第40話 悪夢
「退避! 退避! 撤退だ! 第二防衛ラインまで後退しろ!」
騎士のひとりが力の限り叫ぶ。
ベースキャンプの第一防衛ラインの責任者らしき彼の周りには、すでに死体の山が築かれていた。
彼自身も鎧のあちこちが破損し、重傷を負っている。
その彼の足元に、前方から逃れてきた騎士が倒れ込むように転がり込んできた。
「しっかりしろ!」
「だ、駄目だ……剣が通じない。通じないんだ!」
「弱音を吐くな! 我々が壁となって守りきるんだ!」
騎士は剣を投げ捨て、足元の騎士を引き起こして後退を始めた。
だが、数歩も歩かないうちに、背後から長い爪が騎士の腹を鎧ごと貫いた。
血を吐きながら倒れたふたりに、蛇のような表皮を持つ人型の生物がトドメを刺す。
騎士が絶命したあとも、その生物は何度も何度も爪で切り裂き続けた。
そして、その傍らを同じような外見をした生物たちが、さらなる獲物を求めて歩を進めていく。
兵士団および魔術師団が構築した第二防衛ラインもすぐに崩壊した。
血しぶきと炎が上がり、その中を奴らは進んでいく。
その先には無防備なメイドたちがいた。
エルルは、怪物の前で逃げることもできず立ちすくんでいた。
「こっちだ!」
ハヤトはエルルの手を引っ張り、怪物から逃げる。
だが、どこへ逃げるというのか。地下は行き止まりだ。
それでもハヤトはエルルの手を引き、下へ下へと逃げるしかなかった。
13階層の最下層までたどり着き振り返ると、エルルの姿はなかった。
ハヤトに握られた片手だけを残して――。
顔に突然の衝撃を感じて目を開けると、ミリアが顔を覗き込んでいた。
「どうしたの? なんかうなされていたけど」
ハヤトはガバッと起き上がり、周囲を確認する。
塵が積もった人工的な小部屋だ。
どうやら毛布を敷いて、いつの間にか寝ていたようだった。
「夢――か。ちょっと悪い夢を見ていたようだ……」
「ふうん」
そこでハヤトは頬が痛いことに気がついた。
「おまえ、頬をぶったな?」
「声をかけたのに起きないし、しょうがないじゃない」
「こいつ……」と思うものの、同時に助かったとも感じた。
恐ろしい夢だった。目覚めなければ気が狂っていたかもしれないと思うほどの。
体は小刻みに震え、鼓動もまだ収まらない。
あれは本当に夢だったのか? 夢とは思えないほどの生々しさがあった。
まるであの場にいたかのような血の匂い――これまでに匂いのある夢など見たことがあっただろうか……。
重苦しい気持ちを抱えたままのハヤトの頭に、ミリアは布のようなものを叩きつけるように被せた。
「なんだよ!」
ハヤトが布をどかしながら叫ぶ。
「それ、拾ってきたの。いまの服は破れてるし、着替えるといいわ」
ミリアが投げつけた布をよく見ると、それは緑を基調とする迷彩服だった。
銃があったのだから迷彩服があってもおかしくはないが、アンドロイドが迷彩服なんて着るのだろうかと疑問に思う。
触ってみると、素材は合成繊維のようで、服にしてはずっしりと重い。
防弾あるいは防刃対策が施されているのだろう。
怪物相手にどれほどの効果があるのかはわからないが、革鎧を失い、ボロボロの服しかない現在の状況ではありがたいものだった。
どうやらミリアはハヤトのために探してきてくれたらしい。
「風呂上がりなのに、わざわざ探してきてくれたのか」
「事前に見つけていたのを思い出しただけよ」
「助かるよ。ありがとな」
「怪我されてこれ以上お荷物になられても困るしね」
そう言ってミリアはハヤトに背を向け、自分の荷物に向かおうとするが、途中でふと振り返る。
結んでいない柔らかな金髪がふわりと揺れた。
「それから次はあなたの番だから。お風呂」
「…………」
「どうしたの?」
「……ああ、いや、うん。入るわ」
ハヤトはバックパックからタオルを取り出し、迷彩服を持って部屋を出る。
「いやいや、ないわ……」
通路を歩きながら、そう自分を納得させるようにつぶやいた。
ハヤトたちの小部屋から即席で作った風呂までは、数十メートルといったところだった。
そんな短い道のりにもかかわらず、出歩いていたふたりの騎士と折悪くすれ違うことになった。
ふたりとも鎧は身につけているが、兜は外していた。
どちらも二十歳前後の風貌で、片方は金髪の整った顔立ちで、冷たい印象を受ける。
もう一方は柔らかい茶髪で、純朴そうな穏やかな顔をしていた。
(ついてないな……)
ハヤトは視線を合わせないように横を通り過ぎようとする。
しかし、ちょうどすれ違うとき、金髪の騎士の体が揺らいだと思ったら、そのままハヤトにぶつかってきた。
不意に体をぶつけられたハヤトは、一瞬何が起きたのかわからず立ち止まる。
視線を上げると、金髪の騎士が顔をしかめているのが目に入った。
ハヤトが口を開くより早く、隣りにいた茶髪の騎士がハヤトにつかみかかってきた。
「おい、貴様! 何をしてるんだ!」
