第73話 コローダー
メルヴィアの案内に従って進み、たどり着いたその坂は、一目で尋常ではない急勾配だとわかる代物だった。
暗闇の中、騎士たちの鞘にかけられた魔法の光がその斜面を照らし出すと、全員の視線が坂に釘付けになる。
岩肌はゴツゴツと荒れ、鋭い突起が至るところに顔を覗かせていた。
踏み外せば、底の見えない闇へと一気に滑落しそうな恐怖感が全身を包む。
「ここを降りるのか?」
ひとりの騎士が恐る恐る問いかけた。その声には緊張が滲んでいる。
「ロープを下ろせば降りられるだろう」
ラダンが冷静に答え、続けてユーリに指示を出す。
「ユーリ殿、照明魔法を頼む」
ユーリは無言でうなずくと、ゆっくりと坂に近づき、杖で斜面を軽く叩いた。
すると、杖先から光の帯が伸び、斜面全体が淡い光で包まれる。
その光が映し出したものに、ハヤトは息を飲んだ。
斜面には、不規則に鋭い岩が突き出し、あちこちが荒々しい凹凸で覆われている。
滑らかな場所はほとんど見当たらず、足を置ける安全な場所を探すだけでも骨が折れそうだった。
「ロープを準備しろ」
ラダンが騎士のひとりに指示を飛ばす。
指名された騎士は無言でバックパックを下ろし、中からロープを取り出した。
バックパックの代わりに盾を背負っている騎士たちも半分ほどいるが、酸を飛ばす危険生物への備えとして用意されたものだろう。
ラダンは周囲を見回し、頑丈そうな岩を見つけると指さした。
「ここに結び付けるぞ」
騎士のひとりがロープを手にその岩へと近づき、慎重に結び目を作り始めた。
ロープは岩にしっかりと巻き付けられ、結び目が確実に固定されるまで何度も力強く締められた。
その後、力を込めて引っ張り、結び目が緩まないことを確認する。
十分な強度を確かめると、ロープを斜面に向かって垂らした。
「できました」
ロープを垂らし終えた騎士が声を上げると、ラダンはうなずき、シアに向き直って報告した。
「準備完了です」
シアは軽くうなずく。
「ご苦労です」
そしてメルヴィアに尋ねた。
「メルヴィア、進捗はどうですか?」
そのときだった。坂の下から耳をつんざくような爆発音が洞窟全体に響き渡る。
音は岩壁に反射し、複数の方向から押し寄せるように響いた。
ハヤトは反射的に坂の方へ目を向けたが、急勾配の先で何が起こっているかは確認できない。
音に騎士たちも一斉に緊張を高め、全員が身構えるように姿勢を正した。
「いま3体倒したわ」
メルヴィアが淡々と告げた。
さきほど倒した3体と合わせて、これで6体。第2階層にいるのは残り2体だ。
「シア、周辺感知の魔法をお願い」
メルヴィアが続けると、シアはうなずき、小声で呪文を唱え始めた。
シアは目を閉じ、しばらく集中したあと、静かに口を開く。
「下の階層に、動体反応は5」
その言葉にハヤトは驚き、眉をひそめた。
魔法の爆発音がさらに下の階層から危険生物を引き寄せたのだろう。
だが、メルヴィアはまったく動揺した様子を見せず、問いかけた。
「増えた3体が来た方角はわかる?」
シアは目を閉じたまま、静かにひとつの方向を指し示した。
その動きにメルヴィアがつぶやく。
「そっちの方向に、3階層へのルートがあるってことね」
メルヴィアの言葉を聞いて、ハヤトはようやく事態を理解した。
爆発音であえて危険生物を引き寄せ、3階層へのルートを効率よく見つけようとしたのだ。
だが、シアの報告はまだ続いた。
「さらに下の第3階層の動体反応――」
シアは一瞬言葉を切り、落ち着いた声で続ける。
「第2階層に元からいた2つの反応が、この階層に登ってきています」
「なんですって?」
メルヴィアがわずかに驚いた声を上げた。
「……いま登ってきました。あちらの方向、距離100メートルの位置。こちらに向かって歩いています」
ハヤトたちがやってきた方向だ。
一同が後ろの暗闇を振り返る。だが、その闇の中にはわずかな動きもなく、何の気配も感じられない。
いまハヤトたちがいる場所は広大な空間であり、遠くの壁までは到底光が届かない。
入ってきた入り口すらも、闇に飲まれたかのように見えなくなっていた。
「しょうがないわね。片付けてくるわ」
そう言って歩き出そうとしたメルヴィアを、シアが制止した。
「待ってください。ここは、ハヤトさんに迎撃してもらいます」
「え、俺?」
突然の指名にハヤトは思わず声を上げる。
メルヴィアも不満そうに眉をひそめた。
「訓練なんかしている場合じゃないわ。ここは私がやるわ」
だが、シアはきっぱりと却下した。
「ダメです。ここであなたに魔法を使わせるわけにはいきません」
緊張した空気が張り詰める中、ラダンが冷静に口を挟む。
「シア様、騎士6人で向かえば、向こうは2体。3対1の戦いができ、武器の消耗を抑えられます」
しかし、シアは首を横に振った。
「接近戦は最終手段です」
毅然とした態度でそう言い放つと、シアはハヤトに向き直り、まっすぐな目で告げた。
「ハヤトさん。向かってくる危険生物を銃で倒してください」
拒否する余地はなさそうだ。
ハヤトは覚悟を決めてうなずいた。
「わかった。やってみる」
その一言のあと、ハヤトはメルヴィアの方をうかがった。
メルヴィアは大きくため息をついたあと、やがて短くうなずいた。
「しかたないわね。――ラダン、盾を構えて、飛んでくる酸を防いで」
