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第47話 報告

「あー、疲れた」


 ハヤトは風呂上がりの温まった体をベッドに投げ出し、大きなため息をついた。

 

 数時間前にようやくベースキャンプに帰還し、すぐにでも眠りたかったが、長旅の汚れを落としてから寝ようと決めていた。

 風呂の順番が回ってくるのを待っていたら、すっかり遅い時間になってしまっていた。


 天井をぼんやりと眺めながら、眠気が徐々に体を包んでいく。

 だが、ハヤトは急にガバリと身を起こした。


「寝る前に、エルちゃんにお土産を渡してこよう!」


 ベースキャンプに到着したとき、出迎えたメイドたちの中にエルルの姿を見かけた。

 だが、目で軽く挨拶を交わしただけで言葉を交わす暇はなかった。それがなんとなく寂しい。

 お土産を渡すついでに挨拶をしておきたいと思い立った。


 せっかくだからと、ゲートで見つけた迷彩服に着替える。

 ミリアやシアに「似合っている」と褒められたのだ。エルルにも見てもらいたかった。

 胸ポケットには、ゲートで拾った金属製の髪飾りを忍ばせる。


 そして意気揚々と部屋を出た。


「よかった。起きていたのですね」


 廊下に出てエルルの部屋へ向かおうとしたところ、背後から声がかかった。

 振り向くと、そこにはメイド服を身にまとった少女、ユキナが青白い顔をして立っていた。


「あ、ユキナ。久しぶりだね」


 帰還時、出迎えてくれたメイドの中にユキナの姿はなかった気がする。

 おそらくメルヴィアの用事で忙しくしていたのだろう。


「おかえりなさいませ、ハヤト様」


「ただいま」


「メルヴィア様がお呼びです。一緒に来ていただけますか」


「え?」


 非常に間が悪かった。あと少し早く部屋を出ていれば、ユキナと入れ違いになっていたはずだ。


「明日にはできないの?」


「いますぐ、お連れするように仰せつかっています」


「……わかった。行くよ」


 ハヤトはがくりとうなだれながら、ユキナと共にメルヴィアの書斎へと向かった。


 あいつはいったいなんの用なのか。おそらく部屋を掃除しろとか、肩をもめとか言い出すのだろう。

 そうじゃなくても、どうせ面倒なことに違いなかった。

 それなら、あのままベッドで寝ていたほうがずっとよかったのに――そんな思いが頭をよぎる。


 ハヤトが大きくため息をつくと、隣のユキナがちらりと視線を向け、口を開いた。


「遠征では、お怪我はありませんでしたか?」


 珍しく話しかけてくるユキナに少し驚きながらも、ハヤトは答えた。


「あー、うん。特に怪我はしなかったかな」


 危険生物に襲われたときのことが脳裏をよぎる。

 もう少しで引き裂かれるところだったが、幸いにも無傷で済んだのだ。

 

「それはなによりでございます」


「まあ、でも、もう外の世界には懲りたよ。俺は勇者の器じゃないってね」


 自嘲気味にそう呟くと、ユキナはきっぱりと断言した。


「ハヤト様は勇者です」


「肩書きはそうだけどさ」


 ハヤトは肩をすくめる。

 勇者だという実感は、まるで湧いてこなかった。

 騎士たちからの扱いは相変わらず悪いし、ミリアだって、ハヤトのことを荷物持ちぐらいにしか思ってなさそうだった。


「今回の遠征で身にしみてわかったけどさ、やっぱり俺、何の能力もなかったよ」


 死を覚悟したあのときも、特別な力が発揮されることは結局なかった。

 ただ運が良かっただけで、ひとつ間違えば命を落としていただろう。

 

「そんなことはないと思います」


 ハヤトの考えとは裏腹に、ユキナは即座に返した。

 その口調には、まるで確信を持っているかのような響きがあった。


 しかし、ハヤトにはなぜユキナがそう思うのかわからない。


 シアもハヤトを勇者として扱ってくれるが、それは呼び出した当事者としての責任からではないだろうか。

 あるいは、無能な人間を召喚してしまった事実を認めたくない――そんな心理が働いているだけだと説明がついてしまう。


 だが、ユキナは違う。彼女がハヤトを勇者として接する理由、その根拠が見えてこない。


「ユキナは俺のこと評価してくれてるみたいだけど、なんでそう思うの?」


「ハヤト様は特別ですから」


「特別? 何が特別なの?」


 そう問いかけたハヤトは、そのとき初めてユキナの様子がおかしいことに気づいた。

 彼女の顔はいつにも増して青白く、どこか具合が悪そうだ。

 呼吸も少し乱れ、肩で息をしているように見える。

 

