第68話 最後の晩餐
翌朝、ハヤトがいつものように朝の給仕のため食堂に向かうと、メイドたちに今日は仕事をしなくていいと告げられた。
その言葉で、雑務を免除されていることを思い出す。
しかたなく兵士たちに混ざり、ひとりで寂しく朝食を済ませたハヤトだったが、食事が終わるとやることがなくなってしまった。
結局、いつもより早い時間にメルヴィアの書斎へ向かうことにした。
書斎に入ると、この日のメルヴィアは普段にも増して散らかしていた。
書類が山のように積み上がり、足元にも無造作に散乱している。
その上、今日はとくに騒がしく、相手をするのにひときわ骨が折れた。
雑用を免除したのだから、その分ここで働きなさいと念を押され、ハヤトは肩もみをさせられる羽目になった。
「明後日の出撃準備のために昨晩は徹夜したの。疲れてるんだから、しっかりもみなさいよね」
ハヤトは渋々肩をもむが、目の前のメルヴィアの肌はツヤツヤしており、徹夜しているようには見えない。
だが、よく見ると目が少し充血しており、徹夜で疲れているというのは嘘ではなさそうだった。
総司令として出撃準備を進めるメルヴィアの苦労は、ハヤトが昨日したような荷造りとは比べものにならないのだろう。
「私はできることは全部やっておく主義なのよね。準備だけは怠らない。明後日に向けてやることがいっぱいなのよ。だから今日は遊んでる暇はないの!」
「やっぱりいつもは遊んでたんだな」
「あ、遊んでなんかないわよ!」
「いや、いま、遊んでるって言っただろ」
「それはもののたとえよ! とにかく今日は忙しいって意味で言ったの!」
「はいはい」
そんな軽口を叩き合いながら、ハヤトはメルヴィアの相手をする。
この日は、すごい勢いで書類を処理しながら騒ぎ立てるメルヴィアの相手をしてヘトヘトになってしまった。
ようやく書斎での仕事が終わると、ハヤトは朝と同じようにひとりで寂しく夕食を済ませた。
その後は、リノと1時間だけ軽めの射撃訓練を行い、体をほぐした。
夜にはエルルとお茶を飲みながら談笑し、ゆったりとした時間を過ごす。
リラックスした気分のまま、ハヤトはベッドに入るとすぐに眠りについた。
そして迎えた出発前日。
この日もメルヴィアは大量の書類を処理していたが、翌日の出撃を考慮してか、いつもほど部屋を散らかさなかった。
代わりに雑談と肩もみをさせられたものの、仕事はいつもより早い時間に終わった。
帰る間際、メルヴィアから晩餐会への出席を命じられる。
出撃前の奨励を兼ねてという名目だったが、メイドたちと食べられずひとりで食事をするつもりだったハヤトにとっては、むしろ好都合だった。
「わかった、行くよ」
快諾して自室に戻り、ベッドに寝転がる。
しばらくすると、ユキナが迎えにやってきた。
「ハヤト様。お迎えに参りました」
「おう、待ってたよ。もうお腹ペコペコだ」
ユキナに続いて歩きながら、晩餐会の出席者について尋ねてみる。
「出席者はハヤト様だけです」
「え?」
思わず足を止める。
なんとなくシアやほかの魔術師たちも出席するものだと思っていた。
そもそも「晩餐会」と言うからには、普通はほかにも呼ぶだろう。
「ユキナは出席しないの?」
歩く速度を上げて追いつきながら尋ねる。
「私はハヤト様の給仕をいたします」
いつも通り感情を表に出さない声で、ユキナが淡々と答える。
「一緒に食べようよ。人数が多い方が楽しいだろ?」
「そういうわけにはまいりません」
頑なな態度に、ハヤトはため息をついた。
ユキナは初期のシア付きのメイドの最後の生き残りで、ほかのメイドたちとは明らかに雰囲気が違う。
エルルの話では、ユキナは作法に厳しいらしい。
いくら頼んでも、いまだに「様」をつけてハヤトを呼び続けているのもその一環なのだろう。
