第52話 食料収集
高い空の下、どこまでも広がる緑を見下ろしながら、ハヤトたち食料収集部隊は山の中腹で休憩を取っていた。
ベースキャンプから二時間ほど歩いた距離にあるこの山には、たくさんの動物が住んでおり、豊富な果実がそこら中に見られる。
しかし、部隊はそれらには目もくれず、ひたすら山を登り続けていた。
ハヤトは、いい加減足が重くなり、登るのが嫌になり始めていた。
「今日の主目的は岩塩の採取ですからな。狩りや採取は帰りにやることになりますな。獲物を持って山を登るなんて考えたくもないでしょう?」
岩の上に腰掛けたラグラスがぼやくハヤトにそう説明したものの、彼の顔にも疲れがありありと浮かんでいる。
それを指摘すると、ラグラスはハンカチを取り出し、汗を拭きながら弁解を始めた。
「私は頭脳派ですからな。故郷では街一番の知恵者と呼ばれていたのですぞ。外に出て何かするのは、私の領分ではないのです」
「俺もインドア派だな」
ハヤトはリュックからタオルを取り出して顔を拭いた。それはエルルが用意してくれたもので、花のような良い香りがした。
(今日は何か土産を持って帰りたいな)
前回、ゲート跡から持ち帰ったものはメルヴィアに渡すことになり、結局エルルには何もあげられなかった。
だから、今回は何か良いものを見つけて持ち帰りたいと思っている。
とはいえ、何を持ち帰れば良いのかはまだ思いつかない。
花を持ち帰っても、日に当たらぬ地下での生活ではすぐに枯れてしまうだろう。その辺の石っころを持ち帰っても喜ばれるとは思えない。
つくづく前回の髪飾りを渡せなかったことが惜しく思えてしかたがない。
「クレア殿、遅いですな」
ラグラスが立ち上がり、辺りを見回した。
言われて気がついたが、クレアがいつの間にかいなくなっている。
地面には、クレアのバッグだけがハヤトたちの近くに置かれていた。
「そういえば、クレアが見当たらないけど、どこへ行ったんだ?」
「花を摘みに――ではなさそうですな。おそらく――」
そう言いかけたラグラスは突然動きを止めた。そして、その細い目をさらに細め、遠くを鋭く睨んだ。
「ハハ、帰ってきましたぞ」
ラグラスが笑いながら声を上げる。
ハヤトが目を向けると、坂の下からクレアが黒い大きな何かに乗り、兵士たちの隙間を縫いながらこちらへと登ってくるのが見えた。
いったい何に乗っているのかと目を凝らしていると、クレアが近づいてきて、その正体が明らかになる。
「いいクマを見つけたものですな」
ラグラスがクレアに声をかける。しかし、クレアはその言葉には応えず、黙ったままハヤトのすぐ前まで来た。
熊の大きさはちょっとした軽自動車ほどあり、その口にはくつわがつけられ、クレアは背中に手綱を握って乗っていた。
ハヤトは一歩後ずさりし、クレアを見上げながら尋ねる。
「野生のクマなんだろ? 大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫。魔法で制御してるから」
クレアが熊の頭に手を伸ばしてなでると、熊はおとなしく、気持ちよさそうに目を細めた。
「クレア殿は動物を操る魔法が得意ですからな。今回のような食料収集にはいろいろと便利ですぞ」
ラグラスがそう言って空を見上げた。
その仕草につられてハヤトも空を見上げると、二羽の鳥がハヤトたちの頭上を弧を描きながら飛んでいるのが見えた。
「もしかして、あれも操ってるのか?」
「うん。危険生物が近づいてきたら教えてくれる」
淡々と答えるクレアの声には、ほんの少し得意気な響きが混じっていた。
いままでハヤトは、クレアの感情らしきものをほとんど見たことがなかった。そのため、彼女の魔法に興味を惹かれ、もう少し聞いてみることにした。
「便利な魔法だな。その魔法は、危険生物を操ることもできるのか?」
「ううん。知能が高かったり、逆に低すぎる生物は無理。操れるのは四足の動物や鳥、あとは蛇とかかな」
ハヤトは少し期待していたが、危険生物を操るほどの魔法はさすがに無理なようだった。
「四足の動物か。じゃあ、調査隊用に馬みたいな動物を操作すれば、すごく役に立つんじゃないか?」
ハヤトの提案に、クレアは首を横に振った。
その動きに合わせて、柔らかな銀髪が揺れる。
