート内の移動が困難で体力の少ない魔術師たちがへばっているだけだと思っていた。

 だが実際には、メルヴィアが彼らの魔力を吸い取っていたのだ。


 薄々、ユーリ以外の魔術師が役に立っていないと思っていた自分が恥ずかしくなった。

 彼らはただの「お荷物」ではなく、見えないところで重要な役割を果たしていたのだ。


「彼らを直接戦わせるより、私に魔力を移譲してもらったほうが効率的でしょ?」


「でも少し吸いすぎじゃないか? ユーナたち、かなりへばってたぞ」


「自分で歩けてるし、まだ大丈夫よ。意識を失っても騎士たちが運んでくれるし」


「そういう問題なのか……?」


 ハヤトは納得しかねて首を傾げた。


「ゲート内の危険生物を殲滅するだけの魔力源は用意してあるから、安心なさい」


 そう言って不敵な笑みを浮かべるメルヴィアは、いつになく頼もしく見えた。

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