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第7話 聖王女

 重苦しい朝食の後に、ハヤトはいつものようにメルヴィアの書斎に向かった。食堂がある6階からメルヴィアの書斎がある11階まで、長い階段を一つずつ降りていく。途中で騎士やメイドたちとすれ違ったが、彼らはいつもと変わらない様子であった。


 8階層目に差しかかったときであった。9階層目から上がってくる騎士が見えた。

 ハヤトはハットする。その姿に見覚えがあった。

 小さな身体に似合わぬ大きな鎧を身につけた少年。昨夜、半身を失って死にかけていたはずの少年である。顔色はひどく悪いが下半身は普通にあった。

 ハヤトは自身の目が信じられず、驚愕の表情とともに立ち尽くしていると、少年騎士の方もハヤトに気づいた。少年騎士は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、ハヤトを無視して階段を登って行った。


(あいつ、生きてた……)


 ハヤトはしばらく棒立ちしていたが、やがて階段を降り始めた。そして少年のことを考える。


(あの傷で助かったのか? いや、そもそも違う人物だった?)


 昨晩は暗い場所でのことだったから、見間違えた可能性はある。騎士の中にはあの少年騎士と同じくらいの年若いのものが何人かいたはずだ。

 ハヤトの記憶のどの顔とも一致していないが、まだ知らぬ騎士も多いことだし、そうであってもおかしくない。だが、ハヤトにはどうしても昨晩の騎士はあの少年騎士であったように思えてならない。

 昨晩の騎士が生きていたとしたら、きっと魔法の力であろう。メルヴィアなら何か知っているかもしれない。

 ハヤトは階段を下りる足を早めた。


 メルヴィアの書斎がある11階層目のフロア。

 ハヤトは、ここでほかのものとすれ違ったことがなかった。

 一応、メイドがこの階層の入り口付近にある会議スペースの掃除をしているし、魔術師たちも定期的にその会議室を利用しているらしい。

 しかし、奥まった場所にある書斎へ向かう通路上では誰とも出会ったことはなかった。これまでは。

 

 ハヤトが少年騎士のことをあれこれ考えながら歩いていると、通路の曲がり角で、なにものかとぶつかった。

 ぶつかった相手は、その場にぺたんと座り込む。

 ハヤトが驚いて相手を見ると、肩に届かないくらいの長さの黒髪のメイド少女であった。


「ごめん。考えごとをしていた。だいじょうぶ?」


 ハヤトが手を差し伸べると、少女は黙ってハヤトの手を取り立ち上がった。

 ハヤトの肩ぐらいまでしかない小柄な少女。

 表情は硬く、感情のない眼差しをハヤトに向けている。

 ハヤトがたじろいでいると、少女は無言で軽く頭を下げ、ハヤトが来た方向に去っていった。


 少女の後ろ姿を見送りながら、見覚えのないメイドだとハヤトは思っていた。おそらくシア付きのメイドなのであろう。

 あの階層にいるメイドはハヤトがいる7階層のメイドとは全く違った雰囲気を持っていた。生活臭がないというか、まさに貴族のメイドという感じがした。

 ハヤトの周りのメイドは皆うら若き少女たちであるが、日々の仕事に勤しみ、どこかたくましさを持っている。

 だが、いま見た少女は儚く、ガラスのような脆さを感じた。ハヤトが取った少女の手はか細く、そして美しかった。

 少女が去った後もしばらく見送っていたハヤトであったが、やがて書斎に向かって歩き出した。


 ハヤトがメルヴィアの書斎に入ると、彼女は難しい顔をして机の上に広げられた書類を腕組みして眺めていた。いつもなら、ハヤトに対して何かしら声をかけてくるのだが、この日はハヤトが挨拶をしても変わらぬ表情で書類を睨み続けていた。


 少年騎士のことを聞きたくて我慢できなかったハヤトはメルヴィアに声をかけ続ける。

 最初はそんなハヤトを無視していたメルヴィアであったが、やがてうるさそうに返事をした。


「なによ、うるさいわね。こっちは寝てなくて気が立ってるんだから、静かになさいよね」

「悪いな。だが、どうしても聞きたいことがあるんだ。俺がここに来た初日、俺に絡んできたガキの騎士がいただろ? 昨晩の襲撃であいつがとても助からないような怪我をしているのを見たんだが、ここに来る途中で何ともなってないあいつとすれ違った。あの怪我を魔法の力で治したというのか? それとも俺が見間違えたのか?」


