第70話 進軍
薄霧に包まれた林の中、ハヤトたちは木々の間を縫うように進んでいた。
空を覆う濃密な葉の天蓋が、朝の日差しを鈍く散らし、地面には淡い緑色の光の斑点を落としている。
湿り気を帯びた空気は肌にまとわりつき、わずかな風が林の奥から流れてくる。
揺れる木々の葉音と、騎士たちの甲冑の金属音だけが、静寂の中に響いていた。
突然、前方の遠くから小さな爆発音が聞こえてきた。
ハヤトのいる位置からは木々に遮られてその様子を見ることはできなかったが、おそらく先行しているメルヴィアが魔法を使ったのだろう。
「危険生物がいたのか?」
隣を歩いていたメルヴィアに尋ねると、彼女は軽くうなずいて答えた。
「そうよ。でも、もう倒したわ」
隊形は、最前列を騎士たちが守り、その後ろにシアとナズリーが並んで進む。
ハヤトとメルヴィアがそれに続き、魔術師たちは隊列の後方に位置している。
騎士たちは最前列から後方まで隊列全体を取り囲むように配置され、どこからの襲撃にも備えられる陣形を取っていた。
そして、もうひとりのメルヴィアが、集団から離れて前方を進んでいる。
いまの炎は、先行していたメルヴィアが放った攻撃魔法だろう。
なるほど、進路の邪魔になる危険生物をマジックドールで排除するのは合理的だ。後方の安全な場所から、一方的に攻撃を仕掛けられる。
仮にマジックドールが危険生物に攻撃されても、本体が被害を受けることはない。
「シア。そろそろ索敵をお願い。いまのは索敵範囲外の敵だったわ」
メルヴィアはすぐ前を歩くシアに声をかけた。
「わかりました。みなさん、しばし休憩にします」
シアの声に従い、部隊が足を止める。彼女はその場で静かに魔法を唱え始めた。
後方から魔術師たちが座り込む音が聞こえてくる。
振り返ると、全員が地面に腰を下ろしていた。その中にはユーリの姿もあった。
体力のない魔術師にとって、この行軍は相当に厳しいようだ。
一方で、騎士たちは周囲を油断なく警戒しており、疲れた様子は微塵も見せていない。
ハヤト自身も、この程度の行軍なら問題なくついていけるようになっており、まだ疲れは感じていない。
ふと横を見ると、メルヴィアが涼しい顔で周囲の風景を眺めているのが目に入った。
「休まなくていいのか?」
思わず尋ねる。
メルヴィアも魔術師のひとりだ。いつも書斎で書類仕事ばかりしている彼女が、こうした行軍に慣れているとは思えなかった。
「休んでるわよ」
メルヴィアは軽く笑いながら答える。
立ったまま休むとは変わったやつだ――ハヤトはそう思った。いや、メルヴィアは意外と肉体的にも強いのかもしれない。
以前、変身したときには片手で危険生物を引きずっていた。
槍を持った金属鎧のマジックドールと素手で渡り合うような相手をだ。
そう考えると、変身前でも相応の身体能力は備わっているのだろう。
もっとも、それで危険生物の攻撃に耐えられるというほどではないに違いないが。
前方に目を戻すと、シアの隣にいるナズリーが地面に座り込んでいるのが目に入った。
近衛であるナズリーは魔法戦士だ。当然、基礎体力はハヤトより遥かに上のはずだ。
以前の遠征でも、彼女が疲れた様子を見せたことはなかった。それなのに、なぜいま座り込んでいるのだろうか?
