第56話 塩の洞窟
ハヤトはリノに案内され、岩塩が採れるという洞窟の前に立っていた。
目の前に広がる洞窟は、口を大きく開けた怪物のようだ。
その奥から漂うひんやりとした気配に、ハヤトは思わず身を縮める。
風に乗って、微かな削岩の音が耳に届いた。
どうやら兵士たちが内部で岩塩を採掘しているらしい。
洞窟内は外からの光がまったく入らず、完全な暗闇だ。
リノは腰から短剣を引き抜き、魔法で刃を淡く輝かせると、洞窟内を照らした。
「つまづきやすいから、足元気をつけてね」
臆することなく中に入るリノの後ろを、ハヤトは慎重に進む。
洞窟の入り口は人が三人ほど手を伸ばしたぐらいの広さがあった。
だが、奥へ進むにつれて徐々に狭くなり、とうとう一人が手を伸ばせば壁に触れそうなほどになった。
やがて洞窟は二手に分かれていたが、リノは迷うことなく片方の通路を選び進んでいく。
「さっきの分岐を逆に行くと、みんなが岩塩を採取してるところにたどり着くんだよ」
リノに言われ、ハヤトは後ろを振り返った。しかし、そこには完全な闇が広がっている。
その闇を見ていると、まるで何かが飛び出してきそうな気がして、背筋が寒くなった。
「この洞窟って、何もいないんだよね?」
「うん。いままでも何もいなかったし、今回も騎士さまたちが確認済みだからだいじょうぶだよ」
リノの明るい声が響いたその瞬間、前方の暗闇から何か小さなものが地面を駆けてくるのが見えた。
驚いて飛び退くハヤト。その足元を、小さな影――ネズミがすり抜け、後ろの暗闇へと消えていく。
「まあ、ネズミくらいはいるだろうけどね」
リノはハヤトの様子を見てクスッと笑った。
「……びっくりした」
「勇者さんはその銃があれば、たいていの危険生物は倒せると思うよ」
ハヤトは胸元に吊り下げたサブマシンガンを無意識に撫でた。
念のため持ち込んでいたが、その存在が少し心強く感じられる。
「そうかもしれないけど、急に飛び出してきたら、うまく当てる自信はないな……」
「そういう練習もすれば、だいじょうぶだよ。今日はリノが守ってあげるから、安心しててね♪」
「……ありがとう」
リノの背中を見つめながら、ハヤトは心の中で思った。
早く守られる存在から、守る存在になりたい――。
5分ほど進んだところで、リノが立ち止まった。
「ここら辺だったかな。ちょっと明かりを消すね」
リノが灯りの魔法をかけた輝く短剣を腰の鞘に収めると、辺りは完全な暗闇に包まれた。
しかし、目が慣れてくると洞窟の壁がほのかに輝いているのが見える。
よく見ると、壁には青い光を放つ石がところどころ埋まっていた。
ハヤトは思わず感嘆の声を漏らす。
「すごいな……」
「そうでしょ? これ、光を当てると少しの間だけ溜め込んだ光で輝くんだよ」
リノはひときわ大きく光っている石を見つけると、灯りの魔法がかかった短剣とは別の短剣を取り出した。
暗闇の中で、剣を抜く音が静かに響く。
「これがよさそうかな。待っててね。いま削り取るから」
リノが岩壁に短剣を当てると、金属が固い石を削る音が聞こえ始めた。
暗くて細かな様子はわからなかったが、リノの手つきは慎重でたしかなものだった。
しばらくすると、リノは再び灯りの魔法がかかった短剣を腰から抜き放つ。
突然の明るさにハヤトは思わず目を細めた。
「眩しかったね。ごめんね」
「いや、大丈夫だよ」
目が慣れてくると、壁の黒いシミのような部分の周囲に削り跡がくっきりと刻まれているのが見えた。
「この黒いのが宝石だね。見た目はただの石だけど、磨けばちゃんと光るからね」
そう言いながら、リノは再び短剣を使って慎重に削り始めた。
