第69話 出撃
体が揺すられる感覚がして、ハヤトは目を覚ました。
まだ眠気の残る瞼を無理に開けると、薄明かりの中、目の前にはユキナの姿があった。
「おはようございます。ハヤト様」
ユキナは変わらぬ落ち着いた声でそう告げる。
「……おはよう、ユキナ」
ハヤトは体を起こし、ベッドの上で眠気が抜けるのを待った。
すると、ユキナがタイミングよくお茶を運んできた。
ハヤトが目覚める前にすでに用意していたようだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
カップを受け取り、ハヤトは熱いお茶を一口飲む。
温かな液体が喉を通り、胃の中に広がる。目が少し覚めてきた気がした。
「こんな時間に起こしてもらって悪いね」
「いえ、問題ありません」
ユキナは淡々と答える。
普段より早い時間に起こしてもらうということは、ユキナ自身もその分早く起きて準備をしているのだろう。
彼女の気遣いに感謝しながら、ハヤトはもう一口お茶を飲んだ。
そのとき、ふと気がつく。
「このお茶、王国産だね……久しぶりに飲んだ気がするよ」
しみじみとつぶやくと、ユキナがうなずいた。
「はい。私が持参した茶葉です」
「そうなんだ。貴重な茶葉をありがとう」
ハヤトは驚きながらも感謝の言葉を述べた。
この地では、王国産の茶葉は貴重で、すでに在庫が尽きているとエルルから聞いていた。
個人で所持しているものがいることは知っていたが、ユキナが自らの茶葉を使ってくれたことには感謝せずにはいられなかった。
「ところで、エルちゃんは、シアのほうに行ってるの?」
「はい。エルルはシア様の出立の準備を手伝っています」
エルルがシアの準備を手伝っていることに納得しながらも、少し残念に思う。
それでも、エルルが事前に荷造りを手伝ってくれたおかげで、自分の準備は万全だ。
「エルルからお弁当も預かっております」
ユキナが差し出した包みを見て、ハヤトは微笑んだ。
「ありがとう。エルちゃんにもよろしく伝えておいて」
エルルとは会えなかったが、約束通り弁当を作ってもらえただけでも良しとしよう。
ふと、ハヤトはユキナがシア付きのメイドであることを思い出した。
気になって尋ねると、彼女は「シア様からメルヴィア様とハヤト様のお手伝いをするよう指示されました」と答えた。
「なるほど。でもそれなら、あいつの世話をしなくていいのか?」
シア付きといっても、ユキナはほとんどメルヴィア専属のようなものだ。
今日はメルヴィアも遠征に出るのだから、その準備もいろいろあるはずだが……。
「はい。メルヴィア様の準備は昨日の日中に済ませました。今朝もメルヴィア様に挨拶をしたうえで、ここに参りました」
なるほど、とハヤトは納得する。
メルヴィアは魔術師だから鎧などの煩雑な装備は必要ない。
事前に用意した荷物を持っていくだけで済むのだろう。
ハヤト自身は、新しい革鎧が支給されていたが、今日は以前ゲートで入手した迷彩服を着ていくつもりだ。
ただの革鎧では危険生物には紙のように切り裂かれてしまうし、銃を扱うには身軽な装備のほうが都合がいい。
「朝食も用意してあります」
ユキナの声でテーブルに目を向けると、そこには朝食が整えられていた。
ハヤトはベッドから出て、ユキナが引いてくれた椅子に腰を下ろす。
遠征に出るときは朝が早い。必然的に朝食も早い時間に済ませることになる。
しかし、目覚めたばかりではなかなか食欲がわかない。
とりあえず、さきほどユキナが入れてくれたお茶の残りを飲み干した。
「昨晩の残り物ですが、どうぞお召し上がりください」
言われて見ると、昨日の夕食で使われた食材がいろいろと盛り付けられている。
スープは昨日の卵スープのようだし、その中に沈む肉も昨日のものだろう。
「もしかして、昨日の夕食ってユキナが作ったの?」
ユキナは首を横に振る。
「いえ。調理はメイド長が行いました」
「あ、そうなんだ」
ハヤトは納得する。
ユキナのようないいところのお嬢さんが調理をする光景は想像しにくい。
それに以前見たシア付きメイドたちも、料理が得意そうには見えなかった。
