第49話 特訓
ハヤトは書斎で床に散らばった書類を一枚ずつ拾い上げては整理していた。
集めた書類をメルヴィアの机の隅にそっと載せると、彼女の顔をちらりと盗み見る。
メルヴィアはつい先刻までご機嫌に書類を読んでは投げ散らかしていた。
だが、突然険しい顔つきになったかと思うと、机に積まれていた書類の束を丸ごと床に投げつけた。
それ以来、明らかに不機嫌なままだ。
書類に何かを書き込む際、ペンを折ったり、手で破いたりしている。
声こそ発さないものの、その様子は明らかに興奮状態にあり、いまも眉間に深いシワを寄せ、口の端をぷるぷると震わせていた。
触らぬ神に祟りなし。
ハヤトはそっとメルヴィアの机から離れ、床に転がる正体不明の道具の整理に取りかかることにした。
今日散らばっている道具は、いつにも増して何に使うかわからないものばかりだった。
枯れた草や折れた動物の角、しなびた鳥の羽のようなものに、形の悪いざらざらとした石――どれも捨てられたゴミのようにしか見えない。
実際、メルヴィアは一度捨てたはずのものを回収して部屋に転がしていることもあるくらいだから、これも何かの廃棄品を、ハヤトをからかうために部屋中に散らかしているだけなのかもしれない。
魔術のことがまったくわからないハヤトには、それが高級品なのか、ただのゴミなのかを見分ける術はない。
しかたなく、ひとつずつ丁寧に拾い上げ、箱に詰めていく。
もしかすると、すでに使用済みの廃棄品かもしれなかったが、いまの状態のメルヴィアに確認するのはためらわれた。
時間をかけてようやく道具を箱に詰め終えたハヤトが顔を上げると、いつの間にかメルヴィアが仁王立ちでハヤトを見下ろしていた。
「どうした?」
ハヤトが問いかけると、メルヴィアは口をへの字に曲げたまま、しばらくぷるぷると身を震わせていたが、やがて口を開いた。
「次回の遠征に、あんたも同行することが決まったわ」
「はい?」
メルヴィアの唐突な言葉にハヤトは目を瞬かせる。
「シアが決めたのよ。次のゲート攻略にはあんたも参加する」
「ええっ!?」
ベースキャンプの外に出るのはもう懲り懲りだと思っていたハヤトは、心底驚いた。
「いやいや、無理無理。死ぬって」
「そうならないように、訓練することになったわ。シアの決意は固いみたいで、もう覆せそうにもない。こうなったら徹底的に鍛えるしかないわね」
「うへー……嫌だなあ」
「言っとくけど、これまでの仕事もやるのよ。訓練は夕食後に行うことにするから」
夕食後といえば、これまではハヤトにとって貴重な憩いの時間だった。
それが訓練で潰れると聞き、ハヤトはがっくりと肩を落とした。
ハヤトが力なく首を垂らして落ち込んでいると、メルヴィアが腰を落として目線を合わせてくる。
「訓練は厳しくやるように言っておくから、死ぬ気で受けなさい」
慰めてくれるのかと思ったら、追い打ちをかけるような言葉。
メルヴィアの厳しい顔つきに、ハヤトは深いため息をついた。
■
次の日の夕食後、動きやすい服装をと思い、迷彩服に着替えたハヤトは、指定された訓練場所――12階層へ向かった。
12階層は襲撃後に封鎖されていたが、今回の訓練のために急遽兵士たちが整備し、ハヤト専用の訓練所を作り上げていた。
12階層に着いたハヤトの目に入ったのは、ところどころに弱い魔法の灯りで照らされた暗い通路だった。
かつては12階層の入り口に常時兵士が立っていたものだが、いまでは誰の姿もない。
襲撃後の一時期、各階層の入り口には騎士が配備されていたこともあった。
しかし、特に異常がなかったことから配置は廃止され、この12階層は完全に無人となっていた。
暗い通路を歩きながら、ハヤトはここで多くの人々が命を落としたことを思い出していた。
この階層には、入り口の兵士を除けば女性しかいなかったはずだ。