「承知した」
ラダンは短く答え、ほかの騎士に指示を出す。
同時にメルヴィアはユーリに向き直った。
「ユーリ、この空間の入り口まで明るくして」
「……はい」
震える声で応じたユーリは、呪文を唱え、杖で床を叩く。
そこから光の帯が伸び、ハヤトたちが入ってきた入り口まで魔法の灯りが広がった。
入り口までの距離はおよそ50メートル。
ラダンを含む4人の騎士が盾を構え、ハヤトたちの前に立った。
その背後で、ハヤトは片膝をつき、サブマシンガンを構える。
「10メートルの距離まで近づかれたら、私が片付けるわ。いいわね、シア?」
「はい」
背後で交わされるやり取りを聞きながら、ハヤトは銃のセーフティを外し、トリガーに軽く指をかけた。
「あと10秒で来るわ」
メルヴィアの声に、ハヤトの緊張感が一気に高まる。
そして、メルヴィアはカウントダウンを始めた。
「……5、4、3、2、1」
ハヤトが銃口を向けた先、暗闇の中からそれが姿を現した。
一見すると人間のような形状だった。
だが、すぐに異様な輪郭が目に飛び込んでくる。腕や足の数が多すぎる。
白く不自然な体表が、魔法の灯りに浮かび上がり、まるで生気のない死者を思わせた。
ハヤトは反射的にトリガーを引きそうになるが、リノのアドバイスが脳裏をよぎり、指を止めた。
――急ぐ必要はないよ。狙いが正確なら、一発で仕留められる。
入り口で一瞬足を止めていた2体は、ハヤトたちを認識すると、異様な動きでこちらに向かって走り出した。
多すぎる手足がカクカクとねじれるように動き、不規則なリズムで地面を蹴る。
その動きにはどこか壊れた人形のような不気味さがあり、ハヤトの背筋に寒気が走った。
しかし、その異様な動きの中にも、よく見ると一定のリズムがある。
左右に揺れるたび、足元がわずかに緩む――その瞬間が狙いどころだ。
ハヤトは息を整え、1体目に狙いを定めると、トリガーを引いた。
銃口から火花とともに飛び出す高速の弾丸。
鋭い破裂音が洞窟内に反響し、薬莢が次々に地面に落ちる。
肩に軽い衝撃が伝わり、握った手には小刻みな振動が続く。
弾丸を浴びた1体目のコローダーは、勢いよく後方へ吹き飛んだ。
そのまま地面に叩きつけられると動かなくなる。
目の前のターゲットが崩れ落ちた瞬間、ハヤトは体をひねりながら銃口を次の敵へ向けた。
距離は25メートル。さきほどよりも近いが、その分狙いもつけやすい。
瞬時に照準を合わせ、再びトリガーを引く。
銃声が響き、2体目のコローダーも弾丸を受けて後方へ飛ばされる。
そのまま地面に沈み込み、微動だにしなくなった。
ハヤトが射撃を止めると、洞窟内は再び静寂に包まれる。
光の帯の中で、倒れたコローダーの白い体が、死者のように静かに横たわっていた。
――パチパチパチ。
シアの拍手が静寂を破った。
「お見事です、ハヤトさん」
ハヤトは銃のセーフティを戻し、銃口を下ろしてシアの方を見る。
彼女は穏やかに微笑みながら手を叩いていた。
だが、周囲の反応は冷ややかだった。
騎士たちも、魔術師たちも、ただ黙って様子を見ているだけだ。
「訓練の効果は、一応あったみたいね」
メルヴィアが気のない口調で言う。
その視線は冷めていて、ハヤトを評価しているのか、ただからかっているのかは読み取れなかった。
メルヴィアの言葉に、シアは満足そうにうなずく。
「次のゲートの攻略では、ハヤトさんに期待しています」
ハヤトは、騎士たちの前でそんなことを言って大丈夫なのかと内心で不安を覚え、彼らの様子をうかがった。
だが、兜に覆われた表情からは何も読み取れない。
ただ、ラダンだけは「確認してきます」と言い残し、騎士3人を連れて倒れたコローダーの元へ向かっていった。
ハヤトは空気を変えようと話題を振る。
「それにしても、あのコローダーとかいうやつは、どっから登ってきたんだ?」
「ほかにもルートがあったのかしらね……」
メルヴィアが考え込むように言うと、シアが答えた。
「あの2体は、まっすぐ上に移動してきました」
「ということは、縦穴を登ってきた――ということね」
「はい。おそらくそうです」
「……やっかいね」
メルヴィアは険しい顔をして考え込む。
ふたりの会話を聞いたハヤトも、思考を巡らせた。
コローダーが縦穴を使って登ってくるということは、これからも背後を突かれる危険があるということだ。
メルヴィアのマジックドールを先行させて戦わせても、本隊の安全が保証されるわけではない――そんな考えが頭をよぎった。
しばらくして、ラダンが戻ってきた。
「2体とも完全に破壊されています」
「そうですか」
シアは短くそう答えた。それ以上の言葉を付け加える気配はない。
その声に感情の起伏は感じられず、まるで自分には関係のない話を聞いたかのようだった。
さっきまでのハヤトの活躍を称えていた姿は、もうそこにはなかった。
無表情のまま口を閉じた彼女に引っ張られるように、騎士たちも沈黙を保つ。
そのまま誰も口を開かず、2階層の掃討が終わるのを待った。
その後、2階層の掃討が完了し、3階層へのルートも発見された。
ただし、3階層の掃討が終わるまでは、本隊が1階層に留まることが決定された。
背後からの奇襲リスクを減らすため、間に1階層のマージンを取る。
それが今後の方針となった。




