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第46話 帰還

 その後の帰路は順調だった。

 天気にも恵まれ、ミリアなどはまるでハイキングにでも来ているかのように上機嫌だった。


 ときおり危険生物が襲ってくることはあったが、騎士たちがあっさりと排除してくれる。

 シアたちとの食事は相変わらず気まずく、ナズリーの再開されたマッサージも悲鳴を上げたくなるほどの痛さだったが、何事もなくベースキャンプまであと一日というところまでたどり着いていた。


 テントの中、ハヤトは毛布に寝転びながらぽつりとつぶやく。


「ようやく明日には帰れるな。早く帰って温泉に浸かりたいよ」


「そうね」


 応えるミリアは相変わらず書類に筆を走らせている。ここのところ、夜になると毎晩こんな調子だ。


「報告書はまとまりそうか?」


「うん。なんとか今晩中には書き上げられそうよ」


 ミリアはふと筆を止めて顔を上げる。


「ハヤト、ゲートで何か拾った?」


「ああ。この服の予備を持ってきたぞ」


「服を二着入手……と」


 ミリアは手元の書類にささっと記入する。


「それだけ?」


「あー、あと懐中電灯を見つけた」


「なにそれ?」


「そういや、見せてなかったっけ」


 ハヤトはバックパックの中から懐中電灯を取り出し、スイッチを入れてミリアに見せた。


「ふーん、ランタンのようなものかしら。でも火はついてないみたいね」


「電気で光ってるからな」


「灯りの魔法を内蔵している照明装置に似てるわね」


 たしかに魔術師やメイドたちが使う灯りの魔法は、この懐中電灯の光によく似ていた。

 しかし、魔法の灯りは時間に合わせて自動で明るさを調節するなど、より高機能にも思える。


 ミリアは懐中電灯のことを手元の書類に記入すると、さらにほかに何かないかと尋ねてきた。

 ハヤトは「これで全部だ」と答えておく。

 本当はエルルへの土産にと思って装飾品のようなものを持ち帰っていたが、報告して取り上げられるのが嫌で黙っていたのだ。


 その後もミリアはすごい勢いで書類を書き進めていた。

 ときどきハヤトに行動や出来事を質問してくるので、どうやらハヤトのことも報告書に書いているらしい。


「俺の悪口は書かないでおいてくれよ?」


 ミリアは筆を止めると、ちらりとハヤトを見て、口元に不敵な笑みを浮かべた。


「おい、なんだその笑いは!?」


「ふふふ。なんでしょうね」


 ミリアは機嫌よさそうに書き続けるが、ハヤトは嫌な予感に襲われて仕方がなかった。


「その書類って誰が読むんだ?」


「シア様にメルヴィア様、それから魔術師団のメンバーたち。あとは騎士の一部も読むと思うわ」


 やはりメルヴィアも読むようだ。変なことを書かれてしまえば、あとでからかわれる材料になりかねない。


 ハヤトは今回の遠征を振り返る。

 

 行きの道中は問題ない。何も失態をしていないはずだ。

 ゲート内では死にかけたが、それを言ったら騎士たちだって同じだ。これも大丈夫だろう。

 帰り道は……熊に襲われて尻もちをついた。これか? これがネタになるのか?

 

「いやあ、俺、熊が好きでさ。ちょっと遊びたかったんだよな」


「――なに言ってるの?」


 ミリアは小首をかしげ、何を言い出すのだろうという表情を浮かべた。

 たしかに、自分でも何を言っているのかよくわからないとハヤトは頭を抱えた。

 

 ほかにネタになりそうな失態があっただろうか……?