以前訪れた際、自分を案内してくれたメイドはまだ年端もいかない少女だった。
一度しか話せなかったが、気さくに自分に話しかけてくれた近衛もまだ若く、本国に帰れば輝かしい未来があったはずだ。
しかし、それらはすべて最下層の「装置」によって異世界から召喚されたクリーチャーにより、突如として断ち切られてしまった。
「早く帰らなければ、自分も命を落とすかもしれない……」
そんな思いが胸をよぎる。
あの襲撃のとき、メルヴィアの助けがあと少し遅れていれば、自分は確実に死んでいた。
この間の遠征でも何度か危険な目に遭ったが、助かったのはただ運が良かっただけだ。
もう遠征には行きたくない――。
だが、自分の身を護るために訓練をすることは、悪いことではないだろう。
そう思い直し、ハヤトは気持ちを奮い立たせた。
ハヤトが指定された場所に到着すると、そこは明るい魔法の光で照らされた幅10メートル、長さ50メートルほどの空間だった。
弓やクロスボウのほか、遠征隊が持ち帰った複数の銃と弾薬が無造作に地面に置かれている。
そして、その傍らには軽装の少女が立っていた。
少女の装いは、黒のタイツに半ズボン、膝下までのブーツ。
上半身は黒いアンダーシャツに半袖のベストという軽快な格好だ。
明るい色のショートヘアを片側でリボンでまとめた髪型が、彼女の少女らしい印象を際立たせている。
「やっと来たね。レンジャー部隊所属のリノだよ。勇者さんの射撃を指導することになったの。よろしくね♪」
彼女は軽快な口調で話しかけてきた。
「ハヤトだ。よろしく」
ハヤトは少し驚いた。どんな鬼軍曹が待っているかと不安だったが、実際に待っていたのはかわいらしい少女だったので、安心した。
ハヤトには、この小柄な少女に見覚えがあった。
以前、食堂で配膳をしているとき、ほかの女性兵士と一緒に食事をしている姿を何度か見かけたことがある。
話をしたことはなかったため、名前を知るのはこれが初めてだった。
「じゃあ、まずは準備運動からだね。肩の周りのストレッチから始めるよ。リノがやってみせるから真似してね」
そう言うとリノは矢筒から矢を2本取り出し、1本をハヤトに渡し、もう1本を自分で持った。
矢を両手で横向きに持ち、間隔を開けて握る。そして、そのまま矢を上下に動かしたり、横に振ったりと、ストレッチを始めた。
「はい、真似して真似して♪ イッチ、ニ。イッチ、ニ」
ハヤトは見よう見まねで矢を振り回す。簡単そうに見えた動きだったが、実際にやってみると意外と体力を使う。
しばらく続けたあと、リノは矢を地面に置いた。
「じゃあ、次は全身のストレッチをするね。ふたり一組でやるよ」
リノはハヤトの背後に回り込み、ぴったりと背中を密着させてきた。
さらに、ハヤトの腕に自分の腕を絡める。
「じゃあ、いくよー」
リノが体を前にかがめると、ハヤトの体が宙に浮いた。
体育の授業でやったなと懐かしく思いながら、今度はハヤトがリノの体を持ち上げる。
見た目どおり、彼女の体重は軽かった。
何度か持ち上げる動作を繰り返したあと、今度は手をつないで体を左右に揺らす運動をしたり、地面に座って足の筋肉を伸ばしたりして、十分な時間をかけて体をほぐしていった。
こんなに女の子と密着できるなら、訓練も悪くないかもしれないとハヤトは思い始める。
「次はお楽しみの射撃練習だよ。まずは腕を見たいから、あの的を撃ってみて」
お楽しみはもう終わったよと思いつつ、ハヤトはリノが指差した的に目を向けた。
空間内には木の板を立てただけの的がいくつか置かれていた。
近いもので10メートル、一番遠いものは反対側の壁に取り付けられていて、40メートルほどの距離がある。
リノが指差したのは、もっとも近い10メートルの的だった。
的の大きさは人間ほどで、10メートルの距離であれば、石を投げても十分に当てられるものだった。