「操作した動物に命令できるのは術者だけだから、ほかの人が乗るのは無理。そこまで便利じゃないよ」
クレアの言葉に、ラグラスが口を挟む。
「いやいや、動物を使った偵察や哨戒は本当に軍の助けになってますぞ。クレア殿のおかげで、シア様がいなくてもこうして安心して行軍できるのですからな」
「そうだよ。すごいことじゃないか。情報収集って一番大切だろ」
「……そう思う?」
「思う思う」
ハヤトの言葉に、クレアは気を良くしたのか、唇の端がわずかに動いた。
その表情はすぐに元に戻ったが、髪を耳にかける仕草には、ハヤトの言葉へのささやかな満足感が滲んでいた。
そんな穏やかな空気を破るように、遠くからラダンの大きな声が響く。
「休憩は終わりだ! 出発するぞ!」
地面に座っていた兵士たちが腰を上げ、荷物をまとめ始める。
「やれやれ、もう出発ですか」
ラグラスはハンカチをしまいながら、よっこらせと腰を上げた。
クレアも一度熊から降りると、自分のバッグを地面から拾い上げ、再び熊の背に乗る。
その際、クレアの背負ったバッグに刺さっていたワンドが地面に落ちる。
ハヤトが拾おうとしたが、ラグラスがすばやく拾い上げ、クレアに手渡した。
クレアは「うん」と短く応えるだけで、ラグラスの方を見ようともせず、そのまま無言でクマに乗ったまま離れていった。
遠ざかるクレアの背中を見送りながら、ハヤトはラグラスに声をかける。
「何かしたのか? クレア、妙にそっけなくないか?」
問いかけられたラグラスは肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。
「クレア殿は人と話すのが苦手なのですからな。必要のない会話はしないのです」
「さっきまで普通に喋ってたじゃないか」
「それはハヤト殿に対してだけですぞ。いつも一緒にいるミリア殿やユーリ殿を除けば、ほかの相手と私的な会話をしているのを、ほとんど見たことがありませんな」
ハヤトは驚いてラグラスの顔を見た。彼が冗談で言っているようには見えない。
「ほかの魔術師たちとも?」
「ええ、そうです。私は魔術学院時代から彼女とはかれこれ10年以上の付き合いになりますが、これまでにちゃんとした会話をしたのは片手で数えるほどですよ」
「えええ?」
ハヤトは信じられない思いでラグラスを見た。
自分がクレアに挨拶するときも、彼女は普通に返事をしていた。
まさか、ほかの人に対してそこまで閉鎖的だったとは気づかなかった。
「クレアはなんでそんなに人見知りするんだろ?」
「人見知りというか……。クレア殿の出身国と我が聖王国の間で大きな戦いがありましてな。彼女は学院時代に、いろいろ肩身の狭い思いをしていたのです」
「いじめられてたってことか?」
「……まあ、端的に言えばそうですな。ミリア殿とユーリ殿を除けば、彼女に好意的に接したものはいなかったと記憶しています」
ラグラスは遠くの空を眺め、昔を思い出すように静かに答えた。
「ラグラスもいじめてたのか?」
「いやあ、私はクレア殿に同情していましたからね。何度か話しかけてみましたが、一度も相手にしてもらえませんでしたな」
「なんか、おまえのほうがかわいそうになってきたよ」
ラグラスは肩をすくめて苦笑いを浮かべた。その仕草には、どこか諦めにも似た余裕が漂っている。
「いやいや、彼女が無視するのも慣れたものですぞ。むしろ、その徹底ぶりに感心するくらいですからな」
その目にはどこか懐かしげな色が宿っていた。
どうやら、ラグラスにとってクレアとの学院時代の記憶は、悪いものではなかったようだ。
「彼女が入学したころに声をかけたときは、返事をもらえましたよ。私が『魔術学院は甘くはないですぞ』と言ったら、『バカなの?』と返してきましたなあ」
ラグラスは顔を緩め、楽しそうに笑った。
どうやらクレアの「バカなの?」は、昔からの口癖らしい。
「しかし、しばらくして戦争が始まり、周りのものたちの態度が硬化すると、以降は何を話しかけても返事をもらえませんでしたな」
「それがいまでも続いてるのか?」
「はい」
そう答えたラグラスは、少しだけ寂しそうな表情を見せた。
「戦争が終結して、周囲のものたちは過去を忘れていっても、彼女の閉ざされた心は開かれることはなかったのです。――ハヤト殿を除けばですがね」