 

 ハヤトが記憶を掘り返そうと悩んでいるうちに、ミリアは報告書を書き終えてしまった。


「でーきた。我ながら完璧な報告書。これを読んだらマドールも私の才にひれ伏すわね」


「ま、待て! 早まるな!」


「早まってなんかないわよ。さ、明日も早いし、もう寝ましょ」


 ミリアはさっさと報告書をバッグにしまい、毛布を取り出した。そしていつものように杖をふたりの間に寝かせた。


「…………この杖、微妙に毎日俺の方に寄ってきてないか?」


「そうかしら?」


 初日から杖の位置を巡ってもめたが、中央に置くということで決めたはずだった。

 だが、毎晩少しずつハヤトの方に寄せられるようになっており、今日は見過ごせないほどハヤト寄りに置かれている。


「いやいや、どう見ても中央にないだろ、これ」


「あたしはちょっと寝相が悪いから広いスペースが必要なのよ」


 たしかにミリアの寝相は少々悪かった。

 朝になると杖ごと転がってきて、ハヤトの体に堅い杖が押しつけられ、嫌でも目を覚ます羽目になる。

 さらに、ミリアを戻そうとして杖を越えようものなら、その瞬間、魔法で仕込まれた電撃がハヤトを襲うのだ。


 ふと、ハヤトは妙案を思いついた。

 杖が動くからいけないのだ。何かで固定してしまえばいい。そうすれば、朝に杖で無理やり起こされることもなくなるだろう。


 何か杖を固定できるものはないかとバッグを漁り始める。だが、使えそうなものは見当たらない。

 テント用の予備ペグを地面に打ち込めば杖が転がるのを防げそうだが、テントに穴を開けてしまうのはためらわれた。

 

「なにしてるの? 灯りを消すわよ?」


 ハヤトは諦めてバッグを閉じ、寝る準備をした。

 灯りが消され、テントの中が真っ暗になると、疲れからか、ハヤトはすぐにうとうとし始める。


 もう少しで眠りに落ちそうというとき、ミリアの声が暗闇の中から聞こえてきた。

 

「ハヤト、起きてる?」


「……うん? なーに?」


 半分寝ぼけながら答えるハヤト。


「今回の遠征、どうだった?」


「うーん? どうって?」


「楽しめた? 地上を歩くのは楽しくなかった?」


「そうだなあ。危険生物さえいなければいいところだよな」


「でしょ? ねえ、次回の遠征にもついてこない?」


 ピクニックにでも誘うような軽い口調でミリアが言う。彼女にとっては遠征もその程度の感覚なのだろうか。


「いや、次回の遠征ってゲート攻略だろ? しかも未陥落の。そんなとこについていったら死んでしまうよ」


「大丈夫よ。地上で荷物番をしてればいいの。今回だって荷物番をしてた騎士がいたでしょ。一緒に外で待ってればいいのよ」


「うーん、そうは言ってもなあ……」

 

「いますぐ決めなくてもいいわ。考えておいてね」


「……ああ」


 そう答えたものの、ハヤトは心の中では断るつもりでいた。

 絶対に安全だと言われていた今回の遠征ですら危ない目に遭ったのだ。

 ゲート攻略なんて、危険の度合いが桁違いだろう。


 ベースキャンプの外を見られたことに満足していたハヤトは、もはや帰還の日までベースキャンプから出なくてもいいとすら思い始めていた。

 ミリアや騎士たちと一緒に遠征に出るよりも、メルヴィアの相手をしているほうがずっと安全だ。


 もちろん、メルヴィアの書斎は帰るころには散らかり放題になっているだろう。

 それを片付けるのは骨が折れるが、それでも危険生物に襲われる恐怖に比べればずっとマシだ。


(ああ……帰ったら掃除しなくちゃなあ)


 そんなことを考えているうちに、ハヤトの意識は静かに眠りへと沈んでいった。

 




 

 


 夜明け前、ハヤトは寝苦しさに目を覚ました。何かが体に重くのしかかっている。

 暗闇の中で目を凝らすと、ミリアがハヤトの左肩に頭を乗せていた。


「!?」


 ハヤトは一気に目が覚める。

 いつもはミリアに硬い杖を顔に押しつけられて起こされていたが、今日はその本人が杖を越えてここまで転がり込んできていた。

 微かに聞こえる寝息と、わずかに香る香水の匂い――。


(うわあ、どうすんだこれ!?)