丁寧に時間をかけ、ついに黒い塊を岩から削り出すことに成功する。
「はい、取れたよ♪」
リノから手渡された石はゴルフボールほどの大きさで、見た目以上に重かった。
「ありがとう、リノちゃん」
「うんうん。いいんだよ。訓練も頑張ったしね。ご褒美だよ♪」
これでエルルへのお土産を手に入れたことになる。
もちろん、このままでは渡せないが、石を磨いてくれるあてがハヤトにはあった。
布を取り出し、石を丁寧に包む。
服のポケットにしまい込んだあと、ハヤトは小さく息をついた。
「じゃあ、出ようか。まだ少し時間があるから、射撃の訓練をしようね♪」
「えー、まだやるの?」
「外での訓練は滅多にできないからね。今日はいっぱい訓練するよ♪」
そのときだった。
どこかで小石が落ちる音がしたかと思うと、地響きとともに洞窟全体が揺れ始めた。
「地震か!?」
「え? え?」
揺れが次第に大きくなっていく。
すぐに洞窟を出ないと危険だ――そう考えたハヤトは、立ちすくむリノの腕をつかもうと手を伸ばす。
しかし、その瞬間、さらに大きな揺れがふたりを襲った。
足を取られたハヤトもリノも、その場にしゃがみ込んでしまう。
激しい揺れが続くなか、ハヤトは地面にへばりつき、リノも壁にしがみついて耐えていた。
だが揺れは一向に収まらず、地響きはますます大きくなる。
どこかで洞窟の崩れる音がし始めた。
このままでは生き埋めになってしまうかもしれない――だが、揺れが激しすぎて身動きが取れない。
ハヤトはパニックになりかけながらもリノに目を向けた。
彼女は地面に尻もちをつき、壁にすがりついて揺れに耐えている。
リノのもとに近寄りたかったが、そんな余裕はまったくなく、声を上げることすらできない。
(頼む! 早く止まってくれ!)
ただ祈ることしかできなかった。
突然、ドスンという鈍い音が響き、ハヤトのすぐそばに大きな岩が落ちてきた。
あと少しずれていれば、ただでは済まなかっただろう。
その質量に恐怖を覚えながらも、相変わらず身動きがとれない。
ハヤトたちの周囲では、あちこちで壁が崩れ始めていた。
そして、目の前で――リノの足元が裂けた。
恐ろしい轟音とともに、リノは暗い亀裂にすべり落ちていく。
ようやく揺れが収まったときには、辺りの壁は散々に崩れ、洞窟の通路には大小の岩が転がり落ちていた。
地面にはリノが魔法をかけた短剣が転がっており、その光が洞窟内を明るく照らしている。
ハヤトはすぐさま立ち上がり、リノが落ちた亀裂へと駆け寄った。
亀裂は1メートルほどの幅で、人ひとりがようやく入れる程度の大きさだ。
恐る恐る中を覗き込む。だが、そこに広がるのは暗闇だけだった。
何も見えず、リノの姿も確認できない。
「リノちゃーん!」
絶望的な気持ちに支配されながら、ハヤトはあらん限りの声を張り上げる。
その声は亀裂の中に響き渡り、その深さが想像以上であることを実感させた。
地面に転がっていた灯りの魔法がかかった短剣を拾い上げ、亀裂にかざして照らす。
だが、亀裂は数メートル先で屈折しており、リノの姿は見えない。
「リノちゃーん!」
再び彼女の名を呼ぶと、今度は亀裂の底のほうから声が返ってきた。
「はーい」
その声に、ハヤトの心臓が一瞬止まりそうになる。
「リノちゃん!? 無事だった?」
「なんとかだいじょうぶだよー」
いつもと変わりない軽い声に、ハヤトは思わず胸を撫で下ろした。
「登ってこれそうかい?」
「真っ暗でなにも見えないね。……狭くて身動きが取りにくいし」
ハヤトはリノの言葉を聞きながら、亀裂の中の様子を想像する。