ハヤトなら一番遠い40メートルの的にだって石を当てられる自信がある。
ハヤトはリノの横に立ち、射撃位置に着くと、銃を腰のあたりに構えた。
一呼吸おいてから、トリガーを引く。
乾いた破裂音が響き渡り、硝煙の焦げた匂いが鼻を刺す。
だが、銃弾は的に届かず、手前の地面を叩いただけだった。
それでも連射を続けながら、ハヤトは銃身を持ち上げ、何とか的に当てることに成功する。
「わー、これが『銃』なんだね! いっぱい連射できてすごいね!」
目を輝かせながら感心するリノの様子に、ハヤトは得意げになりかけた。
だが――。
「でも、射撃の腕はダメダメだね。初撃を当てないと話にならないよ」
リノの指摘に、ハヤトの自信はたちまちしぼんでいった。
リノはそんなことにはお構いなしに話を続ける。
「それ、ストックがついてるでしょ?」
「ストック?」
「肩に当てる部分だよ。この『銃』ってクロスボウにちょっと似てるね」
そう言いながら、リノは床に置かれたいくつもの飛び道具の中からクロスボウを拾い上げると、矢をつがえた。
「今回用意したクロスボウにはストックがついてないけど、たぶん射撃の要領は一緒だと思うよ」
リノはハヤトの隣まで歩いてくるとクロスボウを構えてみせる。
「構える位置は腰じゃなくて肩の高さだよ。このクロスボウにはストックがないけど、もしあれば肩に当てるの。矢の向いてる先と視線を合わせて狙いをつけるんだよ」
リノがトリガーを引くと、矢はまっすぐ飛び、的の中心に見事に突き刺さった。
「おお、すごい」
「簡単でしょ? じゃあ、やってみて」
リノに促され、ハヤトは銃のストックを肩に当ててみた。
銃身を視線と一致させるようにしっかりと構える。
これまで映画で見た真似をして腰で構えていたが、それは正しい構え方ではなかったようだ。
肩に当てることで銃が驚くほど安定し、狙いが定まりやすいことに気づいた。
的に照準を合わせ、呼吸を整えてからトリガーを引く。
鋭い音とともに弾が発射され、的の端に着弾した。
「あたった!」
「そんなところにあたっても相手は倒れないよ。うーん、クロスボウと違って、反動が大きいみたいだね。構えを変えてみようか。ちょっと片膝ついてみて」
ハヤトはリノの指示どおり、片膝を地面につけ、しゃがんだ状態で銃を構えた。
その背後から、リノが腕を伸ばし、そっとハヤトの腕に手をかける。
「腕の位置は……こう。ここに照準がついてるから、なるべく顔を近づけて。頭はまっすぐ」
リノの指示に従い、ハヤトは構えを直していく。
リノの頭がすぐ後ろにあり、彼女の指が銃の向きをそっと調整している感覚が伝わってきた。
「じゃあ、息を吐きながら、ゆっくりトリガーを引いてみて」
耳にかかるリノの息を意識しつつ、ハヤトは銃身を動かさないよう慎重にトリガーを引いた。
銃弾は見事、的のほぼ中心に着弾した。
「やったー! あたったね♪」
リノが喜びのあまり、ハヤトの首に腕を回して抱きついてきた。
ハヤトは何か背中に別なものがあたってる気がした。
「よーし、次はもうちょっと遠くの的を狙ってみようね♪」
リノの明るい声に、ハヤトも思わず笑顔になる。
ハヤトは隣の的の前に移動した。距離は約20メートル。
さきほどリノに教えられたことを思い出しながら、銃をしっかりと構える。
いままでは銃に照準がついていることすら気づいていなかった自分が少し恥ずかしい。
この間の遠征では銃弾に限りがあったため、まったく練習せずに銃を持っていった。
実戦で使うことなどないだろうと思い込んでいたのだ。
だが、危険生物との遭遇で全弾撃ち尽くし、それでも一発も当てることができなかった。
あのとき、ミリアが魔法で助けてくれなかったら――自分は死んでいたかもしれない。
そんなことを考えながら、ハヤトは慎重に照準を合わせる。