 

 ハヤトは半ばパニックに陥る。

 起こすべきか、それとも起こさないべきか。どちらを選んでも怒られそうな未来しか見えない。

 詰んだという言葉が脳裏に浮かぶ。


 ミリアは毛布を置いたまま転がってきたらしく、寒かったのだろう、ハヤトの毛布の中にすっぽりと入り込んでいる。

 ときどきミリアは眠ったまま体を動かすが向こう側に戻る気配はない。むしろハヤトにより密着してきていた。

 

(これ、いつもこちら側に寄ってくるんだから、寝る位置を逆にしたら解決してたんじゃないか?)


 いまさらながらそんな後悔が頭をよぎるが、今日が最終日なので完全に手遅れだった。


 やがて辺りが明るくなり始める。もうすぐ起床の時間だ。

 時間がない。早くなんとかしないと――。


「ううん……」


 ミリアが身じろぎをする。ハヤトは慌てて目をつむり、寝たふりを決め込む。

 一呼吸、ふた呼吸の間の静寂のあと、肩にあった重みが軽くなった。

 どうやらミリアが目を覚ましたようだ。


 ハヤトは必死で寝たふりを続ける。心臓の音が妙に大きく聞こえる気がする。

 

 もぞもぞと動く気配がして、やがてミリアは自分の毛布の中に戻っていった。

 薄目を開けて確認すると、ミリアは何事もなかったかのようにスヤスヤと寝息を立てている。


(なんだったんだ……いまのは)


 ハヤトは大きく息をつき、胸を撫でおろした。

 気まずい朝の予感を抱きながらも、もう一度目を閉じることにした。


 すっかり目が冴えてしまったハヤトは寝つけずにいると、テントに近づく足音が聞こえてきた。

 そして声もなく、テントの入り口が静かに開けられる。


 薄目を開けて確認すると、そこにいたのはナズリーだった。

 彼女は黙ったままハヤトを見下ろしている。


「………………」


 ハヤトはその場で寝たふりを続けることにした。ミリアも反応を示さない。

 ナズリーも何も言わず、沈黙だけがテント内を支配する。

 

「ナズ、どうしたのですか?」


 テントの外からシアの声が聞こえてきた。


「ふたりとも寝ているフリをしています」


「起こしてさしあげなさい」


「わかりました」


(ばれてたのか!?)


 ハヤトが内心で驚愕していると、ナズリーがテントに入ってこようとした。

 そのタイミングで、ハヤトはガバリと体を起こした。

 屈み込んだ姿勢のナズリーと目が合う。


「お、おはよう」


 ナズリーは無言でハヤトを睨みつける。その冷たい視線が突き刺さるようだ。

 ハヤトはぎこちなく笑顔を作るが、ナズリーの表情は微動だにしなかった。


 その後ろからシアが顔を覗かせる。


「おはようございます、ハヤトさん」


「お、おはよう」


「お疲れとは思いますが、朝食の時間です」


「ああ、わかった。いま行く」


 シアがナズリーを促してテントを離れると、ミリアがもぞもぞと体を動かし始めた。


「おはよ」


 目をこすりながら、ミリアがゆっくりと起き上がる。


「おはよう。飯に行こうか。シアたちが待ってる」


「うん」

 


 





 シアたちとの朝食を終えたあと、ハヤトは出発の準備をしていた。


「気まずい朝食もこれで最後かと思うと嬉しいよ」


 バックパックの横に銃を取り付けながら、ハヤトは隣で待つミリアにぼやいた。


「気まずいって?」


 すでに準備を済ませてバッグを背負っていたミリアが、不思議そうに首をかしげる。


「会話が盛り上がらないし、空気が重かっただろ。あの近衛はときどき睨んでくるしさ」

 

 ハヤトは肩をすくめながら、ため息をつく。


「え? 楽しい食事だったじゃない。シア様と一緒に食事するなんて、なかなかないことよ?」


 ミリアは目を輝かせて言う。その様子にハヤトは思わず呆気に取られた。


「何が楽しいのやら……」


 本当に楽しいと思っているのなら、少しくらい会話に参加してくれよ、とハヤトは内心でつぶやいた。

 結局、ミリアだってシアに気を遣ってるだけだろう、という思いがモヤモヤと胸に広がる。


 そんなハヤトの内心をよそに、ミリアは明るい声で続ける。


「さ、準備はいい? みんな待ってるわよ」


 ハヤトはバックパックを担ぎ、ため息混じりに足を踏み出した。

 



