第64話 嵐の前
メルヴィアの書斎で、ハヤトは朝から散らかった部屋を片付けていた。
今日は書類の量が多く、床に散乱する書類やガラクタの山が、いつにも増して手強い。
例によって、正体不明のガラクタも、ハヤトが来る前に入念に転がしてあった。
拾い集めるたびに、メルヴィアが「それは壊れやすいから丁寧に」「それはあとで使うから捨てないように」と細かい指示を飛ばしてくる。
一体どうして大事なものを、廃棄予定のものと一緒に床に放置するのか――毎回疑問に思うが、メルヴィア曰く「ちゃんと考えて配置している」のだそうだ。
(どう考えても嘘だろうが、突っ込んだら負けだ)
ハヤトはそう割り切り、黙々と片付けを続けた。
余計な口を挟まないのが、ストレスを溜めないコツである。
「うーん、肩が凝ったわね。ちょっともんでもらえるかしら?」
いつもの面倒な肩もみ要請だったが、この日は違った。
(待ってたぜ、この瞬間を!)
ハヤトは内心でガッツポーズをしつつ、メルヴィアの背後に回った。
「なんか右の方が凝ってるのよね。念入りにお願い」
「了解」
ハヤトは言われたとおり、右肩を重点的にもみ始める。
経験上、メルヴィアに何かを聞きたいときは、肩もみをしている間が絶好のタイミングだ。
肩もみ中のメルヴィアは機嫌がよくなり、話を聞いてくれることが多い。
もっとも、最近はメルヴィアの機嫌が悪くない日々が続いていたが。
「昨日、新しいゲートが見つかったって話、本当なのか?」
「うん」
メルヴィアは書類を読む手を止めることなく答える。
「調査隊に死者が出たって聞いたんだけど?」
「出てないわよ。シアが治してくれたわ」
「おお、そうか! それはよかった。さすがシアだな」
昨夜、エルルから聞いた話では死者が出たということだったが、何とか助かったらしい。
昼休みにメイドたちに教えてあげよう――ハヤトはそう思った。
「騎士もあの状態でよくベースキャンプまで持ちこたえたわ。普通なら死んでいてもおかしくない状態だったわね」
騎士たちの頑強さは、ハヤトも身をもって知っていた。
たいていの危険生物をものともせずに倒し、鎧の上からとはいえ、銃で全身を撃たれても死にはしない。
ハヤトや魔術師たちと比べると、肉体的な強さは圧倒的だった。
その彼らが瀕死に追い込まれるとは――。
「新しく見つかったゲートの危険生物はやばそうなのか?」
ハヤトの問いに、メルヴィアは手元の書類を一旦置き、顔を上げた。
「そうね。暫定的だけどCランクに設定されたわ。今回のゲートにはこの危険生物が多数潜んでいる可能性が高いわね。以前見つかった虫たちが棲息するゲートはDランクが主体だから、いまのところより危険なゲートに思えるわね」
ハヤトは眉をひそめる。
Cランクの危険生物――それは騎士たちが単独で戦うのを避けるべきとされる相手だ。
単独で挑むことができなくはないが、それには相応のリスクが伴う。
Cランクがつけられる危険生物は、複数の騎士で連携して安全を確保しながら戦うべき対象だった。
ハヤトはこれまでに、Cランクの危険生物を見たことがない。
これまで見たのは、Bランクの危険生物が一種だけで、それ以外はすべてDランクの危険生物だ。
Aランクの「三つ目の狼」を狙撃で倒したことはあるが、その際、ハヤト自身は目視していない。
リノによる訓練のおかげもあって、いまではDランクの危険生物なら、落ち着いて戦えばなんとかなる気がしている。
少なくとも距離を取って対峙できれば勝てるはずだ。
一方で、以前、陥落済みのゲートから帰還する際に出くわした巨大な猪のような危険生物。
あれはBランクだとミリアから聞いている。騎士たちが十人以上で槍を手にし、待ち構えた末にようやく倒していた相手だ。
ハヤトの銃が強力とはいえ、あの突進してくる巨体に通じるかは怪しいところだった。
例えるなら、装甲車や戦車を相手に銃で立ち向かうような感じだ。
Bランクの危険生物とは正面から戦うべきではないと、ハヤトは感じていた。
では、Cランクの危険生物とはどうなのか――?