 メルヴィアは机に広げられていた書類のひとつを手にとると、すばやく目を走らせた。


「アレン君のことね。下半身を喪失する怪我を負ったようね。シアの回復魔法で一命を取り留めたとあるから、見間違いじゃないでしょうね」

「そうか! やっぱり見間違えじゃなかったか。しかしすごいな、この世界の魔法は」


 あんな怪我は元いた世界でも治せない。それを一晩で元通りにした魔法の凄さにハヤトは感心した。

 だがメルヴィアは首を振った。


「すごいのはこの世界の魔法じゃないわ。シアの魔法が特別なのよ」


 メルヴィアは手に持っていた書類を机の上に置くと、机の上で手を組んだ。


「回復魔法を使えるのはね、シアだけなのよ。だから、怪我人全員を治療できたわけじゃないわ」


 虚空を見つめながらメルヴィアは厳しい表情をする。


「えっ、シアしか回復魔法を使えないのか?」

「そうよ。この軍団で使えるのがシアだけってことだけじゃなく、王国全体でも、いえ、この世界全体で回復魔法を使えるのはシアだけなのよ」


 ハヤトは驚いた。

 回復魔法というのはファンタジー・ロールプレイング・ゲームの基本であるとすら思っていた。それが激レア魔法であるというのは予想外であった。

 メルヴィアは続ける。


「攻撃魔法は破壊が目的だから、単にエネルギーを生み出せばいくらでもできる。でも、壊れたものを戻すのは難しいのよ。難しいというよりも無理。それを実現するんだから奇跡の魔法と呼ばれているわ。回復魔法は王家に連なるものだけが稀に使える、選ばれし者の証なのよ。私たちの国が聖王国と呼ばれている由縁でもあるわ。シアは聖王国の聖王女として、大陸で知らぬものがいないほど有名なのよ」

「そうだったのか……。こんな遠征に王女が来るのはどういう理由なのかと思っていたけど、そういうことだったんだな」


 半身を喪失するような怪我すら一晩で治す回復魔法。このような遠征において、そんな魔法があるのとないのとではまるで違うだろう。


「そうよ。しかも、シアだけが使える魔法は回復魔法だけじゃない。広範囲探知の魔法や絶対破壊不能の魔法の盾、ほかにもいくつかあるわ。シアの広範囲探知の魔法がなければ、私たちはここに辿り着くことすらできなかったでしょうね」


 メルヴィアは過去のことを想いだしているのであろうか。首を振りながら自虐的な笑いを浮かべた。


「シアって、天才なんだな」


 ハヤトは素直に感心した。その血筋、美貌、そして才能。天は三物を与えたのだ。

 メルヴィアは目を閉じて、なにごとかを考えているようだったが、やがて目を開けるとこう言った。


「……シアなしでは、私たちはここで生き抜けない。シアが王女ということを抜きにしても、私たちはシアの安全を第一にしなければならないわ」


 数日後、ハヤトはエルルと休憩室でいつものように雑談をしていた。


「…………しかし、やっぱりシアはすごいな」


 メルヴィアからシアの話を聞いて以来、何度となくシアのことを話題にあげていた。


「そうですよ、すごいお人なんです」


 エルルは自分が褒められたように嬉しそうな表情をすると、お茶を一口すすった。


「それにシアさまは私たちメイドにも優しく声をかけてくれるんです。……でもめったに会えないんですけどね」

「エルちゃんは12階層にはいかないの?」

「ときどき食材を運んだりとかで行きますけど、入り口でメイドの子に渡すだけです。入り口から見える感じではとっても素敵なとこみたいですね」

「たしかにあそこは別空間だったな」

「ハヤトさんはあそこに入ったんですよね」


 エルルはいいなあと羨ましがる。


「ま、でも俺はこの7階層の方が好きだよ?」

「そうなんですか?」

「だって、エルちゃんがいるんだからね」


 その言葉にエルルはにこりと微笑んでくれた。


「はい、今日一番の笑顔、いただき!」


 エルルとの楽しい休憩時間を終え、ハヤトはメルヴィアの書斎に向う。

 7階層から下へ降りる階段のところで、ちょうど上から降りてくる人がいた。

 ハヤトが見上げると、それは短髪の金髪で革鎧を来た筋肉隆々の女性だった。アマゾネスという言葉が似合うその女は、ハヤトには見覚えがないが、シアの近辺を護衛する近衛であろう。