「でも今日の朝食は私が用意しました」
(――それでこの盛り付けか)
ハヤトは心の中で思わずツッコミを入れる。
食材は同じでも、盛り付けの違いだけでずいぶんと印象が変わるものだ。
スープに沈んでいる肉は大きな塊のままだし、隣の皿には適当に切られたトマトもどきが無残に積み上げられている。
フォークでつついてみるが、昨日あったチーズはどこにも見当たらない。
「時間はありますので、ゆっくり召し上がってください」
ユキナに促され、ハヤトはトマトもどきの断片を口に運ぶ。
見た目に反して味はおいしい。トマトもどきの酸味と甘みが口の中で広がる。
スープも相変わらずうまい。ただし、スープに沈められた肉だけはナイフとフォークで手こずらされる。
(味はいいんだけどな……)
ハヤトは苦笑しながらスープと格闘し、朝食をなんとか完食したのだった。
■
ハヤトがユキナに付き添われて1階層の訓練場まで上がってくると、すでに多くの騎士や魔術師が集結していた。
魔術師たちの一団に目を向けると、クレアとユーリの姿を見つける。
「おはよう。クレア、ユーリ」
ハヤトの声にクレアたちが振り向く。
クレアはいつも通り無表情だったが、ユーリの顔にはいつもの明るい笑みがなく、どこか青ざめて見えた。
「おはよう。ハヤト」
「おはよう。ハヤトさん」
「今日はミリアは来ないのか?」
ハヤトが尋ねると、クレアが淡々と答えた。
「ミリアはまだ謹慎が解けていないから今日は来ない。私も見送りだけで、今日は行かない」
「あ、そうなんだ。じゃあ、ユーリ、今日はよろしくな」
ハヤトはユーリに向き直り、元気よく声をかけた。
「ええ、よろしくね……」
しかし、ユーリの声には覇気がなく、どこか弱々しい。
「ユーリ、なんか体調が悪そうだな」
「いえ、そういうわけじゃ……」
ユーリは言葉を濁すが、その表情には明らかに不安が浮かんでいる。
ふと周囲を見渡すと、ほかの騎士や魔術師たちの顔つきも険しい。
それぞれがこれから向かうゲート攻略の厳しさを理解し、覚悟を固めているように見えた。
エルルやリノが心配していたことを思い出し、改めてこの任務が簡単なものではないことを痛感する。
自分の考えが甘かったのではないかという疑念が胸をよぎったそのとき、服の袖口が軽く引っ張られる感触がして、ハヤトはハッと我に返った。
振り向くと、クレアが無言でハヤトを見上げていた。
その視線はどこか張り詰めたものがあり、彼女が何か大事なことを伝えようとしているのがわかった。
「どうした?」
「ハヤト、今日はユーリのことお願い」
「おう」
クレアの頼みは珍しいことだった。
だが、今日のユーリの様子を見ると、クレアが心配するのも無理はない。
ハヤトは大きくうなずき、できるだけユーリに気を配ろうと心に決めた。
そのとき、周囲にいた騎士たちが一斉に敬礼をした。
振り向くと、二階層からシアたちが上がってくるところだった。
革鎧に身を包んだシアの後ろに、同じく革鎧を着たナズリーが続き、さらにその後ろからメルヴィアがローブ姿でバックパックを背負って現れる。
シアたちの姿が見えると、場の空気が一変した。
それまで響いていたざわめきが嘘のように途切れ、静寂が広がる。
騎士たちが自然と整列し、その後ろに魔術師たちも並び始めた。
ハヤトもユキナから水筒を受け取ると、魔術師たちの列に加わった。
シアたちは整列した騎士たちの前に立ち、メルヴィアが一歩前に進み出る。
いつものふざけた雰囲気は消え、真剣な表情をしていた。
その姿が、ハヤトにはちょっとおかしくて、つい口元が緩んでしまった。
このメルヴィアは、ハヤトが知るいつもの彼女とはまるで別人のようだった。
「今回の任務は新しく発見されたゲートの攻略よ」
メルヴィアの声が静寂を切り裂く。
「戦闘は主に私が行うから、騎士たちは護りに専念していいわ。私が出るからには、必ずゲート最下層の装置までたどり着いてみせるわ」
彼女の高らかな宣言に対して、騎士たちも魔術師たちも無言のままだった。
しかし、メルヴィアはそのことを気にする様子もなく、話を続ける。