階段を降り、7階層から11階層へと足を進める。
暗い通路をふたりで歩き、やがて分岐に差しかかった。
まっすぐ進めばメルヴィアの書斎に続くが、ユキナは曲がった分岐の方へ進んでいく。
「こっちに来るのは初めてだよ。あいつの部屋とかがあるのか?」
「はい。メルヴィア様の寝室や専用の食堂などがございます」
「へー。専用の食堂まであるのか」
そういえば、7階層の食堂でメルヴィアを見かけたことがない。
だから、食事をする場所が別にあるのは当然なのだろう。
考えてみれば、シアやゼノン、マドールといった面々も食堂には現れない。
偉い連中はみんな専用の食堂を持っているのかもしれない――そんなことを思いながら、ハヤトはユキナのあとを追った。
長い通路を進んでいくと、両側にいくつかの扉が現れた。
そのうちのひとつの前で、ユキナが立ち止まる。
「こちらが食堂です。どうぞお入りください」
ハヤトはドアノブに手をかけて引いてみたが、軋む音を立てるだけで開かない。
「あれ?」
今度は逆に押してみるが、やはりびくともしない。
「扉の立てつけが悪いので、少し持ち上げるようにして引いてください」
「あ、そうなんだ」
よく見ると、扉自体は立派な作りだったが、少し歪んで取り付けられている。
ずいぶんと荒い仕事ぶりだ。
メルヴィアがやり直させなかったのだろうか――そう思ったが、ベースキャンプにはまだ扉すら設置されていない部屋も多いのだ。
ハヤト自身の部屋も入り口に布切れを垂らしているだけなので、扉があるだけましなのかもしれない。
ハヤトは気を取り直し、ドアノブを持ち上げるようにして引くと、今度はスムーズに開いた。
中に足を踏み入れると、思った以上に広い部屋だった。
中央には長いテーブルがひとつだけ置かれ、その上にはロウソクが並び、暖かな灯りが辺りを照らしている。
室内には魔法の灯りは見当たらず、薄暗い中でロウソクの光が揺れていた。
テーブルの先には、メルヴィアが座っていた。
いつもの赤いローブではなく、白いドレスを身にまとっている。
胸元が大きく開いたデザインで、首から垂れた宝石がロウソクの灯りを反射して煌めいていた。
「ようこそ、フォレスティ家の晩餐会へ」
メルヴィアが微笑みながら言った。
ハヤトは思わず立ち尽くす。
その姿に、メルヴィアが眉をひそめて言葉を続ける。
「なにぼーっとしてるの。早くお入りなさい」
「あ、ああ」
促されて一歩足を踏み入れたその瞬間、入り口の死角から何者かが飛び出してきた。
「ワァ!」
「うわっ!」
突然の大声に、ハヤトは思わずのけぞり、情けない声を上げた。
「やーい、ひっかかったー!」
飛び出してきたのは、もうひとりのメルヴィアだった。
テーブルの向こうに座るメルヴィアと同じ白いドレスを着ている。
「な、マジックドールか。これ」
最近は見かけていなかったが、相変わらず本物と見分けがつかないほど生き生きとしている。
これで人形だというのだから、魔法というのは本当にすごいものだと感心するばかりだ。
「さあ、どっちが本物かしらね?」
目の前のメルヴィアがニヤニヤと笑いながら言った。
「どっちが本物か当ててごらんなさい。正解したらあとでご褒美をあげるわ」
「よし、当ててやろうじゃないか!」
ハヤトは奥にいるメルヴィアと目の前のメルヴィアを交互に見比べた。
だが、どちらも全く同じに見える。
胸につけている宝石まで寸分違わず再現されているようだった。
以前も何度か見たことがあるが、マジックドールは本当に本物そっくりだ。
最初に見たときは何か違和感があったものの、その後馴染んだのか、すぐにその違いはわからなくなっていった。
ここしばらくマジックドールを見かけていなかったが、いまでは笑みまで本物と全く同じに見える。
ハヤトは目を凝らして観察したが、室内はロウソクの灯りのみで薄暗く、それが判別をさらに難しくしていた。
