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第37話 最後の魔法

 3つの黒い影が、突風とともにミリアのいる部屋に飛び込んできた。


 ハヤトは思わず目を見張る。


 その影は、黒いボディに黄色のラインが幾筋も入り、巨大な鼠とも猫ともつかない異形の姿をしていた。

 影は床に爪を立て、風を巻き起こしながら埃を吹き飛ばし、ミリアに向かって突進していく。


「これが最後の魔法よ……。足りてよね、魔力!」


 ミリアは両手を前に突き出し、祈るように声を震わせた。

 次の瞬間、青白い光が彼女の周りに現れ、剣の形をとって回り始めた。


「頼む……成功してくれ……!」


 しかし、ハヤトの願いも空しく、光の剣が影に向かって飛びかかったその瞬間、剣はまるで霧散するように掻き消えてしまった。


 恐怖に支配されたかのように、ミリアの体は硬直し、彼女の小さな肩がこわばっているのがハヤトにも見て取れた。

 黒い影は、床を爪でかきながら、ミリアに容赦なく迫っていく。


 ミリアは顔を伏せ、両腕で自分の体を抱きしめるように身を縮めた。

 その姿はまるで嵐の中にひとり立ち尽くしているかのようで、ハヤトは上階から絶望的な思いで見つめることしかできなかった。


 すべてがスローモーションで動いているように感じられる。だが、実際にはそれは刹那の速さで過ぎ去っていった。


 ハヤトの叫び声も届かぬまま、暴風はミリアに激突するかに見えた。


 ――が、突進してきた3匹の獣は、ミリアの両脇をすり抜け、何事もなかったかのようにそのまま背後の通路へと駆け抜けていった。


「え……?」


 ミリアは呆然と立ち尽くし、風に煽られて髪が乱れていた。


「いまのは……何だったのかしら……」


 ミリアは振り返り、すでに姿の見えない侵入者たちの方を呆然と見送った。

 

 遠ざかる軽快な足音を耳にしながら、ハヤトはようやく安堵の息をつく。


「――なんでもいいけど、そろそろ下ろしてもらえないかな?」


 上の階層でぷかぷか浮いたままのハヤトがミリアに声をかけた。


 散々暴れたせいで、いまは上下が逆さまの状態になってしまっている。

 このままだと頭に血が集まって大変なことになりそうだ。


「う、うん」


 ミリアが腕を振ると、ハヤトの体はすうっと下の階層へ降りていき、床に足がついた。


 ハヤトはミリアのもとへ歩み寄ると、彼女の両肩をがっしりとつかんだ。


「ふざけるな! いまのはなんだ!」


 激しい口調でミリアを責める。


「自分を犠牲にして助けるなんて、そういうのは流行らないんだよ!」


 ミリアは一瞬あっけにとられたが、すぐに目をキッと吊り上げ、ハヤトの両手を振り払うと、返す手でハヤトの頬を打ちつけた。


 小気味よい音が辺りに響く。


「なに気安く触ってんのよ!」

 

「あ、あれ?」


 ハヤトは打たれた頬を押さえながら後ろによろける。


「流行るとか流行らないとか関係ないわ! あなたを護ることが、あたしの任務なのよ! 素人が人の仕事に口出さないで!」


 ハヤト以上の剣幕でミリアが責め立てる。

 

「だいたいあなた、さっきの戦いもそうだったけど、戦いの邪魔なのよね! お荷物を抱えて戦えるほど余裕はないんだから、ああするのは当然でしょ! そもそも――」


 マシンガンのように繰り出されるミリアの反論に気圧されたハヤトは、気がつくといつの間にか謝っていた。

 ミリアは鼻をフンと鳴らし、「勘違いしないでよね」と言ってプイっと顔をそむける。


 なんで怒られているんだろうとがっくりしていると、前方の通路から聞き慣れた音が響いてきた。

 

 複数の金属質の足音が近づいてくる。騎士たちだ。


 すぐに騎士たちがハヤトたちのいる部屋に駆け込んできた。その数、十人。

 騎士たちはハヤトたちの前で立ち止まり、そのうちのひとりが声をかけてきた。


「おまえたち、ここで何をしているんだ。黒と黄の獣がこっちに来なかったか?」


 ハヤトはミリアと顔を見合わせる。

 彼らは上の階層でゼノンから危険生物排除の命令を受けた第三部隊だった。


「こんなところで逢引か?」


 後ろにいる騎士のひとりがハヤトたちに聞こえるように言い、ほかの騎士たちが小馬鹿にしたような笑いを漏らす。

 ハヤトはむっとしたが、ミリアは動じず、一歩前に進み出た。


「上の階層で、本隊が正体不明の存在に銃による奇襲攻撃を受けたわ。複数の騎士が負傷し、一部は死亡している可能性もあるわ」


「「「なに!?」」」


 ミリアの説明に、騎士たちの笑いが止まり、動揺が走る。

 全員がミリアの続く言葉を聞き逃すまいと集中していた。


「あたしたちは二手に分断された。シア様はあたしたちとは別の方にいると思われるわ。こちらはトラップでこの階層に降ろされて、一緒にいた騎士たちはシア様のもとに向かったわ。あたしたちは取り残されて――」