 

 




 

 日暮れまで十分な時間を残して、ハヤトたちはベースキャンプにたどり着いた。


 入り口は巧妙にカモフラージュされており、近くまで来なければその存在に気づくことはできなかった。

 以前の襲撃を受けて隠蔽度をさらに高めたとメルヴィアから聞いていたが、これほど見つけづらいなら安心だとハヤトは思った。


 入り口の裏に隠れていた見張りの騎士や兵士たちが出迎えてくれる。


「おかえりなさいませ!」


 ゼノンが出迎えた騎士に声をかける。


「出迎えご苦労。何か変わったことはなかったか?」


「とくに襲撃もなく平和でした。ただ、メルヴィア様の機嫌が悪いらしく……」


「ふん、なるほどな。それでか」


 ゼノンは入り口から続く階段を見下ろし、忌々しそうに吐き捨てた。


「私たちの帰還が遅れたから心配をかけたのでしょう。私があとでなだめておきます」


「シア様のお手を煩わせて申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。なにせ――」


「――よいのです」


 ゼノンの言葉を遮るように、シアは力強く言葉を放った。ゼノンは口を閉ざし、深々と頭を下げた。



 

 ベースキャンプの中に入ると、騎士や兵士、メイドたちが歓声を上げて出迎えてくれた。

 その熱気に包まれながら7階層まで進むと、ミリアが別れ際にハヤトへ声をかけた。


「じゃあハヤト。またね!」


「おう、またな」


「次の遠征の話、ちゃんと考えておいてよね!」


「わかったよ」

 その後の帰路は順調だった。

 天気にも恵まれ、ミリアなどはまるでハイキングにでも来ているかのように上機嫌だった。


 ときおり危険生物が襲ってくることはあったが、騎士たちがあっさりと排除してくれる。

 シアたちとの食事は相変わらず気まずく、ナズリーの再開されたマッサージも悲鳴を上げたくなるほどの痛さだったが、何事もなくベースキャンプまであと一日というところまでたどり着いていた。


 テントの中、ハヤトは毛布に寝転びながらぽつりとつぶやく。


「ようやく明日には帰れるな。早く帰って温泉に浸かりたいよ」


「そうね」


 応えるミリアは相変わらず書類に筆を走らせている。ここのところ、夜になると毎晩こんな調子だ。


「報告書はまとまりそうか?」


「うん。なんとか今晩中には書き上げられそうよ」


 ミリアはふと筆を止めて顔を上げる。


「ハヤト、ゲートで何か拾った?」


「ああ。この服の予備を持ってきたぞ」


「服を二着入手……と」


 ミリアは手元の書類にささっと記入する。


「それだけ?」


「あー、あと懐中電灯を見つけた」


「なにそれ?」


「そういや、見せてなかったっけ」


 ハヤトはバックパックの中から懐中電灯を取り出し、スイッチを入れてミリアに見せた。


「ふーん、ランタンのようなものかしら。でも火はついてないみたいね」


「電気で光ってるからな」


「灯りの魔法を内蔵している照明装置に似てるわね」


 たしかに魔術師やメイドたちが使う灯りの魔法は、この懐中電灯の光によく似ていた。

 しかし、魔法の灯りは時間に合わせて自動で明るさを調節するなど、より高機能にも思える。


 ミリアは懐中電灯のことを手元の書類に記入すると、さらにほかに何かないかと尋ねてきた。

 ハヤトは「これで全部だ」と答えておく。

 本当はエルルへの土産にと思って装飾品のようなものを持ち帰っていたが、報告して取り上げられるのが嫌で黙っていたのだ。


 その後もミリアはすごい勢いで書類を書き進めていた。

 ときどきハヤトに行動や出来事を質問してくるので、どうやらハヤトのことも報告書に書いているらしい。


「俺の悪口は書かないでおいてくれよ?」


 ミリアは筆を止めると、ちらりとハヤトを見て、口元に不敵な笑みを浮かべた。


「おい、なんだその笑いは!?」


「ふふふ。なんでしょうね」


 ミリアは機嫌よさそうに書き続けるが、ハヤトは嫌な予感に襲われて仕方がなかった。


「その書類って誰が読むんだ?」


「シア様にメルヴィア様、それから魔術師団のメンバーたち。あとは騎士の一部も読むと思うわ」


 やはりメルヴィアも読むようだ。変なことを書かれてしまえば、あとでからかわれる材料になりかねない。


 ハヤトは今回の遠征を振り返る。

 