普通に考えれば奥に座っているほうが本物で、目の前にいるのがマジックドールだろう。
なぜならユキナに案内されてここに来るのにかなり時間がかかっている。その間、入り口の横で立って待ってるのは疲れるだろう。
だが、もし最初から「どちらが本物か当てさせる」という計画だったとしたら――目の前のほうが本物という可能性もある。
あとでもらえるご褒美も気になる。ここは慎重に考えてぜひともあてたい。
「ほら、もっとよく見てもいいわよ」
目の前のメルヴィアが赤いくせ毛を手でかき上げた。
その動きで、ハヤトが以前プレゼントした髪飾りが後ろ髪からちらりと見えた。
「しめた!」と思ったハヤトは確信する。
この髪飾りをつけている目の前のメルヴィアこそが本物に違いない。
「もうわかったぞ」
「へえ、本当かしら?」
「本物はおまえだな」
そう言いながら、ハヤトは目の前のメルヴィアの肩に手を置いた。
手のひらから伝わるのは、暖かく柔らかい肉の感触。これなら間違いない。
「ぶっぷー。ハズレ。やっぱりあんたの目は節穴のようね」
目の前のメルヴィアは勝ち誇ったように笑う。
どうやら外してしまったらしい。見た目だけでなく、触った感触まで本物と変わらないとは。
「くそっ、髪飾りはひっかけだったのか。まさかマジックドールのほうに髪飾りをつけてたとは!」
ハヤトは悔しさを噛みしめながらも、納得せざるを得なかった。
いまにして思えば、メルヴィアならそのくらいの策略を仕掛けてくる女だった。もっと慎重に考えるべきだったと後悔する。
「髪飾り? ちゃんとつけてるわよ」
奥に座っていたメルヴィアが、後ろ髪を撫でながらハヤトのプレゼントした髪飾りを見せてきた。
距離があるためよく見えないが、たしかにハヤトがあげたもののようだ。
「あれ? どうなってるんだ?」
ハヤトの困惑する声が薄暗い部屋に響いた。
「マジックドールは身につけているものも反映させることができるのよ。ドレスだって、同じものが二着あるわけじゃないわ」
メルヴィアの説明を聞いて、ハヤトはようやく納得する。
そういえば、最初にマジックドールを見たとき、魔法を解いて素体に戻したことがあった。
素体の状態では何も着ていなかった。つまり、服も装飾品も魔法で模倣されているのだ。
言われてみれば簡単な理屈だが、目の前で見せられると改めてその技術の凄さを実感する。
二択を外してがっかりしていると、奥に座るメルヴィアが手をひとつ叩いて言った。
「余興は終わりよ。さあ、席につきなさい」
その合図で、部屋の入り口で控えていたユキナが慎ましく進み出る。
テーブル手前側の椅子を引きながら、丁寧に言葉を添えた。
「どうぞ、ハヤト様」
「ありがとう」
ハヤトは礼を述べて席につく。
長いテーブルを挟んで、メルヴィアと向かい合う形だ。
テーブルにはフォークとナイフ、そしてグラスが並べられており、揺れるロウソクの灯りが暖かい雰囲気を作り出している。
部屋の奥には隣室へと続く扉のない入り口があり、そこからガチャガチャと音を立てて、金属製の鎧が現れた。
かつて助けてもらった鎧のマジックドールだ。両手でボトルを二本持っている。
ユキナが荷物運びを手伝わせているという話は聞いていたが、実際に動いている姿を見るのは、あの日の襲撃以来のことだった。
(あのときは助けられたな……)
金属鎧は無言で一本のボトルをユキナに、もう一本をメルヴィアのマジックドールに渡すと、再び奥に引っ込んでいった。
ユキナが受け取ったボトルを手際よく開ける。
コルクが小気味よい音を立てて外れると、彼女はハヤトのグラスに透明な液体を注いでいく。
「クイーニア産ワインでございます」
ハヤトは目を見開いた。