「ユキナ? 大丈夫か? 具合が悪いのか?」


「…………はい、大丈夫……です」


 けれど、その声はとぎれとぎれで、弱々しいものだった。


「いや、大丈夫じゃないだろ!」


「もう少し……ですから。メルヴィア様の……書斎まで」


「そんな場合じゃないよ」

 

 ハヤトは足を止め、ユキナの額に手を当てた。すべすべとした肌から、ひんやりとした冷たさが伝わってくる。


「熱はないようだな」


「……大丈夫です」


 ユキナはそう言うものの、その顔色は明らかに大丈夫ではなかった。よく見ると、体が小刻みに震えている。


「寒気がするのか?」


「大丈夫……です。早く行きましょう」


「あ、待ってよ!」

 

 足早に進み出すユキナを、ハヤトは急いで追いかけた。


 彼女は大丈夫だと言い張るものの、一歩進むたびに、その具合がさらに悪化しているように見える。

 それでもユキナは口を固く結び、必死に歩き続けていた。

 そんな彼女の姿に、ハヤトも何も言えず、黙って後をついていくしかなかった。




 

「メルヴィア様……。ハヤト様を……お連れ……しました」


 書斎の入り口にたどり着くと、ユキナは息も絶え絶えになりながら報告した。


「ご苦労。今日はもう下がっていいわよ」


 机に向かって書類を読んでいたメルヴィアが、いつもとは明らかに違う怒りを含んだ声でそう返した。

 

「……はい。失礼……いたします」


 そう言うと、ユキナは踵を返し、足早に去ろうとする。


「ユキナ、本当に大丈夫か!」


 彼女の背中に向かってハヤトは声をかけたが、ユキナは何も答えず、逃げるように通路を戻っていった。


「何してんのよ。早く入りなさい」


 苛立ったようなメルヴィアの声が飛んでくる。

 

「ああ」


 促されるままに書斎に足を踏み入れた。


 部屋は予想以上に――というよりも、まったく散らかっておらず、驚くほど整頓されている。


 ハヤトがいない間、ユキナが掃除していたのかもしれない。

 そう考えると、さっきの彼女の具合が悪そうだったのも、メルヴィアの無理な指示が原因ではないかと思えてきた。

 

 ハヤトが机の前まで歩み寄ると、メルヴィアは鋭い目つきでハヤトを睨み上げ、低い声で言葉を発した。


「帰還したのに私に報告がないとはどういうこと?」


「ええと、何を報告すればいいのかな? とりあえず無事に帰ってきたよ」


「無事――ですって!」


 メルヴィアの声がひときわ高く響く。


「あんた、ゲート内で危ない目にあったんでしょ? なにヘラヘラしてんのよ!」

 

「あー、いや」


 メルヴィアの手に握られている書類は、ミリアが書いた報告書だった。

 

 用紙の色からして間違いない。ミリアのやつ、一体何を書いてくれたんだ。


「だから言ったでしょ! 外は危険だって。だから反対したのに。それなのに勝手についていって――」


 勝手についていったのではなく、要請されたからついていったのだが、ハヤトはそれを口にはしなかった。

 とにかくいまは、言わせるだけ言わせて嵐が過ぎるのを待つほかない。


「いくら護衛がいても、不測の事態は起こるものよ。それなのにあんたは準備も適当で、私の用意した防護用道具も持っていかないし――」


(防護用道具ってあれか? あの30キロあるとかいう魔法石を数珠つなぎにしたやつ。あんなもの持っていけるわけがないだろ)


 ハヤトの内心をよそに、メルヴィアの叱責はとどまることを知らなかった。

 やがて彼女は机の前の床に手に持った書類を投げ始めたが、それでもハヤトは黙ってやり過ごした。


「――あんたは勇者といっても特別な能力もないんだから、もう少し自重なさい! あんたに何かあったら――」


 言葉を止めたメルヴィアは、一瞬間を置いて深く息をついたあと、静かに続けた。

 

