第41話 湯気の中
誰が来たのか――湯船に浸かったまま、ハヤトは息を潜めた。
胸の鼓動が早まる中、湯気の向こうにいる気配に神経を集中させる。
「なんですかこれは。なにも見えませんね」
声変わりのしていないその声には聞き覚えがあった。
ハヤトたちを護衛してくれた騎士、ゴルドーだ。
「なんだ、ゴルドーか」
ハヤトはホッとして声をかけた。
さきほどの騎士とのもめ事もあったため、別の騎士が来たら嫌だと思っていたのだ。
「その声は勇者ですか。……おかしいですね。わたしの番と聞いていたんですけど」
「ミリアには俺の番だと言われたぞ?」
ミリアには、騎士たちの番は自分のあとだと聞いていた。
しかし、よく考えてみれば、騎士は人数も多いのだから、ひとりずつではなく何人かまとめて入るのだろう。
だから、こうしてゴルドーと一緒になるのも予定通りなのかもしれない。
「まあ気にせず入れよ。あとがつかえているんだろ?」
「…………まあいいか」
「湯気で見えないから足元気をつけろよ。あと、風呂の縁に桶代わりの器があるからな」
湯気の中、ぺたぺたと足音がし、続いて器でお湯をすくう音が聞こえてくる。
そして、器の中でお湯をかき回す音が響いた。
どうやらゴルドーはタオルか何かを湯につけて体を拭いているらしい。
ハヤトはお湯を直接体にかけていたが、よく考えると皆がそんなことをしていたら、お湯が足りなくなってしまいそうだ。
「まだ上がっちゃダメですからね」
ゴルドーがハヤトに声をかけた。
「おう。まだ上がらんさ」
しばらくすると、ゴルドーがお湯に入る音が聞こえ、ほうっと小さなため息をつくのが耳に入った。
「いいお湯だよな」
「はい」
「ゴルドーってさ、かなり若そうだけど、いくつなんだ?」
「16です」
ハヤトよりも5つも年下だ。とはいえ、声の感じからもっと年下かとも思ったが、そこまでではなかったようだ。
「若いな。10代の騎士は多いのか?」
「まあ2割くらいは10代ですね。一番下で14だったかな」
「そんなに若いやつまでいるのか……って、その14歳ってアレンってやつ?」
「そうですよ。知ってましたか」
アレンは、ハヤトがこの世界に召喚された初日に絡んできた少年騎士だ。
その後はあからさまに絡んでくることはなかったが、すれ違うときに生意気そうな顔で睨んでくることがしばしばあった。
「あいつ、めっちゃ生意気なんだけど」
「彼はああ見えて才能がありますからね。経験が足りないと言われてますけど、稽古での実力だけで言えば、騎士の中位以上の力がありますよ」
「まじか……」
初日にメルヴィアがアレンの戦闘力は1万4000と言っていたのは、どうやら嘘ではないらしい。
どこぞの戦闘民族のエリートかよ、とハヤトは内心でつぶやいた。
「アレンくんは亡くなったお兄さんの代わりにシア姫を護ろうと前のめりになってるんです。だから勇者に対しても、誰よりも競争心を燃やしているんでしょうね」
「……兄が亡くなってるのか?」
「ベースキャンプに来る前のことですけど、Aランクの危険生物の巨人に襲撃されたとき、皆が撤退する時間を稼ぐために犠牲となって……」
Aランクの危険生物。それはシアたち全軍が一丸となっても手に負えない相手だ。
これまでに4種が確認されており、それらから逃げるようにして、現在のベースキャンプとなっているゲートにたどり着いたという。
「Aランク……。ゴルドーは直接その巨人を見たのか?」
「はい。遠くからですが、ほかの騎士が巨人と戦うのを見ました。
巨人は我々人間にとってあまりにも大きく、剣を振るっても急所にはとても届きそうにありませんでした。
一方で、巨人の持つ石斧は簡単に騎士をつぶしてしまい……」
それ以上、ゴルドーは続けなかった。湯気の中で静寂が訪れる。
何呼吸分かの時間が過ぎたあと、顔にお湯をかける音が響き、ゴルドーは再び口を開いた。
「それでもアレンくんのお兄さんは巨人と互角に戦えていたのです。王国の全騎士団の中でも五指に入ると言われる実力者で、一対一の戦いで負けたことはないと言われるほどの人でした。
でも――」
湯気の向こうで短く息を吐く音が聞こえた。
「でも巨人は……、たくさんいたのです。たった一体の巨人に苦戦を強いられていたところに、さらに多数の巨人が現れて、軍団は潰走状態になりました。
アレンくんのお兄さんは皆が撤退できるように殿を務めていたのですが、逃げる我々の頭上を越え、目の前に落ちてきました。
巨人の石斧の直撃を受けて吹き飛ばされたんです。フルプレートを装着した騎士がですよ。信じられますか? 数百メートルも飛ばされて……酷い悪夢でした」
信じられないような話だった。
嘘か本当か、車に跳ねられて百メートル飛んだという話を聞いたことがあるが、巨人の一撃はそれ以上の衝撃というのだろうか。
銃撃を食らってもなんとか死なずに持ちこたえた騎士たちが、ただの一撃で殺されてしまう。
この世界には、なんて恐ろしい生物がいるのだろうか。
白い湯気の中、再び静寂が訪れる。
ハヤトもゴルドーも、それ以上口を開かなかった。
しばらくして、湯気の向こうでふうっと息を吐く音が聞こえると、ゴルドーが再び口を開いた。さっきよりも少し明るい口調で。
「アレンくんの鎧、体に合わずに少し大きいでしょう?