この場所では酒は非常に貴重だ。王国から持ち込まれたものは樽でいくつかある程度で、騎士たちでさえめったに飲むことができない。
しかもボトル入りのワインなど、存在すら知らなかった。
だが、ハヤトはとくに酒が好きではなかった。
飲めないわけではないが、進んで飲みたいとも思わない。
それでも、こうして目の前に用意された以上、断るわけにはいかなかった。
「私の故郷のワインよ。飲まずに取っておいてよかったわ」
メルヴィアはワインの入ったグラスを掲げる。
ハヤトもしかたなくそれに倣い、グラスを持ち上げた。
「希望の明日に乾杯」
「乾杯」
ハヤトは透明な液体を喉に流し込む。あっさりとして飲みやすい味だった。
酒の良し悪しはよくわからないが、まずくはないと思う。
一息つくと、奥から鎧が料理を運んできた。
ユキナがそれを受け取り、丁寧にハヤトの前に置く。
「アンティパストは、ソレイナム・ピンパネリフォリウムとノチェーラ産熟成チーズを使った特製カプレーゼでございます」
ユキナがまるで呪文のように説明を始める。
「え、なんだって?」
「ソレイナム・ピンパネリフォリウムとノチェーラ産チーズのカプレーゼです」
ユキナは淡々と繰り返す。
「あ、うん……そうなんだ……」
ハヤトは曖昧に返事をしながら料理に目を移した。
それは、この辺りで採れるトマトのような野菜を薄くスライスし、間にチーズを挟んで整然と並べたものだ。
どうやら、このトマトもどきがソレなんとかというやつらしい。
名前がついていることに少し驚きながら、ハヤトは改めて料理を眺める。
「さあ、おあがりなさい」
メルヴィアの言葉に視線を上げると、彼女の前にも同じ料理が置かれていた。
マジックドールが彼女の給仕を担当しており、何も知らなければその様子は双子の姉妹のようにも見えただろう。
メルヴィアが優雅にフォークを取り、トマトもどきを一切れ口に運ぶのを見て、ハヤトもフォークを手に取る。
トマトもどきとチーズを一緒に刺して口に入れた瞬間、ジューシーな味わいが舌を包み込んだ。
太陽の恵みをそのまま味わっているような、そんな鮮烈な感覚だ。
「うまいぞ、これ!」
思わず声が漏れる。
このトマトもどきは何度も食べたことがあるが、ここまでおいしいものに感じたことはなかった。
みずみずしさが段違いだ。おそらく、たくさん収穫された中からとくに状態の良いものを厳選したのだろう。
さらに添えられたチーズがまた絶妙だった。
王国から持ち込まれた貴重な品であり、これまでハヤトが口にする機会はなかった。
それを前菜で惜しげもなく使うあたり、さすが総司令の特別な晩餐だ。
ハヤトが「うまい」と繰り返しながら食べていると、ユキナがワインをグラスに注いでくれた。
ワインを一口飲みながらふとメルヴィアを見ると、彼女はくすりと笑みを浮かべている。
「落ち着いて食べなさいよ」
メルヴィアの食べ方は一つひとつの所作が洗練され、見ていて感心するほどだ。
普段のメルヴィアはむしろ雑な印象が強かっただけに、そのギャップにハヤトは驚きを覚える。
彼女の動きに見惚れていると、視線に気づいたメルヴィアが穏やかな微笑みを向けてきた。
その瞬間、メルヴィアが妙に魅力的に見えた。
――たぶん酒のせいだろう、とハヤトは自分に言い聞かせた。
次に運ばれてきた料理はシンプルなスープだった。
「レッドガラスの卵スープでございます」
黄色いスープの上に、細かく刻まれた葉っぱが飾られている。
「レッドガラス」が何なのかは分からないが、とてもいい香りが漂い、食欲をそそる。
ハヤトはスプーンを手に取り、おもむろに一口飲んだ。
「ゥンまああ〜いっ!」
思わず声を上げるほど、濃厚な卵の旨味が口いっぱいに広がる。
卵だけでなく、何か特別な食材が使われているのは間違いないが、具体的に何かは分からなかった。
ただ美味しさに圧倒され、スープを飲む手が止まらない。