 手には果物を抱えており、そのうちのひとつにかじりついていた。

 彼女はハヤトに気がつくと、気さくに挨拶をしてきた。


「よお勇者。元気かい?」


 騎士団や近衛団にはよく思われていないと思っていたハヤトは、彼女のフレンドリーな挨拶に面食らった。


「どうも。まあぼちぼちかな」


 彼女は「それはよかった」と言うと豪快に笑った。


「いまからメルヴィア様のところに行くところかい?」

「ええ、そうです」


 ハヤトは自分でも知らないうちに彼女に対して敬語を使っていた。

 彼女の年齢はハヤトよりいくつか年上に見えたが、それ以上に彼女の姉御肌の雰囲気にハヤトは呑まれていた。


「あたしも12階層に戻るところだから、途中まで一緒に行こうや」


 そう言うと、彼女は抱えていた果物のひとつをハヤトに手渡した。


「どうも」

「良いってことよ。元々6階の食堂からかっぱ――、もらってきたものだしな」


 近衛たちは上品で澄ました顔をしていると思っていたが、どうやらこの人は例外のようだ。

 ハヤトはその近衛と並んで階段を降りていった。道中、彼女からいろいろと質問を受ける。

 魔力がないって本当か? 剣も握ったことがないのか? メイドの仕事は慣れたか? 好みの娘は見つかったか?

 最後の質問にハヤトがうろたえながら「そんな娘はいない」と否定すると、彼女はにやりと笑う。


「本当かな? ここにいる女は、なかなかレベルが高いと思うんだがな。あ、もちろん、あたしもその中の一人だぞ」


 そう言って彼女はハヤトにウィンクをしてきた。


 彼女の言う通り、たしかにここにいる女性陣はかわいい子が多いとハヤトは薄々思っていた。

 王女であるシアは別格としても、エルルを始めとしたメイドたちもかわいい子がそろっているし、近衛団は騎士団や兵士団からの人気が高いだけあって、高嶺の花という言葉が似合うぐらいだった。

 また魔術師団にもきれいどころがいるし、メルヴィアだって黙ってればいい女で通せるだろう。


「まあそうですね。でも俺には関係ないことですよ」

「どうして?」


 彼女は片眉を跳ね上げて尋ねる。表情が豊かな女性だ。


「俺は下働きですからね。言ってみれば最下層の男じゃないですか」

「なに言ってんだ。おまえは勇者じゃないか」

「誰もそんなふうに俺を見てませんよ」

「そんなことはない。みんな、おまえを勇者と認めてるさ」


 彼女のその言葉にハヤトはため息をつく。とてもそうは思えなかったからだ。

 実際のところ、ハヤトを勇者と思っているのはシアぐらいなのではないだろうかとハヤトは感じていた。

 エルルだって正直どう思っているのかはわからかった。


「自分で言うのもなんですが、俺は勇者って感じじゃないですからね。実際やってるのはメイドの仕事だし」

「いや、おまえは勇者だよ」

「どうして?」

「だって、おまえ、メルヴィア様の相手をしてるじゃないか」


 彼女の言葉にハヤトは吹き出して笑った。彼女も続いてハヤトと一緒に笑う。

 ハヤトは笑いながらも言葉を返す。


「ああそうですね。あれは手強いですよ」

「そうだろ? 誰の手にも負えないからな」

「やっぱりそうなんですか。まあそうだとは思ってましたけど」


 気がつけば11階層に着いていた。

 彼女は立ち止まると、最後にこんなことを言ってきた。


「近衛団の間では、おまえの話でもちきりだよ。意外とおまえ、人気あるのかもな」

「近衛団ですか……。悪い噂でもしてるんじゃないんですか。この間だってシアに呼ばれて12階層に行ったら、シアの横に控えていた近衛に、汚物でも見るような目を向けられましたからね」


 ハヤトの言葉に彼女は首を傾げるが、すぐに何かに思い至った顔をする。


「……それって、青みがかった黒色の髪のやつか?」

「ええ」

「そいつはシア様に近づく男にはみんなそんな感じだから気にすんな。騎士に対してもああだからな」

「そうだったんですか」

「あいつはなに考えてるんだかよくわからないとこがある。シア様に心酔してるから、おそらく聖女に近づく男が許せないんだろう。でもあいつ、あんなんでも騎士や兵士たちの間では一番人気らしいぜ。あたしのほうがいい女だと思うんだがなあ」


 そう言って彼女はひとしきり笑うと、「頑張ってな。勇者ハヤト」と言い残し、そのまま12階層へと階段を降りていった。

 その後姿を見送りながら、ハヤトは彼女の名前を聞いてなかったことに気がついた。

 次に会ったら名前を聞こう。

 ハヤトはもらった果物をかじりながら、メルヴィアの書斎へ向った。


「さあ今日も頑張るぞ」

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