「いまから出発して昼前にはゲートに到着するわ。昼食休憩のあとに突入し、順調に進めば今日中に攻略を完了して戻ってこられる予定よ。私が出るのは今回限りだから、歯を食いしばってついてきなさい。シア、最後に一言お願い」
メルヴィアが後ろを振り返ると、シアが前に進み出た。
彼女は一同を見渡し、一瞬だけハヤトに目を留める。
その視線には何か言いたげなものを感じたが、シアはすぐに正面に目を戻した。
「今回の遠征は、これまでで最も厳しいものになることが予想されます。そのため、総司令メルヴィアにも出陣してもらうことにしました」
シアの声はいつも通り落ち着いていたが、ハヤトは胸の内にじわりとした緊張を覚えた。
「みなさんには、メルヴィアのサポートを期待しています。みなに聖母の加護があらんことを」
そう言って話を終えると、メルヴィアが声を上げた。
「では、出発よ!」
その一声に従い、一同は荷物を担ぎ上げ、地上へと続く階段に向かい歩き始める。
ハヤトも荷物を背負いながら、一度後ろを振り返った。
そこには守備隊の騎士や兵士たちが、この出発を見守っている。
それはいつもと変わらない光景だったが、今回はどこか様子が違った。
妙に彼らが距離を取っているのだ。
その中で、ユキナだけがハヤトの近くに立ち、深々と頭を下げた。
「ハヤト様。ご武運をお祈りしています」
「ああ。行ってくる」
ユキナに背を向けると、シアたちがハヤトを待っていた。
その横でメルヴィアが腕を組み、こちらをじっと見ている。
その姿は厳格で、まるで周囲を威圧するかのようだった。
急いで駆け寄ると、メルヴィアが諭すように口を開いた。
「死にたくなければ、これより先は私から離れないことね」
その声には冗談の色はなく、真剣そのものだった。
ベースキャンプを出れば、そこは危険な領域。ハヤトひとりでは到底生き延びることはできない。
「ああ。逆に俺を置いていくなよ」
「いいわ。約束する」
微笑むメルヴィアの顔には、一瞬だけいつもの気軽さが戻っていた。
だがすぐにその表情を引き締め、鋭い視線を前に向ける。
「さあ、行くわよ。ついてきなさい」
そう言ってメルヴィアは地上へと続く階段へと歩き出した。
「あ、待てよ。って、俺らが先頭なのかよ」
慌てて追いかけ、メルヴィアの横に並ぶ。
その後ろにはシアとナズリーが続き、そのさらに後ろに騎士や魔術師たちが列を成していた。
「聖母の御加護があらんこと!」
見送る騎士たちの声を背に、ハヤトたちは長い階段を登り始めた。
一段一段進むごとに緊張感が増していくのを感じる。
気づけば首から下げたサブマシンガンを無意識に握りしめていた。
階段を登り切ると、入り口を守る警護の騎士と兵士たちが無言で道を開ける。
メルヴィアも一言も発することなくその間を進み、ハヤトたちは地上へと出た。
夜明け前の暗闇が周囲を包み込む。遠くで鳥の鳴き声が微かに聞こえるが、それがかえって静寂を際立たせていた。
空には、不気味に光る蒼い月が浮かんでいる。
「日が昇るまで少し時間があるけど、もう出発するわよ」
その声は前方の暗闇から聞こえてきた。
驚いて目を凝らすと、そこに立っていたのはメルヴィアだった。
「あれ?」
ハヤトが隣を見ると、そこにもメルヴィアがいる。
「なんだ。マジックドールを先に外に出してたのか」
言いながら自分の声がわずかに震えているのを感じた。
後ろからシアや騎士たちが続々と地上へ出てきて、全員が揃う。
先に外に出ていたほうのメルヴィア――おそらくマジックドール――が歩き始めた。
その後ろを距離を取って、ハヤトたちは列を成して進む。
蒼い月の下、危険生物がひしめくゲート攻略の遠征が、ついに始まろうとしていた。
暗闇の中、ハヤトは不安に押しつぶされそうになりながら、心の中でつぶやいた。
果たして、全員が無事に帰ってこれるのだろうか。
■
・ゲート攻略部隊:30名
シア 生存
ナズリー 生存
メルヴィア 生存
ハヤト 生存
魔術師団(6名) 健在
ユーリ 生存
ラダン 生存
騎士団(19名) 健在




