第75話 束の間の休息
2階層と3階層を繋ぐ坂の手前。
ハヤトたちは荒れた地面に座り込み、体力の回復を図るべく休息を取っていた。
魔術師たちは一様に疲れ切った様子で、顔色もどこか悪い。
杖を横たえ、ぐったりと地面に座り込んだまま動こうとしない。
ユーリもまた疲れの色を隠せず、ハヤトとは反対側の壁際に寄りかかり、静かに目を伏せていた。
先に3階層へ下りたのは、ラダン率いる騎士5名とシア、そしてメルヴィア。
坂の手前に残ったのは、ハヤト、ユーリを含む魔術師4名、そして後衛の騎士5名だ。
騎士たちはハヤトたちに背を向け、隊列の最後尾に座っていた。
彼らは気を緩めることなく、ハヤトたちが通ってきた道を警戒し続けている。
コローダーが縦穴を使って不意に現れる可能性がある以上、最後尾への警戒は怠れないのだ。
(もしここでコローダーが現れたら、自分が対応することになるだろう)
そう考えたハヤトは、休みながらも心の準備だけはしておくようにしていた。
そのとき、坂の下から遠く響く鈍い爆発音が聞こえた。
ハヤトは反射的に坂の方へ顔を向ける。
「――まずは1体」
メルヴィアの落ち着いた声が、坂の下から届いた。
坂の斜面は、ユーリがかけた照明魔法によって淡い光を纏っている。
その先には、座っているシアと、立ったまま報告をするメルヴィアの姿だけがハヤトの目に入った。
騎士たちはおそらくもう少し先で警戒に当たっているのだろう。
(いまの音、ずいぶん遠かったな……)
ハヤトは小さくため息をついた。
爆発音が遠いということは、4階層への坂がいまいる場所からかなり離れていることを示している。
(魔術師たち、あそこまでついていけるのだろうか?)
ハヤトは座り込んでいる魔術師たちに目を向けた。
出発時にはきれいだったローブは、いまや泥にまみれ、ところどころ破れた箇所もある。
中には力尽きたのか、地面に寝転がってしまったものまでいた。
ユーリはまだマシだが、それでも肩で息をしている。
(移動だけで、もう限界じゃないか)
ここのゲートは歩くのも大変だが、ミリアと比べても彼らはさらに体力がないように思える。
騎士たちが「魔術師を連れて行きたくない」と主張する理由も理解できる気がした。
魔術師の力は頼りになるが、その代償として移動の足手まといになりかねない――それが現実なのだ。
ハヤトは、休息している騎士たちに目を向けた。
騎士たちは背中に背負っていた荷物を降ろし、地面に腰を下ろしている。
彼らの顔はフルフェイスの兜に隠されているため表情は見えない。
だが、丸まった背中や、小さく上下する肩、鎧越しに伝わる深い息遣いからは、彼らも相当疲労していることがうかがえた。
(騎士たちも、疲れてるのか……)
後衛の騎士たちは、重そうな金属製の箱を運び込んでいた。
箱には転送物質を収容するための特別な魔法が施されている。
転送物質は自然反応で異世界への扉を開く危険性があり、それを抑え込むための設計だと聞いている。
――だが、あくまで「抑え込む」だけであり、可能性がゼロというわけではない。
運搬中に、もしどこか別の異世界から危険生物が転送されてきたら――。
考えるだけで背筋が冷える話だ。
騎士たちが、その箱を背負って運ぶことになる帰り道を思うと、ハヤトは彼らに少し同情した。
(全身金属鎧で坂を下るだけでもこたえるだろうに……)
重い鎧をまとったまま足場の悪い坂を慎重に下るだけでも、精神的にも肉体的にも負担は大きい。
それに加えて、彼らには「周囲の警戒」という任務もあるのだ。
いくら戦い慣れしているとはいえ、その緊張感がさらに体力を奪っているに違いない。
――ド-ンッ!
遠くから再び、鈍い爆発音が響いてきた。
今度は、さきほどよりも近い。
(……戻ってきている?)