「召喚したシアの名声に傷がつくわ」


「――すまん」


 メルヴィアの言葉が途切れた隙を見計らい、ハヤトは一言だけ謝罪を口にした。


 これで十分だろう――言わせるだけ言わせたし、謝罪も済ませた。

 そう思いながらメルヴィアに目を向けると、彼女はうつむいたまま、それ以上何も言わなかった。


 ひとまず嵐は過ぎたようだ。ハヤトは胸を撫で下ろし、ほっと息をついた。

 

 そのまましばらく沈黙が流れた。やがてメルヴィアが顔を上げると、いつもの調子で口を開いた。


「まあいいわ。そんなことより、そのダサい服はなによ?」


「え!? かっこいいだろ?」


 ハヤトが着ているのは、ゲート内で拾ってきた迷彩服だ。

 ハヤト自身は結構気に入っていたので、その言葉に軽くショックを受ける。


「どこからどう見てもダサいわよ」


「なんでだよ。シアだって似合うって言ってくれたぞ?」

 

「そりゃダサい人間にダサい服は似合ってるって言えば、似合ってるわね。シアが言ったのは要するにそういうことでしょ」


「ええ!? そんなことはないだろ?」


 そんなことはないと信じたい。

 だが、メルヴィアはハヤトを鼻で笑い、肩をすくめた。


「どうしてそんなにセンスがないのかしらね」


「――俺のいた世界ではこれが流行の最先端なんだよ!」

 

「え、本当に?」


 メルヴィアが目を丸くして驚く。全くの嘘である。

 どこの世界で迷彩服が流行るというのだ。


 メルヴィアは席を立ち、机を回り込むと、ハヤトのそばまで歩み寄った。

 そして、まるで値踏みするようにハヤトを上から下までじっくりと見る。

 

 「ふうん。これがねえ……」


「お、おう」


「こんなデザインが流行るなんて、変な世界ねえ」


 メルヴィアはハヤトの周りをゆっくりと一周すると、そのまま間近でじっと見つめてくる。


「これ、中はどうなってるの?」


 そう言って、ハヤトの胸元を覗き込む。


「何これ。ボタンじゃないわね」


「これはファスナーというものだ。ほら、脱ぐのに便利だろ?」


 ハヤトは言いながら、上着のファスナーを下ろしてみせた。


「へえ、便利なものね――」


 一瞬関心を示しかけたメルヴィアの表情が、次の瞬間こわばった。


 なんだろうと不思議に思いながら、自分の胸元を見たハヤトもすぐに気づいた。

 そこには、メルヴィアから貰ったペンダントがぶら下がっていた。傷のついた宝石を光らせて。

 

 ハヤトは慌ててファスナーを上げた。


「何隠してんの」


「いやー、これはあれ、なんというか」


 メルヴィアの目も声も、まるで笑っていなかった。


「いいから見せなさい」


 ごまかすのは無理だ――そう悟ったハヤトは、しぶしぶペンダントを首から外し、メルヴィアに差し出した。


 メルヴィアは受け取ると、宝石部分に刻まれた傷をじっと見つめる。

 そして、みるみるうちにその表情は憤怒に染まった。


 今日一番の怒り――いや、もしかすると、いままでで一番の怒りかもしれない。


「わ、悪かった。ごめん」


「…………許さない」


 宝石を見つめたまま、絞り出すようにそう呟いたメルヴィアは、無言で自分の机へ戻り、椅子に腰を下ろした。

 彼女はペンダントを机の上に置くと、ひとつの書類を取り上げ、何かを猛烈な勢いで書き始めた。


 何を書いているのかはわからない。ただ、ろくでもない内容であることだけは、なんとなく確信できた。


 やがて書き終えたメルヴィアは、冷静な声でハヤトに告げた。

 

「ペンダントは預かるわ」


「え、没収するのか?」


「あとで返すわ。これは修理が必要よ」


「なんだ、直せるのか」


 修理できると聞いて、ハヤトはほっと胸を撫で下ろした。


「直せるといっても大変なんだから。そんなに簡単に言わないでよ」


「す、すまん」


 メルヴィアは机の上のペンダントを手に取り、じっと見つめる。


「…………直すのにいろいろ素材が必要ね。ユキナに用意させないと」


 その言葉に、ハヤトはさきほどのユキナの様子を思い出した。彼女が明らかに具合が悪そうだったことを。


「そうだ。さっきユキナが具合悪そうだったんだが」


「大丈夫よ」


 メルヴィアは何事もないようにそう言い切った。その様子は、まるで意に介していないかのようだった。

 