気になって彼女をじっと見ていると、ナズリーが視線に気づいたらしい。冷たい眼差しでハヤトを振り返る。
「!」
鋭い視線に射抜かれ、ハヤトは慌てて目をそらした。ごまかすように軽く咳払いをする。
しばらく睨まれているような気配がしたが、ナズリーはやがて顔を前に戻した。
(やれやれ……)
胸の中で小さく息をつく。
振り返ったナズリーの顔には、魔術師たちのような疲れは感じられなかった。
きっと無駄な体力を消耗しないため、意図的に休息を取っているのだろう。
やがて、シアが周辺の索敵を終えて結果を告げた。
「前方の動体反応は24。そのうち危険生物と思われるのは前方左に4体。この4体は隊形を組み、私たちの進行方向と交差する進路を移動しています。速度は時速10キロ強。このまま進めばおよそ20分後に遭遇します」
危険生物という言葉に、場の空気が一変する。全員が前方に意識を向け、緊張感が漂い始めた。
「速いわね。それに4体……この辺りではフロッカーは確認されていないけど、やり過ごしたほうがよさそうね」
メルヴィアが冷静に判断を下す。
戦わずに済むならそれが一番だ。ゲート攻略前に無駄な戦闘は避けたい――そう誰もが思っていた。だが、シアの報告はまだ続く。
「右手方向からこちらに向かってくる反応があります。その数5。この場に留まれば15分ほどで到達します」
「さっきから右手方向にいた連中ね。このタイミングでこっちに向かってくるなんて……運が悪いわね」
メルヴィアが眉をひそめる。
敵を避けようとしても、ほかの集団が迫ってきている。どう対処するか、早急な判断が求められる状況だった。
「一旦、後退しますか?」
シアの提案に、メルヴィアは右手の林の奥を睨みながら首を横に振った。
「さっき視界が開けたときに確認したけど、やってくるのはDランクのテンタクルズよ。あの見た目で音にも敏感だから、いまから下がっても鎧の音で気づかれるかもしれないわ」
テンタクルズ――その名前に聞き覚えがあった。
以前、食料採取の際にハヤトが初めて倒した危険生物がその名前だったはずだ。毒のある触手を振り回してくるという厄介な相手だ。
ハヤトはメルヴィアが見ている方向に目を凝らして、木々の隙間を探った。
しかし、淡い霧が漂う林の奥では、幹や枝が無数に重なり合い、どこに危険生物がいるのかまったくわからなかった。
メルヴィアはしばし考え込んでいたが、やがて決断した。
「右手方面を殲滅するわ。あなたたちはここで待機してなさい」
そう言うと、メルヴィアはハヤトの横を通り抜け、右手方向に向かって進み出した。
「あ、おい。ひとりで行くのか?」
慌てて声をかけるハヤトに、メルヴィアは振り返らずに答えた。
「そうよ」
メルヴィアが歩を進めると、周囲を囲んでいた騎士たちが道を開ける。そのまま騎士たちの間を通り抜け、どんどん集団から離れていった。
ハヤトは少しためらったが、意を決してメルヴィアのあとを追いかける。
駆け足で彼女に追いつき、横に並んだ。
「なんで来たの?」
メルヴィアは露骨に嫌そうな顔をする。
「出発するとき、この先そばを離れるなって言ってただろ」
「そうだっけ」
こいつ、自分で言ったことをもう忘れてやがる――。
ハヤトは呆れてため息をついた。
「俺もついていく。ひとりじゃ危ないだろ」
「あんたが来るほうがよっぽど危ないわ」
「なんでだよ」
その問いには答えず、メルヴィアはハヤトをじっと睨む。
「まあいいわ。私の後ろに隠れてなさい」
「よし。背中は任せておけ」
戦闘になれば援護射撃くらいはできるだろう。
接近戦では分が悪いのだから、火力は多いほうがいい――そう考え、ハヤトはメルヴィアのあとに続いた。
ふたりはしばらく無言で林を進んだ。すでに部隊から数百メートルは離れたが、まだ危険生物の姿は見えてこない。
不安を紛らわそうと、ハヤトは話題を振った。
「テンタクルズって触手のやつだろ。俺、倒したことあるから手伝うぞ」
「私ひとりで十分よ」
メルヴィアの冷たい返事に、ハヤトは言葉を続ける。
「以前、騎士3人相手なら勝てないって言ってただろ。テンタクルズはDランクだから騎士よりは弱いんだろうけど、5体もいるんだから危ないだろ」
戦闘力53万のメルヴィアが、戦闘力1万前後の騎士3人に勝てない理由は簡単だ。
ひとりを倒している間に、ほかの騎士が接近して攻撃を仕掛けてくるからだ。
魔術師の戦闘力は攻撃に偏っており、防御力は普通の人間と変わらない。攻撃を受ければ命を落とす危険が高い。
今回のように5体の危険生物が相手の場合、一度に飛びかかられれば懐に潜り込まれる可能性もある。
そうならないように援護するため、ハヤトは彼女についてきたのだ。
しかし、メルヴィアは呆れたような顔をして言った。
「遠くからのこのこ歩いてくるんだから、近づく前に燃やして終わりよ。あんたの出る幕はないわ」
「だから万が一に備えてだな」
ハヤトは食い下がる。
「万が一?」
メルヴィアが不服そうに振り返る。
そのときだった。前方100メートルほど先の林で、突然大きな炎が上がった。その数は5つ。