ふとメルヴィアを見ると、彼女は優雅な仕草でスプーンを口に運んでいた。
その姿を見て、ハヤトも気取った感じでスプーンを使ってみることにする。
だが、慣れない動作が災いし、「あっ」と思った次の瞬間にはスプーンが床に落ちていた。
拾おうとする前に、ユキナが無言で新しいスプーンを差し出してきた。
「あ、ありがと」
ハヤトが礼を言うと、ユキナは一礼し、落ちたスプーンを拾って奥の部屋に下がる。
「慣れないことはしなくていいのよ」
メルヴィアが口元を手で抑えてクスクスと笑う。その仕草までもが、いつもより上品に見えた。
「作法なんて気にしないで、料理をしっかり味わいなさい」
「そうだな」
ハヤトは促されるまま新しいスプーンを手に取り、再びスープをすくう。
濃厚な味わいが口の中に広がり、思わずため息が漏れた。
「しかし、おまえいつもこんなうまいの食ってるのか。うらやましいな」
冗談交じりに言いながらもう一口運ぶと、メルヴィアは首を振りながら微笑んだ。
「そんなわけないでしょ。王国から持ってきた食材なんて、もうほとんど残ってないのよ。この晩餐会のために私の手元にあったものは全部放出したわ」
「全部? 少しは残したらいいのに。ゲート攻略が成功したら祝勝会みたいなのもやるんだろ?」
驚いてスプーンを止めるハヤト。
その言葉に、メルヴィアは一瞬だけ目を細め、意味ありげな微笑みを浮かべた。
「ゲートが攻略できても、あんたが祝勝会に参加するかどうかは分からないわね」
「え?」
意表を突かれたハヤトが驚きの声を漏らす。
メルヴィアはゆっくりとワインを口に運び、その深い香りを楽しむように目を閉じてから、静かに言葉を続けた。
「ゲートを攻略できたのなら、転送物質も手に入るということよ。あんたが望むのなら、その場で元の世界に戻ることも可能。そういうことよ」
転送物質――ゲートの最下層にある装置から湧き出すこの物質は、異世界とこの世界の扉を開くために必要なものだ。
ハヤトもそれを使ってここに召喚された。
「元の世界に……戻れる?」
突然の話にハヤトは驚く。
「そうよ。順調にいけば、明日のいまごろには攻略は完了している。だからこれは、あんたのこっちの世界での最後の晩餐になるかもしれないのよ」
メルヴィアの言葉がハヤトの中に浸透するには、少し時間がかかった。
急な話に頭が追いつかない。しかし、やがてその言葉の意味がはっきりと理解できてくる。
明日にも帰れるかもしれない――元の世界に。
「一昨日言っておいたでしょ。いまのうちに別れは済ませておきなさいって」
「あれ、そういう意味だったのか……」
リノとの会話の流れから、てっきり危険を覚悟しておけという意味だと思っていた。
メルヴィアが何気なく放った言葉が、まさかこんな意味を含んでいたとは。
スープを飲みながら考え込んでいると、ユキナが次の料理を運んできた。
「プレコグラッサス・アルティベリのアクアパッツァでございます」
白い皿の上に蒸された白魚が美しく並び、さきほどのトマトもどきが添えられている。
その上からオイルがかけられ、芳醇な香りが漂っていた。
「魚料理か……」
ハヤトは思わず感嘆の声を漏らす。
ここでは魚を使った料理は珍しい。
ベースキャンプの周囲には豊富な食材があるが、魚は日持ちがしないため、わざわざ捕ることは少ない。
要望があったときにだけ調達されると、メイドたちから聞いていた。
「この白魚はなかなかおいしいのよ。王国で捕れる魚よりもおいしいかもね」
メルヴィアの言葉に促されるように、一口食べる。
柔らかい白身にオイルとトマトもどきの酸味が絡み合い、口の中で調和する。
「これは……!」
言葉を失うほどの味わいに、ハヤトは夢中でフォークを動かした。
メルヴィアも笑顔でワインを口に運びながら、料理を楽しんでいる。
