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第45話 巨獣

 鬱蒼と茂る木々の間、大きな岩に座礁したかのように巨獣の死骸が横たわっていた。岩に刻まれた深いひび割れが、その衝撃の激しさを物語っている。

 

 巨獣の躯には、幾本もの槍が突き刺さったままになっていた。

 傷から流れている血の状態からすると、まだそれほど時間は経っていないようだった。


 ハヤトとミリアは騎士たちのあとを追い、獣の足跡を追跡していた。

 平原では痕跡を辿るのに苦労していたが、森に入ったところでその痕跡は明確になった。

 

 獣が通った道は、木々が尽く折れ伏していた。そして、ここでこの巨獣の死骸を発見した。

 

 どうやら騎士たちは三体の獣の内、一体をここで返り討ちにしたらしい。

 

「森の中に誘い込んで戦ったのね。でも、この動きにくい森の中でもこれだけの突進力があるなんて……」


 ミリアは獣が乗り上げている岩の状態を見ながら呟いた。

 獣は頭から岩を砕くように突っ込んでおり、その部分を中心に岩には深いひびが入っている。

 

 圧倒的な質量。人の身では、鎧を着ていようが到底受け止められるものではない。


 ハヤトは周囲を見渡す。


 木々は激しく折れ乱れており、ここで壮絶な戦闘があったことが容易に想像できた。

 獣の通った痕跡はさらに森の奥へと続いている。

 

 戦いの音は聞こえない。ただ、野鳥の鳴き声が森に響くだけだった。

 

「追うわよ。森から出られたら跡を追いにくいわ。ここで追いつくのよ」


 ミリアは颯爽と、獣が木々をなぎ倒してできた道を歩き始めた。

 そのあとを、ハヤトは重い荷物を背負い、息を切らせながらついていく。


 ミリアの荷物も持っているのだ。ふたり分の荷物を背負うのは辛かったが、いまさらミリアに持てとは言えず、根性で耐えていた。


 しばらく歩くと、前方に巨大な熊のような動物が現れた。いや、熊そのものだ。その熊は、鋭い眼光でこちらを睨んでいる。

 

 ハヤトは慌ててバックパックに取り付けた銃に手を伸ばしかけるが、ミリアは全く気にした様子もなく、足早に熊に向かっていく。


「おい、熊がいるぞ」


「それがどうしたの? 相手してる時間はないからね?」

 

 相手をする時間がないと言うが、もし熊がこちらに襲いかかってきたらどうするつもりだと思いながら、ハヤトは冷や汗をかきつつミリアのあとを追う。

 

 ミリアはそのまま熊の横を、わずか三メートルほどの距離で通り抜けた。

 ハヤトも恐る恐る続きながら、通り過ぎるときに熊の方をちらりと見る。


 熊と目が合った。

 つぶらな瞳をしていてかわいいなと和んだその瞬間、熊が突如立ち上がり、低い唸り声をあげながら威嚇を始めた。


「うわっ!」


 ハヤトが驚いて後ずさると、熊はそのまま突進してきた。

 咄嗟にその突撃をかわしたものの、バランスを崩して尻もちをついてしまう。

 身動きがとれなくなったハヤトに向かって、熊は体勢を立て直し再び襲いかかろうとする。


 そのとき、ミリアが杖を地面にトンとついた。

 すると周囲の木々から蔦が伸び、熊の四肢に絡みついてその動きを封じた。


「何してるのよ。動物とじゃれあってる時間はないって言ったでしょ?」

 

「あ、ああ……。すまん」


 ハヤトは尻もちをついたままの体勢から立ち上がり、ミリアのあとを追う。

 

 ミリアにとって熊など危険生物ですらなく、ただの動物扱いなのだ。

 杖を一振りするだけで熊を無力化してしまう彼女の実力に、ハヤトは恐れ入るばかりだった。

 

 自分ひとりならいくらでもやりようがあるといった先ほどのミリアの言葉は嘘ではないのだろう。そうすると、本当に自分はお荷物なのかと肩を落とした。


 立ち去るふたりの背後で、蔦に絡まれて身動きできない熊がきゅうんと悲しげな鳴き声を上げる。

 ハヤトは振り向いて、あの熊はこのあとどうなるんだろうと思っているとミリアが言う。


「あの魔法は時間が経てば消えるから大丈夫。動物虐待なんてしてないからね?」

 

「お、おう……」


 その後は特に大きな動物が現れることもなく、追跡は順調に進んだ。

 

 しかし、騎士たちからはぐれてからすでに一時間ほどが経過している。

 もし騎士たちがこの間ずっと走り続けているのだとしたら、ハヤトたちはさらに大きく引き離されているだろう。

 そうなれば、今夜の野営地予定までは合流することは難しいし、そもそも予定地で彼らと再開できる保証もない。

 

 だが、ミリアの見立てではそうはならないという。

 

