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第5話 勇者の条件

 翌日、メルヴィアの機嫌は明らかに悪かった。


 ハヤトが掃除のために書斎を訪れてから一時間が経っていたが、メルヴィアは椅子に座って腕を組んだまま、ひと言も発していない。

 そして、ときおりハヤトを「キッ」と鋭く睨みつけてきた。

 どうやら、シアから「ハヤトに情報を伝えていなかった」ことについて何か言われたのだろう。

 ハヤトは内心でほくそ笑みながら、黙々と片付けを進めていた。


 メルヴィアが椅子に座ったままのうちに片付けてしまおうと、ハヤトは急いだ。

 しかし、部屋はこれまで以上に散らかっており、どれだけ片付けてもゴミの山はそこにそびえ立っていた。


(くそっ、あらかじめ散らかしてやがったな!?)


 結局、メルヴィアは椅子から動かなかったが、いつも通り片付けにはかなりの時間がかかった。


「やっと終わったか……。じゃあ、戻るとするか」


 ハヤトはちらりとメルヴィアの様子をうかがう。

 彼女は依然として椅子に座り、無言のままハヤトを睨んでいた。

 部屋を出る前に、ハヤトは軽く声をかけてみたが、返ってきたのはさらなる睨みだけだった。

 

 午後の掃除も骨が折れそうだな、とハヤトはため息をついた。



 昼食後、午後の掃除にメルヴィアの書斎を訪れたハヤトは、驚きのあまり立ち尽くした。


「こ、これは……」


 いままで一度もこんなことはなかった。部屋は午前に掃除し終えたときと変わらず、片付いていたのだ。

 メルヴィアも、午前中と同じように椅子に座ったまま腕を組んでいた。


「おまえ、朝からずっとそこに座りっぱなしだったのか?」


 ハヤトが尋ねると、メルヴィアはゆっくりと椅子から立ち上がり、ハヤトに向かって歩き出した。

 そして、ハヤトの前まで来ると、じっと彼の目を覗き込んだ。

 

 メルヴィアは女性にしては背が高く、ハヤトとほぼ同じくらいの身長だった。

 目線が交わるその威圧感に、ハヤトは自然と後ずさりしたが、メルヴィアはその分だけ前進してくる。

 

 気がつけば、ハヤトは壁際に追い詰められていた。


「おい……、なんか言えよ……」


 ハヤトがそう言うと、メルヴィアは突然右足を振り上げ、ハヤトを蹴りつけた――かに見えたが、実際にはハヤトの横の壁に蹴りを入れただけだった。

 彼女の裾の長いローブにはスリットがあり、そこから白く細い生足がむき出しになっていた。

 石鹸の香りが微かに漂ってくる。


「な、なんだよ……」


 ハヤトはその白い太ももとメルヴィアの顔を交互に見ながら呟いた。


「あんた、探索の状況をそんなに知りたいの?」


「お、おう」


「じゃあ、なんで今日は私に聞かないの?」


「昨日、シアにだいたい聞いた。というか、おまえ、いつもまともに答えないじゃん」

 

 メルヴィアの眉が不愉快そうにぴくんと跳ね上がった。


「あれは、あんたをテストしていたのよ。情報を与えても大丈夫か、しっかり見極めてたの」


「何をどう見極めてたっていうんだよ」


「それは……忍耐力。そう、忍耐力のテストよ!」


「おまえ、いま思いついただろ」


「違うわよ! 最初からちゃんと考えてやってたんだから!」 


 図星なのか、メルヴィアの口調はいつもと違って少し焦っていた。


「わかった、わかった。じゃあ、そういうことでいいよ」


「そういうことでいいって、どういうことよ!?」


「まあいいから。それで、俺は合格したわけ?」


「落第……に限りなく近いわね」


 メルヴィアは唸るように答えた。


「つまり、合格ってことだな」


 メルヴィアはふんっと鼻を鳴らし、壁にかけていた足を下ろしてから、ハヤトに背を向けて部屋の中央まで歩いていった。

 そして、ハヤトのほうを振り返り、指を突きつける。


「別に、シアに言われたからじゃないわよ。厳正なる試験の結果、しょうがなく話してあげるの」


(しょうがなくって、なんでそんなに話したくないんだよ、この女……)


 ハヤトは、メルヴィアがシアを呼び捨てにしていることに気づいた。どうやら、メルヴィアは単なる臣下ではなさそうだ。


「おまえ、シアのこと呼び捨てにしてるんだな」


「あんたも呼び捨てにしてるじゃない」


「俺は部外者だから、姫とか関係ないからな。そもそも、この世界の人間じゃないし」


「そんな理屈、騎士たちには通用しないわよ」

 

 ここに呼び出された日の、騎士たちとの悶着を思い出し、ハヤトは嫌な気持ちになった。

 あれからも、廊下を歩いているときに騎士たちとすれ違うことがあり、そのたびに睨みつけてくる連中も少なからずいた。

 

「なんであいつら、俺に対してあんなに威圧的なんだ?」


「あんたが、シアが喚びだした勇者だからよ」


「勇者?」


 ハヤトは、シアが「きっと勇者の力があるはずだ」と言っていたのを思い出した。


「実際にはこんなのだったけど、とにかく勇者として喚びだしたわけだから、騎士たちは面白くないのよ。シアを護るのは自分たちだって、強く思ってるから。異世界の勇者なんて、自分たちの存在を否定する邪魔者でしかないのよ」


「なるほど……。初日の俺のシアへの態度がまずかったのかとも思ったけど、そういうわけだったのか」


「それもあるわね。騎士たちは礼儀を重んじるから。でも、いまさら気にすることはないわ」


(やれやれ、俺が火に油を注いだってわけか……)