その後も次々と運ばれる豪華な料理の数々に舌鼓を打ちながら、ハヤトはメルヴィアとの晩餐を存分に楽しんだのだった――。
■
食事が終わり、食堂を出て自室に戻ろうとすると、ユキナも一緒についてきた。
ユキナの部屋も7階層にあるのだ。
7階層に着き、「じゃあ。おやすみ」と別れを告げようとしたが、ユキナはなぜかハヤトについて部屋までやってきた。
「どうしたの?」
部屋の入り口の布を持ち上げようとするハヤトを、ユキナはそっと見上げた。
「明日、ゲート攻略が成功したら、ハヤト様は元の世界に帰られるのですか?」
その話はユキナが隣の部屋にいたときにしていたのだが、どうやら聞こえていたらしい。
「うーん。そうだな……」
ハヤトは布から手を離して、腕を組んだ。
正直、どうするかはまだ考えていなかった。
ゲートを攻略できるかどうかもわからないのに、攻略後のことを考えるのは気が早い気もする。
しかし、いざその場で「どうする?」と結論を迫られたら困るのは目に見えている。
ため息をつきながら、曖昧に答えた。
「とりあえず保留して、ここに戻ってきてから考えようかと思う」
自分でも答えとしては微妙だなと思ったが、それ以上にどうにもならなかった。
もうひとつ見つかっているゲートの攻略が済めば、みんなでシアの王国に帰還できる。
いまはそのゲートの調査中だが、調査が終わるまでに考えをまとめればいいのではないか――そう思う。
攻略が簡単そうなら、元の世界に戻るのを一旦諦めて王国へ帰還し、そのあとで改めて戻ればいい。
メルヴィアも「ある程度準備ができている」と言っていたのだから、その間に王国を見物してもいいだろう。
一方、攻略が難しそうなら、いつ帰れるかわからなくなる。
その場合は早めに元の世界に帰ったほうがいいかもしれない。
だが、もしそうなったら――転送物質を使ってしまえば、シアたちが王国に帰るには、最低でも新しいゲートをふたつ見つける必要が出てくる。
そのことを思うと、軽々しく「帰る」と言うわけにもいかない。
「元の世界に帰れるのなら、帰ったほうがいいと思います」
ユキナの表情はいつもと変わらない。
だが、いつもより気持ちがこもっているように思えた。
「ユキナは、俺に帰ってほしいのかい?」
ハヤトが少し意地悪に尋ねると、ユキナは目を伏せて少し間を置いた。
「…………いえ。寂しくなります」
ユキナがそう思ってくれていたことは嬉しかった。
ハヤトも、みんなと別れるのは寂しいと感じ始めていた。
だから、決断を急ぐ気にはなれない。
どうしても引き伸ばしたくなる自分がいた。
「どうするかはゆっくり考えるよ」
「はい」
ユキナが小さくうなずき、それでこの話は終わった。
「今日の料理はおいしかったよ。ありがとう」
「喜んでいただけて、私も嬉しいです」
「あいつと夕食なんて、どんなことになるかと思ったけど、楽しい夕食だったよ」
ハヤトが笑いながらそう言うと、ユキナが少し考え込むような顔をした。
「どうしたの?」
不思議に思って尋ねると、ユキナは答えた。
「メルヴィア様が笑うところを初めて見ました」
「え、初めて?」
「はい」
その言葉に、ハヤトは少し驚いた。
メルヴィアは難しい顔をしていることもあるが、それ以上によく笑うと思っていた。
だが、それはハヤトの前だからで、部下の前では厳しい上司でいようとしているのかもしれない。
以前、ユキナがふらふらになるまで働かされていたことを思い出し、そんなメルヴィアの二面性を考える。
「それでは、失礼いたします」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさいませ」
ハヤトは部屋で少しくつろいだあと、明日に備え、少し早いが風呂に入ってから寝ることにした。