さきほどまでの穏やかな表情は消え、こめかみには青筋が立っている。
「いや、いまのは――」
ハヤトが弁明する間もなく、胸ぐらをつかまれる。
「おまえ! おまえ! 勇者だかなんだか知らないが、調子にのりやがって!」
彼はハヤトの胸ぐらを掴んだまま、激しく揺さぶった。
「ま、待て――」
しかし、激しく揺さぶられているため、言葉を続けられない。
そのとき、金髪の騎士が茶髪の騎士の腕を握り、止めに入った。
茶髪の騎士が怪訝そうに金髪の騎士の顔を見る。
「いまのは、俺がよろめいて、ぶつかってしまったんだ。彼は悪くない」
金髪の騎士が止めに入ってくれたのは意外だった。
だが、茶髪の騎士は聞く耳を持たない。
「いーや、こいつはかわせたのにかわさなかったに違いない」
そう言って、再びハヤトを揺さぶろうとする。
「やめろ!」
金髪の騎士がつかんだ手に力を込めると、茶髪の騎士は顔を歪め、ハヤトから手を離した。
「なんで、こんなやつの肩を持つんだ!」
「そういうわけじゃない。さっきのは純粋に俺の不注意だ」
よく見ると、金髪の騎士の鎧には銃痕が残っていた。
おそらく、撃たれた傷が響いてふらついたのだろう。
「不注意ってなんだよ! こいつ、ナズリー殿に毎日体をほぐしてもらってるんだぞ! 許せるのか?」
「いまは関係ない」
「関係ある! こいつを特別待遇するのが間違ってるんだ!」
茶髪の騎士はそう言いながら、ハヤトに向き直り、再びつかみかかろうとしてくる。
しかし、間髪入れず、金髪の騎士が後ろから茶髪の騎士の首に腕を回して止めた。
「いい加減にしろ! 行くぞ、こっちに来い!」
金髪の騎士が茶髪の騎士を引きずりながら、ハヤトに早く行けと片手で合図する。
「ああ、助かったよ」
「すまないな。こいつは疲れているんだ」
ハヤトが彼らに背を向けて歩き出すと、後ろで茶髪の騎士が叫んだ。
「くそー! あいつばっかりずるいぞー!」
人のよさそうな茶髪の騎士が絡んできて、冷たい印象の金髪の騎士は案外いいやつだった。
ハヤトは歩きながら、人は見た目ではわからないものだなと思った。
風呂場は連続する小部屋――といっても非人工的なむき出しの岩肌が広がる空間――で構成されていた。
奥の部屋には、騎士たちが地面を掘って地下水を引き込み、ミリアが魔法で温めた簡易風呂が作られている。
手前の部屋は脱衣所――何もないただの空間――となっている。
ふたつの部屋の間に扉はないが、防水性の布が吊るされていて、奥の部屋の湯気が手前に漏れ出ないようになっていた。
また、どちらの部屋にも魔法の明かりがほんのりと灯されている。
ハヤトは何もない脱衣所で服を脱ぎ始める。
少し肌寒かったため、早く風呂に入りたい一心で急いで服を脱いでいく。
だが、あまりにも急いだため、上着と一緒に首にかけていたペンダントが外れてしまった。
それは勢いよく地面に落ち、カツーンという硬質な音を響かせた。
「やば!」
ハヤトは慌てて拾い上げる。
メルヴィアからもらった紅い宝石のついたペンダントだ。
装飾品には興味がなかったが、なんだかんだで初めて女性からもらった物であり、ひそかに肌身離さず大事にしていたのだった。
ハヤトは角度を変えながらペンダントに傷がついていないか確認する。
しかし、思わず息が止まりそうになる。
宝石には、いま落とした際にできたと思われる小さな傷がついていた。
「ああ、やってしまった……」
がっかりして、指でそっと撫でてみるが、傷が消えるわけもない。
ハヤトはひとしきりため息をつくと、ペンダントを服に厳重に包んで床に置いた。
「寒っ……」
半裸の状態でしばらくいたため、体が冷えてしまった。
ハヤトは残りの服を素早く脱ぎ、ふたつの部屋の間に吊るされた布をくぐってお湯のある部屋に入る。
そこは湯気でいっぱいで、何も見えないほどの空間だった。
「こりゃ酷いな。お湯がどこにあるかもわからん」
視界が悪いのは危険だ。
この部屋のどこかに地下水も流れているため、うっかり落ちたら大変なことになるだろう。
ハヤトが慎重に足を進めていくと、石を積み上げて作られた風呂の縁が見えてきた。
その側には風呂桶代わりと思われる木製の器が3つほど並べられている。
風呂は数人が同時に入れそうなほど広く、湯もたっぷりあった。
ハヤトは器でお湯をすくい、ちょうどいい温度であることを確認してから体の汗を流し始めた。
そうして一通り汗を洗い落とし、お湯に浸かる。
「あー、いきかえる」
ここ数日、水浴びぐらいしかできていなかったため、実に久々の風呂だ。
遠征で溜まった疲れが取れていくような感覚を覚え、いい気分で湯船を堪能する。
ため息が思わず出るような、素晴らしい湯だった。
――不意に足音が聞こえたような気がした。
気のせいかと耳を澄ませると、湯気の向こうで布をめくる音とともに、ぺたっという足音が聞こえてくる。
誰か来たらしい。
ハヤトの全身に緊張が走った。