 行きの道中は問題ない。何も失態をしていないはずだ。

 ゲート内では死にかけたが、それを言ったら騎士たちだって同じだ。これも大丈夫だろう。

 帰り道は……熊に襲われて尻もちをついた。これか? これがネタになるのか?

 

「いやあ、俺、熊が好きでさ。ちょっと遊びたかったんだよな」


「――なに言ってるの?」


 ミリアは小首をかしげ、何を言い出すのだろうという表情を浮かべた。

 たしかに、自分でも何を言っているのかよくわからないとハヤトは頭を抱えた。

 

 ほかにネタになりそうな失態があっただろうか……?

 

 ハヤトが記憶を掘り返そうと悩んでいるうちに、ミリアは報告書を書き終えてしまった。


「でーきた。我ながら完璧な報告書。これを読んだらマドールも私の才にひれ伏すわね」


「ま、待て! 早まるな!」


「早まってなんかないわよ。さ、明日も早いし、もう寝ましょ」


 ミリアはさっさと報告書をバッグにしまい、毛布を取り出した。そしていつものように杖をふたりの間に寝かせた。


「…………この杖、微妙に毎日俺の方に寄ってきてないか?」


「そうかしら?」


 初日から杖の位置を巡ってもめたが、中央に置くということで決めたはずだった。

 だが、毎晩少しずつハヤトの方に寄せられるようになっており、今日は見過ごせないほどハヤト寄りに置かれている。


「いやいや、どう見ても中央にないだろ、これ」


「あたしはちょっと寝相が悪いから広いスペースが必要なのよ」


 たしかにミリアの寝相は少々悪かった。

 朝になると杖ごと転がってきて、ハヤトの体に堅い杖が押しつけられ、嫌でも目を覚ます羽目になる。

 さらに、ミリアを戻そうとして杖を越えようものなら、その瞬間、魔法で仕込まれた電撃がハヤトを襲うのだ。


 ふと、ハヤトは妙案を思いついた。

 杖が動くからいけないのだ。何かで固定してしまえばいい。そうすれば、朝に杖で無理やり起こされることもなくなるだろう。


 何か杖を固定できるものはないかとバッグを漁り始める。だが、使えそうなものは見当たらない。

 テント用の予備ペグを地面に打ち込めば杖が転がるのを防げそうだが、テントに穴を開けてしまうのはためらわれた。

 

「なにしてるの? 灯りを消すわよ?」


 ハヤトは諦めてバッグを閉じ、寝る準備をした。

 灯りが消され、テントの中が真っ暗になると、疲れからか、ハヤトはすぐにうとうとし始める。


 もう少しで眠りに落ちそうというとき、ミリアの声が暗闇の中から聞こえてきた。

 

「ハヤト、起きてる?」


「……うん? なーに?」


 半分寝ぼけながら答えるハヤト。


「今回の遠征、どうだった?」


「うーん? どうって?」


「楽しめた? 地上を歩くのは楽しくなかった?」


「そうだなあ。危険生物さえいなければいいところだよな」


「でしょ? ねえ、次回の遠征にもついてこない?」


 ピクニックにでも誘うような軽い口調でミリアが言う。彼女にとっては遠征もその程度の感覚なのだろうか。


「いや、次回の遠征ってゲート攻略だろ? しかも未陥落の。そんなとこについていったら死んでしまうよ」


「大丈夫よ。地上で荷物番をしてればいいの。今回だって荷物番をしてた騎士がいたでしょ。一緒に外で待ってればいいのよ」


「うーん、そうは言ってもなあ……」

 

