第58話 帰還後
「はあ、疲れた……」
ハヤトは自室のベッドに寝転び、天井の岩肌をぼんやりと見つめながら呟く。
ベースキャンプに帰還後、荷物の整理や所用を済ませ、疲れた体を引きずって風呂に入った。
日帰りだったとはいえ、山に登り、危険生物と遭遇し、洞窟で生き埋めになりかけた――思い返すだけでも非常に長く感じられる一日だった。
まぶたが重くなり、このまま寝てしまいたくなる。しかし、ハヤトは無理に体を起こした。
「はあ。面倒だけど、行ったほうがいいよな」
ベッドから降り、部屋の出口へ向かう。寝る前にメルヴィアへの報告を済ませなければならない。
部屋を出たところで、ユキナとばったり出くわした。
「よかった。起きていたのですね」
「あ、ユキナ。ただいま」
「おかえりなさいませ、ハヤト様」
ユキナはメイド服のスカートをそっと摘まみ、控えめに頭を垂れた。
「メルヴィア様がお待ちです。一緒に来ていただけますか」
「うん。いま行くところだった」
ハヤトは、以前にもこんなやり取りがあったなと思いつつ、ユキナと共にメルヴィアの書斎へ向かう。
途中、ユキナが今日の食料採取について尋ねてきた。
「今日は危ないことはありませんでしたか?」
「あー、うん。今日は大丈夫だったかな。ちょっと洞窟が崩れて生き埋めになりそうだったのと、Aランクの危険生物に出会ったくらいかな?」
「え?」
ユキナが驚いて足を止める。振り返るハヤトの顔を、じっと見つめてきた。
普段冷静な彼女の瞳に、戸惑いの色が浮かんでいる。
「今日の外出は安全だとお聞きしていましたが……」
「うーん、そのはずだったんだけどな。洞窟が崩れたのは地震のせいだし……って、こっちでは地震でなんともなかったの?」
あれだけ大きな地震だったのだ。ベースキャンプにも被害が出ていておかしくない。
「メルヴィア様の書斎では、棚からいくつか道具が落下しました」
「ああ、あの棚か。ちょっと詰め込みすぎて不安定になってたな」
ハヤトは、メルヴィアの書斎にある棚を思い浮かべる。
本や道具がぎっしり詰まっており、地震がなくてもいつ倒れてもおかしくない状態だった。
「食堂では、積み上げられていた食器が崩れて、いくつか割れてしまったと聞いています」
「あれは普段からときどき崩れて割れてるからなあ」
ハヤトは苦笑を浮かべる。
食器は木製でそれなりに頑丈だが、何度も落とせば欠けたりヒビが入ったりして、いずれ割れてしまう。
以前、ハヤトがうっかり皿の山を崩してしまい、床に落ちた皿をいくつか割ったときには、メイド長から冷たい目で見られたものだ。
「壁が崩れたりとかはなかったの?」
「はい。ここの岩はもともと頑強であるうえ、工作部隊の人たちが日々整備しておりますので、地震には強いと聞いています」
「そっか。それはよかった」
工作部隊はベースキャンプの通路や部屋を整備したり、ドアや家具を作り出す職人集団だ。
そのおかげで、このベースキャンプの快適度はここに来た当初より大幅に向上している。
食器も彼らの手作りだ。以前、ハヤトが皿を割ってしまったとき、彼らに新しい皿を作ってもらった。
当初、手ぶらで向かおうとしたハヤトに、エルルが差し入れを持たせてくれたおかげで、工作部隊は快く引き受けてくれた。
その一件以来、ハヤトは工作部隊とすっかり仲良くなり、ときおり食堂から「調達」してきた食料を差し入れに持参し、椅子や収納箱などを作ってもらったりしている。
ハヤトたちは会話を続けながら、並んで歩き始めた。
「しかし、俺の部屋はなんともなかったけど、あちこちで被害が出ていたんだな」
「ハヤト様の部屋は、エルルが片付けたそうです」
「え、そうだったんだ。あとでお礼を言わなきゃな」
エルルには世話になりっぱなしだ。
細やかな気配りができる彼女の姿を思い浮かべると、自然と感謝の気持ちが湧いてくる。
ハヤトは、次に会ったときにしっかりとお礼を伝えようと思った。
メルヴィアの書斎に到着すると、ユキナが足を止め、入口の手前で静かに一礼する。
「メルヴィア様。ハヤト様をお連れしました」
「ご苦労。今日はもう休んでいいわ」
「はい。失礼いたします」
ユキナは頭を下げ、一礼するとすばやくその場をあとにした。その速さはまるで脱兎のごとくだ。
その後ろ姿を見送りながら、ハヤトは顔を引きつらせて呟く。
「なんで片付けてくれてないかなあ」
部屋に目を向けると、書斎は棚から落ちた小道具や、メルヴィアが散らかしたと思われる書類で溢れている。
地震で道具が棚から落ちたとか言っていたが、どうやらユキナは片付けなかったらしい。
「なにしてるの? 早く入ってきなさい」
「ああ」
書斎に足を踏み入れると、メルヴィアが机で機嫌よさそうに書類を読んでいた。
反対に、ハヤトはムスッとした顔をしている。
「どうしたの、そんな顔して。疲れてるのかしら?」