あれはお兄さんの鎧を引き継いだものなんです。巨人の一撃にも砕けなかった鎧です。きっとアレンくんを守ってくれると思います」
「なるほど……。あの鎧にはそういう意味があったのか」
ゴルドーの声の調子につられて、ハヤトも少し気分が和らいだ。
「ただ、アレンくんはお兄さんの分も頑張ろうと張り切りすぎて、空回りしているところがあるんです。
以前、ベースキャンプが奇襲されたときも前に出過ぎて重傷を負っちゃって。あのときは形見の鎧を着ていなかったのが不運でしたね。あの鎧さえ着ていれば、あんなことにはならなかったでしょうに……。
幸いシア様の治療が間に合いましたが、本当に危なかったです」
「そうだな。しかしシアは本当にすごいよな。今回も、シアがいなかったら大変どころじゃなかっただろう」
「そうですよ。シア様はすごいんですから、勇者ももっと敬意を持つべきです」
「はは、そうだなあ」
ハヤトは湯を手ですくって顔を洗う。そろそろ上がる頃合いだ。
「じゃあ、そろそろ上がるわ」
「わたしも上がります」
ハヤトが湯を出た少しあと、ゴルドーが湯を出る音が聞こえた。
ハヤトはそのまま出口に向かい、後ろからゴルドーがぺたぺたとついてくる。
背後のゴルドーに、ハヤトは声をかけた。
「ゴルドーは結構しゃべるんだな。騎士とこんなに話したのは初めてだよ」
「…………しゃべりすぎでしたね。口をつぐみます」
「いや、その調子でいてくれよ」
「…………」
ゴルドーは口をつぐんだのか、答えなかった。
ハヤトは出口にかけられた防水性の布をくぐり、脱衣所で体を拭いて、自分の着替えの前に立つ。
そして、用意してきた服――ミリアが見つけてきた迷彩服を身につけ始めた。
サイズは大きすぎず小さすぎず、ハヤトにピッタリだった。
重さのある服だが、着てみるとさほど重さを感じさせず、体にフィットして動きやすい。
良いものを見つけてくれたなと、内心でミリアに感謝する。
「どうだこの服――」
ゴルドーに見せようと振り向いたハヤトは、そこに立っている人物を見てあっけにとられる。
そこには、小柄な少女が立っていた。
淡いグレーの上下に、肩には落ち着いた青の薄い布を羽織っている。
短い銀髪に、おっとりとした、かわいらしい顔をしていた。
「どうしたんですか?」
少女の発する声を聞いて、さらに驚く。それは間違いなくゴルドーの声だった。
「え?」
「はい?」
ゴルドーは小首を傾げる。
その動きはどう見ても少女のものだ。というか胸が大きい。明らかに女である。
「もう遅いので、わたしは行きますね。おやすみなさい」
口を開けたまま固まっているハヤトを残し、ゴルドーは脱衣所を出ていってしまった。
ハヤトはしばらく呆然としていたが、やがて一息つくと叫んだ。
「ああ! 湯気がなければ! 近づいていれば! 出るとき振り返っていたら!」