「いますぐ決めなくてもいいわ。考えておいてね」


「……ああ」


 そう答えたものの、ハヤトは心の中では断るつもりでいた。

 絶対に安全だと言われていた今回の遠征ですら危ない目に遭ったのだ。

 ゲート攻略なんて、危険の度合いが桁違いだろう。


 ベースキャンプの外を見られたことに満足していたハヤトは、もはや帰還の日までベースキャンプから出なくてもいいとすら思い始めていた。

 ミリアや騎士たちと一緒に遠征に出るよりも、メルヴィアの相手をしているほうがずっと安全だ。


 もちろん、メルヴィアの書斎は帰るころには散らかり放題になっているだろう。

 それを片付けるのは骨が折れるが、それでも危険生物に襲われる恐怖に比べればずっとマシだ。


(ああ……帰ったら掃除しなくちゃなあ)


 そんなことを考えているうちに、ハヤトの意識は静かに眠りへと沈んでいった。

 




 

 


 夜明け前、ハヤトは寝苦しさに目を覚ました。何かが体に重くのしかかっている。

 暗闇の中で目を凝らすと、ミリアがハヤトの左肩に頭を乗せていた。


「!?」


 ハヤトは一気に目が覚める。

 いつもはミリアに硬い杖を顔に押しつけられて起こされていたが、今日はその本人が杖を越えてここまで転がり込んできていた。

 微かに聞こえる寝息と、わずかに香る香水の匂い――。


(うわあ、どうすんだこれ!?)

 

 ハヤトは半ばパニックに陥る。

 起こすべきか、それとも起こさないべきか。どちらを選んでも怒られそうな未来しか見えない。

 詰んだという言葉が脳裏に浮かぶ。


 ミリアは毛布を置いたまま転がってきたらしく、寒かったのだろう、ハヤトの毛布の中にすっぽりと入り込んでいる。

 ときどきミリアは眠ったまま体を動かすが向こう側に戻る気配はない。むしろハヤトにより密着してきていた。

 

(これ、いつもこちら側に寄ってくるんだから、寝る位置を逆にしたら解決してたんじゃないか?)


 いまさらながらそんな後悔が頭をよぎるが、今日が最終日なので完全に手遅れだった。


 やがて辺りが明るくなり始める。もうすぐ起床の時間だ。

 時間がない。早くなんとかしないと――。


「ううん……」


 ミリアが身じろぎをする。ハヤトは慌てて目をつむり、寝たふりを決め込む。

 一呼吸、ふた呼吸の間の静寂のあと、肩にあった重みが軽くなった。

 どうやらミリアが目を覚ましたようだ。


 ハヤトは必死で寝たふりを続ける。心臓の音が妙に大きく聞こえる気がする。

 

 もぞもぞと動く気配がして、やがてミリアは自分の毛布の中に戻っていった。

 薄目を開けて確認すると、ミリアは何事もなかったかのようにスヤスヤと寝息を立てている。


(なんだったんだ……いまのは)


 ハヤトは大きく息をつき、胸を撫でおろした。

 気まずい朝の予感を抱きながらも、もう一度目を閉じることにした。


 すっかり目が冴えてしまったハヤトは寝つけずにいると、テントに近づく足音が聞こえてきた。

 そして声もなく、テントの入り口が静かに開けられる。


 薄目を開けて確認すると、そこにいたのはナズリーだった。

 彼女は黙ったままハヤトを見下ろしている。


「………………」


 ハヤトはその場で寝たふりを続けることにした。ミリアも反応を示さない。

 ナズリーも何も言わず、沈黙だけがテント内を支配する。

 

「ナズ、どうしたのですか?」


 テントの外からシアの声が聞こえてきた。


「ふたりとも寝ているフリをしています」


「起こしてさしあげなさい」


「わかりました」


(ばれてたのか!?)