 もし、騎士たちのほうが獣より機動力があるのなら、そのまま逃げ切ればいいだけだ。こんな森に引き込んで戦う必要はない。

 あの獣のほうが足が速いため、やむなくこの森で迎え撃つことにしたのだ。

 おそらくまだ森の中で戦いは続いており、ハヤトたちが追いつくチャンスがあるはずだと。


 はたして、ミリアの言うとおりだった。やがて遠くから怒声と地響きが聞こえてきたのだ。

 

 ハヤトとミリアは顔を見合わせ、音のする方へ駆け出した。

 

 音のする方角は、獣が作った道とは違う方向だ。音を頼りに木々の間を抜け、ふたりは駆けていく。


 重い荷物を背負っているハヤトは、軽装のミリアに少し遅れて林を抜ける。目の前に広がったのは切り立った崖だった。

 ミリアが崖下を覗き込んでいる。


 ハヤトも彼女の隣に並び、下を覗き込む。

 

 三十メートルほど下には、両側を岩壁に囲まれた細い道が続いている。

 その道の先にいる騎士たちが、さらに向こうから迫る獣を迎え撃とうとしているところだった。

 

 騎士たちは手にした槍を地面に突き立て、その柄を足で押さえている。

 槍を構える騎士は十人ほど。残りの騎士たちは剣を抜き、シアとナズリーを護るように囲んでいる。


 ハヤトとミリアが固唾を飲んで見守るなか、騎士たちが槍で待ち構えるところに、獣が突っ込んだ。

 激しい衝突音と騎士たちの雄叫びが響き渡り、土煙が舞い上がる。

 

 やがて土煙が晴れると、獣は槍が刺さった状態で動きを止めているのが見えた。

 だが、まだ生きており、短い足を暴れさせながら地面を引っ掻いている。

 

 そこに、後方で控えていた騎士たちが駆け寄って剣を振り下ろす。剣がその硬そうな毛皮を突き破り、血しぶきが上がる。


 「さすがだな……」


 ハヤトは感嘆する。腹が立つ連中ではあったが、メルヴィアが言うとおり、その戦闘力は頼りになる。


 だが、そのとき隣のミリアが叫んだ。


「後ろから別な一体が来てるわ!」

 

 その声にハヤトが振り向くと、騎士たちを挟み撃ちにするかのように、逆方向からもう一体の獣が迫っていた。

 だが、そのことに騎士たちは気づいていない。


「後ろから来てるぞおおおお!!」


 ハヤトは声を張り上げて警告する。


 だが、距離があるうえに、騎士たちの雄叫びにかき消されてしまい、声は届いていない。

 このままでは、騎士たちは無防備な背面を突かれてしまう。


「そうだ。銃で――」


 サブマシンガンを空に向けて撃てば、その音で気づくかもしれない。

 ハヤトはバックパックを地面に下ろし、固定されていたサブマシンガンを取り外そうとした。


 そのとき、隣でミリアが静かに呪文を唱え始めた。

 目を閉じ、杖をゆっくりと掲げると、彼女の声が次第に力強さを帯びて響き渡る。


「大地よ! 堅牢な壁となりて行く手を阻め!」


 ミリアの言葉に応じるように、騎士たちに裏から迫っていた獣の目の前で地面が盛り上がり、瞬く間に巨大な壁が出現した。

 

 その壁に獣は頭から突っ込む。そして轟音を立てながら、いとも簡単に突き破った。


 だが、それで終わりではなかった。

 第2の壁、第3の壁が次々と盛り上がり、獣の前に立ちはだかる。


 獣は最初の壁を突き破った余勢で第2の壁にぶつかり、それを粉砕。そして第3の壁も同じように破壊していった。


「え!? なにその突進力!?」


 ミリアが驚愕の声を上げる。

 自信を持って使った自然物を利用した魔法が、まるで通じなかったのだ。

 

 だが、このときの轟音が騎士たちに届いた。

 シアとその周囲の騎士たちが振り返り、背後から獣が迫っていることに気づく。

 騎士たちは慌てて迎撃態勢を整えようとするが、手元にあるのは剣だけ。

 正面の獣に刺した槍を引き抜いて背面に回すのは、到底間に合いそうになかった。


 獣は三枚の壁を突破したことで速度が落ちていたものの、再び加速し始める。

 剣を構える騎士たちの列に向かって、着実に距離を縮めていく。


 獣が騎士たちに迫るなか、シアが騎士たちの列をすり抜け、ひとり前に進み出た。

 

「何してんだ、シアは!?」


 ハヤトは頭を抱える。騎士たちも慌てふためき、隊列が乱れる。


 ひとり突出するシアに向かって獣が突進する。

 シアを踏み潰す――かに見えた次の瞬間、信じがたいことが起きた。

 