 ミリアが説明を終える前に、騎士たちは一斉に騒ぎ始めた。


「奇襲を許すとは本隊は何をやっているのだ!」

「あんな獣を追っている場合じゃないぞ!」

「我々も急ぎシア様のもとに向かおう!」


 騎士のひとりがミリアに尋ねた。


「おい、姫殿下は無事なのだな?」


 ミリアはわからないと首を振る。


「一緒にいた騎士のひとりが、シア様が隣の部屋に退避するのを見たと言っていたわ。きっと無事だと思いたいわ」


 その騎士は「使えないやつだな」と悪態をつくと、ほかの騎士に「行くぞ」と声をかけて、彼らが来た通路を引き返そうとした。


「待ちなさい」


 その背中に、ミリアが静かだが力強く声をかける。

 そして振り向いた騎士たちに向かって言い放った。


「この中から何人か、あたしたちの護衛につきなさい」


「何をバカなことを! 我々はシア様のもとに向かう!」


 騎士たちはミリアの言うことに従うつもりはないようだ。

 しかし、ミリアはひるまない。


「これは作戦参謀としての命令です。もう一度言うわ。この中から何人かあたしたちの護衛につきなさい」


「貴様! 名ばかりの参謀のくせに我々に指図する気か!」


 怒気をはらんだ声で騎士のひとりが叫ぶ。

 ほかの騎士たちも口々に「魔術師風情が」「お荷物の分際で」などと罵り始めた。


「命令に従わなければ、あとで軍法会議よ」


「上等だ!」


 ミリアの脅し文句に、騎士たちはかえってヒートアップしはじめた。

 一触即発の状態にハヤトがハラハラしていると、騎士のひとりが仲裁に入った。


「そこまでだ。争っている時間はない」


 その騎士は、ほかの騎士たちが静まるのを待ってから、ミリアに向き直った。


「参謀殿。承知した。ひとり護衛をつけよう。――ゴルドー」


「わ、わたしですか?」


 ゴルドーと呼ばれた小柄な騎士が戸惑いの声を上げる。

 フルフェイスの兜をしているため顔は見えないが、声の感じからして、まだ声変わりしていない少年のようだ。

 

「このふたりの護衛を任せる。我々は姫殿下のもとに急ぐ」


「……わかりました」


 ゴルドーは少しためらったが、その騎士の命令に従った。

 

 その後の騎士たちの行動はすばやかった。

 これ以上ミリアに何か言われないうちにとばかりに、あっという間に通路へ走り去っていった。


「我々も急ぎましょう」


 ゴルドーがハヤトたちを急かす。

 

 ハヤトは床に転がっている銃を拾い肩にかけると、ミリアを背負うため彼女の前でしゃがんだ。

 しかし、いくら待ってもミリアはハヤトに乗ってこなかった。


「どうした?」


 しゃがんだまま振り向くと、ミリアは目をそらした。


「や、やっぱり自分で歩こうかなって」


「はあ?」


 ミリアの足に目をやるが、相変わらず腫れたままだ。

 歩ける状態ではないのに、彼女の態度がハヤトには理解できなかった。


「いいからさっさと乗れよ」

 

「…………」


 しかし、ミリアは黙って歩き出そうとする。だが、一歩も踏み出さないうちに痛みのためか、ふらつきだした。

 

 そのミリアを、ハヤトは立ち上がって支えた。


「無理すんなよ」


「だ、だって……恥ずかしいじゃない……」


 ミリアはちらりとゴルドーを見て、ハヤトにだけ聞こえるように小声でつぶやいた。

 

「何をいまさら……」


 ハヤトは呆れるが、ミリアは体を支えるハヤトから離れ、再び歩き出そうとする。


「何をしているんですか。急ぐと言ったでしょう」


 いつの間にか傍らに来ていたゴルドーが冷めた声で言い放つ。

 ゴルドーはミリアの足の腫れに気づくと、しゃがみ込んで足の状態を近くで観察した。


「これは捻挫していますね。歩けないでしょう。さっさとその男の背に乗りなさい」


「あ、歩けるわよ……」


 なおも抵抗するミリアだったが、ゴルドーは彼女の後ろに回り、子供でも持ち上げるかのようにひょいとミリアを抱え上げた。


「な、どこ触ってんのよ!」


「別に変なところは触っていません」

 

 暴れるミリアを無視して、ゴルドーはそのままハヤトの背中にミリアを乗せる。


「無能でも、女ひとりくらいは運べるでしょう」


 言葉遣いは丁寧ではあったがやはり騎士。ハヤトに対して侮蔑の言葉を投げかけてくる。

 言い返すのも面倒だったので、ハヤトは黙ってミリアを背負った。


「あ、歩けるのに!」

 

 なおも口で抵抗するミリアだが、結局はおとなしくハヤトに背負われた。

 

 ゴルドーは腰のポーチから松明を取り出して魔法で火を灯すと、先頭に立って歩き出す。


「出発します」


 ゴルドーの後ろをハヤトはミリアを背負ってついていく。


「やっぱり護衛をつけなければよかった……」


 ハヤトの背中で、ミリアが消え入るような声でつぶやいた。

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