一呼吸置いてトリガーを引くと、弾丸は的の中心から少し外れた位置に着弾し、複数の穴を開けた。
「いい感じだね。ところで、その銃、一発ずつ撃つことはできないの?」
「ああ、できるよ」
「じゃあ、一発ずつ撃とうね。連射すると安定しないみたいだし、弾ももったいないからね」
その後、リノとの特訓は2時間ほど続いた。
10メートルの距離の的であれば、十中八九当てられるようになり、一番遠い40メートルの的でも、3割くらいは命中するようになった。
リノに言わせれば「まだまだ実戦で使えるレベルじゃない」らしいが、ハヤトとしては初日にしては上出来だと思う。
練習を終えたあと、訓練所を出ると、リノは階段とは反対方向へ向かおうとしていた。
「おつかれさま。リノはちょっと寄るところがあるから、ここでバイバイだね」
「この階って、ほかに何かあったっけ?」
不思議に思ったハヤトが尋ねると、リノは振り返り、いたずらっぽく微笑んだ。
「一緒に来る?」
その誘いに乗り、ハヤトはリノと共に歩き出した。
階段とは反対方向に向かう通路には、灯りの魔法がかけられていなかった。
リノは腰から短剣を引き抜くと、それに灯りの魔法をかけた。
短剣の先がやわらかな光を放ち、暗い通路を照らす。
灯りの魔法をかけられるものは、実はそれほど多くない。
ハヤトの知る限りでは、使えるのは魔術師やメイドたちだけだった。
騎士たちですら使えないこの魔法を、ただの兵士であるリノが使えるのは意外だった。
そのことを口にすると、リノはくすっと笑って答える。
「騎士さまでも使える人はいるよ。でも、こういう魔法は女性のほうが得意みたい。兵士の中でも使えるのは、ほとんどが女性兵士だね」
考えてみればメイドでも使えるのだから、それほど高度な魔法ではないのだろう。
そういうものかと納得する。
数十メートルほど通路を進むと、ひとつの部屋にたどり着いた。
リノの短剣の灯りに照らされたその部屋は、さきほどの訓練所よりも一回り以上広い。
一見、何もないがらんとした部屋に見えたが、よく見ると片隅に木製の板がいくつも地面に立てられているのが目に入った。
リノがその板に向かって歩き出したため、ハヤトも後ろをついていく。
近づいて見ると、板には文字のようなものが彫られていた。
その意味するところはハヤトにもすぐにわかった。
リノはそのうちの一本の前でしゃがみ込み、胸に手を当てて目を閉じた。
誰か知り合いがここに眠っているのだろう。
板の数を数えると、ちょうど20本――。
あのときの襲撃で亡くなった人数と一致していた。
犠牲者たちは、ここに眠っているのだ。
祈りを終えたリノが静かに立ち上がり、墓から目を離さずに口を開いた。
「仲の良いお友達だったんだ。訓練所時代からの知り合いでね。いつもおやつを取りあってた。あの日も、リノのとっておきのおやつを食べちゃって、彼女が12階層の守衛任務から戻ってきたらとっちめてやろうと思ってた。……でも逃げ切られちゃったね」
そう語るリノの横顔には笑みが浮かんでいたが、その笑みはどこか寂しさを漂わせていた。
「それは……辛かったね」
「ううん。彼女にはお墓を作ってあげられたからよかったよ。シア様にお祈りもしてもらえたし。地上で亡くなった友達は、弔ってあげることもできなかったもの」
リノはハヤトに向き直った。
その顔にはもう曇りはなかった。
「勇者さん。リノが死んでここに埋められたら、お墓参りしてくださいね♪」
「何を言って――」
不謹慎なジョークかと思ったハヤトだったが、リノの顔を見てそれが冗談ではないことに気づいた。
笑みを浮かべたまま、リノの目はまっすぐとハヤトを見つめていた。
その瞳には、強い意志と覚悟が宿っている。
彼女はすでに死ぬ覚悟を持っているのだ。
「約束だよ」
「……ああ」
ハヤトは、胸の奥に言いようのない重さを感じ、そう返すのがやっとだった。