音の聞こえる方角を考えながら、ハヤトは周囲を見回した。
どうやら5階層のルートは、2階層の方に戻ってくるような構造らしい。
「楽に下りられる道でもあればな……」
ふと、つぶやきが漏れる。
魔法で床に穴を開け、一気に下層へ飛び降りるような手段があればいいのに、と思う。
だが、そんな魔法があれば、とっくに使っているはずだ。
縦穴は深すぎて危険だし、結局、地道に歩いて進むしかないのだ。
ふと視線を巡らせると、反対側の壁にもたれかかるユーリの姿が目に入った。
彼女は杖を胸に抱くようにして、目を閉じている。
その顔には疲労の色が濃く、浅い呼吸がときおり微かに震えているようにも見えた。
(クレアに「ユーリのことをお願い」と言われていたな……)
ハヤトは立ち上がり、できるだけ静かな足取りでユーリへと近づいた。
ユーリはハヤトが近づいても目を開けず、額ににじんだ汗が光っていた。
「ユーリ、大丈夫か?」
屈み込んで顔を覗き込むと、ユーリはゆっくりと目を開けた。
疲れ切った瞳が一瞬だけ揺れ、彼女は薄く微笑んでみせる。
「ああ……ごめんなさい。大丈夫……」
声には力がなく、手にした杖も壁にもたれるように力なく垂れている。
ハヤトは短く息を吐くと、静かに言った。
「無理すんなよ。さっきから照明魔法、ずっと使ってるだろ?」
「……平気ですよ」
ユーリはかすれた声で返し、ふっと笑った。
「私、照明魔法だけは得意なんです。ベースキャンプの明かりも、大半は私がかけたものなんですよ」
「え?」
ハヤトは思わず驚きの声を漏らした。
ベースキャンプ内の照明は、時間の経過に合わせて明るさが自動で変化する優れモノだ。
そのおかげで昼夜の区別がつき、正しい生活リズムを保つことができていた。
「そうだったのか……。ベースキャンプ内で時間がわかるのは、ユーリのおかげだったんだな」
「……ふふ、そうですよ。私、結構役に立つでしょ?」
彼女の声には少しだけ誇らしさが滲んでいる。
それが妙に微笑ましく、ハヤトは小さくうなずいた。
「感謝してるよ。ここまで来られたのも、ユーリの照明魔法があってこそだしな」
その言葉にユーリは少し照れたように視線をそらす。
さっきまでの疲れた表情が、わずかに和らいで見えた。
(……大丈夫そうだな)
そう思いながら、ハヤトはほかの魔術師たちの様子を見回そうとした。
その瞬間――
足元が、かすかに震えた。
最初は、誰も気づかないほどの微かな振動だった。
ハヤトは足裏に違和感を感じて顔を上げたが、周囲はまだ気づいていない。
(気のせいか? いや、いまのは……)
もう一度、足元の地面に意識を向けた――そのときだった。
揺れが、少しだけ大きくなった。
「……なんだ?」
騎士のひとりが不審そうに声を漏らし、その一言がまるで合図のようになった。
地面の震えは急激に大きくなり、洞窟全体が唸り声をあげた。
岩壁がゴゴゴ……と低く唸り、小石や砂が天井からパラパラと降り始める。
「地震か!?」
誰かの叫びが響いた。
ハヤトは地面に手をつき、なんとか体勢を保とうとする。
騎士たちも立ち上がろうとするが、足元は不安定に揺れ続け、それすらままならない。
地面は波打つように不安定に揺れ、岩壁の隙間から細かな砂や小石がパラパラと落ちてきた。
「しっかり踏ん張れ!」
騎士のひとりが声を張り上げた。
しかし、すでに揺れは洞窟全体に伝わり、耳に響く低い振動音が不安を煽る。
遠くからは岩同士がぶつかる鈍い音も聞こえ始め、まるで巨大な何かが目を覚まし、洞窟そのものを揺さぶっているようだった。
「まずい、これは……!」
ハヤトは息を飲み、周囲を見渡す。
魔術師のひとりが崩れかけた岩に手をつき、必死にしがみついている。
騎士たちも立ち上がるのは諦め、地面に手をつき耐えていた。
そして――揺れはさらに強くなった。
岩壁のどこかで「バキッ」という鋭い音が響き、洞窟の天井から砂と小石がぽつりぽつりと落ち始める。
「頭上に気をつけろ!」
誰かの声が飛び、ハヤトは反射的に頭上を見上げる。
魔法の淡い光が照らす天井は、不気味に歪んで見え、いまにも崩れ落ちてきそうな気配を漂わせている。
「やばくないか!?」
天井が崩れるかもしれない――そう思った瞬間、今度はカラッと、地面に小石が弾けるような音が響く。
それが合図だったかのように、天井の隙間から勢いを増した石や砂が一気に降り注ぎ始めた。
「おい、落ちてきてるぞ!」
騎士の誰かが叫び、ハヤトの目の前にも小石が転がっていく。
音は次第に大きくなり、天井のどこかで不吉なひび割れの音が響き始めた。
「天井が……!」
慌てた声が飛び交う中、ユーリが杖を掲げ、低く呪文を唱え始めた。
光が杖の先に集まり、薄い光の膜が天井に広がる。
それは崩れかけた岩肌に張り付き、まるで時間を止めるように天井の動きを静止させた。
――だが、それはほんの一瞬の静止にすぎなかった。
「よし、止まった――!」
誰かが安堵の声を漏らした、そのときだった。
ドゴッ――!
突然、足元が大きく崩れた。
ユーリの立っていた地面が鈍い音を立てて砕け、彼女の体が穴へと引きずられる。
「……あっ!」
「ユーリ!」
ハヤトは反射的に手を伸ばし、崩れゆく岩の隙間に沈みかけたユーリの腕を、ギリギリのところで掴んだ。
力を込めて引っ張ると、ユーリの体はなんとか地面に戻り、彼女はその場に倒れ込む。
だが――
その勢いのまま、ハヤトの体が大きく前のめりになった。
「ハヤトさん!」
ユーリの叫びが聞こえた瞬間、ハヤトの体は重力に引きずられた。
視界がぐるりと反転し、周囲が暗闇に変わる。
「くそっ……!」
手を伸ばす。
必死に何かを掴もうとするが、指先は空を切り、何ひとつ掴めるものはない。
ただ冷たい風が頬を打ち、耳には風を切る轟音だけが響いた。
(――落ちてる。死ぬのか?)
時間が止まったかのように、思考が冷静に働く。
だが、反射的に体を動かしても、空虚な暗闇がすべてを飲み込んでいく。
――ユーリの必死の表情。
その顔が遠く、光の向こうに見えた。それが最後の光景だった。