「万が一なんてないわよ。もう倒したから」
「え?」
ハヤトは驚いて目を見張る。メルヴィアが何か魔法を使ったような素振りはなかった。
にもかかわらず、まだ遠くにいたテンタクルズは炎に包まれ、燃え上がっている。
「何が起こったんだ?」
「ちょっと強い炎で燃やしただけよ」
淡々とした声で、メルヴィアは答えた。
「おまえがやったのか?」
「そうよ。さ、戻りましょ」
そう言ってメルヴィアは踵を返し、部隊の方向へ歩き出す。
ハヤトはしばらく燃え上がる5つの炎を呆然と見つめていたが、すぐに我に返った。
「うおーい、置いていくな! つーか、強すぎだろ!」
慌ててメルヴィアのあとを追いかける。
Dランクの危険生物を、騎士たちは比較的簡単に倒していたが、以前ミリアは1体相手にするだけでも苦戦していた。
それをメルヴィアは5体まとめて、視界に入った瞬間に倒してしまったのだ。
やはり彼女の魔術師としての実力はほかの魔術師とは次元が違う。騎士たちが護衛についてこないのもうなずける話だ。
「はー、接近されなければ、あんなやつらは敵じゃないってか。そういう意味では俺の銃と同じだな」
ハヤトはぼそりとつぶいた。
「ふーん。あんたの銃もあれくらいできるの?」
メルヴィアが横目でこちらを見る。
「当たればだがな」
ハヤトは肩をすくめる。
さっきのテンタクルズは100メートルぐらい離れていたはずだ。
そんな距離での射撃は、命中させるのが難しいだろう。
近づけば命中させる自信はあるが、テンタクルズは走るとそこそこ速い。
5匹同時に走ってこられたら、パニックになるかもしれない――そう考え、ハヤトは眉をひそめた。
「訓練のために、あんたにやらせてみてもよかったわね」
メルヴィアが少し考え込むように言った。
「なるべくやりたくないけどな。まあ、でもゲートに入ったら俺も少しは戦わなきゃいかんかな」
ハヤトは苦笑しながら答える。
「ゲート内で訓練なんてしてる余裕はないわ」
メルヴィアは即座に否定した。
「いまなら何かあってもシアが治療する時間もあるし、撤退も容易よ。でも、ゲートに入れば連戦に次ぐ連戦。引くことだってそんなに簡単じゃないわ。もっとも今回は上の階層から順番に殲滅していくから、撤退は比較的容易ではあると思うけど」
「殲滅? 出てくるのを全部倒すのか?」
ハヤトは驚き混じりに尋ねた。
「そうよ」
メルヴィアの声は冷静そのものだ。
「今回はゲート内の調査なしで突入するのだから、中に何がどれくらいいるかわからない。だから最下層の装置に到達することを急ぐのではなく、上の階層から順番に殲滅していく。そうすれば、予想外に数が多かったり、手強い敵が出ても撤退しやすいわ」
なるほど――。
敵を殲滅してしまえば後方に敵はいなくなる。危なくなればいつでも撤退できるというわけだ。一見、理に適っているように思える。
だが、ハヤトは疑問を抱いた。
本当にそうなら、今回だけでなく、いつもそうすればいい。そうしないのは、何か欠点があるからだろう。たとえば――。
「敵を全部倒していったら、魔力が途中で切れたりしないのか?」
「切れる前に撤退するわ」
メルヴィアがあっさりと言う。
「あ、たしかにそうすればいいか」
「でも、よほど危険生物が多くない限り、魔力は持つと思うわ」
その自信に満ちた言葉に、ハヤトは改めて感心する。
戦闘力の高さは魔力の多さに比例するのだろう。つまり、メルヴィアは桁違いの魔力を持っているということだ。
「だから今回の遠征でゲート内をすべて掃除して装置にたどり着いてみせるわ」
メルヴィアの横顔に強い決意が浮かんでいる。
本来、彼女はベースキャンプの防衛責任者だ。何度もゲート攻略に出向けるわけではない。
もし今回で攻略できなければ、次はメルヴィアなしで挑むことになるかもしれない――ハヤトはそんな可能性を思い浮かべた。
その場合、騎士団を中心に殲滅戦を行うことになるのだろうか。
ふと疑問が浮かび、口を開く。
「でも、それならさ、虫のいるゲートも調査せずに、同じように殲滅していけばいいんじゃないのか?」
「そう簡単じゃないのよ」
メルヴィアは首を振りながら答える。
「あのゲートから出てきた危険生物は、ゲート周辺で広範囲に生活圏を作っているわ。ゲートの攻略に時間をかければ、外に散った危険生物が集まってきて挟み撃ちに遭うでしょうね」
「それは厄介だな」
「いま向かっているゲートは最近出口が開いたばかりだから、周辺にはそれほど散っていないはずよ。また、ゲート内に生存可能な個体数には限度があるはずだから、最近まで入り口が閉じていた状態では、それほど数は増えていないと予測されるわ。だからこそ、今回は殲滅戦が有効なのよ」
「そういうことか」
ハヤトは納得してうなづいた。
メルヴィア率いる魔術師団はいろいろ考えた上で、この作戦を選んだのだろう。
ハヤトが思いつく程度の疑問など、とっくに検討済みだ。最善と思われる作戦――それが今回の殲滅戦なのだ。
だから、きっとうまくいく。
いつになく神妙な面持ちで歩くメルヴィアの横顔を見ながら、ハヤトはそう確信した。