ラグラスは穏やかな口調でそう言いながら、ハヤトに視線を向けた。
「……なんで俺には普通に接してくれるんだろう」
首をかしげるハヤトの問いに、ラグラスは間を置かず答える。
「それはハヤト殿が勇者だからでしょうな」
「勇者だから?」
王国の敵対国出身であるクレアは、王国のものたちとは距離を置いているのだろうか。
ハヤトが異世界から来た存在であるからこそ、クレアも心を開いてくれたのかもしれない。
そう考えたハヤトだったが、続くラグラスの答えは、もっと単純なものだった。
「クレア殿は魔術師学院時代、勇者学を研究しておられたのですよ。半ば伝説的な存在である勇者を直に見られるのですから、さぞかし研究者魂を刺激されるのでしょうな」
「この世界にはそんな学問があるのか……」
思い出してみれば、魔術師の中で最初に話しかけてきたのがクレアだった。
いきなり近づいてきて、身長を尋ねられたと思ったら、持っていた杖を使って身長を測られたのを覚えている。
そのとき、なんの意味があるのかわからなかったが、クレアはすごく嬉しそうな顔をして「やっぱり」とつぶやいていた。
それ以来、会えば挨拶を交わすようになり、そこから一緒にいたミリアやユーリとも自然と話すようになったのだった。
どうやらクレアのハヤトへの興味は、研究対象としてのものらしい。
ラグラスは荷物をよいしょと持ち上げて背負った。
「さあ、置いていかれないうちに我々も歩きましょう」
「ああ」
歩き始めた兵士たちの列に混ざり、ハヤトはラグラスの隣に並んで進む。
目的の岩塩が採れる場所までは、まだ二時間ほど登らなければならないらしい。
ハヤトは少し前を熊に乗って悠々としているクレアの姿を見て、羨ましく思った。
隣を歩くラグラスに目を向けると、彼は早くも汗をかき始めている。
ハンカチを取り出して汗を拭くラグラスに、ハヤトは話しかけた。
「さっき魔術学院で一緒だったとか言ってたと思うけど、ずいぶん年齢差がないか?」
同級生というには、ふたりの年齢差が大きすぎるように思えた。
「魔術学院に入るのは、早いもので六歳、遅いものでは成人後。さらに、卒業までにかかる年数も個人差がありますからな。本当にいろんな年齢のものたちが一緒になって勉強しているのです」
「クレアはもう卒業してるのか?」
ラグラスはゆっくりとうなずいた。
「クレア殿は、ミリア殿、ユーリ殿と同期で、六歳の頃に入学し、十六歳で三人そろって卒業されてますな」
「あの三人は幼馴染なのか。どうりでいつも一緒にいるわけだ。――それで、ラグラスは何歳で入ったんだ?」
ふと疑問が浮かび、ハヤトはラグラスに視線を向けた。
「私は十六で故郷の期待を背負って入学し、二十九で卒業しました。クレア殿たちより早く入ったのに、卒業は遅かったのですから、才能の違いを見せつけられましたな」
「さっき、街一番の知恵者と言ってなかったか?」
「ははは。魔術師としての才能の半分は魔力量で決まりますからな」
快活に笑うラグラスを横目で眺めながら、ハヤトは何か違和感を覚えた。
クレアは十六で卒業していま十八歳。ラグラスがクレアよりあとに二十九歳で卒業したということは――。
「あれ? ラグラスって、もしかして三十ぐらい!?」
「そうですぞ。マドール殿と同じ三十です」
いままでラグラスを四十前後だと思っていたハヤトは、その答えに心底驚いた。
とくに、衆目美麗のマドールと同い年と聞いては、なおさらだった。
マドールはラグラスとは逆に若く見えるタイプであり、両者の見た目の年齢差はかなり大きい。
「マドール殿は二十三歳で入学し、二十五歳に主席で卒業した天才でしたなあ。――新人が来たと思ったら駆け抜けるように卒業していって、あのときはひどく取り残された気がしましたな」
そうつぶやくラグラスの横顔には、どこか哀愁が漂っていた。
苦労をたくさんしてきた顔だとハヤトは思う。
変わりもの揃いの魔術師の中でラグラスが常識人に見えるのは、そうした背景があるからかもしれない。
ハヤトは横目でラグラスを見ながら考えた。
(ラグラスの学生時代、絶対浮いてただろうな……)
そう思いつつも口に出さないのが、ハヤトなりの優しさだった。