深い亀裂に体が挟まった状態だろうか。灯りがなければ、彼女も身動きが取れないに違いない。
「灯りの魔法はかけられる?」
「……ちょっと難しそう」
リノの声にわずかな疲れが混じっているのを感じた。
ハヤトはすぐさま地面に体を横たえ、短剣を持った腕を亀裂に向かって精一杯下ろしてみる。
「リノちゃん。こっちの灯りは届いてる?」
「……うーん。なにも見えないね」
声の感じからして、リノはかなり深い場所にいるようだ。
灯りが届かないのは、亀裂が幾重にも曲がっているせいだろう。
だが、その曲がりのおかげで、滑り落ちる形で底まで無事に降りられたのかもしれない。
「灯りの魔法がかかった短剣をそっちに落とそうか?」
「ううん。こっちはだいじょうぶだから、勇者さんは早く洞窟を出て。また地震が来るかもしれないし」
その言葉に、ハヤトははっとした。
たしかに、地震が再び起きる可能性は十分にある。早く行動しなければ、ふたりとも危険だ。
「勇者さん。上に登るのは無理そうだけど、横には動けそうだから、どうにかしてみるね」
リノの声には前向きな響きがあったが、ハヤトの心は落ち着かない。
「やっぱり短剣を――」
「だめだよ!」
リノの反応は鋭く、思わずハヤトは言葉を飲み込んだ。
「灯りがないと洞窟から出ることはできないよ。リノはだいじょうぶだから、勇者さんは急いで外に出て!」
「でも……」
ハヤトは短剣を握りしめたまま言葉を詰まらせる。
リノの言葉は正論だ。灯りがなければ洞窟を出るどころか、自分も動けなくなる。
だが、リノをこのまま放っておくわけにはいかない。
足元に散らばる岩を見つめながら、ハヤトの頭の中ではどうすればいいのか必死に考えが巡っていた。
それでも最善の手段が浮かばない自分の無力さに、悔しさが込み上げてくる。
「……ロープがないと登るのは無理だから。洞窟の外に出て助けを呼んできてね」
「わかった!」
ハヤトは体を起こして立ち上がると、灯りの魔法がかかった短剣を出口に向けてかざした。
通路の地面には大小の石が転がっているが、幸いにも塞がれているわけではないようだ。
「すぐ助けを呼んでくるから待っててね!」
「うん。ありがと」
リノの声に背中を押されるように、ハヤトは急いで洞窟を逆にたどり始めた。
出口までは歩いて数分の距離だ。走ればすぐに外に出られるはず――そう思ったが、地面に転がる石に足を取られ、思うように速度が出ない。
洞窟の分岐点にたどり着く。
焦りのせいか、一瞬どちらが出口かわからなくなる。
そのとき、ハヤトの後ろから何かが足元を駆け抜けていった。
「――ネズミ!」
ネズミが向かうほうが出口に違いない――そう確信したハヤトは、迷わずそのあとを追った。
何度もつまづきそうになりながらも走り続けると、短剣の灯りが照らし出す通路の先にかすかな光が見えた。
「出口だ!」
安堵の声が漏れたその瞬間――再び、洞窟が恐ろしい地響きとともに揺れ始める。
さっきよりも激しい音と揺れがハヤトを襲った。
周囲の天井や壁からは小石や砂が絶え間なく落ちてくる。
ハヤトはその中を全力で駆け抜け、ついに光の中へ飛び込むことができた。
洞窟の外に出た瞬間、大きな轟音が響き渡る。
振り返ると、ハヤトがいま出てきた洞窟の入り口が崩れ落ちていくのが目に入った。
「え? 嘘だろ……?」
足を止めたハヤトは、崩れ落ちた洞窟の入り口を呆然と見つめた。
まだ地震は続いており、洞窟の内部ではさらなる崩壊が起きているらしい。
「リノちゃん、そんな……」
暗闇の中、亀裂に挟まれて身動きも取れないリノを置いて逃げてきてしまった。