 ハヤトが内心で驚愕していると、ナズリーがテントに入ってこようとした。

 そのタイミングで、ハヤトはガバリと体を起こした。

 屈み込んだ姿勢のナズリーと目が合う。


「お、おはよう」


 ナズリーは無言でハヤトを睨みつける。その冷たい視線が突き刺さるようだ。

 ハヤトはぎこちなく笑顔を作るが、ナズリーの表情は微動だにしなかった。


 その後ろからシアが顔を覗かせる。


「おはようございます、ハヤトさん」


「お、おはよう」


「お疲れとは思いますが、朝食の時間です」


「ああ、わかった。いま行く」


 シアがナズリーを促してテントを離れると、ミリアがもぞもぞと体を動かし始めた。


「おはよ」


 目をこすりながら、ミリアがゆっくりと起き上がる。


「おはよう。飯に行こうか。シアたちが待ってる」


「うん」

 


 





 シアたちとの朝食を終えたあと、ハヤトは出発の準備をしていた。


「気まずい朝食もこれで最後かと思うと嬉しいよ」


 バックパックの横に銃を取り付けながら、ハヤトは隣で待つミリアにぼやいた。


「気まずいって?」


 すでに準備を済ませてバッグを背負っていたミリアが、不思議そうに首をかしげる。


「会話が盛り上がらないし、空気が重かっただろ。あの近衛はときどき睨んでくるしさ」

 

 ハヤトは肩をすくめながら、ため息をつく。


「え? 楽しい食事だったじゃない。シア様と一緒に食事するなんて、なかなかないことよ?」


 ミリアは目を輝かせて言う。その様子にハヤトは思わず呆気に取られた。


「何が楽しいのやら……」


 本当に楽しいと思っているのなら、少しくらい会話に参加してくれよ、とハヤトは内心でつぶやいた。

 結局、ミリアだってシアに気を遣ってるだけだろう、という思いがモヤモヤと胸に広がる。


 そんなハヤトの内心をよそに、ミリアは明るい声で続ける。


「さ、準備はいい? みんな待ってるわよ」


 ハヤトはバックパックを担ぎ、ため息混じりに足を踏み出した。

 



 

 




 

 日暮れまで十分な時間を残して、ハヤトたちはベースキャンプにたどり着いた。


 入り口は巧妙にカモフラージュされており、近くまで来なければその存在に気づくことはできなかった。

 以前の襲撃を受けて隠蔽度をさらに高めたとメルヴィアから聞いていたが、これほど見つけづらいなら安心だとハヤトは思った。


 入り口の裏に隠れていた見張りの騎士や兵士たちが出迎えてくれる。


「おかえりなさいませ!」


 ゼノンが出迎えた騎士に声をかける。


「出迎えご苦労。何か変わったことはなかったか?」


「とくに襲撃もなく平和でした。ただ、メルヴィア様の機嫌が悪いらしく……」


「ふん、なるほどな。それでか」


 ゼノンは入り口から続く階段を見下ろし、忌々しそうに吐き捨てた。


「私たちの帰還が遅れたから心配をかけたのでしょう。私があとでなだめておきます」


「シア様のお手を煩わせて申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。なにせ――」


「――よいのです」


 ゼノンの言葉を遮るように、シアは力強く言葉を放った。ゼノンは口を閉ざし、深々と頭を下げた。



 

 ベースキャンプの中に入ると、騎士や兵士、メイドたちが歓声を上げて出迎えてくれた。

 その熱気に包まれながら7階層まで進むと、ミリアが別れ際にハヤトへ声をかけた。


「じゃあハヤト。またね!」


「おう、またな」


「次の遠征の話、ちゃんと考えておいてよね!」


「わかったよ」


 ご機嫌そうに階段を下りていくミリアの後ろ姿を見送りながら、ハヤトは内心でため息をついた。


(いや、もうベースキャンプの外に出るのは絶対なしだな……)


・遠征団:40名帰還

 シア        生存

  ナズリー     生存

  ミリア      生存

  ハヤト      生存

 ゼノン       生存

  騎士団(35名) 健在

 ご機嫌そうに階段を下りていくミリアの後ろ姿を見送りながら、ハヤトは内心でため息をついた。


(いや、もうベースキャンプの外に出るのは絶対なしだな……)


・遠征団:40名帰還

 シア        生存

  ナズリー     生存

  ミリア      生存

  ハヤト      生存

 ゼノン       生存

  騎士団(35名) 健在

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