「ここに来たらどっと疲れが出たよ」
「しかたないわね。ここを片付けるのは明日でもいいわ」
その言葉に、ハヤトは安堵する。正直、体はクタクタだった。
「いま報告書を読んでるところだけど、射撃の練習はできた?」
「おう。鹿や猪みたいな動物を何頭か狩った。あと、危険生物も一体な」
メルヴィアは書類をめくる手を止め、視線をページの一点に落とした。
「ふうん。テンタクルズを倒したのね。近接戦闘だと、視界外からの毒を持った触手による攻撃が脅威になるのだけど、『銃』なら近づく前に倒せば関係ないというわけね」
「接近戦をする騎士だと苦労するのか?」
「まさか。騎士なら触手を全部剣で切り落とせるし、そもそも鎧の上からテンタクルズが有効なダメージを与えることはできないわ」
ハヤトは、ラグラスが触手の危険生物をDランクと言っていたことを思い出した。
Dランクは兵士ひとりでは危険な相手だが、複数の兵士、あるいは騎士ひとりで十分対処可能な相手である。
騎士であれば、あの危険生物は敵ではないのだろう。
メルヴィアはすごい速度で書類を読み進めていたが、ふとその手が止まった。
「Aランクの危険生物との遭遇およびその撃破!?」
「おう。Aランクの危険生物も銃で倒したぞ」
メルヴィアが眉間にシワを寄せ、ぷるぷると震え出す。
「なんでそんなのと遭遇するのよ!」
「なんでと言われても……」
メルヴィアは急に黙り込むと、分厚い報告書を次々とめくり始めた。
報告書を書いたのはラグラスか、それともクレアか。
たった一日の出来事だというのにやたら枚数がある。
そして、またメルヴィアの手が止まった。
「洞窟の崩壊!?」
「あ、うん。割と危なかったかな」
「地震のタイミングで洞窟に入ってるなんて、なんて運が悪いの……」
「まったくだな」
報告書を最後まで読み終えたメルヴィアは、深々とため息をつき、机に肘をついて顔を両手で覆った。
「俺が危ない目にあってショックだったか?」
ハヤトは少し嬉しくなった。
なんだかんだ、メルヴィアは自分のことを心配してくれるのだ。
しかし、メルヴィアは顔を上げると、鋭い目つきでハヤトを睨みつけた。
「今回の食料採取に推薦したの、私なんだから! 怪我とかされたら困るのよ!」
「この通り、怪我ひとつしてないよ。優秀な護衛のおかげだけどな」
今回は洞窟崩壊の件を除けば、危険生物は近づく前に倒せたので、それほど危険ではなかったと思う。
これも周りのサポートのおかげだろう。とくにクレアの索敵能力は素晴らしかった。
銃という武器がある限り、距離を取って戦えば圧倒的に有利だ――それを実感する一日だった。
「それはそうよ。危険が及ばないよう、十分な戦力を選んだんだから」
メルヴィアは書類を机の上に置き、冷静な声で言い切った。
「ああ。実際完璧なメンバーだったと思う」
「でも、それだけでは足りなかった」
「え?」
ハヤトの返答に、メルヴィアは険しい表情で言葉を続ける。
「Aランクの危険生物と遭遇するなんて想定外よ」
「まあでも、割と簡単に倒せたよ」
ハヤトが軽い調子で答えると、メルヴィアの表情はさらに険しくなった。
「なに言ってるの。ひとつ間違えれば、仲間を呼ばれて確実に死者が出ていたわ」
たしかにその通りだ――クレアの索敵能力と、精霊魔法による音の遮断、さらにリノの正確な射撃がなければ、あの結果にはならなかっただろう。
ハヤトは肩をすくめて言い返す。
「まあ……だから、優秀な護衛のおかげって話だよ」
メルヴィアは大きくため息をつくと、天井を見上げた。
「フロッカーの活動範囲が広がっていたのに気づけなかった。ゲートの調査に人手を取られて、あの一帯の状況を最近調べていなかったのが原因だわ」
それから虚空を見つめ、ぽつりと呟く。
「つまり、私のミスなのね……」
メルヴィアが静かに沈んでいく様子に、ハヤトは少し居心地の悪さを感じた。
「じゃあ、俺はこれで」
軽く手を振り、部屋をあとにしようとする。
だが、背中越しにメルヴィアの声が飛んできた。
「待ちなさい。あんたは部屋を片付けていきなさい」
「え? さっき明日でいいって……」
「私は計画の見直しで、これから徹夜するのよ! あんただけ先に寝させないから!」
メルヴィアの言葉に、ハヤトは思わず立ち尽くす。
「そんな無茶苦茶な……。俺は今日は遠出したんだから、疲れてるんだぞ」
「私だって疲れてるんだから同じよ! いいからやりなさい!」
結局、ハヤトは散らかった書斎を片付ける羽目になった。
溜息をつきながら書類の山を整理していると、机の向こうで真剣な眼差しで計画の見直しを進めるメルヴィアの姿が目に入る。
(本当に容赦ないな……)
そう思いながらも、どこかで責任感の強い彼女の姿勢に感心してしまう自分がいることに気づき、複雑な気持ちになるハヤトだった。