リノが外に助けを呼びに行くよう言ったのは、間違いなくハヤトを助けるためだ。
ハヤトはリノが灯りの魔法をかけた短剣を使って脱出した。
リノのおかげで生き延びることができたのだ。
「リノちゃん……」
――勇者さん、リノが死んでここに埋められたらお墓参りしてくださいね♪
リノが12階層に作られた墓の前で言った言葉が脳裏をよぎる。
「約束したのに……」
リノはこの洞窟に埋もれてしまった。
彼女を親友の墓の隣に埋めてやることもできないのだ。
揺れがようやく収まったあとも、ハヤトは崩れた洞窟の入り口の前で呆然と立ち尽くしていた。
リノと過ごした訓練の日々が、次々と思い出される。
まだ教わることはたくさんあった。
早く一人前になり、活躍する姿を見せたかった――。
しかし、それはもう叶わない。
そう思うと、胸が締めつけられるように苦しくなった。
「そうだ。約束だ……」
ハヤトは入り口を塞ぐ大きな岩に近づいた。
自分の身長ほどもあるその岩に手をかけ、全力で押す。だが、岩はびくともしない。
それでも、ハヤトは力の限り押し続けた。
約束したのだ。
リノを彼女の親友の隣に埋めてやると。
リノを連れて帰らなければならない。
だが、その思いも虚しく、岩は動く気配すらない。
ハヤトは岩を押しながら、ついに声を張り上げた。
「リノーーーーーーーー!!!」
叫びが響き渡り、涙が頬を伝う。
「はあーーい」
「え?」
唐突に響いた軽い声に、ハヤトは呆然と振り向いた。
そこには、亀裂の中にいるはずのリノが、こちらに向かって手を振りながら歩いてくる姿があった。
その足取りは軽やかで、あっという間にハヤトのそばまでやってくる。
「よかった。勇者さんに怪我はないようだね♪」
「リノちゃん! 本当によかった。無事だったんだね!」
ハヤトはリノの手を取ると、上下にぶんぶん振り回した。
リノはにっこり微笑みながら、それに応じる。
「うんうん。だいじょうぶって言ったでしょ♪」
「でもどうやって?」
「少し離れたところでネズミの声が聞こえたの。暗闇の中でその声を頼りに亀裂の底を横に動いてみたら、すぐに洞窟の別な通路に出られたよ。それで、洞窟内の通路は把握してるからね。一番近い出口までぴゅーっと走ったら、あっという間に外に出られたよ」
「そうか……本当によかった……」
「……あれ? 泣いてるの?」
そう言われ、ハヤトは自分が涙目になっていることに気づいた。
慌ててリノの手を離し、袖で顔を拭う。
「わー、泣いてもらえるなんて、なんだか嬉しいな♪」
「いや、まだ泣いてないし! でも本当に心配したんだからな!」
「ふふふ。勇者さんが死んだときは、リノも泣いてあげるね♪」
リノは悪びれる様子もなく、にこにこと笑っている。その無邪気な笑顔に、ハヤトも自然と肩の力が抜けた。
「ありがとう……って、いや俺も死なないから!」
「えー。いまのままだとすぐ死んじゃうんじゃないかなー」
リノはちょっと意地悪そうな顔でそう言い、肩をすくめてみせた。
「そうならないように、もっと訓練してよ!」
「うんうん。そうだね♪ これからは練習時間を増やすよ」
「おう!」
勢いで今後の練習量が増えることに同意してしまったハヤトだったが、次の瞬間、リノは笑顔のまま、さらっと恐ろしいことを付け加えた。
「それじゃあ、朝から晩まで一緒に頑張ろうね♪」
「えっ!? 朝から晩まで!?」
リノは無邪気に笑いながら、ハヤトの手を引いて歩き始める。
ハヤトはこれからの日々を想像し、心の中で小さくため息をついた。
――どうやら、練習時間が大幅に増える未来が待っているらしい。