 獣がシアの目の前で直角に方向を変え、横の壁に乗り上げるようにして激突。そのまま縦に百八十度回転し、背中から地面に叩きつけられるように転倒したのだ。


「おお、例の絶対防壁か!」


 騎士たちが歓声を上げて獣を取り囲む。

 獣の柔らかそうな腹に次々と剣が突き立てられ、絶叫が響き渡った。

 なおも暴れようとする獣を騎士たちは集団で確実に切り裂いていく。


「勝てそうだな」


 ハヤトはミリアに向き直ると、彼女は口元に手を当て、何やらぶつぶつと呟いていた。


「あれだけの質量を反動もなくそらすなんて……」


「おい、ミリア?」


 ハヤトは肩をつついてみるが、ミリアは反応しない。完全に自分の世界に入り込んでしまっているようだ。


 崖下から獣の絶命する声が響いた。

 ハヤトが下を覗くと、獣は二体とも息絶えていた。

 騎士たちが剣を掲げ、勝鬨を上げる。

 

 その光景を眺めていると、シアが崖上のハヤトに気づき、手を振ってきた。

 ハヤトも手を振って応える。すると、騎士たちもハヤトたちに気づき、勝鬨の声を止めて一斉に静まり、黙って崖上を見上げた。


「なんか、あいつら威圧感あるよな?」


 ハヤトが隣のミリアに話しかけると、彼女はこちらの世界に戻ってきたようで、鼻を鳴らして騎士たちを見下ろした。


「あたしたちが戻ってきて残念だったのかしらね」


「え?」


「冗談よ。さあ、合流するわよ」


 そう言うとミリアは杖を軽く振り上げる。ハヤトの体がふわりと宙に浮き上がった。


「うわっ!?」


「ハヤトは先に合流して。あたしは下りられるところを探すから」

 

 ミリアの言葉に抗議する間もなく、ハヤトの体はスーッと崖下へと下りていく。そして地面にふわりと着地した。

 

 崖上を見上げると、すでにミリアの姿はなかった。


「なにもひとりだけ先に下ろさなくてもいいだろうに……」


 呟きながら少し残念な気持ちでいたところ、背後から声がかかった。


「ハヤトさん、ご無事でよかったです」

 

 振り向くと、そこにはシアが立っていた。

 彼女はハヤトの前まで来ると、深々と頭を下げた。


「ハヤトさんたちが遅れていることに気づけず申し訳ありません」


「ああ、しかたないさ」


 本当は置いていかれたことに不満を抱いていたが、シアの言葉が本心だとわかっていたのでそれ以上は言わなかった。

 シアの少しやつれた顔には心苦しさが浮かんでいた。


「これからは一緒に歩きましょうか?」


「え? いや、大丈夫。今度は遅れないから」


「そうですか」


 ハヤトはシアの申し出を断った。

 一緒に歩くと気を使いそうなうえに、騎士たちがどう反応するかも容易に想像がつくからだ。


 シアの視線がハヤトの背負っている荷物に向けられる。


「少し荷物が多いようですね。一部を騎士に持たせましょうか?」


「いや、大丈夫。ミリアの荷物を一時的に預かってるだけで、自分の荷物は自分で持てるよ」


 騎士たちを刺激するのは避けたい。

 シアは騎士たちが自分を嫌っていることをわかっていないのだろうか、とハヤトは思う。

 一緒に食事をしたり、騎士たちに人気の高いナズリーに自分のマッサージをさせたりで、騎士たちを刺激しまくりだった。

 

 シアの後ろにいる騎士たちへちらりと目を向ける。

 彼らは獣に刺さった槍を回収し、荷物をまとめているところだった。

 フルフェイスの兜の下でどんな表情をしているのかはわからないが、ここでシアと話していることを快く思ってはいないのだろう。


 ハヤトにつれなく断られ、「そうですか」と言ったきり黙っているシアに目を戻す。

 

(このひとはなにを考えているかわからないところがあるよな……)


 シアはそっけない態度を示すことが多く、反応もいまいち薄い。

 それでも、シアに見つめられると不思議とやる気が湧いてくるのだから、美人は得ということなのだろう。


 そんなことを考えていると、シアがまた口を開いた。


「この服はゲートで見つけたのですか?」


「うん、そうだよ」


 ゲートを出発して二日目である。いまごろ気づいたのかとハヤトは思ったが、それだけシアが疲れているのだろう。

 

「この服も勇者専用の防具なのでしょうか?」


「いや、ただの服だよ。誰でも着られるさ」


 シアはハヤトの服をしげしげと見つめ、「お似合いですね」と言った。


「ありがと」


 ミリアにも同じことを言われていた。

 意外とこの服、自分に似合っているのかもしれないとハヤトは思った。

 帰ったらエルルにも見せてやろう。

 

 そう思っていると、どこか下りられる場所を見つけたのだろう、ミリアがやってきた。

 彼女はシアに向かって一礼する。


「遅れて申し訳ありません、シア様」


「ハヤトさんを護ってくれたのですね。感謝いたします」


「もったいないお言葉です」


 なんだか、遅れたのが自分のせいみたいな雰囲気になっているが、ミリアに護られたのは間違いない。

 それに、ミリア自身も特にハヤトを必要としている様子はなかったので、ハヤトは何も言わず黙っていた。


 ナズリーがシアのそばに寄ってきて、耳打ちをした。

 シアは小さく頷くと、ハヤトたちに向き直り告げる。


「今晩の野営予定地まで時間がありません。お疲れとは思いますが、すぐに出発いたします」

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