「俺の銃でCランクの危険生物を倒せると思うか?」
肩をもみながら、ハヤトは単刀直入に聞いた。
メルヴィアは手を止めず、少し考えてから答えた。
「Cランクといってもいろいろいるから一概には言えないけど、基本的には、いくら銃を持っていても戦うのは避けるべきね」
「そうか……」
メルヴィアの冷静な返答に、ハヤトは軽くため息をついた。
(やっぱり、Cランクは銃だけじゃ厳しいか……)
だが、メルヴィアは続けた。
「でもね、今回見つかった危険生物には、銃は相性がいいでしょうね」
彼女が肩越しにハヤトをちらりと見た。
「そうなのか?」
「ええ。今回の危険生物は体液が強力な酸だから、剣で切りかかって返り血を浴びれば大変なことになるわ。切りかかった剣は腐食されてしまうし、接近戦をする騎士たちにはすこぶる相性が悪いわね」
「強力な酸……」
ハヤトは思わず顔をしかめた。
騎士たちが装備する魔力を通した剣や鎧でさえ、腐食されてしまうという。
生身で浴びたらどうなるのか――想像するだけで嫌気がさす相手だ。
「でも、遠距離から攻撃できる魔術師には、それほど脅威ではないわ。銃でも同じことができると思う」
「へー……。って待てよ。ということは、俺は今度のゲート攻略についていくことになるのか?」
ハヤトの手が止まりかける。
ミリアがハヤトを主体とした攻略部隊を作ろうとしている話を思い出し、嫌な予感が頭をよぎった。
これまでもそれとなく阻止しようと試みてきたが、騎士たちに相性の悪い相手が現れたとなれば、銃を持つ自分に注目が集まるのは避けられそうにない。
「シアはあんたに期待してるようだし、そう言い出すことは容易に想像できるわね」
メルヴィアの言葉に、ハヤトの顔が引きつる。
「Cランクの危険生物なんて相手したくないんだが……。一匹ならともかく、たくさん出てくるんだろ?」
「ゲートの中には100匹くらいはいるかもね」
メルヴィアが書類をめくりながら、淡々と答える。
「無理無理。ゼッタイ無理!」
ハヤトは思わず声を張り上げた。
いくら銃があっても、酸を飛ばしてくる敵を100匹も相手にするのは想像するだけで恐ろしい。
全身を酸で溶かされる未来しか見えない。
「私は反対しているけど、どうなるかは調査の結果しだいね」
さらりと言うメルヴィアの言葉に、ハヤトは一瞬、希望の光を見た。
「え? 反対してくれるのか? それは助かる!」
メルヴィアの肩を勢いよくもみあげる。
「ちょ、もっと優しくもみなさいよ!」
メルヴィアが肩をすくめて不満そうに抗議する。
「あ、悪い悪い」
ハヤトはすぐに力を緩め、再び肩もみに集中した。
メルヴィアが反対してくれるなら、少しは状況が良くなるかもしれない――そう思うと、少しだけ気が軽くなった。
「まったく……。でも、シアはあれでいてなかなか頑固だからね。言い出したら聞かないのよ。その場合に備えて対策を考えておかなきゃね……」
メルヴィアは書類をトントンと揃えながら、宙を見上げて小さくため息をついた。
「うんうん。ほんと頼むぞ。おまえだけが頼りだからな」
ハヤトがそう言うと、メルヴィアは肩越しに振り返り、少し笑みを浮かべてみせる。
「しょうがないわね。任せておきなさい」
そう言うメルヴィアの背中が頼もしく見えた。
しばらくの間、書類を読むメルヴィアの肩をもみ続ける。
彼女は次々と書類の山をさばいていき、それとともに片付けたばかりの床が再び書類で散らかっていく。
今日の書類の量はいつも以上に多かった。
朝から何度かユキナが書類の束を運び込んでいたが、来るペースがこれまでになく早い。
おそらく、今日の書類の総量は過去一番になるのではないか。
夕食までに掃除を終わらせることができるだろうかと心配していると、メルヴィアが書類を読む手を止めずに話しかけてきた。
「なんか暇だから、またあんたの世界の話でも聞かせてよ」
どう見ても忙しいだろうと思ったが、余計なツッコミはしない。
「そうだな……。今日は何について話そうかな」
以前からときどき元の世界のことを聞かれて話していたが、最近はとくにその頻度が増えている気がする。
