第72話 ゲート突入
ゲート入り口周辺は、地震の爪痕が色濃く残る荒々しい風景だった。
斜面では木々が斜めに倒れ、根本がむき出しになったものや、土砂に半ば埋もれたものが散見される。
地面には細かな亀裂やひび割れが無数に走り、まばらに生えた草や低木が、その隙間から無理やり顔を出しているかのように見えた。
山の斜面には、露出した岩盤がむき出しになり、ところどころで苔やシダのような植物が青々と茂っている。
しかし、その緑の風景の中に、不自然な裂け目――ゲート入り口が横たわっていた。
その裂け目は、地面を断ち切るようにぽっかりと口を開けている。
穴の縁に立つと、足元から急に地面が途切れ、闇へと吸い込まれるような急斜面が広がっていた。
ざらついた岩肌が不規則に突き出し、段差の間には崩れやすそうな土砂や小石が溜まっている。
わずかな衝撃でも滑り落ちそうな、不安定な足場だった。
裂け目の奥には、ただ深い闇が広がっている。
日の光が届かないその奥底には、何が潜んでいるのか――想像するだけで息が詰まる。
ラダンが一歩前に出て、その裂け目を見据えながら声を張り上げた。
「この間の地震でできたと思われる裂け目です。この穴からはときおり危険生物が這い出してきます。斜面の角度は深く、歩いて降りられるかどうかは不明です」
その声は落ち着いていたが、わずかに緊張が滲んでいる。
シアは黙ってうなずき、背後でハヤトの隣に立つメルヴィアに視線を向けた。
「メルヴィア、中の様子はどうですか?」
メルヴィアは即座に答える。
「入り口からの斜面は慎重に歩けば十分下りられるわ。下りた先には天井の高い洞窟が広がっている。いまのところ、特に危険なものは見当たらないわね」
メルヴィアのマジックドールはすでに裂け目の奥深くまで進んでいるらしい。
遠隔で偵察を行い、危険を回避するその便利さに、ハヤトは改めて感心した。
「わかりました。メルヴィアは引き続き先行してください」
シアはそう指示を出すと、ラダンに向き直り、凛とした声で命じた。
「ラダン、作戦を開始してください」
ラダンは部隊全員に向き直り、裂け目を背に堂々と宣言した。
「これよりゲートに突入する! シア様の周辺感知魔法により、地下30メートルまでは動体反応がないことが確認されている。しかし、それは安全を保証するものではない。全員、最大限の警戒を怠らぬように!」
その場に緊張が走る中、ラダンは前列にいたユーリに向き直った。
「ユーリ殿、斜面に照明魔法を」
「了解しました」
ユーリが杖を掲げると、裂け目の斜面が魔法の光に包まれた。
暗い裂け目の中が淡い光で照らされ、その深さと広がりがはっきりと浮かび上がる。
「全員、隊列を保て! いくぞ!」
ラダンが鋭い声を響かせると、斜面の奥を確認し、裂け目の中へと一歩踏み出した。
そのあとを騎士3名が縦に続く。
少し遅れてシアが中に入ると、メルヴィアが振り返り、ハヤトに声をかけた。
「次はあんたの番よ」
ハヤトは、照明魔法で照らされた斜面をじっと見つめた。
明るくなったとはいえ、不安定な足場と、その先に広がる未知への恐怖が胸を締めつける。
だが、先に進んでいくシアたちの姿を見ると、躊躇している自分が情けなく思えてきた。
「やるしかないか」
小さくつぶやくと、ハヤトはひんやりとした空気に包まれる裂け目の中へと、一歩を踏み出した。
斜面は照明魔法によって明るく照らされているものの、その急な角度は変わらない。
足場になりそうな突起や岩を探しながら慎重に下るたび、わずかな土砂が音を立てて下へ滑り落ちる。
その乾いた音が洞窟内に反響し、空気を張り詰めさせていた。
一足先に降りていくシアの姿が目に入る。
彼女は器用に足場を選び、滑らかな動きで斜面を進んでいる。
その迷いのない動きに、ハヤトは少しだけ勇気をもらった。
シアの通った跡を慎重に辿り、なんとか斜面の底まで降りきることができた。
斜面の底に足を下ろすと、湿った砂の感触と、洞窟内の冷たく湿った空気が全身を包み込む。
視線を上げると、目の前には天井が5メートル以上もある広大な地下空間が広がっていた。
鍾乳石のような突起が天井から垂れ下がり、床には大小の岩が散乱している。
地震で崩れ落ちた痕跡が生々しく残っており、岩壁には湿った滴がつたっていた。
背後を振り返ると、メルヴィアが滑らかな足取りで降りてくるのが目に入る。
彼女は足場を選んでいる様子もなく、まるで階段を降りているかのようだ。
おそらく何かの魔法を使っているのだろう。
続いて、ユーリたち魔術師や騎士たちが降りてくる。
魔術師たちは斜面に苦戦しているようで、慎重な足取りながらも何度かバランスを崩しかけていた。
一方で、騎士たちはその重装備にもかかわらず安定した動きで斜面を下りた。
全員が揃うと、シアが再び周辺感知の魔法を使う。
「この階層に動くものはいません。下の階層には、動体反応8、さらにその下には14あります」
シアの報告を聞いた瞬間、ハヤトは背筋が冷たくなるのを感じた。
「いる」とわかっていたはずの危険生物の存在が、具体的な数として示されると、恐怖が胸を強く締め付ける。