「いやいや、待てよ」


 ハヤトはメルヴィアの机に詰め寄ろうとした。

 さきほどユキナはあれほど具合が悪そうにしていたのだ。


 夜も遅いことだし、今日くらいは休ませてあげたい。

 そのためには、何とかしてメルヴィアを説得しなければならない。


 だが、勢い込んだせいで、床に散らばった紙を踏んでしまい、足を滑らせる。


 転びそうになったハヤトは慌てて体勢を立て直し、思わずメルヴィアの机に前のめりになる形で手をついた。

 その拍子に、胸ポケットに入れていたものが机の上に落ち、音を立ててメルヴィアの目の前まで滑っていった。

 

「何これ?」


 メルヴィアは銀色のU型の金属を拾い上げた。


「ちょっときれいね」


 それは部屋に灯されている魔法の灯りを反射し、美しい輝きを放つ。


「あ、それは……」


 ハヤトは思わず声を上げた。

 それはエルルに渡すつもりで胸ポケットにしまっていたものだった。

 返してほしいと言おうとした瞬間――

 

「もしかしてこれくれるの?」


 メルヴィアの顔が急にぱっと明るくなった。


「え、あー、うん……」


 そのまぶしい笑顔を前にして、ハヤトは返してくれとはとても言えなかった。


「なによ。こんなサプライズを用意してたなんて」


「……まあな」


 話を合わせるしかなかった。内心ではやってしまったと思いながらも、顔には出さないよう努めた。


「でもこれなんなの? 装飾品?」


 メルヴィアは湾曲したU型の金属を手の中でくるくると回転させながら尋ねる。


「たぶん髪につけるやつだと思うんだけど」

 

「ふうん。髪飾りなのね」


 そう言うと、メルヴィアは自分の髪の上部にそれをさして髪をまとめた。


「うん、いい具合ね。どう、似合う?」


 メルヴィアは頭を傾け、ハヤトに見せる。

 ややくせ毛の紅い髪と銀色に輝く髪飾りのコントラストが映えていた。


「いい……と思う」


 本心から出た言葉だった。ハヤトは思わずメルヴィアに見とれてしまった。

 

「そ、そう?」


 メルヴィアは少し照れたようにうつむく。その仕草はいつもの彼女らしくなく、どこかかわいらしさを感じさせた。


「ペンダントはすぐ直してあげるわ」


「それはありがたいけど、今日はユキナを休ませてくれないか?」


「わかったわ」


 上機嫌のメルヴィアは、あっさりと承諾してくれた。


「じゃあ俺はもう帰っていいかな?」


 機嫌のいいうちに退散するに限る――そう思いながらハヤトが尋ねると、メルヴィアは笑顔のまま答えた。


「いいわよ。ゆっくり休みなさい」

 





 メルヴィアの書斎を出たハヤトは、足早に通路を引き返す。

 疲労が全身に溜まっており、早くベッドに飛び込みたかった。

 

 エルルへの挨拶はまた明日にしよう。

 明日、朝一で会いに行く。お土産はもうないけど。


 薄暗く陰気な長い通路を抜けると、階段の前でユキナが待っていた。

 ハヤトに気づいたユキナは、すっと頭を下げる。


「お疲れ様です」


「あれ、寝てなくて大丈夫なのか?」


「はい。ハヤト様のおかげでもう大丈夫です」

 

 そう言うユキナの顔色は相変わらず青白かったが、さきほどのように震えてはいなかった。


「俺がいない間、メルヴィアの相手をひとりでして疲れただろう」


 ユキナは黙ったままだったが、その沈黙をハヤトは肯定と受け取った。


「明日からはまた俺がやるからさ。今日はユキナもゆっくり休んでよ」


「ハヤト様のおかげでたいへん助かります」

 

「いいってことよ」


 ハヤトは上の階へと続く階段に足をかけたが、ふと思いとどまった。


「あ、そうだ。この服どう思う?」


「………………………………丈夫そうですね」


「……うん」


 ユキナはたっぷり10秒ほどの間を置いて、ようやくその一言だけを口にした。

 やっぱり似合っていなかったのか――そう悟ったハヤトは、内心がっくりと肩を落とした。


 ユキナと並んで階段を上りながらハヤトは思う。

 また明日からうんざりする、だけど平穏な雑用の日々に戻るのだと。



 

 



 だが、事態はハヤトの思うとおりにはならなかった。


 今回の遠征で持ち帰った銃器が、またしてもハヤト以外には使えないことが判明したのである。

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