社会の様子や暮らしぶりについては一通り話したはずだから、ネタに困っていると、メルヴィアがリクエストを出してきた。
「あんたは『大学』というのを出たら、何をするつもりなのかしら?」
「う……」
大学を出たらどうするか――元の世界で一番聞かれたくないことだ。
周りは就職活動をしているらしかったが、ハヤトは何もしていなかった。
このままだと卒業後はニート一直線である。
「そうだな……。この世界の体験を元に小説でも書こうかな。異世界に呼ばれた勇者がチート能力で無双するようなやつを」
現実では無双できなかった分、物語の中で無双させるのは楽しそうに思えた。
「ふーん。あんたの世界では物語を書いて生計を立てていけるの?」
「俺ができるかはともかく、職業作家はいるぞ」
ハヤトの回答に、メルヴィアが感心したような声を出す。
「へー、そうなの。そういえば、あんたの世界ではみんな学校に入るんだっけ? 識字率が高いから本の需要も多いのかしらね」
「この世界じゃそうでもないのか?」
「本を読む人なんて貴族や一部の裕福な平民だけよ。このベースキャンプの兵士も大半は文字を読めないわ」
メルヴィアは新しく書類の束を手にすると、パラパラ漫画を読むかのように書類をめくる。
「私たち魔術師は、膨大な量の文章を書くし、ときには本にすることもあるわ。でも、それで生計を立てられる人なんて、極わずかね」
最後までめくり終えると、メルヴィアはそのまま床に派手に巻き散らかした。
絶対読んでないだろうとハヤトは思ったが、黙って肩をもみ続ける。
「ずいぶんと平和な世界で暮らしてるみたいね。勇者として召喚されたあんたがなんの戦闘力もないのも頷けるわ」
「平和といえば平和なんだけど、常時世界中で紛争は起きてるし、そこで戦ってる人たちもいる。だから戦士と呼べるような人もいるはずなんだけどな。なんで俺が呼ばれたんだろう」
「召喚の術が失敗したのかもね」
メルヴィアが冗談めかして言う。
「やっぱりそうなのか? 俺に特別な能力があるようにも思えないしな」
「そうよ。失敗よ。だから無理はしないことね。あんたは自分の身を守ることだけ考えてなさい」
今度はきっぱり断言するように言った。
その言葉に反論したくなったが、冷静に考えると、あの危険生物たちと渡り合える気はしない。
一度や二度ならなんとかなるかもしれないが、何度も戦えば接近されることもあるだろう。
騎士のように頑丈な体がなければ、戦い抜くのは難しい――そう実感せざるを得なかった。
メルヴィアは少し肩をすくめると、また書類の山に視線を戻す。
「あんたは帰還の日までここで掃除してるのが一番よ」
「それも嫌だなあ……」
「なんですって?」
「いやいや! 楽しいよ! 掃除最高!」
「うんうん。そうでしょ」
そんなわけはない。部屋を散らかして俺をからかって楽しんでるのはこいつだけだ。
そういう思いをぐっと胸にしまい込み、ハヤトはメルヴィアの肩をもみ続けた。
メルヴィアは肩をもむハヤトをちらりと見て、満足げにうなずいた。
その笑顔には、ハヤトをさらにからかって楽しもうという悪戯心が透けて見える。
「それでいいのよ。私の専属マッサージ師としてここで働きなさい」
「そんな肩もみ専門の勇者、聞いたことないぞ……」
「なら新ジャンルを切り開けばいいじゃない。勇者業界初の肩もみ勇者なんて素敵じゃない?」
「どんな業界だよ……」
ハヤトはげんなりしながらも、反論を考える。
「でもさ、勇者に肩もみや掃除ばっかりさせてるの、総司令としてどうなの?」
ハヤトが不満げに言うと、メルヴィアはにっこり笑った。
「何言ってるの? シアに頼まれたのよ。『勇者を有効活用してあげてください』って」
「いや、嘘だろ!?」
「信じるかどうかは自由よ。肩もみ、続けて?」
ハヤトは脱力して肩を揉む手を止めたが、メルヴィアが書類の端で小さく肩を叩くような仕草を見せた。
「ほら、早く。シアの期待に応えないとね?」
「……絶対そういう意味じゃない」
ハヤトは肩をもむ手を再び動かしながら、危険な任務よりはマシだろうかと、ため息をついた。