メルヴィアが落ち着いた声で口を開いた。
「いまいるこの階層を1階層として、8体いる階層を2階層、14体いる階層を3階層と呼ぶことにするわ」
シアがメルヴィアに尋ねる。
「メルヴィア、奥の様子はどうですか? 下に降りるルートはありましたか?」
「深い縦穴がいくつか見つかっているわ。でも、どれもほぼ垂直で、深さは100メートル以上。途中に横穴もあるけど、ロープを使う必要があるわね。ただ、岩肌が滑りやすいし、安定した足場がほとんどないから、降りるには相当のリスクが伴うわ」
「わかりました。引き続き、降りるルートを探してください」
「ええ。コローダーが登ってこれるルートがどこかにあるはずよ。それを探すわ」
ハヤトは「コローダー」という言葉に引っかかり、その意味を考えた。
どうやら、この洞窟に潜む危険生物の名称らしい。
魔力を込めて耐久性を高めた剣や鎧をも溶かす酸を飛ばしてくるという、厄介極まりない生物――。
いったいどんな姿をしているのか想像もつかないが、名前を聞いただけで不安が募る。
ハヤトたちは、メルヴィアの探索を待つ間に隊列を整えることになった。
隊列は2列。ラダンと騎士3名が先頭を歩き、その後ろにシアと騎士1名。さらにハヤトとメルヴィアが続く。
その後ろに騎士2名を挟んで魔術師4名が中央に入り、最後尾には殿を務める4名の騎士たちが配置された。
背後の出入り口は待機組が固めているため、少なくとも背後を襲われる心配はないはずだ。
洞窟の先は、斜面にかけた照明魔法の光が届かず、深い暗闇に覆われていた。
ラダンの指示で、騎士たちの何人かの剣の鞘に魔術師たちが照明魔法をかける。
鞘に灯された魔法の光が洞窟内を明るく照らし出し、これでようやく進む準備が整った。
あとはメルヴィアの報告を待つばかりだった。
しばらくして、メルヴィアの声が響いた。
「斜面を発見したわ。かなり急な角度だけど、ロープを使えば降りられるはずよ。先に下の階層に行くから、あとからついてきて」
シアが即座に指示を出す。
「わかりました。ラダン、進んでください」
ラダンは「いくぞ」と短く声をかけ、周囲の騎士たちと共に歩き出した。
シア、ハヤト、そしてほかのメンバーもそのあとに続く。
洞窟内は湿った空気が漂い、足元のザラついた岩が靴底越しに伝わる。
騎士たちの鞘にかけられた照明魔法の光が揺れるたび、鍾乳石が壁に奇妙な影を落とし、不気味さを際立たせていた。
その中で響くのは、甲冑の擦れる音と足音のみ。
ガチャ、ガチャ――静寂を切り裂くその音が、洞窟内に響いていた。
最初は三人並んで歩くのがやっとだった通路も、奥へ進むにつれて徐々に広がっていく。
やがて天井も高くなり、広大な空間へとたどり着いた。
だが、その広さは魔法の光すら飲み込むほどだった。
天井も壁も暗闇に包まれ、光が届いていない。
足元には大小の岩が点在し、湿った床には、ぽっかりと黒い穴が口を開けていた。
一行は足を止め、ラダンたちがその穴を覗き込む。
「深いな……」
ラダンのつぶやきに、ほかの騎士が静かに応じた。
「これは、落ちたら助かりませんね」
ハヤトも縁まで近づき、縦穴を覗き込んでみた。
穴の底は見えず、深い闇がそのまま続いているかのようだった。
風が穴の中を流れ、低いうなり声のような音を立てながら吹き上がってくる。
その冷たい空気がハヤトの頬を撫で、思わず背筋を凍らせた。
メルヴィアが言っていた「100メートル以上の深さ」という言葉を思い出す。
ハヤトは自然と足を引いた。
「こんな縦穴がいくつもあるわ。落ちないように気をつけなさい」
一行は広大な空間をあとにし、洞窟の奥へと足を進めた。
メルヴィアの言う通り、進む先にはいくつもの縦穴が次々と現れる。
縦穴の縁から吹き上がる冷気が足元を撫で、近づくだけで背筋にぞくりとした寒さが走る。
やがて洞窟は二手に分かれる広間へとたどり着いた。
左右に広がる通路はどちらも暗闇の奥へと続いており、一行は足を止める。
「こちらよ」
メルヴィアが右手の通路を指して言った。
彼女の指示に従い、一行は再び慎重に歩き出す。
しばらく進むと、ハヤトの耳に突然、鈍い轟音が響いた。
洞窟全体が震えるような低音が遠くから伝わり、足元の岩が微かに揺れる。
続けざまに、こもったような爆発音が洞窟の壁に反響し、不規則なうなりを伴って押し寄せてきた。
「……何だ?」
ハヤトは反射的に立ち止まる。
その音は明らかに下の階層から伝わってきたものだ。
「コローダーがいたわ。いま排除したところよ」
メルヴィアが淡々と説明する。
先行して第2階層に降りていたマジックドールが、危険生物と戦闘を行った音だったらしい。
「3体倒したから、2階層はあと5体ね」
メルヴィアの言葉に、周囲の騎士たちは無言でうなずき、再び歩き始めた。
その背中に続きながら、ハヤトは思わず唇をかむ。
いよいよ戦いが始まったのだ――その実感が胸の奥にじわじわと広がる。
轟音の余韻が収まり、洞窟は再び静寂に包まれる。
だが、その静けさは、何かが起こる前触れのように思えた。