「それで、なにが聞きたい?」


 メルヴィアはハヤトに指を突きつけたまま言った。

 先ほどからずっとこの姿勢を崩さない。

 ハヤトはなんとなく嫌な感じがして、その指から逃れるように横に動いた。

 しかし、指はハヤトにぴったりついてくる。

 

「その指、なんだよ……」


「別に。気にしないで」


「気にするだろ……。まさか、魔法でもぶっ放すつもりじゃないだろうな?」


 メルヴィアは口の端を歪めて笑った。悪意に満ちた表情だ。


「どうかしらね」


「おい、ばか、やめろ」


 ハヤトは壁際をじりじりと移動しながら言った。しかし、指先は依然としてハヤトにぴったりと照準を合わせている。


「変なことを聞かなければ大丈夫よ。死なないから……たぶん」


「おまえ、撃つ気まんまんだろ!」


「どうしたの? 聞かないのかしら? いまならなんでも答えるかもしれないわよ?」


 質問を間違えたら死ぬ。ハヤトはそう直感した。

 というか、メルヴィア自身がそう言っているも同然だ。

 ハヤトは慎重に質問を選ぼうと考えた。

 

 何を聞くのが安全だろうか?

 「ゲート」が見つかるまでの日数か、危険生物への対抗策か、それとも単純に無事帰還できる見込みか。


 聞けることはこの程度だ。それはメルヴィアも承知のはず。その上であんな挑発をしているのだから、この中に地雷があるに違いない。

 何としてもそれを避けなければ……。


 しかし、口をついて出た言葉は、そのいずれともまったく違うものだった。


「スリーサイズはいくつだ……?」


 メルヴィアは一瞬、固まった。


(あ、死んだな、俺)


 ハヤトは覚悟を決めて目を閉じ、その瞬間を待った。だが、いつまで経っても何も起こらない。

 恐るおそる目を開けると、メルヴィアは指をハヤトに向けたまま、首を傾げていた。


「スリーサイズってなに? 3つの大きさ? 何のことかしら?」

 

 どうやら、この世界にはスリーサイズという概念はないらしい。ハヤトは助かったと安堵し、誤魔化すことにした。


「いや、知らないならいい」


「――誤魔化さないで」


 間髪を入れずに釘を刺された。メルヴィアは厳しい目でハヤトを睨みつけている。

 まだ、命の危機から抜け出せたわけではなさそうだ。


「スリーサイズの3つは……力と知恵と勇気だ」


「力と知恵と勇気? どういう意味?」


(俺だって知らないよ。誰か助けて……)


 答えに詰まり黙り込んでいると、メルヴィアは突然声を上げた。


「わかったわ。なるほど、そういうことなのね!」


 メルヴィアは何かをひらめいたらしい。ハヤトに向けていた指を下ろし、「なるほど」と繰り返していた。


(どういうことか、俺にも教えて欲しい)


「力は騎士たち、知恵は魔術師たち、そして勇気は勇者を指しているってことね」


(なるほど。よくこじつけたな)


 ハヤトが内心で感心していると、メルヴィアがハヤトの方へ歩み寄ってきた。

 壁際に立つハヤトの目の前に来て、まっすぐに睨みつける。


「たしかに私は、あんたの身体的な強さや魔力しか測っていないわ。そして、そのどちらも最低レベルだった。でも、その心こそが勇者の証だと言いたいのね?」

 

「いや、その……」


 ハヤトは否定するわけにもいかず、口ごもった。心の中では、まずいことになったと思っていた。


「ふうん」


 メルヴィアは口元をわずかにほころばせ、笑った。


「いいじゃない」


 そう言ったメルヴィアの表情は、いつものように突き抜けた明るさをたたえていた。

 ハヤトは命拾いをしたと胸をなでおろした。



 7階層の休憩室で、ハヤトはエルルとお茶を飲んでいた。


「そうなんですかあ。メルヴィアさまも、やっぱりハヤトさんに期待してるんですね」


 エルルはいつものように、少し間延びした口調で話した。

 小さなテーブルを挟んで向かい合って座る、小動物のようなこの少女の声を聞いているだけで、ハヤトは癒される気がしていた。


「やっぱりってことは、前から何か言ってたの?」

 

 ハヤトは椅子の背もたれに体を預けていた。最近、クッションを取り付けて座り心地がよくなってから、この姿勢が定着していた。


「はい。『勇者はいまのところ体力も魔力もないけど、将来にわたっても、間違いなく力を覚醒させることはない』って。ほかの子から聞いた話ですけどね」


 エルルはにこにこしながら、さらっと毒を吐く。

 ハヤトは苦笑いを浮かべた。


「それ、全然期待してないじゃないか……」


「でもですね、その話を直接聞いたメイドの子は、それでもメルヴィアさまはハヤトさんに期待してるんじゃないかって思ったそうなんです」


「……聞いた話って、誰なのさ、その子は」


 ハヤトがそう尋ねると、エルルは天井を見上げて考え込み始めた。


「ん~、わたしも間接的に聞いた話なのでよくわからないんですけど、なんでもシアさま付きのメイドが聞いたとか」


「出どころがわからないって、それはただの噂話じゃ――」


「――あ、なにか聞こえませんか?」


 エルルが天井を見上げたまま言った。

 ハヤトも耳を澄ますと、上の階層から喧騒が聞こえてきた。怒声や人が走る音が響いている。


「ほんとだ。なんだろう?」


 大勢が騒いでいるようだ。何を叫んでいるのか、ハヤトはさらに耳を澄ませる。

 聞き取りにくいが、大勢が同じ言葉を繰り返し叫んでいた。














「敵襲だー!」





ベースキャンプは何者かの襲撃を受けていた。

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